#109 全てを断ち切る者
「……何言ってんだリリー……」
リリスは『簡単だ』とそう言ったが、それは決して容易いことではないように思えた。
エレンの武器はアルケルと共に氷の中に囚われてしまっているし、そもそもその棒ですらあの氷を砕き切ることは難しい。表面を削るのがせいぜいだろう。他に手持ちの武器は、短剣くらいなもので、それでも勿論言わずもがなだ。
戸惑うエレンに、リリスはアルケルを封じた氷を指差す。
「良いですか、エレンさん。あの氷柱には地面に展開した魔法陣から真っ直ぐに、中心部を力が通っています」
確かに、まだ魔法陣は消えていなかった。エレンには何も分からない、リリスにはエレメントの流れが見えているのだろう。
「あれによってまだ、あの悪魔は“水であること”を維持しています。だからそこを……断ち切って下さい」
「……なんとなく分かったけど、どうしろって言うんだ。それに断ち切るなら、エレボスの方が……」
「エレボスさんの力は、“刈り取る”ものであって“断ち切る”ものではありません。物理的にも力が不足しています」
と、リリスはエレンの右手を取った。本物ではないその腕に、影の力が巡る。
「……!」
「私の力を貸します。今なら────越えられる。私はそう感じるんです」
リリスはエレンの手の甲に手を重ねながら、その手を目の高さにまで上げた。
「さあ、願って。全てを断つ力を」
目の前に、影が渦巻く。その手に力が集まって来た。エレンはイメージする。目の前の氷柱を────邪悪なる悪魔を断つ力を。
「何を────何をしようとしている?! 何をしたって無駄だ! 下等で愚かな生命たちが……!」
アルケルが、氷の破片をパラパラと落としながら捲し立てる。
「人間を、侮ってはいけませんよ」
リリスが笑ってそう言う。見たことのない、不敵な笑みだった。
「生意気なことを言う! 人間なんかに依存して生きる精霊如きが! 僕らは神徒と相反する存在だ。君たちとは存在の格が違うんだよ!! 定命の、無知で愚かで矮小な────……!」
その時、音もなく氷の柱がズレた。
「……うぁ?」
「ゴチャゴチャうるせェな……何がいけないんだよ、それの」
エレンの手には、葡萄色の両刃剣が握られていた。それはひとつの長方形の形をしていて、その辺の全てが刃になっていた。真ん中に四角く穴が空き、そこにグリップがついている。
エレンが手にした刃────新たな武器が、氷柱を両断した。それと同時に、アルケルと水の魔法陣を繋ぐパスが切れた。遅れて、悪魔は悲鳴を上げた。
「─────ひぎゃあああああぁぁぁぁ!!」
氷柱の上に現れていたアルケルの顔が崩れる。バラバラと断たれた上半分が崩れ落ちて、破片が繋がって何かの形を作ろうとする。
「ううぅぅぅあああぁぁあぁッ! こんなッ……こんなことが……あぁッ、凍るッ……!!」
氷の塊はアルケルの形を取ろうとしては、崩れて行く。それを繰り返しているうちに、やがて氷塊は動かなくなった。
「……うお……やったのか」
エレンは恐る恐る呟く。まだ悪魔の断末魔が耳にこびりついている。何とも後味が悪い。……それにしても。
「……なんだこの武器は?」
「やりましたね! 真覚醒ですよ! いける気がしたんですよ私は!」
リリスが喜んでいる。エレンが彼女を見ると、彼女の格好も変化していた。いつものローブではなく、足元の空いたロングドレスに黒の短パン。なんだか全体的に露出が増えた黒い出立ちで、小悪魔感がある。
「……随分様変わりしたな……」
「あっ、あ、これ……ちょっと恥ずかしいですね。強くなった気はしますが」
リリスは照れる。ふと視線を移すと、人型に戻ったエレボスの姿も変わっていた。彼は相変わらずフードを被っているがリリスと同じく黒い出立ちで、死神感が増している。
「お前もか……」
「当たり前だろ。真覚醒ってそういうもんだ。……いや、土壇場だったが、やったな……それ」
と、エレボスはエレンが手にしている武器を指した。エレンもそれを見る。
「……両刃剣……か」
「すげーぜ。あらゆるものを概念から断ち切る神器だ。神器は願った力に応じたものが与えられるって言うけど……うん、だいぶ役に立ちそうだ。名付けるなら、“影ノ両断剣”……だな」
「なんだそれ……っていうかこれ、どうするんだ……」
「真覚醒状態を解除すれば消えるぞ。召喚中は体力を消費するから気をつけろ。あまり使いすぎると死ぬぞ」
「俺死なねェけど……」
確かに少し疲れて来た気がする。なら、そろそろ解くか……と思った時、足元で何かが蠢く気配がした。
「! 溶けてる!」
アルケルだった氷塊が、いつの間にか水に戻っていた。沈黙したかに思われたそれは、モコモコと盛り上がって這いつくばるアルケルの姿を取った。しかし未だ不安定のようで、すぐに水に戻って溶けてしまう。足元に至っては全く形を取れないようだ。
「ああ……あぁ、許せない……この僕を、この僕をこんな目に……!」
「……どうなってるんだ」
「長くエレメント化し過ぎた者の末路です。環境下のエレメントと溶け合って、自己の姿形を保てなくなっているんです」
リリスが悍ましいものを見る目でそう言う。水の中で青く光る目が、エレンを睨んでいた。
「許せないッ……この下等生物が……! 死ねよ!」
「!」
エレンへと水塊が這い寄って来る。飛び掛かられて、慌てて両刃剣で斬った……が、水を斬るだけで水塊は勢いを失わないままエレンへと襲い掛かった。
「ぐぁ!」
水の刃がエレンの体を切り裂いた。ばらばらになったアルケルは、エレンの後ろでまた一つになる。なんとか立ちあがろうとしているが、その形は顔と片腕くらいしか保てていなかった。
「……滅茶苦茶だな」
「エレンさん! 大丈夫ですか?!」
「なんとか……」
結構深く斬られた。だが修復は早い。ごく普通の水刃だ。水の守護者がよく使うものだ。魔術も何もあったものではない。もうヤケクソということか。
「ううううぅぅ死ね! 死ね!」
アルケルは大きく膨らむと、頭上にいくつも水の槍を作り、飛ばして来た。完全にエレン一人を狙った攻撃。数が多い。いくつか弾き、いくつかを躱したが、足元が水で滑って体勢を崩したところを、一つがエレンの胸を穿った。
「ぐっ……!」
「エレン!」
「エレンさん!」
がく、と膝をついたエレンに、水塊が追い打ちをかける。しかしそれは、リリスのシールドによって阻まれた。
「あは、ははは! 貫いた! 心臓だ!」
ばちゃ、と跳ね返って起き上がった水塊は笑っている。もはや朧げな顔の形しかなかった。エレンは胸を抑えながら、リリスに助けられてゆっくりと立ち上がる。その様子を見て、アルケルは水の体を僅かにくねらせた。
「? ……なぜだ? なぜ死なない?」
「────言っただろ。俺が相手で運が悪かったなって」
「……!!」
「お前、過信し過ぎなんだよ。知ってるものが、全てだなんて思うなよ」
「そんな……不死の人間?! あ、あぁ、お前、道理でおかしな魂をしている! 呪われているのか、一体誰に呪われたんだ、教え…………」
バシャ、と錯乱した様子の水塊を大鎌が横切った。その途端、アルケルのぼんやりとした顔さえ形を失って、水は床に崩れ落ちた。その後ろに立っていたのはエレボスだった。
「はー。俺良いとこなしかと思ったよ」
「エレボス……最後に持って行きやがって……」
「意識を刈り取った。これでさすがに起きやしねェだろ」
水塊、もとい水溜まりは完全に沈黙していた。そこからもうなんらかの意思は感じられない。どうやらアルケルを倒せたようだ。
「……これが悪魔だったとか思えねェんだけど」
「エレンさんも気をつけて下さいね。あまり影に潜り続け過ぎると、戻れなくなりますからね」
「……それってどれくらいの時間の話だ……?」
影への潜伏経験は勿論ある。だが、その際自我を失いそうになったとか、そういう感覚を覚えた記憶はない。
と、そこへ足音が近付いて来た。
「あ、エレン!」
「!」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはロレンとフォレン、そして見知らぬ男と────クザファンが立っていた。
「?!」
エレンが身構えると、ロレンが前に出て来て宥める。
「待って、大丈夫だから」
「どういうメンツだこれ……? というかそいつ誰だよ」
戸惑うエレンに、ロレンは頭を掻く。
「……うーん、どこから話したものかな……まずは状況の擦り合わせをしない?」
* * *
「────えー。それで、クザファンは神徒に……?」
「……」
クザファンは黙っている。その銀色の瞳に以前のような邪気は感じられなかった。翼は黒いままだが、確かに角もなくなっている。悪魔でなくなったというのは本当なのだろう。
「……で、クザファンと同じような」
「ラヴァだ。クザファンより先にこの天界に生まれた“忌み子”だ。永く主に仕えている」
と、黒翼の神徒は胸に手を当てて答えた。そしてエレンは最後方で腕を組んで黙っているフォレンの方を見る。最後に見た時と変わらずボロボロである。今、彼が最高に不機嫌であるのと、相変わらず彼が荒々しい性分であることは分かった。
「……どうやって説得を?」
ロレンに小声でそう聞くと、ロレンは眉を下げる。
「それも全部ラヴァさんのお陰だよ。兄さんも彼には逆らえなくて」
「……じゃあ滅茶苦茶強いのか、あの人」
「そりゃ、もう……」
チラリとラヴァの方を見る。彼の何ものにも揺らがないような凪いだ表情を見ていると、確かにそれは真実に思えた。
「それで……エレンが戦ってた悪魔は?」
「あぁ……あれ」
と、エレンは床に広がる水溜りを示した。ロレンは首を傾げる。
「……水?」
「水に溶ける奴で……凍らせたりしてたら戻らなくなった……」
「何それ……怖いな」
それを見たラヴァはふむ、と少し考える様子を見せてから、無造作に手を水溜りへと振った。するとたちまち、水が収束して元のアルケルの姿になる。
「えっ……どうやっ……」
「“拘束”」
ラヴァが唱えると、アルケルの体は光の鎖によって拘束された。意識はないままのようだった。
「奴らは不死身だ。いずれ復活する。こうしておくのが一番安全だ」
「……そうなのか……」
「よく倒したな。これで主を手助け出来る」
褒められた。彼は変わらず無表情だったが、そこに感心の感情があるのはなんとなく感じ取れた。
「……あ、そうだ。ここに来る途中でサファラを見なかったか」
「あぁ。会ったよ、階段でね。彼も無事だよ。力を使い過ぎて動けないみたいだったけど……」
「そっか……」
ともかく生きているのなら良かった。そう思う。
「あとのことは任せるって」
「……分かった」
その伝言にエレンが頷くと、ラヴァがスタスタと王の間の扉の前に歩いて行く。そして扉に手を掛けると、振り向いた。
「さて……行くか?」
#109 END
To be continued...




