54.近年稀に見る最悪の一日
わたくしとしたことが、一生の不覚。
夜更かしをしてしまった挙句、変な時間に寝落ちしました。
ゴールデンタイムには絶対にベッドに入っていると決めていましたのに。
どうにもこうにも寝付けなくて、単純作業をしていたら眠くなるかしらとお洋服のリメイクを再開したところ、思惑通りに眠たくはなりましたがそのままノックアウトされてしまいました。
フィルが朝方ベッドに運んでくれたようですが、ベッドで寝なさいと怒られるばかりか、お肌のコンディションがいつもよりも悪い気がしますし、前髪にも妙な癖がついてしまいました。
夜更かしが祟って寝坊をしてしまったので、最近日課にしていた朝のヨガも出来ていません。
お化粧の出来もいまいちです。
いくら全宇宙一カワイイわたくしでも、こういう日はあります。
そもそもすべてが奇跡的なバランスで成り立っているのですから、1つがうまくいかないと、ドミノ倒し的にすべてがうまくいかないのです。
最悪です。近年稀に見る最悪の一日が幕を開けてしまいました。
もとはといえば、フィルがいけないのです。
オフィーリア様の話をしたときの、あの笑顔。やさしげな瞳。
前の契約者さんの話をしていたときの表情と、似ていました。
滅多に人を褒めたりしないフィルが、オフィーリア様のことを「カワイイって言うのも分かるかも」なんて言ったのも違和感がありました。
わたくしの知る限りフィルが褒めたのは、前の契約者さんと……そして、オフィーリア様のことだけです。
もしかして、と思います。
いえ、もしかするほど意外なことではないのかもしれません。
何と言ってもここは悪役令嬢モノの世界で、オフィーリア様は悪役令嬢なのです。加えて、オタクにもやさしいギャル。
好きにならない要素がないのです。
フィルも男の子――で、いいのでしょうか。見た目はツノ以外は普通に男の子、ですし――なのですから、オフィーリア様を溺愛する側になったって何もおかしくはありません。
ですがオフィーリア様には、クロウ様がいます。お2人はどこからどう見ても、ラブラブです。相思相愛です。
きっとウィリアム様との婚約破棄も秒読みでしょう。
フィルがたとえオフィーリア様を愛しても……その恋は、叶うことはないのです。
……いえ。そう心配する気持ちは、もちろんあるのですけれど。
それはそれとして、わたくしがなかなか寝付けなかった原因は……もっと他の部分にありました。
端的に言えば、嫌だったのです。
だってもしフィルがオフィーリア様のことを好きになって、もしスローライフについていってしまったら、わたくし一人になってしまいますもの。
わたくしの従者なのに、あんまりですわ。ホームシックが加速してしまいます。
まぁ普段から従者らしい態度かと言われると、はいとは言えませんけれど。
それでも、わたくしが出かけますよと言えばついてきてくれるし、わたくしが悪口を言われていたら怒ってくれるし、わたくしが寝落ちしていたら、布団をかけてくれるのです。
変な子とか言ったり、憎まれ口を叩いたりもしますけれど、それなりに……
…………あら?
ふと、わたくしは気づきました。
気づいてしまいました。
あら? あらあら?
わたくし、もしかして……
……フィルにカワイイって言ってもらったこと、ないのではありませんか?
どがああああああああん!!!!!!!
教室中が揺れるような轟音が響き渡りました。
いえ、わたくしに衝撃が走った心象風景の比喩とかではなく、本物の轟音です。
というか、揺れています。音だけにとどまらず、校舎ががたがたと揺れています。
何かしらと皆さんがざわつき……窓の外に気づいた一人が、悲鳴を上げました。
わたくしも窓の外を見て、息を呑みます。
ぎょろりとした大きな目玉が、窓から教室を覗き込んでいたのです。
あっという間に教室は阿鼻叫喚、皆が一斉に廊下に向かって駆け出します。
「メリッサベル!」
呆然と立ち尽くしてしまったわたくしの名前を、フィルが呼びました。
彼の腕の中に引っ張り込まれた瞬間、教室の窓を割りながら大きな爪が這入って来て……教室の窓側3分の1ほどが抉り取られました。
がらがらと、床も壁も、崩れていきます。机と椅子が、下の階に落ちました。
わたくしを抱き上げたフィルが、廊下の窓から外に飛び出します。
風魔法で宙に浮き、少しずつ下降しながら校庭へと向かいます。下を見ると、先生と生徒も皆校庭に避難しているようでした。
フィルに運ばれながら、わたくしは振り返ります。
大きな目玉、そして大きな爪。その持ち主は――翼をばたばたと揺らしながら、校舎にしがみついておりました。
鱗に覆われた肌、鋭い牙と爪、こうもりのような形の翼。
爬虫類のような……いえ、恐竜のようなフォルム。建物とハグしているように見えるほど、巨大な身体。
わたくしは、思わず叫びます。
「竜――――――!?」