表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

2






 アストリはその日まで、「男」というものを見たことがなかった。


 彼女はうまれた時から「塔」に居た。外に出ることはない。ただ、「塔」に居た。

 彼女以外にそこに居るのは、地下に閉じこもった母、身のまわりの世話をしてくれる乳母ふたりだけだ。

 母はめったに地下室から出てこない。出てきても、アストリを抱きしめることもなければ、声をかけることもない。アストリは母にとっては「ないもの」だ。

 乳母はどちらも、せなかは曲がり、顔は皺だらけ、髪はまっしろで、口をきくことはまれだった。

 アストリはただ、生きていた。




 なにをしろと云われたことはない。

 なにをするなと云われたことはある。




 乳母が時折、外へ出るが、アストリは外へ出てはいけない。

 露台に出ていいのは三日に一度、それも夜だけで、ひとりで出ることもいけない。

 窓を勝手に開けてはいけない。

 開いている窓から身をのりだしたり、手を出したりしてはいけない。

 地下室へ近寄ってはいけない。屋上へも近寄ってはいけない。

 食事を残してはいけない。




 それ以外は、アストリは自由だった。彼女が自由という概念を理解しているかどうかは別として。




 だが、アストリが十五を迎えたその日、世界はいつものように静かではなかった。

 外から音がする。

 「塔」の外から音がすること自体は、ないことではない。そういう時は乳母が外に行く。少なくとも乳母の片方が。

 そうすると、彼女はなにかしらのものを持って戻ってくるのだった。それは食べものであることがほとんどだったが、アストリ用のあたらしいドレスや下着、靴などであることもあった。

 だが、物資が「塔」へもたらされる時の音と、その時アストリに聴こえた音は、異質なものだった。


 ひどい熱を出して横になっている時に、胸からする音のような、気色の悪い音だ。それに、油を差していない蝶番がきしむ音のような、とてもいやな音。


 アストリはどことない不安を覚えて、窓辺に立った。窓を勝手に開けることは禁じられているが、窓に近付くことは禁じられていない。そして、ここの窓には、小さいけれどまるく穴があいている。

 アストリはその、自分の拳程度もない小さな穴を通して、奇妙なものを見た。遥か向こう、雪を戴いた山から、煙があがっている。山が燃えている……?


 アストリが視線をさげると、人間らしいものの集団が目にはいった。

 そこには大小様々な人間が居た。アストリには理解できないが、男女も老若も、雑多に集まっている。

 その人間達が声を出している。ああ、これは、沢山の人間が同時に喋っている声なのか。

 アストリが納得したところに、けたたましい音が響いた。

 人間達が悲鳴をあげている。

 なにか大きなものが人間達のなかへとびこんでいったようだった。

 制限された視野に赤がぱっぱっとひろがった。


 アストリは急におそろしくなって、後退った。




 乳母はいつまで経っても来ない。

 アストリは、耳を塞いで寝台へ突っ伏していた。

 いつもなら、乳母が来て世話をしてくれている時間だ。

 だが、乳母は来ない。

 アストリは耳から手をはなした。よかった、と思う。外から、あのおそろしい音は聴こえてこない。

 アストリはけれど、別の音を聴いた。

 廊下を歩く音だ。

 だが乳母とは違う。

 乳母のような重くてはっきりしない足取りではない。

 アストリは音が途絶えるのに気付き、扉を凝視した。

 扉が開く。乳母や、と云おうとして、アストリはかたまった。

 扉を開いたのは、アストリが今まで間近で見た誰よりも背の高い人間だった。




 黒いマントを羽織って、上等な服を着た男は、アストリを見てにっこり笑った。

 アストリは恐怖でかたまっていた。

 男はかつかつと音をたててアストリの部屋へ這入ってくると、無遠慮にアストリの手首を掴んだ。





 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ