#100 深淵に落つ
──まただ。また真っ暗だ。
はっきりしない意識の中で、アーガイルはそう思う。だが今度は分かる。自分が何者なのか。
少しずつ、自我と共に意識がはっきりとしてくる。しかし、ここがどこなのかは分からなかった。宙に浮いているのか、地面に立っているのか、空間全てが無限に続く暗闇で、それすらも分からなかった。
……そもそも、自分は今まで何をしていて、どうしてこんな所にいるのだったか。
「誰かいないの……?」
アーガイルはそう呼び掛けた。声は虚空に消えて行く。と、その時不意に声がした。
「どうしたんだ、アル」
「!」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこは────見慣れた部屋だった。とある町の一角に備えた、自分たちの……エレンとアーガイルの隠れ家。部屋の隅のソファに座っているのはエレンで、記憶にあるより……いや、記憶の通りの、十八歳のエレンだった。
「あれ……エレン……ここは……」
気が付くと、自分もソファの上に座っていた。ごちゃごちゃと纏まりのない部屋。散らかった札束と、雑多に積まれた絵画や美術品たち。
「どうしたんだよ。寝ぼけてるのか?」
「……あぁ、いや、何でもないよ」
少し長い黒髪のエレン。後ろで雑にそれを纏めている。見慣れた相棒の姿だった。
「お前、大丈夫か?」
「え、いや、大丈夫だけど……」
あれ、どうしてこんなことになっているんだっけ。さっきまで暗闇にいたはずなのに……と、そう思っているとその記憶が徐々にぼやけて来る。
「……何だか、長い夢を見てたみたいなんだ」
「へえ。どんな夢?」
「僕らが大人になった夢だよ。君と別れて……それからまた再会して」
「はは、変な夢だな」
エレンは笑う。アーガイルも笑い返した。
「エレンが……段々僕から離れて行っちゃうんだ。怖い夢だった」
「お前を置いてなんか行くかよ。俺たちは二人で一つ……そうだろ?」
「うん、そうだよね」
「俺は、変わる事は嫌いだからさ」
エレンのその言葉に、安心しかけていたアーガイルの心が、ざわつく。
「……何て?」
「変わることが嫌いな俺が、お前を置いて行くわけないじゃんか」
「……エレン?」
「矛盾してるんだろ?」
エレンは笑っている。いつもと変わらない笑み。それが段々と、恐ろしげな深みを帯びて行く。
「俺に変わる事を望んでるのに、お前は俺に置いて行かれることを嫌がってる」
「……っ!」
「どうしろって言うんだ? 俺にどうして欲しいんだお前はさ」
不意に場所が変わった。誰もいないログハウス。エレンもアーガイルも大人の姿になってそこにいた。
「ただお前は、俺に思い通りになって欲しいだけなんだろ」
「……ちが……そういう意味じゃ……!」
「お前は俺の上に立ちたいんだ」
エレンはそう言って憐れむような目を向けて来る。
「お前はいつも俺の下だった。俺を支えるのがお前の仕事。お前は裏に引き篭もって、表に立つのは俺の仕事だ。いつもそうだった。今さらどうしてそれを、覆そうだなんて思うんだ?」
「…………違う! 僕はそんなこと思ってない!」
「本当に違うのか? じゃあ、何でお前は焦りを感じてるんだ」
「!」
ハッとする。そんなアーガイルにエレンは笑う。
「お前の中途半端な努力で、俺を越せるわけねェじゃんか。お前はいつも俺に置いて行かれてる。しかも、変化を望まないこの俺に。泥棒を解散した時だってそうだ」
「…………エレン!」
「この際はっきりしろよ。お前は俺のこと、どう思ってるんだよ」
「……!」
「嫌いなのか。そうなんだろ。俺のこと嫌いで嫌いで仕方ねェんだよな」
「……やめろ……」
アーガイルは耳を塞ぐ。聞きたくない、そんなこと。だが、エレンの声は変わらず聞こえて来た。
「早く俺なんか消えて欲しくて仕方ないんだよな?!」
「やめろ!!」
振り絞るようにして叫んだ。聞きたくない。聞きたくない。
「……お前は……エレンなんかじゃない……そんなこと、エレンは絶対に言わない……!」
「俺はエレンだよ。お前の中の」
「…………え?」
辺りがまた、真っ黒な空間に戻った。
「お前の中に眠ってる、理想の姿のエレンだよ」
「そんなの……違う」
「俺に誰かを殺して欲しいんだろ?」
「……!」
違う、そうじゃない。そういう意味じゃない。
エレンがゆっくりとこちらへ近付いて来た。アーガイルは後退りしようとしたが、体が動かない。
「こうすりゃ満足かよ?」
「……やめろ……やめてくれ……!」
夢だ、これは夢だ。すぐに覚める。そう思った。だが、彼の手は確実にアーガイルの首に伸ばされた。ヒヤリとした、冷たい感触だった。生気を感じさせない、死人の冷たさだった。
「……やめ……っ……かはっ……」
片手で首を絞められた。後ろに壁は無いはずなのに、押し付けられているような感じがした。息が苦しい。殺される。
「エレ……」
暗い笑みを浮かべているエレン。もう彼は言葉を発さなかった。
嫌だ。やめろ。お前はエレンなんかじゃない────偽物だ。その言葉はもう喉から出なかった。
「見苦しいなぁ本当にさぁ」
「!」
いつの間にか、目の前にいるのは自分自身だった。ニコリと笑って、ただアーガイルの首を絞めている。
「さっさと認めてよ。嘘吐いて何になるの」
「…………」
「僕はエレンを妬んでるんだ。同じ場所にいたはずなのに、いつも、いつの間にか遠くにいるから」
「黙……れ」
「僕はエレンに勝ちたいんだろ。再会してから、その前からも、一度も彼に勝ったことは一度もない。いつも助けられてばかりだし。僕は彼に対して何も出来てない」
「……」
「力の欲だ。誰しもが強くなりたいと願う。僕のその矛先はエレンに向かってるんだ」
その後ろに、エレンの姿が現れた。目の前の自分は左手で短剣を出すと、その鋒を後ろに向けた。
「勝ちたいなら、簡単なことだ。こうすればいい」
「……!」
目の前の自分は、何の躊躇いもなくエレンを刺した。心臓の位置。彼が不死身であろうとも────かなりの苦痛を伴う場所。
「──────!!!」
声にならない絶叫が、耳に届いた。彼はしばらくもがいた後、パタリと空間の上に倒れた。
「……エレ……!」
「躊躇うなよ。そんなだからいつまで経っても越えられないんだ」
「……っ……」
「越えたいのなら、戦えばいい。勝てば僕の方が上。そうだろ」
「そん……なの……!」
「馬鹿だね」
目の前のアーガイルは、倒れるエレンの頭を踏みつけた。
「嫌いなものに、守る価値なんてあるのかい?」
「……」
「僕はまだ本心を話してないよね。聞かせて欲しいな。ねぇ」
手を放される。空間の上に膝をついたアーガイルは、咳き込む。
「話してくれるだろ?」
「……僕……は」
自分の顔が、自分の顔を覗き込んで来る。
「エレンが……遠くにいるのが嫌なんだ」
「それで?」
「どんな敵でも生かしておけるエレンが……少し妬ましい」
「……へえ」
「僕は……エレンと同等か、それ以上になりたい」
「なるほどねぇ」
目の前の自分は立ち上がって、僕を見下ろした。
「……無理だよ」
「え」
「こんな僕なんかに越えられるわけがないじゃないか」
そして自分は、エレンを指差した。
「一緒にいたらいけないんだよ。コイツとは」
短剣の刃がぎらりと光った。
「だから、僕がコイツにトドメを刺せ」
アーガイルは無意識のうちに、その短剣を受け取った。手に馴染む、自分自身の愛剣。エレンと別れてから手に入れたもの。
「────俺を刺せたら、お前の勝ちだよアーガイル」
伏したエレンが、不意にそんなことを口にした。その顔に浮かぶのは笑みだった。
「……」
短剣を手に、立ち上がった。もう一人の自分を押し退けて、エレンの側に立つ。
「────僕は」
君を越えよう。こんな劣等感とはおさらばだ。
短剣を振り上げた。と、その時だった。突然、背後から光が差した。振り向くと、後ろにいた自分の胸を、何かが貫いて────そこから光が溢れていた。
「あ……ちょっと……やられちゃったじゃない……」
刺されている自分の口から、少女の声が発される。
「これ……は……」
瞬間的に、これまでの記憶が奔流となってアーガイルの中に流れ込んで来た。そして、暗闇は晴れて元の────王宮のエントランスへ、景色が戻った。
「……!」
目を覚ましたアーガイルが見たのは、レイフォードの槍に胸を貫かれたファタリスだった。
「無事か!」
「……レイ……フォード、さん、何で……」
彼は外で二人の悪魔と戦っていたはずだ。どうしてここにいるのか。というか、今まで自分はこの場で気を失っていた事を知る。
手に握っていたはずの短剣はなかった。代わりに、双剣が少し離れた所に落ちていた。
────全部、夢だ。
「ふぐぅ……痛ぁい……」
胸を刺し貫かれたファタリスが、槍を引き抜かれて床に膝をつく。
「もう……ちょっとだったのにぃ……」
「危ない所だったな」
鎧の音と共に寄って来たレイフォードに手を差し出され、アーガイルは立ち上がって首を傾げる。
「え?」
「ファタリスは心の悪魔だ。君の心の隙間に入り込んでいたんだ」
「……あ」
「君は夢を見せられていたんだ。何を見たとしても気にするな。忘れなさい」
「ふふ……夢だなんて……違うよ」
「!」
ファタリスが笑って言う。心臓を貫かれたはずなのに、全く苦痛を感じさせない顔だった。
「あんたが見たのはあんたの心の現実。あたしはそれを、あんたに見せてやっただけ」
ファタリスは自身の胸に手を当てる。
「外の記憶を遮断して。あんたの内に眠る昔の記憶を引き出して来たりして。あんたが押し込めてる本当の気持ちを、あたしは教えてあげただけだよ?」
「気にするな、奴の思うツボだ」
レイフォードはそう言うが、アーガイルはそうやって夢で見たものを切り捨てられなかった。あれが、自分の真の望みだというのなら────。
「……違う……」
頭を抑える。自分がどうしようもなく嫌になった。その思いを振り切りたくて、アーガイルは叫ぶ。
「違う……!」
「アーガイル君!」
レイフォードに肩を掴まれて、アーガイルはハッと我に返った。
「……すみません……少し、混乱してるみたいです」
「心を乱されるな。気をしっかり持て。精神を破壊するのが奴の目的だ」
「……はい……」
深呼吸する。……だが。あれは、実を言うと前から思っていた事だった。だが、あり得ないとも思っていた。エレンを敵に回すこと。だが……だが。夢の中で、自分はエレンを。その時、自分は何を思っていたのか。罪悪感? いや、そんなものはなかった。その時、思っていたことは────否定だ。出来る限り否定したかった。己の邪な本心を。自分で気が付いていながら、自分で否定したがっていた。そんなこと、自分の本心じゃないと。
なんだ。本当はずっと分かっていたのだ。
そう思うと急に、心の騒めきが落ち着いて来た。冷静になったそこに、ファタリスの声が響く。
「……あなた、面白いね。光の子なのに────すっごく、深い闇を持ってる。悪魔の素質あるよぉ」
にひ、と笑った彼女は斧を手にゆらりと立ち上がる。
「そういや、さ。あんた、表でウラヴァスたちと戦ってたんじゃないの?」
彼女はレイフォードにそう訊ねた。レイフォードは目を細めた。
「湖に叩き落として来た」
「殺してないの?」
「心臓を刺されてもピンピンしているようはお前たちが、そう簡単に死ぬとは思えんな」
「────驚かないんだ。そうだよ、あたしたちは普通の悪魔と違って、簡単には死ねないの」
ファタリスは自分の胸から手を退けた。そこにはもう傷はなかった。
「化け物め」
レイフォードは槍を構える。そしてアーガイルに言った。
「奴は俺に任せてくれ。君たちはルシャトを」
「……分かった……」
結局、自分は一人では何も為せない。こうして他者の力を借りている。情けない。そう、俯きながらアーガイルはこちらを待っているイルトリアとミシュカの方へ歩く。
「……アルさん?」
「どうしたの?」
「……何でもないよ」
二人にそう答え、アーガイルは顔を上げた。
別に構わない。弱いと言うなら、強くなればいい。まずは、目の前の悪魔を倒せばいい。
そう、強い決意の籠った目を、アーガイルはルシャトへ向けた。そして双剣を逆手に持ち替えてルシャトへと跳んだ。
* * *
少し時は戻り────
──王宮前──
「……ふむ、困ったな」
レイフォードは上を見上げる。見えるのは氷の天井だ。氷の中を、黒い光が行ったり来たりしている。
「油断したな。なかなか分厚い」
ふむ、と顎に手を当ててレイフォードは考える。ウラヴァスとラフロード二人掛かりの氷のドームに、レイフォードは閉じ込められていた。
「……」
試しに、出力を高めに放電してみる。が、氷は僅かに表面を削らせただけで、ほとんどなんの効果もない。
「一点集中させるには……ここは狭すぎる。仕方ない……あぁするしかないか……」
うーんと考えるレイフォード。その時、突如周りから一斉に氷の棘が突き出して来た。
「──やったか?」
「串刺しだ。生きてはいまい」
ドームの外側。ウラヴァスとラフロードは互いに頷き合う。氷のドームには外側にも大小の鋭利な棘が生え、芸術作品のような様になっていた。
「……姉上の援護に行くか」
「そうだな」
二人がドームに背を向け、王宮へと歩き出したその時、パキリと亀裂が入る音がした。
「! ……何……?」
「まさか……!」
二人は振り返る。見れば確かにドームに亀裂が入っていた。そこから、光が溢れ出している。
「何だ……あれは……」
二人が驚愕に満ちた顔でそれを見ていると、途端に氷は砕け散り、光が膨らんで現れたのは、巨大な神竜だった。勢い良く高く飛び上がり、そして降下して来た竜は湖に体を下ろす。その体には傷ひとつなく、飛沫を受けて鱗はキラキラと輝いていた。
「無傷……だと?!」
〈うおおぉぉぉああぁ!〉
雄叫びと共に、竜の体に迸る電流。その気迫に気圧され、ウラヴァスとラフロードは思わず後退りする。
〈くそ。一日に何度もこの姿にならせるな! 純血の竜神じゃねェから疲れるんだよ!〉
そう愚痴ったレイフォードは鋭い目で橋上の悪魔たちを睨んだ。
「お前は串刺しになったはず! なぜ無傷でいる!」
ウラヴァスが指差しながら問うと、神竜は鼻を鳴らす。
〈あんなもの効くか! 神竜の鱗はダイヤのように硬いのだぞ〉
「くっ……」
「化け物め……」
〈化け物が化け物と言うな。さぁ、さっさと片をつけさせて貰う〉
レイフォードはそう言って、ビリビリとした息を吐く。
〈この姿でいるとエネルギー消費が激しいんだ。うっかりお前たちのことを喰ってしまうかもしれないぞ〉
「……ふざけるな!」
ウラヴァスは氷の剣を生成し、レイフォードへと飛ばす。だが、それは鱗に当たると呆気なく粉々に砕け散る。
〈効かないって……言ってるだろ!〉
ぶん、と長い首を振った神竜は、鼻面でウラヴァスを吹き飛ばした。強力な打撃によって勢い良く吹き飛ばされた彼は、湖の端の方に落ちた。
「ウラヴァス!」
そちらに気を取られたラフロードは、空から巨大な雷の槍が降って来ているのに気が付かなかった。
「!」
〈“竜神の雷槍”!〉
槍はラフロードを刺し貫き、そしてそれを受けたラフロードはぐらりと湖に落ちた。
橋の上で人型に戻ったレイフォードは、波紋の立つ湖を見て大きく息を吐く。
「……腹が減った……」
そして二人の悪魔がもう上がって来ないのを見ると、悠々と王宮へと歩き出すのだった。
#100 END
To be continued...
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