#102 黒翼の神徒
──王宮 最下層──
「……馬鹿だな。勝てねェの初めから分かってただろ」
フォレンは壁際に虫の息でいるクザファンに言葉を投げかけた。ロレンはずっと見ているだけだった。兄を止めたいとすら思っていたが────それは出来なかった。
クザファンは天井を仰ぐ。彼の刀はフォレンによって折られてしまった。戦う気力も力も、彼にはもう無いように見えた。
「……ハァ……情けねェ、俺は……家族を呼び寄せた以外、何も出来ちゃいねェ……」
「それだけでも十分な騒ぎになってるようだがな」
「ハハ……じゃあ、まぁいいか……それが俺に与えられた役目だったんだし」
クザファンは笑って目を瞑る。フォレンは隻眼を細めた。
「じゃあお前は本当に用無しだな。さっさと消えろ」
「言われなくたって消えるさ……俺は他の兄弟とは違って、本当に魔王と血が繋がってる訳じゃない……簡単に死ねる」
ゲホ、とクザファンは咳き込む。光の弱くなった赤い瞳がフォレンを見る。
「俺はお前らが羨ましいよ。人として生まれながら、歴とした悪魔の血を引いている。俺は……神徒でいることを望まれなかった。……だから堕ちてやった……のに」
「……」
「結局俺はどこまで行っても“堕天使”だ。悪魔には、なれない。俺の居場所はどこにもない────」
「……今さら同情を誘って、命乞いか?」
フォレンが言うと、クザファンは首を横に振る。
「お前は良い友達になれると、俺は思ってたのに」
「そうはならなかったと、言っただろ」
フォレンはクザファンの足を踏みつけ、捻った。メキリと音がして鳥足が折れる。
「───ッアアァァァ!」
「御託はいい。聞き飽きた。お前の可哀想な身の上話に付き合ってる暇はねェんだよ。さっさと壊されろ、俺に」
「ッッ……殺れよ!! もうどうだっていい! 恨め俺を、誰も彼も俺を憎めばいい! 誰も愛したりするな。心の底から蔑めよ。……それでこそ、俺は悪魔でいられる────!」
自棄になって叫ぶクザファン。フォレンは冷徹な目を向けたまま屈み、彼の顎を掴んでこちらを向けさせる。
「……望み通り恨んでやる。誰のせいで俺がこうなったと思ってる。お前のせいで何もかも滅茶苦茶だ」
「────記憶を取り戻さなきゃ良かったと、そう思ってるのか?」
「思ってるよ。何も知らないままなら、どれだけ良かったか────」
「へ。記憶を取り戻してなきゃ……今頃お前は生きちゃいねェよ」
「そうかもな。だがそれはそれで……良かったのかも」
そう言うフォレンの顔は、僅かに以前の様相を取り戻していた。しかし、それも一瞬だった。クザファンはなお笑う。
「────勿体ない。俺はそう思ってるよ。お前が捨てたがってるその力を、俺がどれだけ欲しかったか分かるか。なぁ」
ぐ、とフォレンの手に力が籠り、クザファンの口を抑えて壁に押し付けた。
「!」
「黙れ。やれるものならくれてやるよ、こんなもの。だがそうはならない! ここで終わりだ、何もかも」
「兄さん! もう……」
見ていられなくなって、とうとうロレンは口を出す。ギロリと隻眼がこちらを向いた。
「うるさいな……何なんだよお前は」
「……もう、やめよう。兄さんだってこんなの、本当は望んでないんだろ」
「違う。俺は……いずれ全てを断つ。お前たちを。そうすれば俺は一人になって、穏やかに暮らせる」
「そんなの……」
「お前はいらない。コイツが済んだら次はお前だ」
「…………」
兄は、フォレンは、本気なのだとロレンはその時ようやく思った。どこかでまだ思っていた。彼は本当に自分を殺したりしないと。
記憶を失う前の、黒翼団にいた頃のフォレンは、ずっと自分を守ってくれていた。その時は────よくよく思い返せば、好意の目を向けられた覚えはないが────兄が自分を殺そうとした事は一度もなかった。勿論、自分が眠っている間に彼が何も企てなかったのかと言えば自信はないが、それでも今までこうして自分は生きている。
何が彼をこうさせているのか。それをずっと考えている。どうしようもない悪魔の性なのか。いや、それだけでは説明がつかないように思う。頑なに、ロレンがロレンであることを認めない、その理由は────。
「……兄さん、もしかして、僕に嫉妬してるのか」
「────あ?」
聞いた事もないような恐ろしい声が返って来る。だがロレンは怯まなかった。
「兄さんは本当は────」
「黙れよ!!」
死ぬ。そう直感した。だがその時、ロレンは羽音を聞いた。何か、大きな翼の生えた生物がこちらへ迫って来る。
目の前に、横から黒い影が飛び込んで来た。それは襲い掛かって来ていたフォレンを攫うと、ドシャと彼を床へ投げ捨てる。
「ぐあっ……何だおま……!」
フォレンが抵抗しようと闇の力を放つが、彼はなんと片手でそれを振り払い、殴って来たその右腕を掴まえるのだった。
「!」
「……悪……魔?」
黒い髪、黒い服、そして黒い翼。闖入者の姿を見て、ロレンは思わずそう呟く。しかし、振り向いた瞳は赤ではなく、青かった。深い、凪いだ水底のような色。そこに感情の揺らぎは感じられない。
「お前……は……まさか……」
クザファンも、驚いた顔をして彼を見ていた。どうやら味方でも、顔見知りでもないらしい。
「────アル様の報せにより、竜の山脈の彼方から馳せ参じた。街の防衛に助太刀するのも薮坂ではなかったが────憐れな悪魔たちの嘆きが聞こえたものでな」
男は静かな声でそう言った。見た目は若いが、声はそれよりも年老いているように思えた。
フォレンはその下で抵抗しているが、掴まれた腕を振り払えないようだった。
「……何だお前……」
「他人に名を問う時は、まずは己から名乗るものだ、悪魔の落とし子よ」
「!」
「だが、今は答えよう。俺の名はラヴァ・エストレイロ────“忌み子”としてこの天に生まれ、我が主に忠誠を誓い、この天の守護者として空を駆けし者」
その言葉の意味するところは、つまり彼はクザファンと同じ境遇に生まれた者ということだ。しかし、彼の頭に角はないし、赤い瞳でもなかった。
「……よく……負けずにいられたもんだな」
クザファンがそう言うと、ラヴァは静かな視線を彼へ返した。
「お前のことは知っている、クザファン・ブローディアス。お前のように堕ちた忌み子を、俺は何度も見て来た。お前を責めるつもりはない。そして、お前も何も責めてはいけない」
「!」
と、ラヴァはフォレンに片手で拘束の封印式を掛ける。離され、縛られた状態で床に落ちたフォレンは動けないままラヴァへと叫ぶ。
「おい……!」
それを無視し、彼はクザファンの方へと歩み寄った。
「……な、何を……俺は……」
「お前は俺たちの役目を知らない。そうした者たちは皆堕ちた。己へ向けられる蔑みの目に耐えられず」
クザファンは逃げようとした。だが、足が折れているので上手く動けない。壁際でじたばたしていると、ラヴァはその前で屈んだ。
「じっとしていろ。少し痛いと思うが、すぐに済む」
「……な……」
「お前何を……!」
フォレンがその後ろから叫んだ瞬間、ラヴァはクザファンの額に右手の人差し指と中指を翳す。彼が何かをブツブツと唱えると、白く小さな魔法陣が浮かび上がり────そしてバチンと小さな火花が上がった。
「あだッ!」
そうやや間抜けな声を上げたクザファンは、額を抑えて壁際にさらに崩れ込む。その額からは黒い煙が上がっているが────真に驚くべきは、そこではなかった。
「………あれ……え……?」
「!」
クザファンは銀色の瞳を見開いて驚いている。────そう、赤色ではなく、銀色のである。
「────俺たち“鴉”の、役目はこういうことだ」
クザファンの額から上がった黒い煙は、ラヴァの翼に吸い込まれて行った。彼はそして立ち上がる。
「天界は純潔だとそう云うが────機構ではなく定命者として自我を持ち、生きる神徒が完璧であるはずがない。妬み嫉みを持つなと教えられるが、それはとても無理な話だ。……だがそれでも────神徒は純潔でなければならない。だからそういう天界に知らずと溜まった穢れを、全て請け負い、数千年に一度生まれるのが“忌み子”だ。その翼は神徒たちの負の感情によって黒く染まり、生まれながらにして“罪”を背負う。故に穢れたものとして忌まれる。即ち“忌み子”とは────」
「……身代わり、って、ことか」
クザファンの答えに、ラヴァは頷く代わりに目を伏せた。
「──そういうことだ。我らの存在がなければ、天界から純潔の神徒はいなくなる」
「そんなの……!」
「残酷なことだと、そう思うか。しかし、それが定めだ。この翼こそが、この天界を護ることの証明なのだ」
クザファンは何もなくなった額を抑える。銀色の瞳は揺らいでいた。
「お前は……俺が犯した罪を代わりに被ったっていうのか?」
「あぁ。俺たちが負えるのは、神徒の罪だけだ」
「……俺は……神徒に……?」
クザファンは現実味がない、という様子で額をさすっていた。嬉しいとか、悲しいとかではなく、ただ彼は戸惑っているようだった。
ラヴァは一つため息を吐くと、ロレンの方を振り向いた。
「すまないが、お前たちのことは俺には救えない」
「え、あ、あぁ、まぁそれは良いんですけど……」
ロレンは突然話し掛けられて戸惑う。彼には自分たちの正体も分かっているらしい。ロレンは言葉に迷って、向こうでなんとか体を起こしたフォレンの方を見た。ラヴァもその気配を感じてそちらを向く。フォレンは黒翼の神徒を睨むと口を開いた。
「……そいつをどうするつもりだ」
「どう、とは?」
「そいつは天界に悪魔を呼び込んだ元凶だぞ。いいのか、天界の守護者サマが、そんな奴を助けて」
フォレンの言葉にラヴァはああ、と頷いてクザファンの方を見た。
「勿論、償わせる。その為に来た」
そしてラヴァは屈むと、クザファンの折れた足に手を当てた。
「う……」
「惨いことをする。このような体の者は、傷が治りにくいというのに」
「……このような?」
ラヴァは頷くと折れた箇所を調べるように目を細める。
「動物の体の一部を持って生まれる者だ。神徒の中に突然変異として時たま現れる。獣の頭であったり、手足であったり……」
獣人の神徒もいるってこと? とロレンは一瞬わくわくしてしまったがその思いをすぐに掻き消す。
「だがそうした部位は神徒本来の体と不整合だ。故にエレメントの巡りが鈍く、負傷した際の治癒が遅い。代わりに高い能力を得たりするが、な」
ラヴァはクザファンの傷に手を翳す。柔らかな光が鳥足を包む。どうやら治癒の術を掛けているようだった。やがてラヴァはそれを終えるとクザファンへと右手を差し出した。
「……立てるか?」
「……あ、あぁ」
クザファンはラヴァの手を借りて立ち上がる。足はすっかり治っていた。彼の目からも邪気が抜けている。銀色の瞳は未だ戸惑いの色と、穏やかな光を宿していた。
……角がないと随分と印象が変わるものだと思う。
「俺はこれから主の元へ向かうが────お前も一緒に来い」
「……創造主の元には恐らくち……魔王がいる」
「ならばなおさらだ。事態の収拾に力を貸せ。贖罪の意志があるならば」
「……」
クザファンは考えている。彼にとってそれは裏切りだ。だが────役目を果たした彼を労るものは、誰もいなかった。それは彼にもきっと分かっている。
答えないままでいるクザファンから、ラヴァはロレンとフォレンへ視線を移す。
「お前たちは、どうする」
「……どうするって何だ。俺はお前のせいで動けないんだが」
と、フォレンは胴に縛られた手を僅かに動かす。体は起こせたがそれ以上は動けないらしい。随分と強力な封印式だ。
「力を貸すというのなら、それを解いてやるが────そうでないならここに捨て置く。堕ちたラフル・カロは殺すのが道理だが。お前はどちらだ?」
「…………」
フォレンは隻眼を細めた。ラヴァは強い。それはロレンにも分かる。静かに湛えられた深い泉のような青い瞳には、揺らがぬ光が宿っている。じっと多くのものに耐えて来た彼には、自分たちは到底敵わない。
「……行くよ。魔王を倒せば良いんだろ」
やがてフォレンはそう答える。何もかも気に食わない、という思いがその目に表れていた。
ラヴァは頷くと、フォレンの封印式を解いた。解放された彼は立ち上がる。そしてクザファンの方を見た。
「お前は。どうするんだ。とは言え選択肢は他にないと思うが」
「……」
俯いていたクザファンは、ぐっと手を握り締め、そして顔を上げた。
「────話をしなきゃならない。魔王とも……創造主とも」
「いいだろう」
ラヴァは頷くと、ロレンの方を向く。あ、とロレンは口を開いた。
「勿論僕も行きます……けど、あんまり力になれないかも」
「分かっている。今は少しでも戦力が欲しい」
そう言うとラヴァは踵を返して歩き出す。三人は大人しくその後をついて行くのだった。
#102 END
To be continued...




