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妹の死

 ある朝、妹が死んだ。


 少しうつむいた顔は眠っているようだ。青白い小さな唇は閉じられている。

 そのはずなのに……口元には微笑を浮かべているような錯覚を覚えた。

 その光景は有名な宗教絵画と同じくらいに——美しかった。


 いや、高貴だとさえ思えた。


 それこそまるで妹ではない誰か——他人であるかのような違和感さえ抱いた。


 いや違う。

 その違和感の正体はきっと——藍香の恰好にあるのかもしれない。

 

 もたれかかった椅子の背に、藍香の黒く長い髪が広がるようにしてかかっている。椅子の上で左右の足を組み、ネグリジェの裾から太ももが露出している。今にも折れてしまいそうな細い脚は不健康さを伴っている。その膝の少し上に、小さな両手は細い指を絡み合うように交差している。


 ああ、そうだ。


 この奇妙な格好のせいに違いない。


 それこそ——何かしらの意味を持った神聖な宗教的儀式みたいなんだ。


 藍香に近づくにつれて、違和感が増した。

 きゃしゃな肩をゆするために伸ばそうとして、止めた。


 不自然なほど藍香の肌が青白い。元々色白い肌であることを差し引いても、不自然な肌色だった。それこそ日に日に病気が進行していく病人のように生気を感じなかった。


 こんなにも色白かっただろうか。


 肩へと伸ばそうとした左手は、自然と藍香の頸動脈へと向った。

 俺の指先は、藍香から一切の熱を感じ取れなかった。

 ただ、ひんやりとした硬い感触がした。


 一瞬、どこに立っているのか分からなくなった。

 平衡感覚がおかしい。身体に何が起きているのか。


 もう一度確かめるようにして、今度は藍香の肩に触れた。しかし硬直したひんやりとする感触が左掌に感じるだけだ。


 だめだ。先ほどよりぐらぐらとめまいがして、焦点が合わない。


 何が起こっているんだ……?


 目の前の光景の意味が理解できない。

 なぜ藍香は目を覚さないのか。


 俺は一体全体どのくらい間ここに立っていたのかさえ分からなかった。5分なのか10分なのかあるいは、もっと多くの時間なのか。それとも、もっと少ない時間なのか。


 その時——玄関のベルが鳴った。


 俺は藍香の寝顔から目を離した。

 すると、麻痺していた感覚がはっきりと機能し始めた。

 霞んで見えていた景色が、明瞭にそして鮮明に視界に流れ込んでくる。皺ひとつないベット。整理整頓された机の上に置かれた写真立て。ほんの少し開けられた窓。静かに冷風を吐き出し続けているクーラー。


 何もかもが昨日のままのように思えた。


 一つの点を除いて。


 俺はもう一度視線を部屋の中央に戻した。12畳ほどの部屋の中心に、藍香が椅子にもたれかかるようにして腰掛けている。眠るように閉じられている瞳は、今後一切開くことがないし、小さな唇が動いて何かを語ることもない。


 その光景を凝視していると、またベルが鳴った。


 そうだ、誰かがベルを鳴らし続けているんだ。

 一体全体誰が来たというのか。

 こんな状況だというのに……。


 いくらか冷静になった頭が思考し始めた。それでも、やはり何か違和感を覚える。


 一度目を閉じて、深く呼吸をした。


 冷静になろうと自己暗示をかけるように何かに意識をしなければ、どうにかなってしまいそうだ。


 肺に流れ込んでくる僅かにひんやりとする空気がいささか息苦しさを和らげてくれた。そのおかげで、右手の違和感を感じ取れた。


 視線を落とすと、右手にはしっかりと握りしめられた携帯電話があった。


 ——そうだった。先ほど警察に電話を掛けたんだ。


 この時になってやっと俺は夢心地な気分で警察に連絡したことを思い出した。

 何と言ったか正確には覚えていない。ただただ『妹が死んでいる』だとかなんとか口下手に説明した気がする。


 その時、再度ベルの音が響いた。そしてドンドンと鈍い音が僅かに聞こえた。

 

 とりあえず、足を動かさなければならない。


 そう自分に言い聞かせて、藍香の自室から出た。


 出来るだけ静かに、階段を下り始める。


 薄暗い屋敷の廊下を歩きながら、自問した。


 ——これは、何の因果か。

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