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 アストリは露台に出ていた。「奥さま、落ちないでくださいね」

 侍女達が笑った。アストリは振り返る。侍女達がおなかのなかではアストリが跳び落ちるのを願っていると知っている。

 アストリはふくらんできた腹部を撫でる。




 「陛下」はこのところ、「塔」の外で過ごす時間が長かった。

 戻ってこない日もあって、アストリは少しだけ安心できた。

 「塔」にずっと居るのは侍女達と、少数の「兵」だ。


 「兵」は同じような服を着て、槍と剣を持っていて、ずっと同じ場所に立っているか、「塔」内をうろついている。

 アストリをまもる為に居るのだということだった。


「なにをしてるの」

 アストリは自分が喋ったことを意識しなかった。

 目の前には「兵」が居る。

 「陛下」よりずっと小柄で、黒い髪をしていて、左右の目の色が違った。右はあおいが、左はまばらに白くなっている。

 その「兵」はうずくまっていたが、アストリが話しかけると立ち上がった。アストリに対してお辞儀をする。

「殿下」

 不思議と、こわいとは思わなかった。アストリより少し背が高いくらいで、「兵」は腕が細く、首も今にも折れそうだった。

 アストリは眉をひそめる。

「気分が悪いの?」

「いえ」

 「兵」は頭を振る。それから、微笑む。「目を患っていまして、たまに眩暈がするんです。じっとしていればおさまるものですから」

 そう、とアストリは云った。




 普通の「兵」はふたりか三人で行動している。

 目の悪い兵はいつもひとりだ。

 侍女達は口さがなくて、いつだってなにかお喋りしている。アストリはそれを忘れない。

 目の悪い兵がいるのが気色悪い。目の病がうつるかもしれない。「陛下」のお気にいりだかしらないけれど、ここから追い出してほしい。

 目の病……。




 アストリはまた、ひとりで歩いている。最上階のひとつ下で、あの兵といきあった。

 ほかの「兵」と違い、目の悪い兵はかならずアストリにお辞儀をする。アストリにはその行為の意味はいまいちわからないが、「陛下」がそれをさせているから、自分よりも上の人間に対してするものだと思っている。

 アストリはじっと彼を見ている。

「殿下?」

「名前、教えて」

「自分ですか?」

 アストリは頷く。

 目の悪い兵はまた、頭を下げた。「殿下に名前をきいてもらえるとは、光栄です。自分はユルリッシュと申します」




 アストリは地下室へ向かっていた。

 母は、目を患っていた。地下にこもって外に出ないのもその為だと、乳母達から聴いていた。

 母の薬がある。目の薬が。

 それをユルリッシュにあげようと、アストリは考えていた。そうしたら彼は、「兵」のなかにまざれる。侍女達からいろいろと云われないですむ。

 アストリは意識せず、微笑んでいた。


 石造りのらせん階段をおりきって、アストリはふと顔をしかめる。甘いような、胸の悪くなる匂いがしたからだ。


 くらさに目が慣れてきた。

 アストリはおそるおそる、数歩あしをすすめる。

「お母さま」

 久し振りに口に出した言葉は震え、掠れていた。アストリがうまれてから、何度これを口にしただろう。

 母は椅子に腰掛けていた。だらしなく、片方の脇息に凭れている。

 アストリはこちらに背を向けている母に近付いていく。「目の……薬を、分けてもらいたいの。目が悪いひとが居て、でも、乳母やはもう居ないから……」

 アストリは母の頭が妙なことに気付いた。

 うねうねと、もぞもぞと、動いている。

 よく目をこらして、アストリは母の頭に虫がくっついているのをみとめた。爪くらいの大きさの、黄色っぽい虫だ。あんなところに虫が居て、お母さま、気持ちが悪くないのかしら。

 更に近付いて、アストリは母が寝ているらしいと思った。寝台で横になればいいのに。

 アストリは寝台へ行って、毛布をとりあげた。母にかけてあげようと思ったのだ。乳母が居なくなって、母のことを世話するひとが減ってしまったから、行き届いていないのかもしれない。

 正面から母を見て、アストリは毛布を落とした。

 乳母は、地下室にアストリの母が居ることを、伝えなかったのだろう。それとも、伝えたのに、誰もここへ来なかったのだろうか。

 椅子に座った格好で母は死んでいた。からっぽになった眼窩から、あしの多い虫が這い出してくる。

 アストリは悲鳴をあげた。






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