50.この世界の魔法の本質
「魔法学園なのに、普通の授業ばかり。何故かしらと思って、気づきましたの」
わたくしは顎に手を当てて、首を傾げて見せます。
魔法を効率よく使うには、精霊との認識の共有が必要、ということでした。
ここでいう認識の共有というのは、「シールドと言ったら盾が出る」などという話だけではなくて……わたくしが思っていたよりもっと、低いレイヤーの話を含んでいるのです。
以前フィルが言っていた、お味噌汁の魔法だってそうです。
まず「お味噌汁とは何か」「お味噌汁は何で出来ているのか」の認識が共有されていなければ……そもそも、お味噌汁自体を作ることができないのですから。
では、認識を共有するためには何が必要か。
それは、知識です。
お味噌汁が水と昆布と豆腐とわかめとお味噌で出来ていると「知っている」ことこそが、前提であり、肝要なのです。
そしてその知識が詳細で正確であればあるほど……少ない魔力で、精度の高い成果を得ることができる。
「たとえばファイアーボール。口で言うのも、イメージするのも、それを共有するのも簡単ですわ。ですが、火というものが「何」なのか。現象だけではなくその「組成」を知ることで、構成要素を知ることで、より効率よく魔力を魔法に変換できる」
わたくしの言葉を、フィルは黙って聞いていました。
その沈黙が意味するのはきっと、否定ではないのでしょう。
「無から有を作るよりも、1から10を作る方が魔力消費が少ないのも、そういう事情なのですよね? 目の前に材料があれば……何を使ってどのように作ればよいか、分かりやすいですから」
テーブルに並べた、ブレードの材料を見渡します。
材料と設計図。それさえあれば、極端な話、魔法がなくとも作ることはできるでしょう。
他の魔法だって、同じです。風はうちわで扇げば起こすことができますし、にゃんまるさんがいなくても、電気とデジタル信号の力があれば、ピアノをひとりでに演奏させることもできます。
この世界にはまだその仕組みがないだけで……実現不可能なことでは、ないのです。
「魔法はすべて……知識という前提の上に成り立っている。だからこその勉強、なのでしょう?」
考えてみれば、魔法使いや魔女というのは、物知りであったり頭が良さそうなイメージがあります。
知識こそが魔法の裏付け足りうるのだとすれば……それも納得がいきますわ。
魔法でなんでも思いのままにできるのだから、想像さえできればよい。
本当にそんなに便利なものであれば……魔法使いも魔女も、ぱっぱらぱーでいいはずなのです。
そうでないということは……単純です。それが必要だから、物知りであったり、頭がいい。それだけのことです。
そしてもう1つの鍵が、認識の共有です。
何となく知っている、何となくできる。そういう状態では、不十分なのです。
前世であんなに慣れ親しんだはずのスマートフォンすら満足に作り出せなかったという状況が、それを物語っています。
詳細な知識があって、そして。
それを精霊に共有できること。説明ができるくらいによく理解して、熟知していること。
そういった目的で使うときにこそ……魔法は最大のパフォーマンスを発揮するのです。
「火は何でできているか。火というくらいですから、可燃性物質の燃焼です。燃焼というのは酸化。酸化に必要なのは、酸素です。では一番身近にあるもので、手早く調達できる可燃性物質は何か。……水素です」
わたくしは「ファイアーボール」と呟きました。
ぼん、と、小さく破裂音がして……わたくしの手の上に、火の玉が現れます。前髪が焦げそうな威力でしたので、そっとその場で消滅させます。
もし大気中に水素があることを知らなかったら? 水素が可燃性であると知らなかったら?
その場合、例えば紙や木のような実際に「燃える何か」を作り出して、火を生み出すことになります。
もしくはもっと具体的に、マッチのように「火を発生させることのできる道具」を作り出す必要があるかもしれません。
それらが手元にあればよいのでしょうが、ない場合は「無から有を生み出す作業」が伴います。
簡単に言えば工数が増えるのです。
しかし「火」というものがどのように生じるのか、その科学反応の詳細を知っていれば……そしてその材料が、大気中に満ちていることを理解していれば、工数を大幅に削減できます。
大気中にある水素と酸素を集めて、反応させればいいだけなのですから。
「『魔法』というのは……『魔法のように』なんて言葉とは対極にある、現実的な現象の分析と、科学的な知識。そしてプロセスを言語化する能力。そういう、地道なものの積み重ねでこそ、真価を発揮する」
魔法というのは確かに「なんでもできる」ものなのでしょう。
想像したものを、夢見たものを具現化するような力にも思えるでしょう。
ですがそれは魔法の本質ではありません。
魔法は想像の及ぶ範囲の物事しか起こせない。
言葉で的確に説明できることしかできない。
つまり魔法というのは突き詰めてしまえば、わたくしにできることしか、できないのです。
時間と労力を省略できるだけで……つまりは、そういうことなのです。
わたくしができると思っていて。
わたくしがどうしたらできるか理解していて。
わたくしがフィルに、説明できること。
そういうことに使うのが、魔法の正しい使い方なのです。
「この世界の魔法の本質は……そういう、不自由なものなのではないかしら」
それがわたくしのたどり着いた……結論でした。
それまでじっと黙って話を聞いていたフィルが、ふっと口元を緩めます。
にやりと口角を上げて、金色の瞳を光らせて――言いました。
「おめでとう、メリッサベル。君は今、魔法使いとしての第一歩を踏み出した」