20話 主役はまさかの
「――お待たせしました。ご注文のカレーライス、そして店主おすすめのビーフシチューでございます」
コトリ、コトリと控えめな音と共に、ジュクーシャがそれぞれの前に料理をサーブする。
播凰の前には、彼が頼んだカレーライス。万音の前には、店主であるゆりのおすすめであるビーフシチュー。
真っ白な陶器の皿によそわれたそれらは、仄かに、しかし確かに湯気を立ち昇らせ。食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐらせる。
「おお、来たか。では、早速いただくぞっ!」
待ってました、とばかりにスプーンを片手に、播凰はカレーの盛られた皿を笑顔で引き寄せて食べ始める。
「…………」
対して万音は、体勢そのままに皿を、その中にあるビーフシチューを睥睨するだけ。
ごろごろとしたお肉、それを彩る数種の野菜。こんがりとしたバゲットもついてきており、シチュー単品では勿論、バゲットと合わせればまた違った味わいが楽しめる。
播凰の注文したカレーと色合いこそ似てはいるものの、当然一緒ではない。播凰も前に注文して食べたが、非常に美味しかったのを覚えている。
「どうした、食べぬのか?」
「フン、評価するとなれば、余とて手は抜かん。そして料理というからには、舌で見定めることは勿論、目で愉しむことにも意味がある。もっとも今のところ、余が直々に評価するに値するほどとは思えんがな」
三口、四口、と播凰が手を進めたところで、ようやく万音もスプーンを手に取った。
その際のチクリ、とした物言いにジュクーシャが肩を震わせるが、なんとか堪え。気が進まないながらも、万音の様子を伺う。
「…………」
しかし、彼は何も言わない。表情も全くといっていいほど動かない。
意外であったのは、ピッと背筋を伸ばし、僅かな物音すら立てることなく食事を進めていることだ。
洗練された手つき、とでも言えばいいのだろうか。長身ということもあり、余計にそれが映える。
播凰の場合は、ガッチャンガッチャンというほどではないが、食器同士が時折ぶつかり合って甲高い音を奏で。なんなら、カレーのルーに塗れた少量のご飯粒をテーブルに落としてさえいる。
まるで対極。
これで彼の口から嫌みの一つでも飛んでいれば、ジュクーシャも憤慨して取り合っただろうが。彼女にしては珍しく、いつもと違う雰囲気の万音を前に、固唾を呑んで見守らざるをえなかった。
結局、そのまま時は流れ。
「うむ、今回も美味しかったぞ!」
「…………」
口周りを少し汚したまま満面の笑みで食事の感想を述べる播凰を前に、口元を静かにナプキンで拭った万音は終ぞ何も言わなかった。
とはいえ、播凰の皿は勿論、万音の皿にも残りはなく、完食されている。これはもしや、と少々期待した面持ちで万音を見るジュクーシャであったが。
「何をしている? 疾く、次を持ってこぬか」
「え……あ、は、はい、ただいま」
何の感慨もないように催促する万音の言葉に、暫し呆けるも。空となった容器を回収し、厨房に戻っていく。
「どうだ、大魔王よ? 美味であったろう?」
「美味、か。この程度でその感想が出るあたり、貴様の世界の食は相当悲惨だったと見える」
「うーむ、食べる事に困っていたわけではないが……そう言われると、味はあまり意識したことはなかったか」
腹を満たせればよい、というのがこの世界に来るまでの播凰の食に対する考えであった。
だが、最強荘に住みはじめた、その初日。毅の案内でコンビニで適当に食料を調達し、自室で一口含んだ瞬間に、それは吹き飛んだのだ。
つまり、万音の指摘は真っ当といえば真っ当。馬鹿舌というわけでもないが、播凰は割と何でも美味い美味いと食べる、甘口採点。
とはいえ毅や辺莉達はリピーターとなっているし、固定客もそこそこいることから、リュミリエーラの食事は一般的に見ても美味しい部類には当たるのだが。
と、そんなこんなをしている内に、ジュクーシャが二人の元へと戻ってくる。
今度は何故か、ゆりとアルバイトの女性店員も一緒だ。
「デザートのチョコレートケーキと、こちらはチーズケーキとコーヒーでございます」
播凰の前にチョコレートケーキが、万音の方にはチーズケーキとコーヒーが。
ドリンクは既にコーラを飲んでいるため、播凰には無しである。
来た来た、と早速ケーキを頬張る播凰とは違い、万音はまたしても値踏みするようにデザートに目を落とし。
ややあって、チーズケーキの先端を切り、口に含む。それを淡々と嚥下した後、ソーサーから持ち上げたコーヒーカップを静かに傾ける。
一連の所作を見た女性店員が、ほぅ、と小さく息を零した。その頬は微かに赤みがかっており、熱の籠った視線を万音に向けている。
ゆりもゆりで感心したような顔、とでも言えばいいだろうか。少なくとも、万音を見る目に、店の入り口の時にあった戸惑いの色は隠れ。
なんというか、とても様になっているのだ。
元々、万音の容姿というのは整った部類ではある。一度口を開けば、幼女だの管理人たんだの眉を顰めるような発言が飛び出し、加えて高笑いのせいで色眼鏡で見られるというか、フィルターがかかるというのがあるが。
高身長で痩せぎすの体躯に、少々青白い肌。
黙っていれば、陰のある妖しい魅力の男性に映り。優雅なティータイムを思わせる流麗な所作は、まるで絵画から抜け出たようであった。
「……お食事は、ご満足いただけましたでしょうか?」
ビーフシチュー同様、万音は一言の感想もリアクションもなく、ドリンクとデザートを食べ終えた。
それが心配であったのか、はたまたおすすめということで提供したために聞くべきと判断したのか。
店主のゆりが遠慮がちに、ソファーに身を預ける万音へと尋ねる。
播凰に聞かないのは――まあ今に始まった話ではなく、食事中も食事後も美味いと騒いでいるから改めてするまでもなかったのだろう。
ジュクーシャも無言ではあるが緊張しているのか、ゴクリと喉を鳴らす。
ちなみにアルバイトの女性店員は、テイクアウトの客が来たことでそちらの対応のため離れている。
万音は、ゆりの問いかけに、彼女の顔を見ることもせず。
「食えぬ、というわけではないが、態々時間をかけてまで来る価値は見出せんな」
バッサリと、切り捨てた。
なっ、とそのあまりな言い様にジュクーシャがいきり立つ。
しかしそれを横目で見ることもせず、万音は言葉を続けた。
「――が、宅配であれば、偶になら頼んでやらんでもない」
「……え、ええと、そういうのは、うちはやっていなくて」
「フン、客が少なくなったのはそういうところにも要因があるのではないか?」
「言われてみれば、そうねえ……うちでもできるのかしら」
「今時、宅配サービスの利用など当たり前であろうに」
万音とゆりで会話が続き、播凰とジュクーシャは蚊帳の外。
憤慨したはいいものの、その感情の行き場を失くしたジュクーシャが、二人の顔を交互に見ている。
と、いうか。
「宅配、というのはなんだ?」
播凰に至っては、それが何なのかすら理解できていない。
「誠に貴様は無知よな。このような場所まで来ずとも、食事を運ばせ、自室などで食べることだ」
「食事を運ばせる……?」
挙手をして率直な疑問をぶつけた播凰に、やれやれと頭を振った万音が答えを返す。
最初こそ、言葉の意味がすぐに理解できない播凰であったが。
「……おお、成る程! 我が弟妹達が、玉座まで食事を持ってきてくれたようなものだな!」
ポン、と手を打ち、うっかりそう零した。
彼としては、心当たりがあったため、思わず口に出してしまったわけだが。
玉座? と右に首を傾げるゆりは当然として、万音とジュクーシャから注がれる無言の視線に、失言したことを遅まきながら理解し。
「オホンッ、いやなんでもないぞ! して、大魔王。あの話はどうなるのだ?」
誤魔化すように咳払いをして、万音に話を振る。
大魔王? と今度は左に首を傾げるゆりであったが。
「元よりさして期待はしていなかったが、高級店でないことは百も承知。とはいえ、一般庶民にとっては充分であろう」
「ふむ、つまり?」
「仕方あるまい、及第点はくれてやろう。――さて、店主よ」
「な、なんでしょう?」
万音に呼びかけられたことで、佇まいを直す。
中々失礼なことを言われていたわけだが、咎めないのは寛容さ故か、はたまた困惑があったからか。
「余は、動画配信者である。そして、そこもとの播凰の思いつきにて、管理人たんのお気に入りのこの店の宣伝を、余の配信にて行おうと思う」
「は、はあ……」
「ゆりさん、この者――彼の動画は、認めたくはありませんが人気がありまして。もしかすると、少なくとも数十万人には見てもらえる可能性も」
「数十万……それは、凄いわね」
万音の宣言に、よく分からないといった顔をしていたゆりであったが、ジュクーシャの補足により驚きの声を上げる。
無論、数十万人に視聴されたとて、その全てが客として足を運んでくれることは確実に無い。
しかし、数十万である。それも、少なくともであり、もしも話題となった場合はそれ以上になるかもしれなかった。
「が、無論強制はせぬ。店主が断るのであれば、この話は終わりだ」
「……おお、そうか、ゆり殿の意向も確認せねばならなかったか! だが、私は是非とも店を続けてもらいたいぞ!」
断られることなど考えていなかった、と言わんばかりに大きく頷く播凰であったが、次の瞬間にはキラキラとした目でゆりを見る。
そこにあるのは期待。言葉にした通り、ゆりに店を続けて欲しいがための善意で動いたことが伺える。
その純粋ともいっていい視線を受けたゆりは、しかしすぐに答えを返すことはなかった。
「…………」
あるのは逡巡。とはいえ、突然の提案ともなれば困惑するのも無理はないだろう。
故に、誰もが急かすことなくその回答を待つ。
と、ふと、ゆりがじっと播凰の顔を見た。
「ありがとうね、播凰君。そこまでこのお店を気に入ってくれて」
「うむ、ゆり殿の料理は美味だからな。これからもチョコレートケーキを食べられるのならそれで私は満足だ」
軽く言葉を交わし、ふわりと微笑む。
ややあってゆりは、深く息を吸って、頷き。
「……よろしく、お願いしてもいいでしょうか?」
「よかろう。成立だ」
ニヤリ、と万音がそれを受けた。
「では、詳しい話に移るが。店主よ、ここに来るまでに、駄菓子屋と玩具屋が開いていた。その店の者とは知り合いか?」
「え、ええ。駄菓子屋のおばあちゃんと、玩具屋のおじさんのことなら」
「ならば丁度よい。駄菓子屋にて菓子を吟味し、玩具屋にてゲームを見繕い、最後にここで食事とするか」
「ほうほう、面白そうだな! 動画を見るのを楽しみにしているぞ!」
リュミリエーラと同じく、商店街の中でも開いていた数少ない店も含め、万音がプランを組み立てる。
どのような動画になるのだろうな、と視聴する気満々でわくわくを隠さずに播凰が声を上げれば。
訝し気な顔となった万音は、至極当然のように言ったのだ。
「何を言っている。今回の主役は――客将、貴様だ」
ぱちくり、と目を瞬く播凰であった。
――――
「――聞いたよ、播凰にい! ゆりさんのお店を動画で紹介するんだって!?」
まだ仕事中であるジュクーシャを残し。
食事を済ませ、ゆりと話をしてきた播凰と万音は最強荘に帰ってきた。
すると、まるでそれを見計らったかのように。敷地内にある小屋――晩石毅の住んでいる場所の扉が開き、中から辺莉が飛び出して、一直線に二人の前にやって来た。
その後ろから、遅れて毅もばつが悪そうに歩いてくる。
「相変わらず、喧しい小娘だ。もっと若い時に出直してこい」
「ひっどーいっ! アタシはまだ十代なのにーっ!!」
「フン、播凰よ、後は任せるぞ」
そんな辺莉を適当にあしらい、万音はさっさと部屋に戻っていく。
「すみませんっす、播凰さん。播凰さんのことを聞かれたもんで、うっかり喋っちゃったっす……」
ぺこぺこと、すまなそうに頭を下げる毅。
押しに弱い彼のことだ。大方、ポロっと口にしてしまい、そのまま誤魔化せず正直に話してしまったのだろう。
「うむ、それは別に構わぬが」
「それでそれで!? もう撮ったの!? いつ投稿されるの!?」
特別隠すことでもないので、播凰が問題無いとそれを許すが。
辺莉は勢いを衰えることなく、密着せんばかりに播凰に近づき、怒涛の質問。
紹介動画をもう撮影したのか、そしてそれはいつ見れるようになるのか。言葉にこそしていないものの、毅も気にはなっているようで。
「いや、それが……」
しかし、播凰の歯切れは悪かった。
隠されていた――辺莉の勘違いである――こと。
そして今なおはぐらかそう――あくまで辺莉にはそう見える――とされていること。
その事実に、むうっと両頬を膨らませる辺莉であったが。
「今度の休みに、レポ? だか、ロケ? だかを私もやるらしいのだ。あー、なんといったか――そう、らいぶ配信とやらで」
「へ? ……ええーっ!」
自分のことのくせしてよく分かっていなさそうな播凰の言葉に、第三者でありながら当人よりも状況を理解した辺莉は、驚きの声を上げる。
その後ろで、大丈夫なのかと早くも不安を抱き始める毅なのであった。




