11話 約束
先の、最強荘の門前での大魔王とジュクーシャの騒動に巻き込まれてから一夜明けた翌日。
「……よし、約束の時刻となったな!」
意味もなく早起きをし、そわそわとしながら今か今かと時計が時を刻むのを眺めていた播凰は、待望の時が訪れたのを見て破顔した。
午前十時三十分。昨日、零階の共有部にてジュクーシャに指定された時間である。
いそいそと部屋を出て、エレベータへと向かう播凰。その足取りは、弾むように軽い。
なにせ、ようやく天能について教えを受けられるのだ。初めて天能を知りこの世界に来てから早数日。今日までその時を待ち侘びていたわけであるから、その喜びもひとしおであった。
エレベータに乗り込み、新たに選択可能となった『4』を押下する。
これまでは『0』と『3』のボタンしか存在していなかったが、昨日ジュクーシャの許しを得たことで、彼女の階層である四階へと行くことが可能となった。
どういうわけか、階層の主が言葉で許可を宣言するだけで、許可を受けた側がエレベータに乗った際にその者の階のボタンが現れて押せるようになるとのことだ。
そうして、初めて足を踏み入れた四階。
自身の階層以外という意味でも初となるそこは、はっきり言えば、三階とそう変わらなかった。
壁に刻まれた階層数を示す文字。外に面した廊下に、ポツンとある一つの扉。とはいえ、同じ建物であるから構造が同じなのは当たり前といえば当たり前。
強いて言えば、見える景色が一階分高くなったことぐらいか。
播凰は少しそこからの景色を眺めた後、扉に向かいその呼び鈴を押す。
すると、数秒と待つことなく、ゆっくりとそれは開かれ。
「い、いらっしゃい、播凰くん」
「うむ、お招き感謝するぞ!」
おずおずと顔を覗かせたのは、階の主であるジュクーシャ。
どこか緊張した面持ちの彼女に対して、播凰はといえば気にしたような素振りもなく元気よく挨拶をする。
どうぞ、と通されたのはリビング。
家具一式はあるが、不思議と物は少なく、簡素な印象を播凰は抱く。
もっとも播凰も播凰で、住んで日が浅いということもあるが、そこまで内装や物に頓着や拘りがないため似たようなものであるが。
「昨日の今日ですまぬな、ジュクーシャ殿。予定は大丈夫であったか? 何やら昨夜、妙にドタバタと聞こえてきたような気がするが」
勧められるまま一人用の椅子に腰かけ、立っているジュクーシャに播凰は声をかける。
彼女からの提案であったとはいえ、急であることは事実。加えて、上階――即ち、今いるここからと思しき物音がしていたため、念のため確認したのである。
「どたっ!? ……い、いえ、なんでもありません。少し片づけ物をしていたもので。そ、それより、飲み物はお茶でも大丈夫ですか?」
それを受けたジュクーシャは、一瞬取り乱したものの。すぐに言葉を落ち着かせ、台所へと入っていく。
リビングから台所が見える造りは、播凰の部屋と一緒だ。
播凰が簡単に礼を述べ、しばらくしてジュクーシャがコップを両手に戻ってくる。その片方が播凰の前に、もう片方はその向かいに置かれ。
そうして間にテーブルを隔てて、両者が向かい合って座った。
「さて、それでは天能についてでしたね」
口火を切ったのは、ジュクーシャ。
きっちりと背筋を伸ばし、凛とした佇まいの彼女の目が播凰に向けられる。
「っと、申し訳ありません。お話をする前に、お伝えしておきたいことが。正直に申しますと、私はその道の専門――所謂スペシャリストというわけではありません。よって、ものによってはお答えできない部分もあるかもしれません」
前置き、というより断りを一つ。ジュクーシャの頭が軽く下げられる。
その柔らかな口調も相俟り、流麗な所作であった。彼女の艶やかな髪が、ふわりと舞う。
「ですが、概ね理解はしていますし、魔――いえ、天能を使うこともできます。基礎をお教えすることは可能ですので、そこはご安心ください」
「うむ、教えてもらえるのであれば贅沢を言うつもりはない。よろしくお願いする」
播凰からしてみれば、教えてもらえるだけで万々歳。故に、その質に不平不満はなく、彼女に倣い彼もまた少し頭を下げた。
ジュクーシャは、コップを傾けて喉を潤すと、軽く微笑む。
「それでは、播凰くん。そもそも天能とは何かご存じですか?」
「……不思議な力だな。火や雷に氷、他にも様々な性質があり、天放、天溜、天介という属性にも分類されるもの、といったところか」
「ええ、その通りです。人はそれぞれ、自身に適合する、乃至は相性のいいとされる性質を持っています。今しがた例に挙げていただいたように、火の性質に適合している人もいれば、雷の性質に適合している人もいる、といった具合に。属性に関しても、人によって得手不得手があるとされていますね」
天能の性質と属性。初歩も初歩ともいえる部分に関しては播凰も少しは知っていたため、相槌を打って聞いていた。
「そして、その源となる力。即ち天能力を消費することで、性質を三つの属性に当てはめる形で顕現させる。これが、天能を使うということです」
だが、その説明の中に、記憶に新しい単語を聞いたため、思わず顔を顰める。
余程あからさまだったのだろう。ジュクーシャが少し焦ったように声をかけてきた。
「え、えっと、今の話に分からないことがありましたか?」
「いや、そうではなく……その、天能を使うには天能力とやらがやはり重要になるのかと思ってな」
「重要かと聞かれると、重要ですね。少ないのと多いのでは、やはり多い方が有利な要素となりますし、中には一定以上の天能力の消費を要求されるものもあります。それに、天能力の高さは、一種の指標やステータスともされているそうです」
ノータイムでの即答に、播凰は思わず天を仰ぐ。
脳裏を過るのは、その単語を初めて耳にした時のこと。
「……うむ。試験の際に、その天能力を計測されたのだが、低すぎて計れぬと言われてな」
「そ、そうでしたか。……となると、少し厳しいかもしれませんね」
思案するようなジュクーシャの言葉に、ガクリと播凰は肩を、顔を落とす。
その消沈ぶりたるや。とはいえ、ずっと楽しみとしていたことが難しいと知ったわけであるから、大仰な反応とも言い切れない。
それを見た彼女は、しまった、というような表情をして慌てて言葉を続けた。
「あ、えっと、で、ですが、諦めることはありませんよ、播凰くん! 確かに、天能を使うには天能力が不可欠です。しかし使うことだけに限って言えば、少ない天能力でも天能が使えないわけではありませんし、なによりそういった力というのは、得てして頭打ちとなるまでは成長するにつれて増えることもあります!」
「……本当か?」
咄嗟に出た言葉。だが、それは決して嘘八百ではなかった。
そんな励ますようなジュクーシャの声色が届いたのか、播凰が顔を上げて彼女を見る。
期待するような、縋るような。それでいて光明を見るような、そんな目で。
そしてそれは、力を貸すのも吝かではない、というよりは。力になってあげたい、なりたいと思わせるものであった。
――少なくとも。いや、他ならぬ彼女にとっては。
「っ! ……ええ、心配無用です。私にお任せください!」
ただし後にジュクーシャは、この時の安易な約束を、この前後の出来事を、色々な意味で忘れられなくなるのだが。
そんなことは今の彼女は露知らず。
異性との一対一という慣れない環境にやはり平静さを失っていたのか。或いは、あまりにも播凰が可哀そうに思えたのか。
いずれにせよ、何の根拠があるのか。専門分野でないと断りを入れたにも関わらず自信満々に、胸を張って言い放ったのであった。




