#103 神の子は斯く在りき
──王宮 一階回廊──
ハルバードの穂先が、ルミナエルの頬を掠める。チリッと電撃が飛び、その肌を僅かに痺れさせた。だが、そんなことは気にせずルミナエルはヴォルデリアの肩口へと剣を振るう。ガキ、とそれをハルバードの柄で防いだ悪魔は、涼しい顔をして言う。
「当たらないわ、そんな大きい攻撃じゃ」
「……ッ!」
ヴォルデリアがルミナエルの剣を弾き返す。飛ばされかけた剣を、その腕力で素早く引き戻したルミナエルは、ハルバードの斬撃を避け、ヴォルデリアの懐へと潜り込む。
「お前は確かに疾いが……レイほどじゃない!」
「!」
両手で剣を突き上げた。刃が悪魔の胸を貫いた。彼女は苦痛に顔を歪めながらも……ルミナエルを見下ろして言う。
「……痛いわね」
「痛いで済むものか……!」
「お生憎様、この程度じゃ私たちはいくらやっても死なないわよ」
「……!」
「いつまでこうしているつもり? 死ななくても痛いし気持ちが悪いのよね」
「“聖魔導・破邪斬”!」
「うぐうっ!!」
刺さった剣から、聖魔導が悪魔を蝕む。ぐっと剣に力を入れたルミナエルは、そのまま胴を斬り裂くように刃を引き抜いた。ヨロヨロとヴォルデリアは後退し、脇腹を抑え血管の浮き上がる手を見て叫ぶ。
「…………あぁ! 痛い! 痛い……!」
「じきに聖燐に侵されて死ぬぞ。ほとんど心臓に直接喰らわせたからな」
ルミナエルの言葉に、しかしヴォルデリアはそれでも笑う。
「……ふふ……ふふ、馬鹿ね! あなたたち、私たちのことを知っているようで何も知らないのね!」
「何……?」
怪訝に眉を顰めた神徒に、悪魔は可笑しそうに目を見開いて聖燐に侵された手を振り払った。
「私たちはね……死ねないの! 魔王の命ある限り、私たちの命も尽きることはないのよ」
「何だと……?!」
悪魔は、通常は神徒と同じく定命のものだ。殺せば死ぬ。生命の理の内にあるものだ。不死身の存在など、機構たる神以外にありはしない。だが、それが本当ならば。
ルミナエルの顔に浮かんだ一瞬の絶望を見てか、ヴォルデリアは笑って続ける。
「まぁ、心配しなくても私たちにも“死”はあるわ。バロス兄様に何度殺されたか分からないしね。でも、何度でも蘇るわ。それだけのことよ」
ヴォルデリアは忌々しげに腹の傷に目を遣る。
「傷だって……そんなにすぐに治るわけでもないしね。ここは魔障が薄くて聖燐が濃いから余計に、だけど」
と、不意に悪魔は両手でハルバードを握りしめると、雷光が如き速さでルミナエルの胸目掛けて突き出した。
「!」
間一髪、致命傷は避けたがその一撃は深くルミナエルの脇腹を抉った。
「あうっ!!」
「お返し。フフ、良いわね、その苦痛に歪んだ顔。素敵だわ」
恍惚とした顔でヴォルデリアは言う。ルミナエルは負けじと言い返す。
「何てことない、こんな傷……お前こそ随分と苦しそうだが」
「そう見える?」
ドッ。ルミナエルの腹に衝撃が走った。一瞬、ルミナエルは何が起こったのか分からなかった。目に映ったのは残像、反応した時には既に遅く、ハルバードの穂先が腹を貫いていて、鋭い痛みが走った。
「があっ!!」
「もっとよ……もっと啼きなさい!」
高く笑ったヴォルデリアは、ハルバードを引き抜くと続け様にルミナエルを斜めに切り付けた。
鮮血が散る。聖燐を含むそれは悪魔にとっては毒だった。本来は避けなければならないものだ。だがヴォルデリアは頬に付いたそれを舐め取ると、膝をついたルミナエルを見下ろす。
「私たちは……窮地にこそ強くなる。強くなれる。父上のために、伏すわけにはいかないの。他の悪魔には致命的でも、聖燐は私たちにとって“強化剤”に過ぎないのよ」
「……ハァ、なるほど……つまり私は自分で己の首を絞めたと……そう言いたいわけか」
「そうね」
淡白に悪魔はそう答えた。だくだくと血が流れ出す。治癒魔術は追いつかない。彼女たちの再生を聖燐が阻害するように、彼女たちが使う魔障もまた神徒の治癒力を阻害する。血と共に巡るエレメントも徐々に減って行く。派手な魔術は命を縮める。
少し朦朧として来た頭の中で、これからどう反撃に出るべきか、ルミナエルは思案する。
この体では、もうこの悪魔の速度にはついていけない。このスピードに敵うとしたら、レイフォードくらいだろう。だが、彼はきっとここには来ない。自分の請け負った戦いに疲れて。
彼があぁ見えてそう体力がないのをルミナエルは知っている。ルミナエルが難なくこなすような任務でさえ、レイフォードは疲弊して帰って来る。竜神族は神徒よりずっとフィジカルに優れた種族だが、それと同時に好戦的な性質を持ち、彼は特に戦いにおいてその力を使い果たしてしまう。そんな彼が、正統なる血統をとの戦いを経てここまで来るはずがない。
────それ以前に、彼はルミナエルを信頼している。だからこそ助けには来ない。ルミナエルの誇りを挫くようなことはしない。彼女もまた、その信頼を裏切るわけにはいかなかった。
ルミナエルは陽炎のように揺らめいていた意識を固める。足に力を入れ、立ち上がる。
「まだ立つの? 気に食わないわね、その顔」
「……言っただろう。私は神兵団の長。悪魔に屈する訳にはいかんのだ」
顔を上げる。その威厳を含んだ眼差しが、ヴォルデリアの笑みを掻き消した。しかし、悪魔は再びすぐに笑うと、満身創痍の神徒を嘲った。
「戯言よ。そんな体で何が出来るの。あなたの攻撃は私に当たりもしなければ、私の攻撃を避けることも出来ない。勝ち目なんかないのよ」
「────それだけじゃない。私は……父と母の名において、無様を晒すわけにはいかない」
神の子。それもその中でも数少ない純血の神の子であるルミナエルは、それを誇りに生きて来た。神の血を引くこと。それは天界において絶大な栄誉であった。二柱の創造神の子であることの誇り────それが、ルミナエルをそこに立たせていた。
しかしそこから動かないルミナエルを見て、ヴォルデリアは肩を竦める。
「……口ばかりね。突っ立ってたって私のことは倒せないわよ、団長さん」
そのブーツが床を蹴る。ルミナエルは構えない。いや、構える必要もなかったのだ。
「……な……」
ヴォルデリアは驚きに目を見開いた。剣を片手に、自然体で立っているルミナエルの胸の数センチ先で、ハルバードの穂先は制止していた。物理的な力がはたらいているわけではなかった。しかし、不可視の力に留められているわけでもなかった。
「……何で……動かないのよ」
そう呟いたヴォルデリアの視線は、ルミナエルの目から離せなかった。
「貴様は、その意志でそれを止めた」
ルミナエルはなおも構えないまま言った。ヴォルデリアの顔に焦りが見える。
「……何を……!」
「貴様は私から目を離せない。……武器を置け、ヴォルデリア」
「…………!」
その一言で、ヴォルデリアの手からハルバードが落ちた。ただ唖然とした表情で、彼女はルミナエルを見ることしか出来ない。
「馬鹿……何で放して……」
「跪け」
言われて、彼女はルミナエルの前に跪いた。やっとルミナエルから離れた視線は、今度は床から離せない。顔が、上げられなかった。
「……な」
「少しうるさいぞ。黙りなさい」
「…………」
「良い子だ」
ルミナエルは女神のような笑みを浮かべた。それをヴォルデリアは見ることが出来ないが……見ていたら、彼女はきっと『悪魔のようだ』とそう思ったことだろう。
口を開けなくなったヴォルデリアは、ただルミナエルの言葉を聞くことしか出来なかった。
「神徒は、各々がそれぞれ異なった固有能力を持つ。それは貴様らも知っていることだと思うが……私だって例外じゃない」
「!」
「私は二柱の神より生まれた。イェノ・ラフは神が力を練り合わせることによって生み出されるが……父と母は私を、“美しき者”として創り出した」
艶めく髪。整った顔立ち。誰もが一度は目を留める。そういう者としてルミナエルはデザインされた。神が、そう定めた。
「私の固有能力は、“魅了”だ。逃れる術はない。一度でも私のことを“美しい”と思った者は皆、私に囚われる」
「…………」
────戦いの始まりの時の、自らの発言をヴォルデリアは思い出す。彼女のことを“綺麗”だと言った。それは彼女の嗜虐心から来た言葉だったが────その感想に偽りはなかった。
無茶苦茶だ。彼女を見て“醜い”と感じる者などいるはずがない。口が利けないまま、悪魔は唇を噛んだ。
「……まぁ、相手を傀儡にする何とも卑怯な手だ……私の騎士道に反するので、あまり使いたくはないのだが」
ルミナエルの剣が、ヴォルデリアの首筋に当てられた。ヒヤリとしたその感覚に、悪魔は冷や汗をかいた。
「性根の腐った悪魔相手に、卑怯も何もなかろうな。お前のような高位の悪魔に、私の力を出し惜しみする理由もない」
神徒はそして、項垂れたままの悪魔を見下ろし、言う。
「……一つだけ、答えるための口をやろう」
「!」
「首を刎ねれば……貴様らはどうなる?」
「…………!」
「答えたくなくばそれでも良い。斬ってみれば分かるもの」
ルミナエルは目を閉じた。そして剣を振り上げる。
「────ヴォルデリア・フェリエベラージュ。ルミナエル・ローカスの名に於いて、貴様を極刑に処す」
淡々と告げられた死の宣告。悪魔は身じろぎすることも出来ず、ただ振り下ろされる剣の風切り音を聞いていた。
そして彼女の意識は、そこで一度途切れた。
* * *
「……あーあ、随分と汚れちゃったわね……」
言いながら、ルミナエルは壁際に座り込んだ。腹部からの出血が酷い。緊張が解けて、急に激しい痛みが襲って来る。
「うっ……ぐ……“治癒”……」
治癒術を自らに掛け、大きく息を吐く。そして、傍らへ目を遣る。そこには確かに、先ほど斬り落とした悪魔の首が転がっていた。
「……不死身だと言っていたけど、本当に死んでいないのかしら」
恐怖に歪んだままの顔。その目にもはや生気は見られない。『自分たちにも死はある』と、そう言っていた。今は確かに、死んでいるようだが……。
「……体が消滅しない……まさかこのまま体だけ動き出したりしないわよね……」
ブルルと体を震わせ、ルミナエルはほぅと力を抜いた。
「……馬鹿みたい。そんな事あるわけ……ん?」
その時、落ちている首に変化が現れた。黒い靄がその周りに漂い始めた。いや、それ自体が靄に変化している。
「何……」
やがてそれは完全に実体を失くすと、どこかへ飛んで行く。それは、少し離れた所に倒れている体へと集まって────元の場所にヴォルデリアの頭が現れた。目は瞑っている。意識はないようだった。
「……なるほど、馬鹿げた力……」
今すぐに起き上がる訳ではないようだが、無理に刺激しては目を覚ますかもしれない。その時はまた動きを封じるだけだが────面倒臭い。
「……“拘束”」
光の鎖がヴォルデリアの体を縛る。そしてさらに力を封じる封印式を付与した。
「はぁ。疲れた……皆も無事だといいけど……」
今は休むべきだ。そしてルミナエルは、その場で眠りについてしまった。
#103 END
To be continued...




