32話 張り子の王様
リュミリエーラ前に集結していた全員の動きが止まるまで、さしたる時間は要さなかった。
得意げに指示を出した笠井も、それを受けて術を放とうとしていた彼の手下達も。
そして音によって足を止められていた播凰も、術が解除されてなお耳鳴りが残る状態であったため一拍遅れて。
『しかしまあ、それも詮無きことというもの。力には見る物もあるようだが、それを加味したとて論外。……ああ、凡俗の徒であるならばそれでも構わんだろう。だが、仮にもその座に座ったのであれば――我等がそうとあっては、下々に示しがつかぬというもの』
まるで時が止まったかのような中にあって、変わらずその声は場にいた面々の耳に届く。
「誰だ!? 何処にいやがるっ!?」
最初に大きな反応を見せたのは、笠井。
気分のいいところを邪魔されて虫の居所が悪そうに、取り巻き共々声の主を探そうと周囲を見回している。
「この声は……」
声の主の姿が見えない、という点では播凰もまた笠井達と同じだ。
しかし明確に異なるのは、彼にはその声に聞き覚えがあったということ。
『客将。――ああ、敢えてそう呼ぶが。お前の元の世界での立場は、大方見当がついている。であるからこそ、余は少なからず落胆したものよ。この大魔王たる余と等しく誘いを受けたのが、この程度の者なのかと』
それが誰に向けて放たれている言葉なのかは、問うまでもなかった。
『何せ、まるで王気というものが感じられない。仮にその地位を捨てることを望んだのだとしても、その以前までは王たらんと振舞っていたのであれば、そこまで空虚となるはずもない。――で、あれば。お前は、たまさかその座を継いだに過ぎず、所詮は飾りに過ぎなかったのであろう。そうなるに至った事情は知らんし興味もないがな』
顔見知りであるということが必ずしも仲間である、ということにはならないが。
少なくとも、この声の主である万音が――大魔王が、この場で播凰の敵になる理由は無い。
しかし飛んでくる言葉は、多大なる呆れを含み。剰え貶してすらいた。
『いかに邪知暴虐の王であろうと、謹厳実直な王であろうと。余人にとっては対照的に語られたとしても、その後世に評価という天秤が大きく傾いたとしても。王たる両者の根幹には、必ず共通しているものがある。しかし――』
だが、それでも播凰が大人しく聞く気になったのは。
『――お前は、そこらの凡百とそう大差がない。何か分かるか?』
彼にしては珍しく、その響きの中に僅かな。僅かな欠片程なれど、真摯さがあったからだろう。
『即ち、強烈な欲だ。個でありながら国を、土地そのものと住まう者共を治めるという、一つの身に余る大望。それが暴君だろうが名君だろうが関係は無い。己だからという唯一にして絶対の理由を以て許されるという我が侭、己こそが最も強く富ませられ世をよき方向に導けるのだという傲り。そら、これを強欲と言わずしてなんと言う』
「……欲」
端から、解答を期待していたわけではないのか。
問いを投げておきながら播凰が答えるのを待つこともないまま、大魔王は悠然と言葉を紡ぐ。
『故に、自らの意思で進みそれに座った者には必ずあるはずのそれが、お前には無い。事実、あの時の妥協がそれをむざむざと示している。……愚かにも女勇者なぞに術の助言を求めた時、お前はこう言っていたな?』
――であれば仕方ない、使えるようになるまで待つしかないか。
一瞬、播凰は何の事を言われているか分からなかった。
だが天能術に関して、播凰がその相談を持ち掛けたのはほんの一握り。かつ、万音がその場にいたタイミングというのは限られる。
つまり、覇という性質が発覚した後。万音と共にリュミリエーラを訪れ、ジュクーシャに相談した時だ。
そして、確かに言った。使えないのだから仕方ないと。
『殊、我等の領域にあって、己が指針たる欲に対し妥協というのは許されぬ。無論、常に最善の手を指せるわけではない。状況というものは千変万化であり、一時を切り取れば最善であるとしても後々を見れば悪手、逆に悪手が妙手に転じることも珍しくはないのだからな。故に、我等に求められるは最悪を引かぬことであり、だからこそ妥協はその綻びとなり得る。元より王というのは、その一挙手一投足すら配下の、民の羨望となるべき存在。なればこその欲であり、引いては進む道である』
言葉は一旦そこで切られ、刹那の静寂が訪れた。
それは播凰に時間を与えてくれていたのだろうか。
理解する時間を。整理する時間を。
或いは――。
『翻って。お前は己が道を歩いてすらなく、そも立ってすらいなかった。故にこそ、余はお前が同じ位階にある存在と認めん。最低限の敬意を表して客将としてやったがな』
――次なる言葉を受け止めるための時間を。
試すような、突き付けるような声は、明確に播凰を下と断じていた。
『――さて。これ以上は、余が言葉を尽くして語ることではなく、また義理もない。その地位を捨てたが故に不要だと主張するのならそれもまた一興。そのまま無様を晒し続けるがよい。……だが、珍しくもこの大魔王たる余が金言をくれてやったのだ。努々、それを心に刻め』
反論の余地すらを与えず、言いたい事だけを言って。
始まりと同じように、その声はいきなり終わりを迎えた。
「…………」
姿が確認できなかったとはいえ、その声の発生地点、即ちどこから響いていたかは凡そ分かる。
そのため、声が聞こえなくなった後も暫く無言で上空を仰いでいた播凰であったが。
「――大魔王とかいってたな。ってことは、あれか? あの時テメエと一緒にいたあのヒョロガリ野郎か?」
そんな声が横から聞こえて、そちらに向き直る。
播凰の視線が向いたのを理解したからか、笠井はフンと鼻を鳴らし。
「テメエらのあれは見たぜ。実に馬鹿馬鹿しい動画だった。あんなのが人気で話題になるたぁ、分からねえ世の中になったもんだ」
ペッ、と地面に唾を吐きだし、不本意だと言わんばかりに顔を歪める。
あれというのはつまり、この商店街レビュー配信のものだろう。成る程、それを見たならば線を繋げるのは難しくない。
「んで、テメエが客将だったか? ……ハッ、王だのなんだの訳分からねえことばっか言いやがって。ネット上でくだらねえキャラに成り切ってるのは勝手だがな、王様ごっこを現実に持ってくるんじゃねぇよ」
「……王様ごっこ、か。言い得て妙だな」
笠井が意図して揶揄したわけではないとはいえ、播凰にとっては耳に痛い言葉ではある。
確かに播凰は王であったが、大魔王が指摘した通り飾りでしかなかった。王様ごっこというのは正鵠を射ている。
とはいえ、だ。
王が事実上の実権を握っていない――身も蓋も無い言い方をすれば、傀儡の王など歴史上そう珍しいものでもない。
また、君臨すれども統治せず、という政体があるように最高権力者として王が存在していてもその治世の差配は別の人間である例もある。
それだけでいえば、播凰だけが王に非ずとされる謂われはなく、そもそも良し悪しという観点すら曖昧。
時代、そして世界。異なる環境にあって異なる価値観が生じるなど至極当然のことなのだから。
であるからして、大魔王の言は一理はあったとて、それが全てではない。
「にしても、どうやったのか知らねえが、俺の音の網を搔い潜ってきやがった。ちょこまか動かれても面倒だ、遊びは終わりにしてさっさと片付けねえとな。……チッ、渋々こんだけ連れてきたが、僥倖だったってわけか」
――では、ないのだが。確かにその言葉は、播凰の中の何かを揺さぶっていた。
だからこそ、今がどういう状況かを忘れて反応が遅れた。
「音介・不協奏騒!!」
再び、音の術が播凰を妨害し。
「おい、交代で撃ってたんだ、多少は天能力も回復してんだろ!? 遠慮はいらねぇ、さっきまでの手緩い術じゃなく、一斉にデカいのをこのガキにお見舞いしてやれや!!」
笠井の号令に、左右二人ずつ展開していた術者四人も動く。
放たれるは、先程までの倍以上はある大きさの火球。
その数、四つ。暗闇を赤々と照らし、攻撃的な色を伴って左右から播凰目掛けて襲い掛かる。
術の詠唱は、相変わらず笠井の術の範囲外からのためか聞こえない。
だが、見掛け倒しではなく、笠井の指示した通り手緩い術ではなかった。
今までの小さな――といっても人の顔ほどはあった――火の球は、播凰の身体にぶつかれば僅かな火の粉を散らして霧散していたのだが。
――ゴウッ!!
妨害で硬直した播凰を包み込むように、火柱が噴き上がる。
一つだけではそうまでいかなかったのかもしれないが、単純計算すれば四倍の威力。
さながら、炎の牢というべきか。火球は播凰に接触すると激しく燃え盛り、彼を炎の中へと閉じ込めた。
チリチリ、と。炎が肌を焦がす。
一瞬にしてその場を熱が支配し、空気を揺らめかせる。
「……強烈な欲、か」
だが、そんな周囲の温度に対して。自身を中心として躍る炎に対して。
播凰の心は、静謐であった。
――自身が飾りの王という自覚はあった。
王となってからは、文字通り王の座に――玉座に座っていただけ。国のことは全て他人、弟妹達任せであった。
とはいえ、初めからその心持ちであったわけではない。分からないなりに、最初は王として何とかしようとはしていたはずだった。
だが結果、自身が何をせずとも国は廻った。廻ってしまった。
次第に、王としてどうすべき、或いはしたいという思いがなくなっていった。そういった意味では、王として空っぽなのだろう。
道を歩いてすらなく、立っていない。真っ当な指摘だ。
――だが、決して無欲であったわけでは……。
未知の技術を知った。それが天能術と呼ばれるものであると知った。
故にそれをもっと知りたいと、自身も使ってみたいと、そう思った。
だからこそ、この世界に来たのだ。元の世界を捨てて。弟妹達を捨てて。
つまりそれは自身の、三狭間播凰の欲に他ならない。
そういえば、と。ふと思い出す。
妥協をしたと、彼の者は先程リュミリエーラでの出来事を持ち出したが。それ以前にも似たようなことを言った記憶がある。
自身の性質の正体を知った時だ。小貫夏美と軽い手合わせをした、あの時。
――ズルいとは言わへんな?
術を使うと宣言した彼女は何と言ったか。己は何を思ったか。
「……ふっ」
無意識に、笑みが零れる。
昔の話だ。王位を授かるよりも、自由に戦場を駆けまわるよりも、更に昔。
戦いの訓練に参加したいと申し出て、しかし幼すぎるからまだ早いと、そう止められたことがある。
その時に自身が何をしたか。
ズルい、と愚かにも指導役の兵に挑み、こてんぱんにされたのだ。
それから毎日のように挑んでは、こてんぱんにされた。今になって思えば、立場がなければそんなことも許されなかったのだろうが、それはさておき。
そうしてある日、訓練への参加を認められた。幼さという枷を強引に破壊し、自身で勝ち取った権利。
それが今、脳裏を過った。
使えないから、仕方がない?
使えるようになるのを、待つしかない?
――私は一体いつから、そんなに行儀がよくなったのだ?
ニィ、と口角が獰猛に吊り上がる。
燃え盛る炎に感化されるように、心は鼓動を響かせ全身に熱が巡る。
「……ズルい」
そうだ、狡い。
百歩譲って、火を起こすという事象だけを見れば、同じことが播凰にもできなくはない。
木を擦り合わせれば火は生じるし、なんならこの世界ではライターやコンロといった容易に火を起こせる道具もある。
だが、そういう問題ではないのだ。
詠唱一つで火を、様々ある性質を操る。
そんなの、やってみたいに決まっている。
「……うむ、ズルい」
狡いと思わないわけがない。
本来であれば、苦戦をすることはないであろう相手。
数の差という有利があって尚、播凰に決定打を与えることができない敵。
それでも均衡を保っているのは、偏に勝利条件の差。
彼らは壊す側で、播凰はそれを守る側。相手の出した条件により播凰は守勢にならざるをえず、だからこそ彼らは全員安穏と立っていられている。
もっともそれも反故にされ、己の馬鹿さによって完全に守るとはいかなくなったわけだが。
そんな彼らでも、明確に播凰より勝っている点。それこそ、天能術が使えるか使えないか。
特に笠井の音だ。視覚的には火に劣るが、それよりも効果的。しかも使い方も多々あり、騒音一辺倒ではない来た。
授業で同じクラスの生徒が術を放っているのを見ているが、その中に音の使い手というのはいなかった。
だからこそ、ワクワクする。
まだまだ見知らぬ術があるのだと、見知らぬ世界があるのだと。まだまだ己はワクワクできるのだと。
こんな思いを抱いたのは、いつ以来だろうか。
瞳を閉じて、すうっと深呼吸をする。
炎によって熱された空気――或いは火の粉ごと――を吸い込んだわけだが、それすら心地よく感じるのは己が昂っているからだろうか。
――ズルいぞっ!!
今以て播凰は、天能力というものは感覚がよく分からず、また天能武装も自由に出すことができない。
だが、それでも。
カッと眼を見開き、咆え。渇望する。
――それを私にも使わせろっ!!
「……流石にあんだけの炎を浴びりゃ、無傷とはいかねぇだろ。馬鹿な野郎だ、強情を張らなけりゃ自分だけは助かったかもしれねえのによ」
炎に包まれている人影を、そしてその中で微動だにしない人影を見て、笠井は嘲笑う。
さて、残りは物言わぬ建物一つ、それもただの喫茶店だ。堅牢な門も無ければ見上げるような城壁も無く、防御機構という概念自体がない。
攻略というにはあまりに容易いそれは、数分とかからず終わるだろう。
「おう、それじゃあ今度こそ――っ!」
故に、火柱から視線を外し。
散らばった面々に指示を出そうとした笠井であったが。
ふと、一際強い風が吹いたことにより、目を瞑り腕で顔を覆った。
が、それも一瞬のこと。遮られた言葉を出しなおそうとして、違和感を覚える。
目を瞑る前と、瞑った後の景色。
何かが違う気がした。大きな変化ではなく、されど決定的な何かが。
思い過ごしだと脳の大部分が占める中。片隅に小さく、しかし確かに。己の何かが警鐘を鳴らしている。
……何だ? 何を見落としてる?
目を皿のように視点を固定し。
訝るようにこちらを見返す視線も気にせず考えを巡らせ。
遂に気付く。
――視界の隅に、燃え盛る赤が無くなっている。
弾けるように、そちらを見た。
最早、気にする必要はないと。火によって呼吸すら苦しく、大火傷で碌に動けないだろうと切り捨てたはずの存在。
そこにその色はあった。
灼熱の赤ではない。闇夜にぼんやりと、しかし確かに存在を主張する銀。
先端には、暗闇に溶け込むような漆黒。
その姿に見惚れたわけでは断じてない。
「……っ」
半歩下がる。右足、その靴がジャリと音を立てたところで、笠井は遅れて理解した。
自身がその行動を行ったことを。無意識の内に後退して――否、させられていたのだと、本能的に悟った。
視線は合っていない。その者は目こそ開いているが、笠井の方ではなく別の方向を向いている。
衣服とて、その者だけがこの場でボロボロ。鮮やかな青緑の制服は見る影なく、度重なる火を受けて服としての本来の機能を損ない、所々地肌すら外気に晒している。
その様はといえば、一見すれば満身創痍とさえ言い表せられるだろう。
恐れるに足りぬ。そのはずだ。
だが、まるで縫い付けられたかのように。笠井はこれ以上ないと言わんばかりに、己が目を見開き。
故に、逃した。
天能武装たる銀色の杖を手にした、播凰の。
その口が、何と紡いだのかを。
「覇放――」




