4話 中等部の二人
「ふむぅ。改めて見れば、やはり不思議なものだな。動いている自分を見るというのは」
学園から帰り、最強荘四階の自身に与えられた一室。
制服のままベッドに腰掛け、件の動画を視聴しながら播凰は呟いていた。
顔こそ見えてはいないが、この情景、この動き、この台詞は明らかにあの時の己のもの。
元の世界では姿見などの鏡の類――自らの姿を見ることができる手段というのはあったが、動きを含めて残すような物も技術もなかった。
つまり、自身を第三者の視点から客観的に確認するなどということはできなかったわけだ。
だからこそ、それができるということに不思議な気持ちはすぐには抜けず、妙な気分を抱かせる。
「……やはり、一先ずジュクーシャ殿に直接話を聞いてみるとしよう」
何度か繰り返し見ていたそれの画面を消し、ベッドから立ち上がる。
話を聞くのであれば、この動画を撮影、配信したVTuberの大魔王ディルニーン。即ち、一階の住人である一裏万音を訪ねるのが手っ取り早いのであるが。
しかし、播凰は万音に来訪の許可を貰っていない。つまり、一階に行くことができない。
そこで、四階の住人、四柳ジュクーシャである。
彼女も、何故だかあの場にいた一人。となると、話を聞く価値はある。
そして問題の訪問に関しては、以前天能について教わったこともあり既に四階に行く許しを得ている。
そうと決めたら早速行動に移そうと、播凰は自室を出た。
エレベーターに乗り込み、四階を押す。
階層はすぐ一つ上。何かを考える時間もなく、到着を知らせる音が響いた。
廊下に足を踏み入れれば、夕日によって『4』の数字が橙色に照らさせている。
夕食には少し早い時間帯なので、彼女は留守かもしれない。ただ、そうだとしても出直せばいいだけの話。
軽く考え、ジュクーシャの部屋の扉までを歩いていた播凰であったが。
「それじゃ、ジュク姉! またねーっ!!」
「……さよなら」
正にその扉が開き、二つの人影が出てきたのを見て、思わず足を止める。
元気よく、開かれた扉に向けて手を振っているのは、播凰より少し年下と思しき少女だ。
リアクション同様の溌剌とした笑顔を浮かべ、ショートカットの髪を揺らしている。
そしてもう一方。こちらは少女と異なり、扉に背中を向けて顔だけを振り返っている、同じく年下と思しき少年。
少女の元気に押し負けてほぼ潰されそうな声量に、片足の爪先をトントンと床に当てて靴を履く仕草。素っ気ないともいえればクールであるともいえる。
「ええ、二人共。さようなら」
一拍遅れて、ジュクーシャが扉から姿を覗かせた。
少女ほど元気よくはないが、彼女もにこやかに軽く手を振り返していた。
「……っ!」
まずこちらに気付いたのは少年であった。
当然、帰り道たるエレベータへ足を向けようとしたのだろう。
一歩踏み出した、すぐ後に。直線上にいる播凰の姿に気付いたのか、そのままの不自然な体勢で固まった。
「わきゃっ!? ――ちょっとー、何止まって……?」
次いで、少女が。碌に進路を見ぬまま体を動かし、止まっている少年の背中に顔をぶつけ。
抗議の声を上げつつ、その最中に播凰を認識したのか目を丸くし。
「……播凰くん?」
最後に、ジュクーシャが。
こちらを向き、少し驚きを露わにして小首を傾げる。
「うーむ……」
こういう時、何と言えばいいのだろうか。
その答えを持ち合わせていなかった播凰は、腕を組み。しかし結局、答えが浮かぶことはなかった。
「へーっ! じゃあじゃあっ、あの動画に映ってたのは、お兄さんなんだー!!」
微妙な空気となった、あの後。
要件を伝えることしか思いつかず、聞きたいことがあると播凰がジュクーシャに切り出せば、彼女は快く迎え入れてくれたのだが。
どういうわけか、今まさに帰ろうとしていた少年少女の二人組もそれを止めて戻ってきて、四人はソファーに座っていた。
そして開口一番、播凰が例の動画について質問をすれば。
ジュクーシャが口を開くよりも前に、興味津々と播凰を見ていた少女が、元気いっぱいに反応してきたのである。
「うむ。何故撮られていたかは分からぬが、紛れもなくあれは私だ」
「へぇー! へぇー!」
そしてそれを邪険にせず、播凰は鷹揚に頷き、応えた。
すると少女は、何がそんなに楽しいのか。無遠慮に、播凰の全身を眺め回すように見始める。
「何故撮られていた……? あの、同意の上だったのでは?」
「む? いや、私は何も聞いていないぞ」
「え……」
ようやくそこで言葉を返したのは、ジュクーシャ。
だが、引っかかるものがあるのか様子はおかしく。播凰が否定したことで、更におかしくなる。
然もありなん。彼女は一応、咎めたのだ。居合わせたあの場で、勝手なことをしようとした万音を。
だが、彼は許可をとったと宣い。そしてジュクーシャには、それを否定する材料はなかった。
だからこそ、渋々引き下がったというのに。
「……あ、の、者はーーっ!!」
しかし、嘘であった。謀られたことに今更ながらに気付かされ、この場にいない万音への怒りからか顔を真っ赤にしてソファーから立ち上がる。
「……ジュクーシャ殿?」
「大体、いつもあの者と来たらっ!! 私が信じたのが馬鹿でした、本当に――」
突如ブルブルと身体を震わせ、明らかに態度が変わったジュクーシャに、播凰は困惑したように名を呼ぶが。おかまいなしというか、気付いていないのか。グチグチと誰もいない虚空に顔を向けている。
恐らく、彼女はあの悪趣味なようで不思議と様になっている、あの高笑いを幻視していることだろう。奇しくも、先程昼休みに播凰が思い浮かべたように。
「あー、これはジュク姉、スイッチ入っちゃったかなー」
慣れたような声色の元を振り返れば、少女が苦笑して挙動不審となったジュクーシャを眺めている。
少年の方は無言であるが、同じくジュクーシャを眺めていた。その表情は読めない。少女が表情豊かというのもあるのだろうが、彼の方はあまりそういった色は出さないようだ。
「ああなったジュク姉は、暫くしないと戻ってこないんだー。……だから、ねね、お兄さん。今の内に自己紹介しようよー!」
「うむ、構わぬぞ」
すると、いいこと思いついたと言わんばかりに、パンッと少女が手を打つ。
拒否されることなんて考えていないような眩しい視線が、播凰を貫く。
だが、元来。播凰もどちらかといえばそういうタイプであり。
一も二もない了承に少女は、やたっ! と小さくガッツポーズをすると。
「アタシは、辺莉! 二津辺莉っ!! 東方天能第一学園中等部の三年生だよっ!!」
人懐っこい笑みを浮かべて、播凰に名乗った。
そう、初めて会った時から元気いっぱいのこの少女、中等部と高等部という違いはあれど、実は播凰と同じ東方第一に通う生徒であった。
分かった理由は単純、特徴的な明るめの青緑色をした制服が同じだからである。高等部と中等部の制服は、細部にまで目を通せば若干の差異があるものの、おおまかには同じデザインだったりする。明確に異なるのは、ネクタイの色ぐらいだ。
「ほーら、シンも! 自己紹介自己紹介っ!」
「……なんで僕まで」
「いーいーかーらー!」
「…………」
自分の番が終わってからも少女はテンションが高く、隣に座っていた少年を促す。
少年は少年で、それを煩わしそうに対応するが。押し切られ、渋々と播凰を少し睨みつけるように見た。
「――二津慎次。中等部三年」
それだけ言って、不機嫌そうに黙り込む。
両者を改めてよく見て、そしてその名前を聞き。播凰は気になってふと尋ねる。
「ふむ、その顔にその名。お主らもしや」
「そうでーす! 双子の姉弟でーすっ! あ、ちなみにアタシがお姉さんね!」
「……昔だったら、僕が兄だったのに」
「今は先に産まれた方が上の子になるって決まってるんですーっ! だから、先に産まれたアタシがお姉ちゃんなのっ!」
「ほぅ、そうなのか」
ちなみに、播凰の世界では、双子の場合は後から産まれた方が上となっていた。
とはいえ、国、地域によって異なりや風習はあるので、一概に何が正しいとかはない。
少年――慎次が言った通り、時としては彼の方が兄と呼ばれる可能性もあったのだろうが。
少女――辺莉が言うように、今はその逆であるから意味のない話でしかないということだ。
「あっ、ちなみに名前で分かったと思うけど、二人共最強荘の二階に住んでます! それでそれで、お兄さんは?」
「うむ! 私は、三階に住んでいる三狭間播凰。東方第一の高等部一年生で、天戦科だっ!」
「おおーっ、じゃあ、アタシ達の先輩だー! いぇーいっ!!」
「む……い、いぇーい?」
彼女の気に当てられたわけではないが、播凰も元気よく堂々と名乗れば。パチパチと辺莉が拍手をした後、何やら片手を差しだしてくる。
よく分からないなりに、直観的に何を求められているかを察した播凰が、ぎこちなく手を差し出せば。
両者の掌が合わさり、パチンと音を立てる。
慎次はそれを、鬱陶しそうに。実に苦々し気に見やっていた。
表情こそ正反対に近い。だが、その顔は双子ということもあり、辺莉にとてもよく似ていた。
中性的な顔立ちで、パッと見では性別がどちらか迷う人もいることだろう。
「ねね、播凰にい。折角だから、連絡先交換しようよっ!!」
「別に構わぬが……その、播凰にい、というのは?」
会話を交わしながら、辺莉と播凰は互いの端末を取り出す。
「んーとね、同じとこに住んでて、それで学園で一個上の年が近い先輩でしょ? それに播凰にい、多分アタシより強そうだし、そう呼んでみたいなーって。駄目??」
「ふーむ……」
一瞬。脳裏に去来したのは、元の世界の弟妹達の顔であった。
当然、播凰という名はこちらの世界で与えられたものであるから、そのような呼ばれ方をされたことはないが。兄と呼ばれること自体は初めてではない。思い起こすのも必然といえよう。
「……まあ別に好きに呼んで構わんが」
「本当っ!? ありがとっ!!」
とはいえ、己はもう三狭間播凰として生きている。
そして呼ばれ方には別段固執はしない播凰であるから、拒否することなく許した。
もっとも、呼ばれて不快なものであったなら、その限りではなかったが。
「しかし、自分より強そう、か」
「なんとなくだけどねー。多分、アタシもシンも勝てないかなーって。あ、でもでも、一度手合わせはしてもらいたいかも!」
「……勝手に僕も含めるな」
「だって、シンもあの動画見たでしょ? それに、こうして対面してるだけで、こう、ビビッとアタシのアンテナに! ――って、そうそう、動画動画っ!」
なんというか、騒がしい姉だ。
だがまあ、双子としてみれば、騒がしいと物静かで釣り合いはとれているのだろうか。
「中等部でもそうだけど、アタシ達の部活でも皆あの動画に興味持ってたよー! あのドラゴン、凄いリアルだったし!」
「そういえば気になっていたのだが。その部活というのはなんなのだ?」
どうやら、話は高等部だけでなく中等部にも広まっているらしい。
もっとも、学内という意味では双方を含むのでおかしくはないのだが。
それはそうとして、播凰が何気に気にしていた単語が出たので、これ幸いと尋ねてみる。
そう、部活についてだ。
「えっとね、通常の授業とかとは別に、学園として活動している……団体っていうのかな? 所属するしないは生徒の自由だけど、色んな活動があるんだ。何も戦うだけが天能術じゃないし、そういうのに全く関係ないものもあるよ!」
ハキハキとしていて、楽し気であった。
そしてそれを播凰が指摘してみると。
「楽しいよー! ただ、朝の活動で少し早く家を出たり、最終下校時刻ギリギリまで活動することもあるから、そこはちょっと大変だけどねっ!」
「ふむ、時間が……道理で、今まで会わぬし、知らぬわけだ」
「むむむっ、一応アタシ達、中等部の中じゃそれなりに有名なんだけどなー」
大変といいつつ、満足そうに辺莉は告げる。
その内容で、一つ納得した。同じ学園に通うのであれば、下校時刻はまちまちとしても、朝の登校時刻は少なからず被りそうなものである。
しかし、播凰は学園に通い始めてから既に一月、二月と経とうとしているが、今まで彼らの姿を見たことがなかった。
偶然ということもなくはないだろうが、時間がずれていればそれは会わないのも不思議ではないと言える。
「――ふぅ、失礼、取り乱してしまいました」
と、ここで。万音に怒りをぶつけていたジュクーシャが、正気に戻って会話に加わってきた。
その顔は憑き物が取れたかのようで、いつもの彼女のものだ。
「それでは、播凰くん。これから、一階のあの者の元へと殴り込みに行きましょうか」
「う、うむ……?」
訂正だ。正気には戻っていなかった。
播凰がたじろぎ、助けを求めるように辺莉へと視線をやると。彼女は黙って首を数回横に振る。
どうやら、スイッチはまだ入ったままのようだ。
「――管理人さんっ! 一階のあの者を、あの邪悪でふざけた男を、呼び出してくださいっ!」
最強荘零階、エントランスホールの管理人窓口前。
そこで管理人を捕まえたジュクーシャは、播凰を傍らに置き、幼き――少なくとも見た目は――権力者に向けてそう要求した。
……なるほど、このような手があったか。
ジュクーシャも一階への許可をもらっていないと聞いた時は、どうするのかと思いつつ着いてきたのだが。
管理人に相談する。意外にいい手なのかもしれない。万音がここに降りてくるまで待つという、最終手段ともいえる方法に比べれば断然に。
ちなみにあの二階の双子、辺莉と慎次は自分の階層へと戻っていった。
というより、ジュクーシャに半強制的に戻らされた。
「うーんー、あまり住民間のことに介入するのはよろしくないのですがー。どうされましたかー?」
「この動画を見てください」
困ったようなニコニコ顔の管理人に、ジュクーシャは動画を再生する。
万音が勝手に配信し、播凰がドラゴンと対峙している動画だ。
「あの男は、これを播凰くんの許可無しに、勝手に配信したのですよっ!」
「なるほどー、それを抗議したいということですねー。ですかねー、三狭間さんー?」
事情は理解したのか、管理人が播凰を振り返って問えば。
「そうですっ!」
「う、うむ……まあ、そういうことだ」
勢い込んでジュクーシャが、若干視線を彷徨わせつつ播凰も答えたので、考えるように少し悩んだような素振りを見せつつも、管理人はエレベーターに乗っていった。
ただまあ本音としては、播凰は別に動画を撮られたことに関してそこまで文句がどうこうという思いはなかったのだが。
「あの性的倒錯者ならば、確実に管理人さんの言うことを聞いてここに来るでしょう」
果たして、ジュクーシャのその言葉通り。
数分と待たずにエレベーターが開いたかと思えば、万音を伴った管理人が姿を見せる。
怒り心頭のジュクーシャが、つかつかとそれに歩み寄ろうとした。
だが――。
「丁度よい、こちらも貴様に声をかけようと思っていたところだ、播凰よ」
先制したのは、万音。
彼は、ジュクーシャには目もくれずに播凰を大仰に指差し、こう言ったのだった。
「貴様、今宵の余の配信――もとい、大大大魔王軍会合に出席するがよいっ!!」
次回は配信回を予定してます。




