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プロローグ下 ドタバタと出立と

 まず、目が大きく見開かれた。

 一拍遅れて胸が高鳴り、心が沸き立った。

 目線を上げ、再度始めから読み直し。変わらぬその内容に、少年は破顔する。


「新たな、世界……!」


 本来なら、疑いから入るべきであろう。

 まるで図ったような、己の願いに突き刺さるような提案だ。その上、相手はどこの者とも知れず、顔どころか声すら不明。


 だが――。


「光の文字、一体これはなんなのだっ!? その世界とやらに行けば分かるのかっ!?」


 これがもし、例えば床に刻まれるなり、紙に記されるなり――つまり他者へ伝える方法として何ら変哲もないごく一般的ものであれば。無論少年はここまで昂ることもなく即座に信じることもなかっただろう。


 しかし、宙に浮かぶ光文字だ。原理、技術が全く不明で、当然少年には同じことができない。

 己の知らぬ何かが間違いなくあり、それだけでまともに取り合うだけの価値があった。

 ましてや、それが己の求めていることであり。実現させてくれるかもしれないという期待が、誘惑が、先程から少年の胸に響いて止まないのだ。


 少年は軽く息を吐き出すと、自らを落ち着けるかのように静かに目を瞑った。


「…………」


 躊躇がなかった訳ではない。

 胸を張って言えるかは別として、仮にも一国の王だ。

 長らく姿を見てはいないが、かつて共に戦場を駆けた将や兵士達。幼少の頃に幾度か訪れた市井の者達。

 その顔が、その活気が、心中に去来し。


「…………」


 葛藤がなかった訳でもない。

 弟の。そして二人の妹達との記憶が脳裏を過る。

 彼等の誕生した時、世話をした時、初めての戦場に連れ立った時。

 そして、まだ幼さは大いにあるものの、立派に成長した姿。


「――すまぬ、と言うべきであろうな」


 だから、それらに謝罪を。

 もっとも、届けるべき相手は、ここにはいないが。


 無責任であることは、重々承知している。

 実際に目で見たわけではなく、この国の、この世界の現状を伝聞でしか知らない。

 ただ、信じてはいた。弟妹達が嘘は言うことはないと。圧制を敷いてはいないと。


 目を開けば、未だ光はそこにあった。

 が、内容にあった通り時間の制約があるのか。ポツリポツリと光が失われていき、文章が欠けていっている。

 一刻の猶予もないわけではないだろうが、もたもたもしてはいられないはずだ。

 故に、少年は心に決め。


「私は、今この瞬間。王であることを……」


 ――昔はそこそこ手もかかり、よく面倒を見たものだったが。


「……お前達の、兄であることを……」


 ――だが、既に己がいなくとも、大丈夫だろう。


「……辞める」


 決別の言葉と共に、己の右手を光の文字へと差し入れた。


 パァッ、と。

 少年の右手が光文字に触れた、瞬間。

 光が弾け、今までで一番の強い輝きを放った。


 そして、光は少年の足元に集まると。

 染み込むように、溶けるように。少年の身体へと、音もなく消えていく。

 変化は、すぐにあった。


「おお、本当に……」


 己の足先が光の粒子に覆われていくのを見下ろし、少年は驚嘆の声を上げる。

 不思議な感覚だった。

 見た目の上では、両足の甲半ばまでがぼうっとした光によって、明らかに薄く透けている。

 だのに、足の指先の感触は特に変化はなく、痛みもない。


「これは、是非ともこれが何なのかを知らねばならなくなったな」


 少年は満足げに頷き、その様子を恐れるどころか微笑みながら見守った。

 足先から始まったその現象は、既に踝にまで到達している。

 その速度は、速くもないが、遅くもないといったところ。


「さて……」


 少年は顔を上げ、ぐるりと今いる場所を――玉座の間を見回した。

 一人だけの景色。がらんどうとした、見飽きた景色。

 されど長くを過ごし、多少は愛着もある景色。


「……それでは、さらばだ」


 地に、人に――そして世界に。

 全てに短く別れを告げ。後は光を受け入れるのみ、と目を瞑る。


 ……仲良く、達者で。


 あまりいい兄ではなかったかもしれないが。

 最期に、せめて兄らしく。心中で弟妹達の今後を祈り。

 そうして、少年の身体は。

 誰にも見られることなくひっそりと、この世界から消え――。


「兄上様っ!」

「お兄様っ!」

「兄貴っ!」


 ――ることはなかった。

 バタンッ! と玉座の間の大扉が、吹き飛びかねないほどの早さと凄まじい音を伴って開かれたのだ。


 反射的に、少年は目を丸くしてそちらを見やる。

 飛び込んできたのは、複数の人影。


 一人は、あどけなさが残りつつも、端正さを併せもった顔立ちをした、白い短髪の少年。

 もう一人は、柔らかな目元がどこか大人びた印象を与える美貌の、金色の長い髪を靡かせる少女。

 最後に、健康的な褐色の肌が特徴的で、切れ長の目に美しく整った容姿の、銀の髪を束ねた少女。


 見紛うはずもない。少年の弟に、妹。少年の家族である。


「……お前達が揃ってここに来るなんて、珍しいな」


 こちらを見て絶句する彼等に、呑気にも少年はそんな言葉をかけた。

 というのも、近頃は基本的に一人だけが、代わる代わる少年の元へ来ていたからだ。

 そのため、一人一人に対してはそうでもないが、同時に会うのは久しぶりのことであった。


「お、お兄様……っ! そ、そのお身体は……っ!!」


 そしてそんなどこかズレた少年の指摘に返答することはなく、妹の一人が口元に手をあて悲鳴のような声を上げる。


「う、うむ……」


 それに対し少年は、ばつが悪そうに彼等から目を逸らした。

 誰にも会わず去る覚悟をしていたはずが、とんだ邂逅である。


「嫌な予感がしたから強引に戻ってみれば――何やってんだ、このクソ兄貴っ!!」

「いや、これはだな。……あー、別に足がなくなったわけではないのだ」


 声を荒げ、勢いよく詰め寄ってくるのは、もう一人の妹。

 彼女達が何を見て平静を失っているかを理解した少年は、自身も状況を確認しようとチラと再度身体を見下ろす。


 光は膝程まできている。要するに、膝下は完全に光に覆われ薄く透けていた。

 少年からすれば外見上の変化こそあるものの、ただ立っているだけだが。

 なるほど、他者からすれば足の一部が透けており、何事だという話になる。


「ただ、うむ、何と言えばよいか」


 考えた結果、簡略に伝えようと言葉を纏めつつ。


「この光の原理は分からぬが――つまり、ここを去ることにしてな」


 口を開きながら顔を上げた少年は。


「お前達とは、お別れ……」


 しかし最後まで言葉を続けることができなかった。


 ――無表情。


 気付けば、いつの間にか全員が少年の眼前に立っていた。

 音もなく、声もなく。

 だがそんなことより、注目すべきはその表情の無さ。


 皆個性があり、表情豊かな弟妹達だった。

 利発な、穏やかな、悪戯な、そんな笑顔をよく浮かべていた。

 だのに、今はその片鱗もない。完全な、無。

 ただ6つの瞳だけが、瞬きすることなく少年をじっと見つめている。


「…………」


 思わず閉口する。

 騒がしさから一転し、静寂。が、それも一瞬のことで。


「そんなの、認めない。認めねえぞ、クソ兄貴っ!!」


 一歩踏み出し、少年の胸倉を掴んできたのは、末妹。


「そうです、いくらお兄様のお言葉であっても許せません」


 ジャラリ、とどこに持っていたのか鎖のようなものを取り出していた、長姉。


 そんな反応をされると思っていなかった――というよりそもそも最後に会うこと自体予想外であったが――少年は、困ったような顔になり。

 唯一、未だ静かでリアクションの無い弟に、少年は助力を乞うように視線を向けた。

 妹達がそうでないとは言わないが、利発で、年に似合わぬ落ち着きさを持った、自慢の弟だ。ともすれば、自身より頭がよい可能性が大いにある。

 故に、彼が妹達を諭してくれることを期待し。


「脱がします」

「ぬ!?」


 しかしてその期待は真っ向から粉砕された。

 なんとこの弟は、少年の衣服の下、即ちズボンに手をかけたのだ。


「やめんか! 何をやっているっ!?」


 そして何をとち狂ったのか、そのままグイグイと力を込めて本当に脱がそうとしてくるではないか。

 少年は既の所(すんでのところ)で反応し、それを阻止するため抵抗する。

 一対一の力比べ――これを純粋な力比べといえるかはさておき――では、まだ弟より兄たる少年の方に分があった。


「妙案です」

「なるほどなっ!」


 だがここで、妹、参戦。

 突拍子もない行動に困惑どころか嬉々として、ズボンに手をかけてくる。

 自らよりも幼い少女二人といえど、侮ることはできない。だが、とはいえ手心でも加えなければ負けようものでもなかった。そのはずであった。


「ぬ、おおっ……この、やめんかと……っ!」


 はてさて、いかなる力が働いたのか。

 少年の優勢であった攻防は、一瞬の拮抗の後に徐々に押されていき。

 抵抗虚しく、ついには少年の下着が露わとなり、ズボンが完全に下げられた。

 最早、脚のほとんどが光に覆われている状態であったが、どうやら衣服は剥ぎ取られればその影響は受けないようだ。


 攻防戦に敗北を喫した少年は脱力し、されるがままにズボンを脱がされた。

 その行方は、上の妹の手に。

 微笑みながらそれを胸に抱え込む彼女と、ずりぃぞ、とそれに抗議の声を上げる下の妹の姿を横目に少年はじろりと弟を睨んだ。


「さあ、兄上様。そのようなお姿ではどこにも行けぬでしょう」


 涼やかな笑みの弟の言葉に、少年は漸くその意図を知る。


 ……つまり、みっともない姿にさせて行かせぬという魂胆か。


 とち狂ったと思ったが、存外そうでもないらしい。

 確かに、みっともない姿といえばみっともない姿だ。特に、下だけ履いていないというのが。

 そもそも今更止められるのかは別として、この姿を許容できるかといえばそうでもない。これならむしろ、まだ上半身裸の方が――。


 ……いや、待てよ。


 奪い返すか、と身体を身構えたところで。

 少年の脳裏にふと、光の文の一節がよぎった。


 ――無一文、裸一貫から。


「……なるほど、そういうことか」


 少年は不敵な笑みを浮かべると、己の衣服に手をかける。

 涼やかだった弟のその顔色が、一変した。


「……まさか」

「残念だったな、そのまさか、だ」


 そうして少年は、勢いよく自ら脱ぎ捨てた。

 現れるのは、少年の均整の取れた身体。痩せてもおらず太ってもおらず、かといって筋肉も激しく主張しているわけではない。されど、鍛えられた身体だ。


 上の妹が、ズボンを抱きながら歓声を上げる。

 ちなみに下の妹は、放り投げた服を拾いに走っていた。


 さあ、これでどうだと不敵に腕を組む。ただし、下着一丁の姿で。


「…………」


 しばらく、それを無言で見ていた弟であったが。

 ふいにまた、彼は少年に向けて手を伸ばしてくる。

 流石にそれ以上は洒落にならんと、慌ててそれを叩き落とそうとした少年であったが。


 彼の弟が手を伸ばしたのは、少年の残された最後の砦ではなく――腹だった。光に置き換わり、透け始めていた、腹。

 だがその手は、何にも触れることなく突き抜けた。触れる者と触れられる者、互いに、訪れるはずの感触がなかった。


 微かに弟が目を見開き、確かめるようにもう一度同じように手を動かすも、結果は変わらず。

 少年もまた、自身の身体であるというのに黙りつつも興味深げにそれを見下ろし。

 ややあって、息を一つ吐くと、弟は体勢を戻す。


「……分かりました。兄上様がそこまで本気なのであれば、僕からはもう何も」

「……すまぬな」

「いいえ、兄上様に嫌われたくはありませんから。……ただ、聞かせてください。(それ)は何なのでしょうか?」

「私にもこれが何かは分からぬし、これからそれを知りに行くとも言う。ただ、私はとある提案をされ、受け入れた。それだけだ」


 互いに目線を合わせて、言葉を交わす。

 明瞭ではなく、ともすれば煙に巻くような漠然とした答えであったが。

 しかし弟は納得するように、頷き。

 では最後に一つ、と。


「――また、お会いできますか?」


 どこか確信めいたような、それでいて寂しげな笑みだった。


「……会える、といいな」


 曖昧な答え。だが、嘘ではなかった。しかし、あの内容が真であれば叶わぬだろうとも思っていた。

 そしてそんな答えに納得しない者がいた。


「ふざけんなよっ!」

「どうして、どうしてですか……」


 拳を握り、肩を震わせ。呼吸を荒くし、二人の妹が少年に詰め寄った。

 そして、先のやり取りを見ていただろうに、引き留めるように少年の肩を、腕をとろうと手を伸ばす。

 だが、その手は空を切る。

 少年の身体は、既にその全身が光に覆われ、透けていた。


 彼女達の美しい双眸から、涙が零れ落ちていく。声にならない声だけが、静まり返った空間に響いていた。


 少年の中で、その姿がふと昔と重なった。

 彼女達が今よりもっと幼く、かかりきりで面倒を見ていた頃。

 声を上げて泣きだした時は、よく――。


 少年が幻視、過去を思い出す間も。

 それでも、彼女達は諦めず、何度も何度も。まるで駄々っ子のように、縋るように。


 だから、少年は。ゆっくりと両腕を持ち上げ。

 撫でるように、添えるように。感触の分からぬまま、妹達の頭に掌を乗せ。


「最後に、顔を見れてよかった」


 その一言が、決定的だったのか。

 パタリ、と力を無くしたように、彼女達は俯いた。


 少年の視界を白い閃光が迸り、意識がぐらりと揺れる。

 その、最後に。弟と目があった、気がした。


「壮健で、兄上様」

振れ幅が大きくてコメディなのかシリアスなのかって感じですが、弟妹達は一旦ここまで。今後一切出ないわけではないですが、次の出番は当分先を予定してます。

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