1話 天孕具
「――さて、それでは見せていただきましょうか。君に発現したという、覇の性質の術を」
東方天能第一学園、修練棟のとある一室にて教師である紫藤綾子の声が粛々と紡がれる。
一見すれば表情、声と共にいつものような冷静沈着とした調子であるかに思えるも、しかし。微かながらも確かに力の入った目元、そして上擦ったその声色は。
覇という超希少な――それこそ伝説級の性質の術をお目に掛かれるという機会に居合わせた教師としての好奇心の刺激か。将又、一人の人間としての興奮故か。
「天放属性なのであれば、攻撃の術なのでしょう。――で、あるなら」
紫藤は、そこで一旦言葉を止めると。
手を翳すような仕草を、何もない空間めがけて行う。
「アレに向けて打つように。一応、基本的な下級の術には耐えられる程度の強度にしています」
すると一瞬にして出現したのは、人の形をした物体。
どこかで見た覚えのあったそれに、播凰は少しだけ首を傾げ。ややあって、大きく頷いた。
「思い出したぞ、入学試験の時のだな! あれは、紫藤先生の天能術なのか? それにしては、詠唱をしていなかったようだが……」
そう、それは入学試験の際に、実技の的として用いられた仮想敵。
あの時は右も左も分からぬまま、何か出てきたぐらいにしか捉えておらず。また術どころか自身の性質すら知らなかった当時の播凰の前では、全くの無意味と化していたのだが。
多少に知識のついた今なら、違和感として映る。
「……これが何か分かりますか?」
そんな播凰の問いに、しかし紫藤は少しだけ眉根を寄せながら問いで返した。
強調するように持ち上げられた、彼女の腕。手首とスーツの境目のそこに、デザインの凝っていないシンプルなシルバーの腕輪が鈍く光っている。
「ふむ……腕輪、か? ……あー、その、なんだ。似合っているとは思うが――」
「それはどうも。しかしながら勿論、ただの腕輪を見せつけるわけはありません。これは、天能が付与された特殊な道具です」
古今東西、装飾品や宝飾品を自慢、見せびらかすという人間は男女限らず一定数いるが。その行為は、厳格が服を着たような紫藤には正直似合わない。
キッチリと着こなしたスーツに、一度でも染めたことがないような純粋な黒髪。怜悧な雰囲気に拍車をかける眼鏡の奥には、キツめの目元が控え。直接会話をしたことのある人間は勿論のこと、彼女の性格を知らぬ人間ですら、そういった印象を抱くことだろう。
つまりズレているのは播凰だ。
事実、なんとか凡庸な感想を捻り出した播凰の賞賛に、紫藤はニコリともせず。
むしろピンときていない様子に対し、やはり分かっていなかった、と。彼女は呆れと諦めが同時に透けて見えるような表情をした。
ともあれ、今まで幾度も同じようなことがあったので彼女も慣れて――不本意であろうことは言うまでもないが――しまったのだろう。
「天能によって作られた、或いは天能が付与された物。それらは、他の一般的なそれと区別するために、正式には天孕具と呼称、分類されます」
「ほぅ、天孕具……」
「より身近な例を上げれば、天能武装もその一種――天孕具の括りに入ります。あと、君が今着用している制服もそうですね」
言われ、播凰は自身の着ている東方第一の青緑色の制服を見下ろす。
確かこの制服には、ある程度の――完全に防ぎきるわけではない――天能術に対する抵抗があると聞いている。実際、リュミリエーラを守った際に火の術を幾度も受けたが、すぐに焦げたり燃え上がることはなかった。
そんなことを播凰が思い返していると。
あまり気持ちのいい話ではありませんが、と紫藤は前置きをして。
「現代では特に名家において顕著ですが、優秀な血を後世に残すことを重要視するのは旧くからある思想でした。例えば、優れた術者や希少な天能を持った者を一門、或いは外部より見出して子を成させ、跡継ぎとする。そういった風潮は異端ではなく、むしろ、そうあるべしとされてきたわけです」
「それは、まあ……そうであろうな」
優秀の定義というのは、異なるだろう。
当然、播凰の世界に天能などなかったのだから、同じになるわけはない。
しかしながら元の世界において武がその筆頭であった播凰は、一応の同意をするように首を縦に振る。
とはいえ、そこまでであれば話の流れに疑問符を浮かべざるをえないものだったのだが。
「ですが、古い時代――物に天能を付与するという概念、技術が確立していなかった頃。身内や子孫としてではなく別の目的の元に、優秀とされる人物の子を産ませていたという記録があります。……即ち一人の人間として扱わず、単なる力、道具として用いるために」
顔を顰めながら抑揚なく語る紫藤に、播凰は彼女の言わんとしていることを察した。
婉曲というほど比喩的ではなく、しかし直接その表現を用いるのを避けたのだろうが、つまり。
――成る程、天を孕みし具か。
「それが、天孕具の起源です。……時が経ち、天能武装を始めとする正真正銘の道具が世に出てきてからは専らそちらを指すようにはなったとはいえ、その風習がすぐさま廃れたというわけでもなかったようですが」
言葉の節々から滲み出る忌避感は、堅苦しさはあれど彼女が冷酷非道な人間ではないことの顕れの証左だろう。というより、一般的な感性からすれば、少なくとも破顔することは有り得まい。
もっとも、如何なる感情を胸に抱こうが、紡がれた歴史が消えるということはないが。
「と、教師として正しい歴史認識を伝えたものの。しかし現代では、正式な場以外では無理にこの単語を使う必要はありません」
眼鏡をくいっと持ち上げながら、けれど紫藤は最終的にそんな風に告げた。
となれば出てくるのは、ある意味当然の疑問。
「ふむ、ではなんと言えばいいのだ?」
「作成者が固有の名を付けている場合もありますが、我々のような使う側であれば、大抵は特殊な道具やアイテムなどといった表現でも十分伝わります」
ただし、と紫藤は腕を組んで悩まし気な顔をする。
「造る側――本学園でいえば造戦科の生徒と教師、一般では専用の職に就く方々。人によっては、呼び方を気にする場合もあるので、その点は注意が必要です」
……そういえば、そのような科もあったな。
学園の高等部にある三つの科。
一つは播凰の所属している、主に天能術の扱いを重視し中距離以上での戦いを主眼とする天戦科。
二つに、天能術だけではなく肉体及び天能武装も用いた接近戦の戦いを主眼とする武戦科。
そして最後の科こそ他と毛色が異なり、モノを造ることを主眼とする造戦科。
特に今まではさほど気にしていなかった、記憶の片隅にあったその知識を播凰は初めて明確に意識する。
何せ、普段の学園生活において他の科との関わりというのがない。なんなら、他学年の同じ科もそうだし、同学年の別クラスの天戦科生徒すらもだ。
座学も実技も、授業で関わるのはクラスメートのみ。
学園行事にしても、一応入学式では新入生として他の科も合わせた生徒が集っていたが、それだけ。
もっとも、同じ一年の天戦科のトップであるE組に、星像院麗火と矢尾直孝が。一学年下の中等部に、二津辺莉と二津慎次の姉弟が知り合いとしているにはいるが。
いずれも偶々別のきっかけがあっただけで、それがなければ互いに顔すら知ることは無かっただろう。
と、そんな風にぼんやりしている播凰を前に。
期せずして重々しい話をすることとなったからか、紫藤はそこで一つ軽く息を吐くと。
近くに立つ播凰と、そして首を回して部屋の壁際を見やる。
「晩石も、聞いていましたね?」
「は、はいっす!」
ガチガチに緊張した声を出したのは、二人から少し離れて隅に立っている晩石毅だ。
播凰の性質を知る数少ない人物であることから、同席を許されている。
播凰の――覇の術のお披露目、とでも言えばいいのか。
要するに、今日彼らがここに集まったのは、それが理由であった。
「――さて、少々脱線はしましたが、準備を。流石にもう、天能武装は自在に出せるのでしょう?」
「うむ、それはできるようになったが……」
紫藤に促されて、播凰は杖を出す。
まだ少々ぎこちないが、取り敢えず自由に仕舞ったり取り出したりはできるようになっていた。
だがそこから詠唱に入る素振りを見せない播凰に、紫藤は片眉を吊り上げる。
「よもやここまで来て、嘘だったとでも?」
「いや、そうではない。ただ、誰かに術を打ってもらわないと駄目なのだ。何せ私の術は、相手の術を打ち返すというものだからな」
口頭で術の詳細を聞き、吊り上がっていた紫藤の眉が、今度はそのまま下がった。
「……術を打ち返す? それは……どのような性質の術でも?」
「うむ、ただし天放属性に限るが」
「…………」
どうやら新術は、名門校で教鞭を執る紫藤をしても困惑を隠せなかったようで。
眼鏡を光らせ、顎に手を当てながら探るように彼女は無言となって播凰を見据える。
「――分かりました、それでは私が術を打ちましょう」
ややあって、再度紫藤が手を翳せば、出現していた人型の物体は音も無く消失し。
彼女自身が代わりを務めるように、その位置に移動し、薄紫色の杖を出して構えた。
既に天能武装を出していた播凰もまた、紫藤に相対するように向き直る。
「ある程度の加減はします。ただし威力なども確かめたいため、それなりの術を打つので決して油断しないように」
「うむ! なんなら、加減など考えずとも構わぬぞ!」
「……言った側から、そのような態度を」
これが挑発や冗談の類であれば即刻、紫藤は叱責していただろう。
そもそも紫藤の性格を鑑みてそのような言動をする命知らずがどれだけいるか、という話ではあるが。
しかし問題は、陰鬱なく笑うその問題児に、その気配が見られないことか。
そして紫藤もまた、彼をただの問題児と切り捨てられないのが現状。
「では、行きます……」
――もっとも、だからといって全く立腹していないということにはならないのだが。




