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8話 オークとアマゾネス

 間違いなく、オークである。

 元の世界の旅において幾度となく遭遇し、そしてそれを屠ってきたジュクーシャにあったのは確信だった。


 全身をすっぽりと黒い外套で覆っているその者が唯一晒している、目鼻。照明の光加減などではなく、獣寄りの厳つい顔つきは人に非ざるくすんだ緑色。

 指先足先まで包んだ外套の下も、同様だろう。姿形は人間に似ているようで、そこが絶対的に異なる。

 なにより、彼女の勇者――元勇者としての感覚が、モンスターであると告げていた。


「――ソノ反応、同族ヲ知ルカ」


 茫然は一瞬。

 すぐさま警戒するジュクーシャの視線の先にて、スッ、と静かに黒い外套が揺らめいたかと思えば。

 次の瞬間、たどたどしい言葉遣いと共に距離を詰めてその姿を現し、赤い眼が彼女を映した。

 それを見たジュクーシャは、より一層顔を険しくさせて、僅かに腰を落とす。


「…………」


 オークには――モンスターには、ランクというものがある。

 低級であればさほど気に留める必要はない。けれども上級ともなれば、油断は命取りに繋がる。

 そして今の動きからして、明らかにオークの中でも上級の特殊個体。本来オークとは、凶暴さやパワーを注意するべきだが、しかしあのように音も立てず消えるような動きをするオークなどジュクーシャは今まで見たことがなかった。


 だが、そんな彼女の胸中を嘲笑うかのように。


「――ほほぅ、お主、オークというやつか!? 本当に緑色なのだな!」


 能天気に、無警戒に進み出て大股でオークに近づく影が一つ。

 言うまでもなく、興味津々と声を弾ませた播凰である。

 この場にいる誰よりも、そのオークの身体は大きい。必然、播凰はその巨体を見上げる形となり。

 ジュクーシャに向けられていた赤い瞳が、今度は無言のまま播凰を見下ろした。


「っ、いけません、播凰くんっ! それはオーク、しかも確実に上級個体ですっ!!」


 慌てて制止の声を飛ばすジュクーシャであったが、しかし播凰は状況を分かっていないかのように。

 オークを前にして、隙だらけで彼女に振り返るではないか。


「ん? 何がいけないのだ?」

「ですから、相手はオーク! 人を害する、危険なモンスターなのですよっ!?」


 少なくとも、ジュクーシャの世界の人間であれば、オークを前に気を抜くなどありえない。

 いや、実力者であればその限りではないが、その他大勢にとっては凶悪なモンスターだ。逃げるか立ち向かうかが普通で、しかし播凰はそのどちらでもない。

 けれども、そんなジュクーシャの必死な呼びかけも実らず。


「はて、そうなのか?」

「……ソノツモリハ無イ」

「と、言っているようだが」


 悠長に問いかけ、挙句の果てにはその返答をジュクーシャによこしてくる始末。

 播凰の行動の意図が読めず、困惑するジュクーシャであるが。

 当然、両者の認識に乖離というものがあった。


 片や、オークの被害を知り、実際に相対してきたジュクーシャ。

 片や、オークを含めモンスターなどおらず、架空の存在――それも知ったのはついさっき――でしかなかった播凰。

 実感を伴う伴わないでは、対応に如実に差が出るのは然るべきというもの。


 もっとも、その巨体と容貌に関してはどちらであれ共通の外見ではある。それについては、むしろ実物を初めて見る人間だからこそ萎縮しかねないというのはあるだろうが。

 しかし、たかがその程度で気後れなどしないのが三狭間播凰という人間であった。


「で、ですが、オークというのは、男は殺し女を攫うといった残虐を好むモンスター。その被害を、私は今まで何度も目に、耳にしています!」

「それは、全部が全部そうなのか? 少なくとも、この者は違うようだが」

「っ、しかし、仮に一部だとして、そのようなことをする種族であることに変わりは――」

「――ふむ、であれば人間とて変わらないと思うが」


 それでも尚、説得を試みるジュクーシャであったが。

 何でもない声色で告げられた播凰の指摘に、凍り付く。


「人とて、特に賊などと呼ばれる輩は、似たようなことをするであろう」

「なっ、それは……っ」


 無い、と否定しようとして、しかしできなかった。

 咄嗟に反論しかけた口は徐々に力を失い、淡々と突き付けられた事実にジュクーシャは押し黙る。

 理由はただ一つ、彼女にも心当たりがあったからだ。


 魔王討伐において、立ち塞がったのは何もモンスターや魔族だけではない。

 旅の道すがら、町や村に立ち寄ったことは幾度とある。中には、栄え、人の往来が絶えぬ場所もあったが、無論全部が全部そんなわけもなく。

 生気なく怯えて暮らす人々を見た。焼け焦げ、或いは破壊された家屋を見た。廃村と化した跡地を見た。


 全てがモンスターの仕業だったわけではなかった。播凰の言うように、賊が――人が、人を襲うこともあった。

 攫われた人々をそれらから救い出したこともある。間に合わなかったことも、ある。


「いや、賊だけではない。勝者の特権として敗者を蹂躙する国もまたある。……我が国でも、先代の時までは国内は別として他国に関しては明確に禁じていなかったな。私が王位を継いでからは、そのあたりも含めて弟妹達の進言で見直していったものだ」


 もっとも私は最終的に承認していっただけだったが、と。播凰はそう締め括る。

 グッと唇を噛むジュクーシャ。

 理解と反発。その胸中を、相反するそれらを筆頭として様々な思いが駆け巡る。


 ここまで彼女達を連れてきた管理人は、何も言わない。ただいつものニコニコ顔で、立っている。

 言いたいことを終えた播凰もまた。いわんや、漆黒の外套を纏ったオークも。揃って、無言でジュクーシャを見ている。


 沈黙が訪れ、そのまま場を満たすかに思えたが。

 それを裂いたのは呵呵と笑う女の声であった。


「――クハハッ、どうやら分が悪いのは認めねばならぬようじゃな? もっとも、言いたいことは分からんでもないがのぅ」


 カツン、カツンと高いヒールの靴音を響かせ。ジュクーシャ達のいる傍らの階段を昇って姿を見せたのは、艶めかしい黒肌の女性。

 戦うためのフィールドとしてであろう、中央一帯から周囲にかけて広くへこみくりぬかれたような造りとなっているこの地下一階(階層)。先程まで、そこでオークと対峙していた女だ。


「……貴女は、確か、アマゾネスの……」

「久方ぶりよの、女勇者の君」


 女性からしても目のやり場に困るほどに際どい衣装をした彼女に、ジュクーシャは会ったことがある。


 アマゾネス。

 ジュクーシャの元の世界にも存在した、人間の女性だけで構成される部族の名。彼女はその一人であるという。無論、眼前の彼女はまた別の世界のアマゾネスのようだが。


 思い出したようにポツリと漏らしたジュクーシャに。アマゾネスの女は妖艶とした笑みを含ませ、ジュクーシャのことをそう呼んだ。

 とはいえ、邂逅の頻度は高くなく、また親密な仲という間柄でもない。

 複雑そうな面持ちとなるジュクーシャ。変わらず笑みを湛えるアマゾネスの女。

 どちらからともなく両者の視線が絡み合うが。


 ――そこに割り込む、空気の読めない声。


「ふむ、アマゾネスとな? そちらもまた、モンスターなのか?」


 まるで年端もいかない子供のように、あっちにふらりこっちにふらりと興味津々な三狭間播凰である。

 そんな彼が、なんとアマゾネスという単語をモンスターの名と勘違い――オークの存在が確実に原因だろうが――したようで、二人の側に寄って来たのだ。


「…………」


 これには、流石のジュクーシャも絶句せざるをえず。

 アマゾネスの女はといえば、余裕ぶった口元の形はそのままに、しかし目を丸くしながら播凰を見ていた。

 なにせ、いきなりモンスター呼ばわりされたわけである。そうなるのも無理はない。


「……クックックッ」


 先刻までとは別の意味で静まり返る中。

 振動し、波打つ漆黒の外套。

 その巨体を、肩を震わせて、オークが笑っていた。


「これ、笑うでない、暗殺者の君よ」

「ククッ、スマンナ……クッ」


 堪らずといったように、アマゾネスの女がそれを見咎めて眉尻を上げれば。

 謝りつつも笑いをこらえきれない様子のオーク。


 そんな両者のやりとり、特にオークの方を見て、ジュクーシャの中に戸惑いが生まれる。

 彼女の中でのオークの笑いといえば、獲物()を前に舌なめずりするようなそれだ。むしろそれ以外を知らない。

 が、目の前のオークの笑いは明らかに下卑たそれではなかった。また謝るというのも彼女の知るオークらしくない。


 一度止まる余地が出れば、思考が冷静さを取り戻す。

 この世界に来たために久しく見慣れていなかったものの、長年の経験からつい反射的にモンスターを前にして構えてしまったが。

 確認するように幼き管理人を振り返れば、彼女はいつもの笑みで一つ頷き返すだけ。

 もしも想定外の存在であるあらば、管理人が何も言わないわけがない。問題のある存在であれば、管理人が何もしないわけがない。


「本能ダケデ暴レハシナイ。ソレダケハ告ゲテオク」


 そんなジュクーシャの空気の変化を察知してか、オークが声をかけてくる。

 オークらしからぬ、理知的な色を眼に、片言の声色に湛えて。


 ……暗殺者、というのが気にはなりますが。


 アマゾネスの女が、オークを指して呼ぶ単語。その物騒さに引っかかりを覚えないわけではないが。


「――その……失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」

「構ワナイ。コノ身ガ、同族ガ他種族ニ好マレテイナイノハ承知ノ上」


 謝罪と共にジュクーシャが頭を下げれば、オークはさして気にした風もなくそう言って。


「与エラレタ名ヲ名乗ロウ。鬼三(きぞう)朝至(あさし)、十三階ダ」

「これはどうも。四階に住まわせていただいている、四柳ジュクーシャと申します」


 互いに、名乗る。

 とはいえ、その一瞬で打ち解けられるものでもない。いや、人によってはぐいぐいと距離を詰めにいけるのかもしれないが、少なくともジュクーシャはそのようなタイプではなかった。

 少々のぎこちなさを感じつつ、ジュクーシャが視線を彷徨わせれば。


「ほぅ、十三階か! 私は三階に住む三狭間播凰だ。よろしく頼むぞ、オークの者よ!」

「三階……丁度、十個下カ」

「うむ、十個上だ! それでだな、少し腕を見せてもらってもよいか? ゲームで見たが、誠に全身緑色なのか?」

「……構ワナイガ」

「ほっほーぅ、不思議なものだ! 見せてくれて感謝する!」


 快活な声を響かせ、播凰が破顔する。

 相手が誰であろうと気後れせずに話に行けるのは、ジュクーシャからすれば流石と言う他ない。例えオークを知らず、モンスターに対する固定観念が無かったとしても、だ。

 いや、或いはそれが彼の魅力なのだろう。


 一桁目が同じ三ということもあってか、二言三言、自然に言葉を交わし。外套の下を捲らせ、そこも緑色であることを確認し、感嘆。

 そこまでして思い出したように振り返った播凰は、この場で名乗っていない唯一の存在に声をかける。


「して、そちらの、ア……あー、すまぬ忘れた。そちらのモンスターの者は、何というのだ?」

「……よもや、妾のような見目麗しき女子(おなご)をつかまえて、一度ならず二度もモンスター呼ばわりするとはのぅ」


 まさかの、再びのモンスター呼び。

 二回目とあってか、怒りというより呆れに近い形でアマゾネスの女の方は嘆息している。

 その味方をするわけではないが、同じ女性として見ていられなかったジュクーシャは、堪らずフォローに入った。


「播凰くん、彼女はモンスターではなく人間です」

「そうなのか? それにしては先程、ジュクーシャ殿は聞き慣れぬ単語で呼んでいたように思うが」

「……アマゾネス、という褐色の肌が特徴的で女しか産まれないという有名な部族がおりまして。つまり彼女はその部族の出身で、アマゾネスとは部族の名を指すのです」


 ある意味、彼の勘違いの発端というか原因の一つはジュクーシャであった。

 アマゾネスの女からの鋭い視線を感じつつ、ジュクーシャは冷や汗を浮かべて説明する。


「褐色の肌が特徴ということは、ジュクーシャ殿も、そのアマゾネスなのか?」

「わ、私のこれは、ただの日焼けです! その、長く旅を続けていましたし、そういったこともあまり気にしていませんでしたので……」

「成る程。しかし女しか産まれぬとは、不思議な人間もおるのだな」


 なんとか人間だということは理解したようで、ジュクーシャは胸を撫で下ろした。

 ただまあ女しか産まれないのが不思議というのは彼女も同意するところではあるが。


「――そういうことじゃ。なんなら真に人間かどうか……この衣の下、閨で確かめてみるかの?」


 ある意味での達成感をジュクーシャが感じていると、その横をするりと影が動く。

 ただでさえ少ない布地の服の胸元を捲るように、アマゾネスの女が蠱惑的な笑みを浮かべて播凰に迫っていた。

 ブッ、と噴き出し瞬く間に赤面したジュクーシャは、慌てて女を引き剝がしにかかる。


「な、なにをやっているんですかっ! 破廉恥ですよっ!!」

「なんじゃ、これくらいで騒々しい……これだから未通女(おぼこ)は」

「にゃ、にゃにをっ!?」


 しかし呆れたような彼女に思わぬカウンターを喰らい、ジュクーシャは狼狽する。

 だが女も女で本気ではなかったのか、すぐに身を引き。


「名は教えてやらぬ。数多の権力者達が挙って求めしこの妾を、モンスター呼ばわりした罰じゃ」

「む、そうか分かった。勘違いしてすまぬな」

「……ほほぅ、後になってやはり名を教えて欲しいと懇願することになっても知らぬぞ」


 せめてもの仕返しとばかり、名乗りを拒否したものの。

 ところが、それをあっさりと受け入れた播凰。

 期待した反応ではなかったようで、むしろそれがアマゾネスの女に火をつけたのか、彼女はメラメラと瞳を燃やす。


「しかし女勇者の君よ、そちらもそちらじゃ」


 と思いきや、その矛先が今度はジュクーシャに向かう。

 再び揶揄われるかと思わず身構えたジュクーシャであったが、しかし。


「寛大な妾や暗殺者の君じゃったからよかったものを、もしもこれが他の階の気難しい種族の者であったらどうなっていたことか」

「……待ってください。その言い方だと、他の異種族もいるように聞こえるのですが」


 咎める言葉よりも何よりも前に、その物言いが気になった。

 よくよく考えれば、確かに一階には人間ではないあの者がいる。

 そして十三階のオークこと、鬼三朝至。


 ……まさか、他にもまだ?


 驚きを込めつつも冷静に確認すれば、アマゾネスの女は呵呵と愉快そうに笑い。


「いてもおかしくない、というより確実に一人、妾は知っておる。――なんとまあ珍しいことに、エルフの女子がな」

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