婚約破棄から始まる大団円
よくある婚約破棄ものです。
軽くお読みください。
「レイチェル・セルウェイ公爵令嬢!前へ!」
年に一度の建国祭の宴で、レイチェル・セルウェイは一人シャンパンを飲んでいた。
いつもなら婚約者であるトリスタン・メイウッド王子にエスコートされ、準王族として王族席に座るのだが、今日はなぜか父親のエスコートだった。
レイチェルは手にしたシャンパンを置くと、優雅な動きで割れた人垣の間を歩き、王子の前に進み出た。そのまま一礼して動きを止める。
「レイチェル・セルウェイ、お呼びと伺い罷り越しました」
「よくぞ参った。面を上げよ。
皆の者、良く聞け!
本日をもって、第一王子である私、トリスタン・メイウッドと、レイチェル・セルウェイ公爵令嬢の婚約をなかったものとし、新たにこちらのシルヴィア・ギャレット侯爵令嬢と婚約を結ぶこととする!」
トリスタン王子は後ろにいた可愛らしい令嬢をエスコートし、隣に立たせる。
レイチェルは少し困ったように寄る眉を隠すため、扇を広げた。
「…婚約は家と家との契約です。陛下や私の父は、了承されているのですか。」
「君のご両親にも話は通っている。既に王家とセルウェイ家で話し合いも終わり、王の承認も下りている。後は君が了承すれば終わりだ。」
レイチェルはチラと王を見やるが、動くこと無くこの場を見据えている。トリスタン王子の言っていることは事実なのであろう。
既に両家での話し合いも終わり、王が承認しているのなら、レイチェルが言えることなど何もない。レイチェルの了承を待つだけ律儀とも言える。
王妃は悲しそうな顔をするだけだ。嫌われたわけではないと信じたい。
「承知致しました。婚約破棄の件、謹んでお受け致します。」
レイチェルは綺麗なカーテシーをすると、顔を上げて微笑んだ。
エスコートも、このためか、と理解する。
理解はできるが、一つだけ聞いておきたいことがあった。
「一つだけ、質問してもよろしいでしょうか。
此度の婚約破棄、私になにか落ち度でもありましたでしょうか?よろしければ、後学のために教えていただきたいのですが。」
「ない!!」
力強く断言する王子の言葉に、感情を表に見せてはならないと厳しく教育されてきたのも忘れ、レイチェルは瞬きを多くして動揺した。
「君に落ち度など、一切、ない!!どちらかと言うと、私の問題だ。
わざわざこのような場で宣言したのも、それを皆に確実に伝えるためだ。そもそも、婚約破棄ではなく、婚約の白紙撤回だ。
君はとても聡明で美しく、慈愛に溢れ国民からの人気も高い。このまま結婚したら非の打ち所の無い王太子妃となるだろう。
だがただ一つ!未来の王妃として、国母として、不適格な点がある。」
「…それは?」
「俺は、君じゃ、勃たん!」
明け透けな物言いに会場が静まり返る。
一人称が普段の私から素の俺になっている時点で、より切実さを感じる。
「俺は君に子供を授けることが出来ん!
王妃となるからには世継ぎを作るのが仕事だ。俺の問題で、その大事な仕事を君にこなしてもらうことが出来ないんだ。」
「…そ…れは…確かに、私では不適格ですね……?」
「君に魅力がない、と言う意味ではない。幼い頃からそばにいた俺にとって、君はもはやそういう次元じゃないんだ。」
これは、褒められているのか貶されているのか、どちらなのだろうか。女として激しく非難されている気もする。
そしてトリスタン王子は拳を握りしめると、力強く叫んだ。
「だって君は……俺にとって君は…
田舎のおばあちゃんなんだっ!!!」
会場に集う貴族の殆どは呆けた顔を隠せもしていないが、一部同窓と思われる若い貴族達は激しく首を振って同意していた。
前にいた一人の男性が、動揺を押さえて宥めにかかる。
「殿下、ですが、先ほどセルウェイ嬢をあれほど情熱的に褒め称えていたではないですか。
あれは、セルウェイ嬢を愛しているからではないのですか?」
「貴殿は、己の母親に性欲を抱けるかっ!?
無理だろ、無理なんだよ、俺にとってのレイチェルはそういう存在なんだっ!
幼い頃から一緒にいて、両親や教師に叱られた時も、レイチェルのところに逃げ込んでは慰めてもらい、鼓舞されてはまた励んで…。
確かに両親にも私は愛されていた。それでも、もっと大きい、聖母のような愛で包んでくれたのはレイチェルだ。もう一人の母と呼んでもいい。
間違いなく、私はレイチェルに育ててもらったと言える。
そんな相手を、女性として見ろと!?俺には出来ん!!なんかこう、母親や祖母に情欲を向けてしまったような、罪悪感と気持ち悪さを感じる!」
貴族は、両親が直接育てるのではなく、乳母が育て、家庭教師が教え、そうして育てていく。高位貴族になるほどその傾向が強く、食事時しか両親と顔を合わせないことも多い。
トリスタン王子も例に漏れず、乳母と教師に囲まれて育った。両親と会うのも1日に一度あるかないかで、親でなく両陛下として会うことも多かった。
そんな王子を支え、愛情持って接してきたのがレイチェルだ。
分かりづらい両陛下の愛情を伝え、仲を取り持ったのもレイチェルの功績だ。
レイチェルは幼い時分に婚約して以降、ひたすらに王子を甘やかし、かといって本当に悪いことをした時は叱り、笑って許してきた。
日向で頭を撫でられる膝枕の心地よさも、自分のために叱ってくれる優しく厳しい声も、こっそり渡されるお茶請けのクッキーの美味しさも、トリスタンは全てレイチェルに教えてもらったのだ。
当然、同時期に学園に通っていた同窓達も、それを目撃している。なんだったら、恩恵に預かっている。
ある者は取れそうな上着のボタンをさっと繕われ、「どうぞ」と笑顔で着せてもらったし、
またある者は授業中に小腹が鳴って恥ずかしい思いをしたときに「内緒ね」と机の下でクッキーを差し出されたし、
他にも中庭の日の当たるベンチでうとうとまどろむレイチェル・セルウェイを起こそうとして、でもギリギリまで寝かせてあげようと横に座っていたら皆して寝落ちて授業に遅刻したし、
成績が振るわず裏庭で泣いていた生徒は、飴を口に入れられて「頑張ってるのは知ってるわ。ここで少し休んでらして。元気になったら、また頑張ってね。」と微笑まれてやる気を出したし、
学園の後夜祭でワインをこぼしてドレスを汚し、部屋の隅で困っていた令嬢は、休憩室へ連れていかれ「ワインの染みは炭酸水で落ちるのよ」とその場で新しいドレスに着替えさせられ、染み抜きをしてもらったし、
教師達ですら、「お疲れさまです。今回のテストも、良く頑張りましたね。」と出されるお茶と漬物にド嵌まりしている。
社交界での評判は確かに「最高の淑女」だが、学園内ではそれに加えて「皆のおばあちゃん」だった。
お茶会では必ず果物の皮を剥いて渡してくれたり、なぜか常にポケットに飴を持っていたり、冷えるからとストールを巻いてきたり、一度美味しいと言ったお菓子を毎回大量に持って帰らせようとしたり、『祖母』ではなく、『おばあちゃん』が、しかも『田舎のおばあちゃん』が一番しっくりくるのだ。
誰もが彼女を大好きだったが、嫁にするにはちょっとなー、フレッシュさが無いんだよなー、が共通認識だった。
「もちろん、君の次の婚約についても、王家で全面的に支援しよう。
君には、きっと少し年上の男性が合うと思うんだ。いくらか心当たりもある。是非、心通い合える相手を見付けて欲しい。」
後ろでなり行きを見守っていたセルウェイ公爵夫妻は、話し合いの日を思い出して遠い目をしていた。
過日、トリスタン王子から呼び出されたセルウェイ家の公爵夫妻は、両陛下を前に今から何が始まるのかと首を捻っていた。
両陛下も知らないようだったが、王子が「婚約を白紙に戻したい」と言った時は、王家の不興を買ったかと顔を青くした。
両陛下と共に説得したが、「レイチェルは家族であり、一人の女性として見られない」と言われた時は、全員で「あ~…」と納得してしまった。
親としては怒らなければいけない場面だったのかもしれないが、何せ公爵も「母さん…」と呼び掛けたくなったことがある。王子ばかりを責められなかった。
レイチェルに瑕疵は無いと周知すること、レイチェルの婚約を支援すること、次の王太子妃候補はセルウェイ家が推薦しその後ろ楯となること等を条件に、婚約は円満に白紙撤回することとなったのだ。
「溢れる慈愛、知恵袋と言っていい知識量、その素晴らしい美貌も、国の代表として立つに相応しいものだ。
私は君を愛している。だがそれは、一人の女性としてでなく、家族のような、姉のような、母のような、祖母のような、そういう愛情だ。
君を母親にすることが出来ない以上、婚姻を結んだとしても君の立場が悪くなるだけで、すぐに側妃を娶ることになるだろう。そんな搾取されるだけの婚姻など、大切な君に押し付けるわけにいかない!
私は、大切だからこそ、君にも愛し愛される結婚をして欲しいんだ。」
「…なるほど、納得致しました。それならば仕方の無いことです。私にとっても、殿下は大事な幼馴染みですもの。嫌われたのなら悲しいと思っておりましたが、そうではないのですね?」
「もちろんだ。出来れば君にも、君にとっての幸せを見付けて欲しい。
今まで王妃教育で頑張ってくれていたのは分かっている。君なら何でも出来るし、何にでもなれるだろう。私はそれを全面的に応援するよ。」
「ありがとうございます、殿下。
婚約の白紙撤回、慎んでお受け致します。」
レイチェルは綺麗なカーテシーを披露すると、顔を下げたまま小さく呟いた。
「…まぁ、孫の翔太にソックリだもんな。儂も閨はちぃーと無理かなーと思っでたべ。
同年代も子供にしか見えねぇし、とと様に頼んで、修道院にでも入れてもらうべ。それか、孤児院でも建てて、めんこい子供達に囲まれて過ごすべか。」
実はレイチェルには、前世の記憶があった。
90歳の大往生だ。
そんな彼女から見ると、18だかそこらの同窓生など、子供にしか見えない。必然、孫かひ孫相手のような対応になってしまったのだ。
そんな中、背の高い美丈夫が人の群れを掻き分けて出てくる。
人々の会話から、社交嫌いと名高いヴィンセント・アッシャー辺境伯だと分かった。滅多に首都に現れること無く、レイチェルももちろん会ったことがなかった。今回は王子の婚約の件もあり、強制参加だったため重い腰を上げて出てきたのであろう。
「お初にお目にかかります。ヴィンセント・アッシャーと申します。北の辺境伯領を治めております。」
「貴殿が、噂のアッシャー辺境伯か。第一王子であるトリスタン・メイウッドだ。
確か貴殿も独身だったな。もしかして、立候補に来たか?」
「…だとしたら、どうされますか?」
「生半可な輩にはレイチェルはやらんぞ。婚約を取り止めたとしても、大事な幼馴染みであり、家族だ。」
「では、セルウェイ嬢が了承すれば、構いませんね?」
「…確かに、貴殿ならば身分も人格も問題ないが…会ったこともなかろう?」
「確かにそうですが…セルウェイ嬢と少しお話をさせていただいても?」
トリスタン王子は了承するように身をずらしてレイチェルに場を譲った。
「改めて、初めまして、ヴィンセント・アッシャーと申します」
「お初にお目にかかります。レイチェル・セルウェイと申します。どうぞ、レイチェルとお呼び下さい。」
「では、レイチェル嬢、あなたは今回の婚約撤回について、納得していらっしゃるのですか?」
「えぇ、私も、殿下のことは家族というか、男性としては見られませんでしたので…。
特に未練もございません。」
「んだなば、また儂と結婚してけろ、ばーさまや」
急に砕けた訛りで話し出したヴィンセントに、レイチェルは目を見開いた。
「……じーさま?」
「死ぬ前に言ったべ、『ばーさまと結婚してよがった、生まれ変わってもまたばーさまと一緒になりたい』て。したら、ばーさま、『ええですよ』って言ったでねぇが。」
「…確がに、言いましだっけなぁ」
「約束、守ってけろ」
「『そんかわり、生まれ変わっても儂を見付けてくんろ』て、言っだぁもんなぁ。遅かったけど、約束守ってくれただもの、儂も守らにゃなぁ。」
ヴィンセントはそばのテーブルの花瓶から1本のバラを抜き取ると、レイチェルの前に跪いた。
「レイチェル・セルウェイ公爵令嬢、私と今世でもまた、結婚していただけませんか」
「ヴィンセント・アッシャー辺境伯様、前世からお慕いしております。
私で宜しければ、喜んで。」
レイチェルはバラを受けとると、嬉しそうに微笑んだ。
その瞳にはまごう事なき愛情が見て取れる。
「ではここに、王太子トリスタン・メイウッドとシルヴィア・ギャレット、ヴィンセント・アッシャー辺境伯とレイチェル・セルウェイの婚約を宣言する!
めでたい、慶事だ!皆、祝ってくれ!」
ここまで空気だった国王がそう宣言すると、呆気に取られていた会場は拍手に包まれた。誰もが口々に祝いの言葉を口にし、にこにこと手を振る二組のカップルは幸せいっぱいだった。
拍手の絶えぬ中、トリスタンはそっとヴィンセントに寄ると耳打ちした。
「レイチェルを頼んだぞ。
…いくら前世からの仲であろうと、泣かせたら粛清しに行くからな。」
「…その必要はございません。前回だとて、本当に泣かせたのは私が先に死んだ一回きりです。今回は私が看取るのだと決めていますから。」
「……『ショウタ』というのは?」
「前の儂らの孫です。
…ほんに、良く似とぉ。幸せになってけろ。」
穏やかに微笑むヴィンセントに、これは田舎のじーちゃんも増えたな、と悟ったトリスタンであった。
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その後、トリスタン・メイウッドは善政を敷き、賢王と呼ばれた。
王は毎年、夏場に必ず長期休暇を取り、子供達を連れて北のアッシャー辺境伯領地を訪れ、その絆を強固にしたと伝えられている。
そのアッシャー辺境伯夫妻も仲が良く、同年代の子供達もいて、娘が次代へ嫁ぐことになった。以降、アッシャー辺境伯領地は王家と密な絆を持つ、信頼の深い一の家臣と呼ばれることとなった。
だが、両家の子供達の誰にも、なぜアッシャー辺境伯夫妻が王に「ジーチャン、バーチャン」等というあだ名で呼ばれているのかは謎のままだったという。
ご覧いただきありがとうございました。
自分のこと「儂」って言うおばあちゃんいますよね。
田舎訛りは適当ですので、適当に読み飛ばしお願いします。
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