18-01.人間の強欲さは反吐が出るほど知っている
最初の記憶だ。何も知らない普通の村娘だった。
小さな家に家族で静かに暮らしていた。
村の端の方の家だったのですぐ裏は山だった。樹木が多かった。
あの日、子犬が迷い込んできたのだ。
小さくて頼りない子だった。
けれども額に小さな小さな角が生えていた。
その時の私は、その子が魔物だなんてちっとも知らなかった。
ただ野良犬の赤ちゃんが親とはぐれたのだろうと思い込んだのだ。
とても可愛い子で、思わず手を伸ばした。
そっと撫でたけれど嫌がられなかった。
可愛くて嬉しくて、震えているその子にご飯をあげたくて、自分の分を少しとっておいて、後でこっそりあげていた。
私たちは仲良くなった。
単なる餌付けだ。
子犬は懐いてくれて、本当に可愛かった。
まだ自分の能力を知らなかった頃の、ほんの短い時間。
穏やかで幸せな記憶。
けれどそれが何よりも辛いものになってしまった。
ほどなくして幸運の能力がバレ、私は売られることになった。
嫌がる私を大人たちは強引に引きずり出そうとした。
それを、その子は止めようとしてくれたのだ。
小さな体で唸り声を上げ、大人に噛み付いた。
ほんの少しだけ相手に怪我をさせた。
それだけだった。
振り払われて悲鳴のような鳴き声を上げたのはあの子の方だったのに。
すぐに角に気づかれて、魔物だと知られてしまったのだ。
魔物だなんてその時になって初めて知った。
私には魔物だろうと関係なかった。
あの暖かい温もりと、手を舐めて、すり寄ってくれる可愛い存在がたとえ魔物だろうと、どうでもよかった。
なのに。
子犬は目の前で殺されてしまった。
お前のせいだと言われた。
お前が抵抗せずにおとなしくしていれば、殺されなかっただろうのに、と。
今思えば、そんな事はないとわかる。
魔物だったからあの子は殺されてしまったのだし、弱い固体を身勝手に殺したのは大人たちだ。
けれどもあの時の私にはわからなかった。
私のせいで、死んでしまった。
そう信じた。
おとなしくさせるのに使えると思ったのだろう。
何度も何度も、子犬の死についてずっと責められ続けた。
謝り、泣いて過ごすことしかできなかった。
閉じ込められている間も、移動する時も。
常にあの子の事を持ち出されて、逃げる気力を奪われた。
心を折るきっかけになった。
お前が逃げ出したり抵抗したりすれば、誰かが犠牲になるのだと。
私のせいで死んでしまった可愛い子。
亡骸の傍に寄る事もできず、お墓も作ってあげられなかった。
血まみれで打ち捨てられて、地に転がったまま。
そのまま朽ち果ててしまったのだろうか。
《主様》
遠い遠い、何度も転生する前の記憶から引き戻された。
ぼんやりとムムを見ると、何かが被る。
そうして思い出したのだ。
あの子は一匹ではなかったことを。
《思い出したか?》
小首を傾げてじっと見つめてくる、子犬の姿の魔物。
《ずっと、帰ってくるのを待っていた》
ムムが喋っている。
それがとても不思議だった。
魔物は喋らない。けれど今、彼は喋っている。
もしかして最初から喋る事ができたのだろうか?
だとしたらどうして今まで喋らなかったのだろう。
《主様。あいつは幸せだった》
死んでしまったあの子のことだろう。
直感だった。
なぜ知っているのだろう。
同じ種族だからとか?
ぼんやりと彼を見つめていると、答えをくれる。
《「兄弟」だからだ。俺たちの事は忘れてしまったか》
そうだ。
あの時、私が仲良くなった子犬は一匹ではなかった。
複数いた。
わちゃわちゃと元気に転がっていた。
どうして忘れてしまっていたのだろう。
三匹を見た時に、思い出しても良かったはずなのに。
毎日全匹いるわけではなかった。
遊びに来る子は日によって違っていた。
いない子もいたし、毎日来る子もいた。
死んでしまったあの子は、毎日元気に遊びに来ていたのだ。
身体が一番小さな子だった。
だから心配して、目をかけていた。
一番小さくて甘えん坊だったのに。
あの日。
私が大人たちに連れ攫われそうになっていた時、飛び出して来たのはあの子だった。
たまたま一匹しかいなくて…その場で大人たちに殺されてしまった。
他の子達もいたら、あの子は殺されなかっただろうか?
それとも皆、殺されてしまっただろうか。
わからない。
過去の出来事はもう二度と覆られないし、自分のせいであの子が死んでしまったことには変わりないのだから。
自分のしでかした罪の重さに耐えきれなくなって、悲しみに溺れて、他の子達の事を忘れた。
だから今まで思い出せなかった。
「わたし、が…」
この子達から兄弟を取り上げてしまったのだ。
息が苦しくなる。
私のせいで。
けれど彼らは言うのだ。
それはさらに残酷な事実だった。
《主様。あの時まだ、長兄は生きていた。死に掛けていたけれどまだ、生きていた》
生きていた?
でも、もういないのだろう。
死んでしまったという事だ。
《魔物はそんなに簡単に死なない。怪我が治ってからすぐに、あなたを追いかけたんだ。けれど、どうしても見つからなくて、あちこちの人里へ行っては暴れた。それで》
どこに連れて行かれたのかもわからないのに、探そうとしてくれたというのである。
兄弟で手分けして探してくれて、そのうちにあの子は我慢がならなくなったという。
見つからないことに癇癪を起こし、人里で暴れ始めた。
そのせいで討伐されてしまったのだと言うのだ。
以降、彼らは単独行動を止めたそうだ。
三匹が一緒にいるのはその為だった。
探してくれていたのか。
私は何もしなかったのに。
逃げ出すことを諦め、死んでいるのと同然のような人生だった。
それならばやはり、私が殺したようなものだろう。
《違う。長兄は誇りを持って死ぬ事ができた。主様を救いたいと願い、行動する事ができた》
ムムが「長兄」と呼んでいるのだから、あの子が一番上だったのか。
知らなかった。
一番小さいから一番下だと思い込んでいた。
《主様》
《ご主人さま》
《マスター》
ムムだけかと思いきや、メメとモモまで喋りだした。
驚いて涙が止まった。目を丸くしてしまう。
きゅるん、と子犬特有の可愛い顔をしてこちらを見ている。
《いつか戻ってくるのをずっと待っていた。帰ってきたら主人になってもらおうと思って》
「な、んで」
意味がわからなかった。
ずっと待っていた理由も。
どうして私が帰ってくると思ったのだろう。
そもそもあの記憶は、転生なんかまだした事もない、最初の記憶なのだから、下手をしたら数百年も前の話だ。
あぁ本当にこの子達は魔物なのだと実感する。
まだ生きている子がいるなんて。
《主様が度々転生しているのは知っていた。魂が帰ってきているのを感じていたから。その度に探したけれど、どうしても見つからなかった》
転生を繰り返す度、馬鹿な私はすぐに閉じ込められてしまっていたので、外に出る機会の方が少なかった。
そのせいだった。
「魂が帰るって、そんなことわかるの」
魔物ってすごいんじゃないかと思っていると、彼らは首を傾げた。
《主従契約をしたからわかるに決まっている》
しゅじゅーけいやくとは。
そんな事をした記憶はまったくありませんが、なんぞや。
そもそも、魔物とそんなことができるなんて知らないです。
するとムムは少しバツが悪そうな顔になっている。
《最初、ご飯をくれた時に全員で…勝手に》
勝手にしたのか。
そりゃ知らないはずだ。
主従契約って勝手にできるのか。
そんな大切そうなこと。
あれ、この場合、主様とか呼ばれているし、主が私って意味でいいんだよね?
主が知らない主従契約って何?
成り立っていない気がするし、押し付け契約ではないだろうか。
え、そんなものに縛られていていいのか、君たち。
だってそのせいで何百年と縛られ続けて、待っていたんだよね?
この子達、大丈夫だろうか。
実はとてもチョロすぎる魔物なんじゃないだろうか。
それとも単に食い意地が張っているだけなのか。
「ごめん、覚えてないけど…何匹いたっけ」
《八匹だ》
「他の皆はどこに行ったの。元気?」
《…残っているのは五匹だな》




