55.――宇宙一、カワイイ
本日より1日3回更新となっています。
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「ねぇうるさい」
フィルに冷たく言われました。
抱き上げられている分普段より顔が近かったので、確かに叫ばれたらうるさいかもしれませんけれど。
そんなことを気にしている場合では、ないと思うのです。
「でも、フィル! 竜ですわよ、竜! ドラゴン!」
「そうだね」
言いながら、フィルがわたくしを地面に立たせます。
一歩離れて彼の顔を見てみれば……見たことがないくらい、真面目な顔をしていました。
こめかみのあたりを、つぅっと冷や汗が伝っています。
精霊さんも汗、かくのですね。
「竜種はちょっと、洒落にならないな」
「そうなん、ですの?」
「僕たち精霊よりも『神』寄りの存在だからね」
フィルに言われて、よく分からないままに頷きます。この世界に数百年生きたフィルが言うのだから、きっとそうなのでしょう。
現代日本にも龍神とか、いますものね? そもそも伝説上の生き物ですし。
「こんな人里に出て来るなんて、普通あり得ないんだけど」
苦々しげにつぶやくフィルに、はっと思い当たりました。
普通では起きないことを、起こしてしまう存在に。
何と言ってもここは、悪役令嬢モノの世界なのです。そしてその下敷きになっているのは、乙女ゲームの世界なのです。
悪役令嬢さんを魅力的に描くためなら、すかっとチートで無双させるためなら、どんな無理でも通してイベントを発生させる。そんな世界なのです。
きっと本来のお話では――ここに悪役令嬢さんがいて、あのドラゴンを倒すとか、手懐けるとか。そういうことをして、力を見せつけるのでしょう。
あのドラゴンは、そのための舞台装置です。
何故現れたのかとか、理由は後付けで構わないのです。
それで力を見せつけた悪役令嬢さんを、今更持ち上げても「もう遅い」するためのイベントなのですから。
ですけれど……オフィーリア様は一足お先に自主的に追放されました。
この場には、「チートで無双してくれる悪役令嬢さん」がいないのです。
校舎を破壊するドラゴンを、為すすべなく見つめます。
炎まで吐いていますし、翼があります。いつこちらに飛んでこないとも限りません。こちらに炎を噴射してこないとも限りません。
それでもわたくしには、どうすることもできません。
単なる当て馬のわたくしが――悪役令嬢ではないわたくしが、悪役令嬢モノで無双できるはず、ないのです。
「お嬢サマ」
フィルがわたくしを呼びました。
彼は真剣な瞳で、わたくしを見つめています。
「ここは僕が惹きつけておくから、そのうちにできるだけ、遠くに逃げて」
「え」
「竜種が本気を出したら、王都ぐらいなら完全に焼け野原にできる。もっと遠くに逃げるんだ。いい?」
いいわけがありません。
わたくしは首を横に振ります。
いけません。そんなのは絶対に、いけません。
わたくしを見て、フィルが困ったように笑います。
「困った子だな」
その表情に、悟ります。きっとフィルでも……ドラゴンには、勝てないのね。
ぎゅっと手のひらを握ります。そしてその手を開いて――
ぱちん!
自分で自分の両頬を、叩きました。
フィルが驚いたような顔で、わたくしを見ています。
そうですわ。フィルはそういう顔をしていた方が彼らしいし、――カワイイです。
ここで、フィルに守ってもらって、命からがら逃げ出したとして。
わたくし、前を向いていられるかしら。
上を向いていられるかしら。
胸を張って、いられるかしら。
自信を持って、いられるかしら。
いいえ。いいえ、いいえ!
否です。断じて否です。
わたくしには分かります。
そんなの全然――可愛くありません。
可愛く生まれ、可愛く生きる。
それがわたくしの使命です。持つものの使命です。
そんなわたくしが、一度でも可愛くない選択をしてしまったら――きっと、きっと後悔します。
後悔して、後ろを見て、俯いて。
そんな可愛くない人生は、まっぴらごめんですわ。
どんなときも、清く正しく、美しく、気高く……カワイイ。
それがわたくし、メリッサベル・ブラントフォード。
当て馬だろうが、ヒロインですもの。
この場で何かを起こせるとしたら――わたくし以外にいないはずです。
「ねぇフィル」
「何」
震える膝を無理矢理黙らせて、一歩歩み出ます。
フィルの隣に並んで、校舎を破壊するドラゴンを見上げました。
私の横顔を――フィルがじっと見つめています。
「今からわたくしがする質問に、『そうだよ』って答えてくださるかしら」
「どうして」
「いいから」
わたくしは、フィルの目を見ます。
眩い金色の瞳に、わたくしが映っていました。
ああ、前髪の癖も直っていないし、お化粧ノリもいまいちです。
何で今日に限ってこうなのかしらと、ちょっとだけ嫌になりました。
それならせめて――わたくしが一番可愛く見える角度で、可愛く見える笑顔で、問いかけます。
「わたくし、カワイイかしら」
「…………」
フィルが目を瞠って、そして。
沈黙しました。
きっと彼も気づいたのです。わたくしが何かをしようとしていることに。
そしてそれが――彼がここに一人で残るよりも、勝率が高いことに。
それでも逡巡している彼に、ついつい苦笑してしまいました。
わたくしだって無理矢理言わせるなんて趣味じゃありませんけれど、今日ばかりは仕方ありません。
出来たら彼に心から……そう言って欲しかったな、なんて。
そんなことに今さら気づいたって、仕方ありませんものね。
「……可愛いよ」
フィルが、小さな声で言いました。
まっすぐわたくしを見つめて、真剣な表情で、続けます。
「メリッサベル。君はとっても可愛い。――宇宙一、カワイイ」
彼の言葉に――わたくしはにっこり笑って、頷きました。
「ありがとう、フィル」
「め、メリッサベル!」
名前を呼ばれて、振り向きました。
ウィリアム様がこちらに駆け寄ってくるところでした。そして思いつめたような表情で、わたくしの瞳をじっと見て、言います。
「君はとても勇敢で、そして、……か、カワイイ!」
「そ、そうよ!」
また一人、声を上げました。以前説得した、オフィーリア様の取り巻きさんです。
彼女も立ち上がって、わたくしに歩み寄ります。
「貴女のこと、いけすかないけど……でも今の貴女は、とってもカワイイわ!」
その言葉を皮切りに、ほかのクラスメイトの皆さんもわたくしの周りに集まってきました。
皆さんが口々に、カワイイ、カワイイと声を上げます。
ばらばらだった声が、いつしかひとつになりました。
あたり一面に響き渡る「カワイイ」コール。
それが私の身体を包み込みます。
もうわたくしの身体は――震えてなどいませんでした。
「皆様……」
わたくしは腕を上げて、そして。
パチンと、指を鳴らします。
ざっと「カワイイ」コールが止んで、あたりに沈黙が満ちました。
「もう。わたくしがカワイイなんて当たり前のことで、騒ぎすぎですわ」
ごおんと、背後で校舎が崩れる音がします。
「でも……ありがとうございます」





