15話 三狭間播凰の待望の一日(4)
刹那の沈黙。
最初に口を開いたのはやはりというべきか、当事者たる播凰であった。
「ふむ、覇の性質……」
何日、何十日とも待たされ、ようやく判明したその性質。
喜ぶべきことであるというのに、しかし播凰はそれをおくびにもそれを出さず。むしろ思案する様に口元に手を当て、告げられた内容を反芻する。
「――待ってください、夏美。……いえ、貴女の天能についてはよく知っていますし、普段の冗談はともかく、そのような嘘を軽々しく言わないであろうことも承知しています」
次いで声を上げたのは、紫藤。
紡がれる言葉は若干早口で、誰かへと向けたものというよりは、まるで自身に言い聞かせるかのよう。しかして微かに震えたその声色が、紛れもない彼女の動揺を示しており。
言葉を区切り、一呼吸置いた紫藤は、念を押すように。
「その上で――それは、間違いではないのですね?」
「間違いあらへん」
小貫の短い即答によってそれ以上問答は続かず、紫藤の唇がキュッと結ばれる。
「覇の性質……確か、昔に本で読んだことがあるような気がするっす」
「奇遇だな、毅よ。私もつい先日、図書室で読んだ書物に載っていたのを見た」
思わず、といったように呟かれた毅の小声。
本人も無意識であろう内に零れたそれは、注意せねば容易に聞き逃す程度にはか細いものであったが。
耳聡くそれを拾った播凰は頷きながら、己の記憶を思い返すように目を瞑る。
実は播凰、「覇」という性質が存在することを知っていた。
ではどこで知ったかというと、言葉にした通り、本で。初めて学園の図書室を訪れた際に、たまたま遭遇した一年生総代――星像院麗火に勧められた図鑑。そこに記載されていたのを見たのだ。
だが、存在自体は知っていたものの。覇というのがどういう天能なのか、どういった術が存在するのか。それを知ることはできなかった。
なぜなら、書物によれば――。
「覇の性質。旧くから存在したとされるっちゅー性質でありながら、実際にその詳細は殆ど現代に伝わっておらんとされとる」
「ええ。情報の不確かさ故、過去度々、その存在を疑問視されてきた性質の一つ。……ただし、その性質を保持していたのでは、とされる人物は記録上では確かに存在します。あまり多くはありませんが、古代の――それこそ神話や伝承に名を残すような傑物であったり。それ以外でも、戦乱の世でその名を大きく轟かせた偉人の数名、日本においては例えば戦国時代の高名な武将の幾人かもそうであったのではないかとされていますね」
そう、小貫と紫藤が口々に述べたように、情報があまりにも無かったのだ。
あったとはされている。しかしそれだけだ。どのような術があるのかは後世に伝わっていないと、たったそれだけが書には記されていたのだ。
「……数少ない記録によれば、覇の性質持ちが一人でもいれば、個で劣勢を覆すことも容易く。戦局をも左右する大きな力、でしたか。真偽は定かではありませんが、強力な性質である可能性は高いでしょう」
「ウチの、探の性質も結構希少な部類やけど、流石に覇には敵わへん。言うなれば、伝説の性質、世紀の大発見っちゅーやつやな。こりゃ、えらいこっちゃやで。ウチなんか驚きのあまり、一周回ってむしろ頭が冷えたくらいやわ」
「私も似たようなものです」
紫藤と小貫が難しい顔をして、揃って播凰に視線を送る。
だが、それを受けて尚、播凰は思考の中にあった。
「……しかし、そうか。覇、か……」
しみじみと、改めてその単語を口にする。
一通り図鑑に目を通したものの、無論その全てを覚えられたわけではない。播凰が単純に頭を使うのが苦手というのもあるが、性質には実に数多くの種類が存在していたからだ。
では、その中でどうして覇の性質が播凰の頭に残っていられたのか。
自問するまでもない。かつての己の呼び名、それを想起させたからに他ならなかった。
「が、分からんかったことがある。アンタ――三狭間、やったか。こうして性質が判明したわけやけど、何の術が使えるか把握できとるか?」
「む? いや、それはむしろこちらが聞きたいことであったのだが。どういうことだろうか?」
と、そんな播凰の思考を、眉根を寄せた小貫からの問いかけが中断させる。
その意味が分からなかった播凰は、パチパチと目を瞬かせて問い返した。
「ウチの術で探れるのは、なにも性質だけやない。その気になれば、他にも色々と――いや、まあその話は今はええか。ともかく、普通ならその人が現時点で何の術を使えるかまでキッチリ分かるはずなんや」
「おお、それは便利だな。して、私は――覇の性質の術というのは、何ができるのだろうか?」
「分からん」
明らかに矛盾した発言に、ん? と播凰は首を傾げる。
だが、小貫は至って真剣な顔であった。適当でも、ふざけているようでもない。
とはいえ、そうとなっては困ったのは播凰の方だ。自然とその目が、大人組の片割れであり、自身よりも知識を持つ教師である、紫藤へと向かう。
彼女は、何とも言えないような顔でその視線を受け止めると、短く息を吐いた。
「……基本的に、天能術というのはただ呪文を唱えれば発動する、というものではありません。当然ながら、その者の資質――要するに術者がその術を使えた上で、相応の天能力を消費することで初めて発動を可能とします。ここまではいいですね?」
「うむ、勉強したぞ」
「結構。では術者が、何を以て術を使えるとするか。それは、他ならぬ術者自身が知っています。……本能的に、とでも言えばいいのでしょうか。つまり本来は、術者――君が自分で行使可能な天能術を理解していないとおかしいのです」
「成る程。しかし、何の術が使えるのか私には分からないのだが?」
「ええ、ですから……恐らく、今の君に使える術はないのかと」
教師という職業故か、或いは相対している生徒が播凰だからか。いや、両方だろう。
紫藤は理解度を試すようにしながら、分かりやすく簡潔に、播凰の求める答えを口にする。
「その様子やと、ウチが分からんかったのも無理ないな。使えないわけやから、無いモンは無い。むしろ、分からんことが正解やったっちゅうこっちゃ」
「一応、性質が判明していても、行使可能な術が一切無いケースはあります。幼すぎる子供だったり、単純に能力的に不足している者だったり。前者は、身体と天能力共に未成熟であるために別段珍しいことではなく、後者は……まあ、そのままの意味ですが」
愕然とする播凰。
それはそうだ。折角、性質が判明したと思ったらこれなのだから。
覇、という性質の正体に思うところは、正直あった。だが、それはそれ。天能術を使いたいという気持ちは揺らぐことなく、変わらず渇望していたというのに。
ガクリ、と播凰が膝を突きそうになった、その時。
「せやったら、まあ――取り敢えず、ウチと軽く手合わせしてみんか?」
「……ぬ?」
唐突な戦闘の提案。顔を上げた播凰が見たのは、ニッと破顔する小貫の顔で。
話の繋がりなどあったものでなく、これにはさしもの播凰とて意表を突かれ、ぼけっとそれをただ見つめるばかり。
「…………」
こういう時に真っ向から声を上げそうな紫藤は、しかし渋い顔こそしているが、意外にも無言。
「う、うむ。戦いを挑まれたなら、断る理由はないが……」
「ほっほー、言うやんか! それでこそ、男の子やで! 丁度修練室にいるわけやし、ええやろ、綾ちん?」
「……完全に賛同はしませんが、全くの無意味でないことも認めます。しかしですね――」
小貫が同意を求めたことにより、不承不承と言ったように口を開く紫藤。
だが、全てを言い切る前に。余計なことは言わせまいと。
「心配せんでも、大丈夫やって! ――ちゃあんと、手加減するから!!」
カラカラと余裕の笑みを見せ。手を振ってアピールをすると共に、小貫はそう言い放った。
「……ほう」
播凰の声に、火が、戦意が宿る。
先程までは予想外なタイミングでの想定外な提案であり、いかに好戦的な播凰であろうと困惑気味――それでも受けるには受けたが――にならざるをえなかったものの。
……まさか、正面切って手加減するなどと言われる日が来ようとは。
怒りはない。むしろなんというか、初めての感覚で感慨深いものがあった。
そうとなれば実に単純なもので、播凰の胸が期待と楽しみで膨らむ。それこそ、つい数瞬前まで萎んでいたことなどすっかり忘れてしまうほどに。
意識せずとも口角は吊り上がり、わくわくとした笑みを形作る。
そんな播凰の様子に気付いたのか。
「なんや、随分ええ顔するやないの。ま、表立って手加減言われたわけやから、気持ちは分からんでもないわな。……けどな、それは堪忍や。ウチかて職業柄、天能の関わる大きな事件やら犯罪者やらを日々相手にする身でな? 言い出しといてあれやが、学生相手なら手加減の一つもせんと、まともな戦いにならんのやわ」
面白がるように、小貫は飄々とした様子でそれを受け止め。
「それにな、如何にヤバイ性質持ちやろうと、術が使えなければ意味がないってもんや。――ウチが少し、ほんの少ぉーし小さいからって……舐めたらアカンでぇ?」
朗らかな表情ながらも、ドスの利いた声で圧をかけるように播凰を見据える。
身長については、別に誰も言及したりしてはいないわけだが、自分で言うからにはかなり気にしているのだろう。
それはともかく返答代わりにと、笑みを深くすることで播凰は応えた。
「……いいでしょう。審判というわけではありませんが、万一の場合は私が止めます。お互い、大怪我には気を付けるように。晩石、ぼーっとしていないで、少し下がりますよ」
「は、はいっす!」
仕方ない、といったように注意だけ呼びかけた紫藤が、話の流れについていけず半ば空気と化していた毅に声をかけ、両者から距離を取ろうとする。
が、その直前に小貫の方へと振り返り。
「それと、夏美。……学生相手とはいえ、あまり甘く見ないように。或いは、足を掬われるかもしれません」
「へえ、綾ちんがそこまで言うんか。そりゃあ、楽しみやわぁ」
言い淀む、というより言うか言わまいか悩むような仕草をしたが、最終的に警告を発した紫藤。
対して小貫は軽いノリで返し、好奇の視線で播凰を見る。
さあ、そこでバチバチと二人の視線がぶつかる――かに思えたが。ここで何故か播凰、紫藤へと顔を向けていた。
「……何でしょうか、三狭間」
「紫藤先生、私には何かないのか?」
「……くれぐれも、無茶はしないように」
「了解だ!」
それに気付いてしまったのが運の尽き。
ジト目となる教師に、気付いているのかいないのか元気よく返事する生徒。
旧友のそんな姿を、小貫は肩を震わせて見守っていた。
「ププッ! ……よっしゃ! ほな、戦ろか!」
ようやく、とでも言えばいいのか。播凰と小貫の両者が、それぞれ向き合う。
小貫の天能の性質である、探。授業で見たことがないので、少なくとも播凰の所属クラスにはその性質の保持者はいない。本人が言っていたように希少な性質らしいので、もしかすると学園全体を見てもいない可能性はあるだろう。
術は、先程受けた――といっても播凰がよく分からぬまま終わったが――のが一つ、後は不明。
響きから、探ることに特化、というよりそのものなのだろうが、果たしてどんな戦いとなるのか。
胸を躍らせながら、播凰は構える。
「先手は譲る、いつでも好きに来てええで。けど、その前に」
小貫は自然体で立ったまま、ニヤリとして告げた。
「新しい術っちゅーのは、何をきっかけに使えるようになるか分からへんもんや。せやから、まずは己の性質を――覇を意識して戦ってみぃ」




