#110 人と共に生きる者
──王宮 最下層 アル・ラハンの間──
「Closs…Malt……」
「……Stela」
「Stela」
着々と、解呪は進んで行く。ようやく半分。ケレンの頬を汗が伝う。目が痛い。
フェールはそれを、ただじっと見守っていた。複雑な気持ちを抱えながら。
──天界崩壊まで、あと三十分。
* * *
──王宮 聖樹の下──
「でやぁぁぁっ!!」
目にも止まらぬ速さで、グレンがバロスへと迫る。その拳は槍が如く、鋭くバロスを捉えた。
「!」
バロスが吹き飛ぶ。激しく壁に激突し、土煙が立つ。
「おい、あまり壊すなよ!」
「……難しい注文だな」
「おい!」
そう言えば、カリサと戦った時もコイツは街を破壊し尽くしていたのだった……とゼイアは思い出した。今思い返しても、人間の仕業とは思えない。我が宿主ながら恐ろしい。
ヒュン、と土煙の中から人影が飛び出した。それは、大鎌を振り翳したバロスだ。円月型に繰り出された斬撃を、グレンは上に跳んで避けた。人間離れした跳躍力。調整を誤ったグレンは、遥か上空まで飛び上がってしまった。
「ありっ……」
「おいっ、バカ……!」
「間抜けめ、翼も持たぬ人間如きが」
バロスが地面を蹴り、翼を使って急上昇して来る。一瞬にしてグレンは迫られる。ギラリと、大鎌の刃が光った。
「死ね、人間!」
叫んだバロスの鎌の刃を、飛んで来たゼイアの剣が受け止める。ゼイアは目いっぱい力を込めて、バロスを地面へ押し返した。悪魔は墜落し、再び土煙が上がる。
落ちるグレンの腕を、ゼイアの手が捕まえた。
「ったく、調子に乗るとすぐこれだ」
「わーり……いや、マジで加減が分からん……ちょっと跳んだだけのつもりだったんだよ」
ゼイアの手にぶら下がりながら、グレンはそう答える。その下で起き上がったバロスが、青筋を浮かべながら叫ぶ。
「ふざけるなよガキ共が!」
「うるせーよクソジジイ」
「ジジイ……ジジイなのか?」
ゼイアの言葉に、グレンはそう訊く。ゼイアは大きく息を吐いた。
「ジジイもジジイだよ。あいつ、魔王とそう歳変わらねェからな」
「ええ……マジか」
「原初の時代から存在する悪魔ってことだ。気ィ引き締めろ」
「長生きにしちゃ、短気だな」
「……そうだな。あの親バカの方が余程器がでかい」
無駄話をする二人の元へ、バロスが再び迫る。
「Tobra!!」
「……とぶら?」
「“死ね”だとよ。ったく、今どき神語を会話で使う奴なんかいねェよジジイがよ!」
ゼイアは片腕でグレンを引き上げると抱き抱え、もう片腕で持った剣でバロスの鎌を受け止めた。
「ちょ、このまま戦うなよ!」
「大したことねェ。それとも落とされてェか」
「嫌だよ!」
バロスの鎌を弾き、ゼイアは彼を潜り抜けて下へ降りる。バロスはそれを追って来る。
「“邪神の刃・神速”!!」
「ここでかよ!」
ゼイアが叫ぶ。バロスの前に三日月状の黒い斬撃が現れ、それが高速で飛んでくる。グレンが後方へ身を乗り出して、アレスの力で盾を展開する────が。
「効くか!」
「!!」
容易くそれは破かれ、そして二人をも斬り裂いた。
「ぐあっ! うっ……!」
二人はバラバラに墜落した。グレンは左半身を縦に斬り裂かれた。傷が深い。血がたくさん流れる。
「ハァ……ってェ……クソ……」
ゼイアはむくりと体を起こした。左半身の背中に傷を受けたが、暗黒魔導と同質の翼によって多少は軽減されている。ゼイアは立ち上がるとグレンの方へ駆け寄る。
「大丈夫か」
「……だい……」
「いや、ダメだな。いい。動くな」
息が荒い。ゼイアはグレンに治癒魔術を掛ける。ポウと光が傷口に集まり、徐々に修復されていく。
「止血程度だから、無理はするなよ」
「……あぁ」
自分にも同じものを掛けた。ゼイアはまだ十分に動けた。バロスがそこへ近づいて来る。
「まだ生きているとはな」
「そんなヤワじゃねェんだよ」
グレンに死なれては困る。彼がいなければ、自分はこの世界に留まることすら出来ない。
体力を多く消耗した。グレンの体力的にも、真覚醒が持つのはもうそう長くない。次で決めなければ。
「あのガキ、もう死にそうだな」
「人間だからな。俺たちよりずっと弱い」
「……なんだ。そういう考えはあるのか」
バロスは意外そうに片眉を上げた。ゼイアはフッと笑う。
「あるさ。それは正当な評価だ。だが……バカにはしてねェ」
「…………」
「俺たちだって、弱いところはあるだろ?」
バロスの眉間に皺が寄る。大鎌を握る手に力が籠った。
「戯言を。俺たちは、人間よりも遥かに優れた存在だ」
「完璧なのは神だけだ。俺たちは、ただそれに仕える者に過ぎない。不完全なのは同じだ、人間と」
「……ハッ」
バロスはゼイアの言葉を鼻で笑った。
「だから何だ」
「護り護られ。そういう関係でも構わないだろ?」
「…………」
バロスは表情を消した。そして、大きく鎌を振り上げた。
「……無駄な時間だったな。さっさと殺して終わらせてやろう」
「いや、無駄なんかじゃなかったぞ」
「……!」
その時、バロスの足元で何かが光った。彼には目を動かす暇しかなかった。
白い光を放つ魔法陣。二重になったそれが、ゆっくりと互い違いに回る。そこから伸びたいくつもの白い筋が、バロスの体を絡め取った。
「……これはッ……!」
「俺が無音詠唱で発動出来る、最大の聖魔導だ」
無音詠唱。それは口では唱えず、心の中で唱える詠唱法。詠唱破棄とは違う。それはしっかり唱える時間が必要になる。
これまでの会話の内に、同時にゼイアは無音詠唱を実行していた。
ゼイアは左手の人差し指と中指を伸ばし、手首から下に向けた。カッ! と魔法陣が光る。次の瞬間、光がバロスを包み込み、爆ぜた。
守護者の力・精霊の魔術・神徒の聖魔導・悪魔の暗黒魔導────そのいずれにおいても、“技名”、あるいは“詠唱”とは謂わば“命令”である。
それらの能力の原理は、基本的には同じだ。いずれもエレメントが作用して起こるものだ。さらに聖魔導には聖燐が、暗黒魔導には魔障が作用する。
つまり、“詠唱”とはそれらに対する“命令”なのである。それは長ければ長いほど……つまり指示の内容が細かければ細かいほど、複雑な作用をし、強力なものになる。その特に高度なものが“魔術”と呼ばれる。治癒魔術に至っては様々なエレメントの作用によるもので、基礎的な分野では最高難度の魔術と言える。
エレメントは自然界に普通に存在するものだが、単なる物質ではない。生き物というわけでもないが、どうやら意思のようなものがあるらしい。気に入る相手がエレメントによって違うのだ。それが、謂わゆる“適正属性”である。
さらにその使い手の練度によっても、エレメントの作用具合は変わって来る。エレメントとどれだけ同調出来るか。その能力が高ければ高いほど、複雑な力が扱え、さらには詠唱破棄が可能になる。
ゼイアが無音詠唱にて発動させた聖魔導は、実に八の単語から成るエレメントへの“命令”である。
“聖魔導・時限式罠・魔を捕らえ、爆破し消滅させよ”
時限式の聖魔導。指定した時間後に爆発を起こす。指定しなければ、一定時間後好きなタイミングで爆破させられる。効果があるのは、魔障の力を持つもののみ───という制限を持った、やや複雑なものだ。
会話をしながらこれだけの詠唱を行うには、かなりの精神力がいる。だが、ゼイアは幼い頃から無音詠唱の、ひいては並列思考の修行はして来たし、その素質もあった。故に、彼はそれをやってのけたのだ。
威力は十二分。魔族相手だけに特化したその聖魔導は、邪神級とも云われるバロスにさえ、確実なダメージを与えた。
眩い光と煙が消え去る。後には、鎌を杖に立つバロスの姿があった。左腕と、右足がなくなっていた。しかしその紅き双眸は、なおギラリとした鋭い光を放っていた。
「これしき……で……」
頭から、肩から、脚の付け根から。ドバドバと血を流しながら、バロスは呟いた。そして左足で立ち、右手で鎌を振り上げた。
「この俺を! やれると思うな半端者が!!」
ザンッ。ゼイアの剣が、バロスの右腕を肘から断った。大鎌が高く飛び、くるくると回転しながら落ちて地面に突き刺さった。
「……う……おおおあああぁぁぁぁ!!!」
左足だけのバロスが吼えた。だが、何も出来やしない。腕が無ければ鎌を握ることも、エレメントに指示を出すことも出来ない。容易く、ゼイアに蹴り倒されてバロスが仰向けに倒れた。立ちあがろうとバロスは両翼に力を込める。だが、腕ほどの力は出ない。足一本で、ゼイアに抑えつけられる。
「半端者で、いいんだよ。俺はもう、神徒でも悪魔でもねェんだから」
バロスの喉元に、ゼイアは剣を突きつける。
「この姿を見ろ。世界は俺を精霊だと定めた。俺の心のありようが、いつの間にかそうなってたんだよ。俺は、人と共に生きることを選んだ。それが今の俺の“主軸”だ。だが────俺は決して捨てちゃいない。この天界に生まれ落ちたその運命を。この翼が黒に染まっていようとも、俺がこの世界を護りたいと思う限り、俺は神徒でもあり続ける」
「────歪な。堕ち損なった紛い者め」
「何でもいい。誰が何と思おうと、そんなの俺には関係ない」
もう迷いはなかった。自分が何者なのか。ずっと問い続けて来たその答えが、今のゼイアの中にはあった。もう何者にも惑わされない。自分は一人ではない。誰からも見放された存在ではない。
剣を振り上げた。目の前の悪魔の心臓に、剣を突き立てようとした。────が、その時、ゼイアの脳裏にある光景がフラッシュバックした。チリリと、それがゼイアの神経を灼く。鋒が、バロスの横に突き刺さる。そこから、動かない。
「……ハァ、ハァ……ハァッ……」
動悸がする。汗が吹き出し、顔を伝った。どうして。何でもないことのはずだ。相手は悪魔だ。あの時とは違う。
何度もゼイアは心の中でそう唱えた。なのに、体は固まって動かない。体の芯が冷えていく感覚がした。
「……馬鹿め。何を……躊躇ッ」
突如、バロスの言葉が途切れた。代わりに悪魔の頭が何かに踏み潰された。
「……!」
「おい、どうしたんだよ」
グレンの声に、ゼイアは顔を上げる。心配そうな青い瞳と目が合う。彼はゆっくりと、返り血に濡れた足を下げる。傷はまだ塞がり切っていなかった。グレンの顔には苦痛が滲み出ていた。
「……すまん……」
ゼイアは口から零れるままに謝った。真覚醒が解け、姿と武器が元に戻る。途端、グレンの体がぐらりと傾いた。
「! おい!」
ハッとしてゼイアはグレンを支えた。意識はある。グレンはへへ、と力なく笑った。ホッとする。考えればそうだ。自分はまだここにいる。
ため息を吐いて、今度はちゃんとした治癒術を掛けた。グレンだけでなく、自分にも。……アレスは少しは回復しただろうか。グレンへの効きが悪いのは、彼の治癒のせいもあるだろう。
「……」
一息吐いて、無惨な姿になったバロスへと目をやる。グレンはさすがに容赦がない。殺すと決めた相手はきちんと殺す。ゼイアは彼のそういう部分には好感を持っていた。自身も、どちらかと言えばそういうタイプだからだ。
勿論なんの感傷もなかった。当たり前だ。明確な敵なのだから。なら、なぜ躊躇した?
あの刹那、フラッシュバックしたのは自分が堕天した時のことだった。何でもないように思っていたが、十分なトラウマになっていたらしい。……だが、なぜ奴とバロスを重ねてしまったのか。
眉間を抑え、ゼイアは首を振った。何にせよ、あの邪神のような悪魔を倒すことが出来たのだ。聖樹は護られた。
ふと、ゼイアはあることを思い出した。それは、魔界にいた時に聞き及んだこと。確か、“正統なる血統”は、不死者であること────。
今見ても、死んだようにしか見えない。エレンの不死とは異なるのか……そう思った矢先、視界に黒い点がチラついた。それがバロスの方に集まっているのを見た時、その正体が魔障だと気が付いた。ヒヤリとしてゼイアは慌てて拘束呪を掛けた。通常より念入りに、何重にも。
詠唱を終えた頃に、バロスの体が完全に修復された。
「……化け物め……」
ゼイアはそう呟く。ともかく、すぐに目覚めることはないようだ。随分と疲れた。グレンの体力のこともある。ゼイアはここで一度休むことにした。
#110 END
To be continued...
読んでいただきありがとうございます!
よろしければ感想・評価、ブックマークなどしていただけると嬉しいです。




