【掌編】社長はダジャレがお好き
太った社長は紅茶を口にし、「それで?」とたずねた。
社長の向かいのソファーに座っている痩身の男は、口角をあげていった。「私の復職と、相応の地位を約束してくれれば、裏帳簿の件は公にしないといっているのです」
男は三か月前、社長の娘と関係を持った。そのことを知った社長は大激怒。半月前に男は解雇された。
だが、男はあわてなかった。
男は経理を担当していたため、会社が裏帳簿を作っていることを知っていた。退職する前に、全データのコピーは取った。あとはそれをちらつかせて、復職すればいいだけのことだった。
裏帳簿を作っている会社などにいることは危険極まりない。だが、他の仕事を探すのも面倒であるうえ、社長の娘がまだ自分を好いていることを知っていたため、男は復職することにした。
それに、娘と結婚すれば、次期社長だ。自分に才覚があることを自覚していた男は、裏帳簿などどうとでも処理できると考えていた。
「まあ、無理はいいませんよ。ひとまず部長クラスで。今の上司には辟易していましたからね。来年の今ごろには、取締役にでもしてもらえればありがたい」
「君を部長にするのか。博打のような人事だな」
「博打?」男は片眉をあげた。馬鹿にしているのか?
「会社の経営というのは、まさに博打の連続だよ」社長はすました顔でいった。「裏帳簿でごまかさなければならないほどにね。チョボだけに」
それがいいたかっただけか。男は内心舌打ちした。
社長はこういうくだらないダジャレが好きなのだ。しかも、今のはわかりにくい最悪のものだ。帳簿とチョボをかけているのだが、チョボが博打だとわかる人間がどれだけいるか。
できるだけ笑顔を作りながら紅茶のカップを置くと、脇から若い女性がすっと現れた。
「おかわりいかがですか?」微笑むわけでも嫌悪感をあらわにするわけでもなく、無表情に女はいった。
いや結構、と男は軽く手をあげる。
ダジャレ好き以上に最悪の趣味が、これだ。この太った社長は、家政婦を雇っている。その服装というのが、男から見ればとんでもない変態趣味なのだ。
「なかなかいいデザインだろう?」社長は笑いながらいった。家政婦の服装を指しているらしい。「服飾のプロに作ってもらった、カスタムメイドの一品だ。彼女の身体に合うように作ってある」
「はあ、それは」
無駄な金を使っているな。男は頭が痛くなるのを感じたが、こういう馬鹿な社長だからこそ御しやすいのだと思いなおすことにした。
「君に復職してもらった暁には、彼女の新しい服を作ってもらおうかね。なんてな」
復職と服飾、か。最悪だ、この社長は。自分がおどされていることにすら気づいていないのではないか。
男は立ちあがった。いうべきことはいった。あとは、返事を待つだけだが、今すぐには無理だろう。
「じゃあ、自分はこれで失礼します。今日の話、しっかり考えてくださいよ。返事は早めにお願いします」
「ああ、わかった」社長は座ったままうなずき、そうだ、と声をあげた。「君にわたさないといけないものがあったんだ」
「わたすもの?」
男が再びソファーに腰かけようとした瞬間、喉仏のあたりを冷たいものが通過した。ぱっ、と血が飛び散る。
「返事は早めに、といったね。これが返事だよ。片時の変事が返事、というわけだ」ふふふ、とひとりで笑う社長。
男は喉を押さえ、声を発しようとする。できない。一瞬で喉を深々と切り裂かれた。血がとまらず、指のあいだからあふれでてくる。呼吸もままならない。
男の身体が真横に倒れる。ぐるりとまわる視界の中に、さっきの女が映った。右手に持っているナイフを、常に持ち歩いているのか、懐紙で拭いている。
「君のような不届きものが、今までひとりもいなかったと思っているのかね? この私をおどすなど……」社長は笑みを崩さない。「彼女は君のような不愉快な輩を消すために、とある犯罪組織から雇った人間でね。見てのとおりの殺し屋だ」
殺し屋。どこが、見てのとおりだ。今どき、こんな変態趣味の……。
薄れゆく意識の中で、男は社長の最後の言葉を聞いた。
「これが本当の、『冥土の土産』というやつだな」
紺色のドレスのような服を着た家政婦……「メイド」が、無表情に男を見おろしていた。
(了)