明日が遠ざかる
作者が何でもいいから一から文章を書きたいなと思って、思いのまま書いたものです。
ちょっと怖いかもしれませんが、この文章には意味がありません。ただの文字の羅列以上の価値もありません。
なんでもいいから活字が読みたいという方にお勧めです。
日当たりの悪い集合住宅の一室で、窓を全開にしてエアコンをかけ、煙草を吸いながら酒を飲む。部屋に散らかる煙草の灰を巻き上げる風を睨みながら、ビールの飲み口に張り付いた灰を拭い、盛大に零した。
今日は木曜日だから、明日が仕事だ。だけど僕たちは今日の仕事を無断欠勤した者たちである以上、明日は仕事に行きたくないという気持ちが大きくなるのは致し方ないことだと思える。
引っ越しを目前に控えたこの部屋はいくつかの段ボールばかりが雑多に置かれ、僕らが生活する空間は狭いワンルームの内半分以下になった。
はやく引っ越したい。
引っ越しにかかる費用は借金せざるを得なかった。僕らがどれだけのことをしても得られるお金は雀の涙ほどで、貯金は無いのだから当然と言える。引っ越し先は見つからないままこの部屋に居られる期限が目前に迫った以上、僕らは家族か友人か、誰かの住む場所にお世話になることになるだろう。
朝日が差し込むはずの東側の窓には、五年ほど前に建てられた大きな雑居ビルが占領している。日照権とは何だったのかと口に出したところで意味は無い。僕らがこの部屋を借りた時は大体十二万円ほどかかったが、この雑居ビルが建ってからは三万と五千円に値下げになったらしい。僕らは未だに律儀に丁寧に遠慮気味に部屋を借りた時の契約通りにお家賃を支払うが、最近隣に住み始めた若い夫婦は僕らの半分以下の家賃で住んでいるようだ。
でもそれは明日で終わりだ。
明日仕事に行ったら、この部屋は僕らの帰る場所ではなくなる。この部屋の家賃は明日から払わない。明日の朝出かけたらもう帰らない。部屋にある荷物は僕らのうちの誰かが持ち出すことになっているし、段ボールに荷物をまとめてあるので忘れ物の心配は無くなっているはずである。
僕らのうちの誰かがまとめておいてくれた。
僕らが明日仕事と引越しの両方に押しつぶされないように三日ほど前から少しずつ準備を進めておいてくれたのは、僕らの内の誰なんだろう。
そう思って僕らの部屋の中を見回してみるが誰とも目が合わなかったので、煙草をふかしながら窓の外に視線を戻した。
電柱に巣を作っているカラスが見えた。それがきっかけだったのか、黄色いカラスが居るという戯言を聞いたことを思い出した。
白いカラス、黄色いカラス、黒いカラスが居て、白いカラスは幸運、黄色いカラスは試練、黒いカラスは知恵を齎す役割を持っていて、白いカラスに幸運を齎された生き物、黄色いカラスに試練を齎された生き物、黒いカラスに知恵を齎された生き物が三つ巴の戦いをした。そして生き残ったのが黒いカラスに知恵を齎された生き物だったので、白いカラスと黄色いカラスは皆殺しにされた、とかいう話だった。
この話には裏がある。
白いカラスと黒いカラスは本来仲良しで争うことは無いが、黄色いカラスはそうじゃない。黄色いカラスが齎すのは試練じゃない。
黄色いカラスが齎すのは狂気だ。
黄色いカラスは最初に黒いカラスに狂気を与えて知恵を滅茶苦茶にかき回したんだ。知恵は整然とした論理の上に成り立つのに、その論理が滅茶苦茶になってしまえば知恵も滅茶苦茶になるんだ。黒いカラスは知恵を持ったまま正しさを失うことになってしまった。
黒いカラスは仲がいいという理由で白いカラスを啄んだ。
黒いカラスは白いカラスが幸運を齎すという理由で嘴を閉じた。
黒いカラスは自分が知恵を持っているという理由で羽を捥いだ。
そうやって黒いカラスは白いカラスと黒いカラスを黄色いカラスの目の前で共に滅び去った。
黄色いカラスは白いカラスと黒いカラスの血をたくさん浴びて真っ赤に染まったが、血が固まると色が赤から黒に変わった。
今は狂気を齎す黒いカラスしかいない。
そんな裏の話だ。他の生き物は関係ないらしい。カラスが黒いとか白いとか黄色いとかどうでもいいなと思いながら聞いていたのに、なぜかずっと覚えていて不意に思い出してしまう。
なぜかよくわからない。面白さなんてかけらもない話なのに頭にこびりついて離れない。僕らの内の何人かも同じように思っていると思うけど、確認したことは無い。このつまらないほどの冷淡な感情を共有したくない。
残りが少ないぬるくなったビールを煽って、またひと口煙を肺に含むと、スッと黄色いカラスがいるという戯言は頭から抜けて行った。代わりに酔いと寒さが僕らの中を渦巻くようになる。
熱くもなく寒くもないこの時期の午前に寒いと感じてしまうのは、きっとエアコンをつけているせいだろう。エアコンから吐き出された冷気が開け放たれた窓から抜けていく。その時僕らの体を撫でるから、なんとなく寒いと感じるんだ。
また僕らはどうでもいい話を思い出した。
服の話だ。
暑い時に裸になるのは良くないって話だった。
暑い時に汗をかくと、汗が気化して、気化するときに僕らのはだから温度を奪っていく。シャツの一枚でも身にまとっていれば、汗はシャツに染み込んでから気化していくから、シャツが冷たくなる。シャツが冷たくなると肌とシャツの間にある空気の層が冷たくなって体を冷やしてくれるし、急に冷たくなったりしにくい。
逆に裸のまま汗をかくと一気に汗が気化して寒くなったり、逆に全然気化しないせいでずっと暑かったりする。シャツに染み込んだ汗と肌の上ににじむ汗とでは空気に触れる表面積が違うから気化する速度が違うとか、汗が気化するとき肌から直接温度を奪っていくから寒く感じるだとか、そんな話だった。
この話は面白いと思ったのに、詳しいところは全部忘れてしまった。
僕らのうちの誰かが覚えているかもしれない。
また僕らの部屋を見回してみると、段ボールにプリントされたデフォルメ済みの小さなお魚さんと目があった。
「どんな話だったか覚えているかい?」
僕らが問うたところで、プリントされたお魚さんが答えてくれるわけは無かった。魚は喋らないのだから当然だ。そもそも答えが返って来るなんて思って問うたわけじゃない。
「覚えてない」
一応言っておくと、答えたのは僕らのうちの誰かだ。お魚さんじゃない。
いい加減に窓を閉めようと思う。煙草は吸い終わったのだから、窓を開けておく必要はない。というかもう明日には出る部屋なのだからそこまで気を使う必要は無いが、僕らは律儀に壁が黄ばまないようにしてしまう。禁煙の部屋で煙草を吸うことがまずダメだとも思うが、僕らは煙草が無いと生きていけないのだから、大目に見て欲しい。
煙草の箱がもう空っぽになった。
買いに行こう。
僕の代わりに買ってきてくれる人はいないかな。
居ないようだね。
「何か他に買ってきてほしいものはあるかい?」
僕がそう問うても、誰も返事をしない。僕らは無口だからしょうがないが、少し寂しくもある。
「水」
僕が寂しがっているのを察してくれたのか、段ボールにプリントされたデフォルメされたお魚さんが答えてくれた。水が欲しいということは、今は喉が渇いているのだろう。
僕は窓際から立ち上がって、段ボールをひっくり返して中身をぶちまけた。
しゃべる魚がプリントされた段ボールなんて気味が悪くて使っていられないから、僕ら全員で今空っぽになった段ボールをグサシャグチャに潰してから破いた。
「ゴミ袋も買ってくるよ」
僕はそう言って、財布をポケットに突っ込んで部屋の出口に向かった。
狭い部屋だから出口まで四歩も歩けばたどり着く。僕は玄関でつっかけを履いて、誰も居ない部屋を一瞥してから扉を開けた。
僕らは僕が一人で居たくないからそこに居るだけで僕が居ない場所にはどこにだっていないから、僕が玄関に居れば僕らはみんな玄関に居る。部屋には居ない。
そろそろ本気で自分の頭を心配した方がいいというのは言われなくてもわかっているけど、僕らが一度に全員で病院に行くのは迷惑だと思って、まだ先延ばしにする。せめて僕一人でなら頭の病院に行くくらい簡単なんだけど、僕らは僕の側にずっと居るんだからそうはいかないんだ。
寂しい。
誰でもいいから僕ら以外の誰かとおしゃべりがしたい。
しゃべってくれるなら幽霊でも妖怪でもいいんだけど、そんな非現実的な存在は存在しない存在してはいけない。
僕ら全員と仲良くしてくれる、かわいいガールフレンドを作るのが当面の目標だったけれど、しばらくはもっとお金を稼ぐことが先決になる。
僕は新しい煙草と破いてしまった気味の悪い段ボールを捨てるためのごみ袋を買いに、近くのコンビニに向かう。僕ら全員が一斉に歩くせいで車道を封鎖しているけれど、車は僕らが何をしていても関係なくすり抜けてしまうので問題は無い。
僕らも数が増えすぎているから、何人か轢き殺してくれたってかまわない。
そうだ。
今日でこの辺りに居るのは最後なんだから、最後くらい豪華な食事をみんなで摂るというのはどうだろう。昼間から空いている焼き肉屋はないか。豪華な食事と言えば焼肉だと思ったけれど、思えばお寿司でも構わない。僕らはコンビニに寄るのは食事の後にして、先に回転寿司のお店にいくことにしてはどうだろう。
「でも人数が多い。この人数だとお金がかかりすぎる」
僕らのうちの誰かがそう助言してくれた。
多すぎるなら減らせばいい。僕らの内7人も減れば回転寿司でお腹いっぱい食べても安く済むだろう。
「いい案じゃないか」
そうだろう。
僕らはまず近くを流れる大きな河川に向かうことにした。車道の横を走る細い歩道を一列になって歩いて行くと、ちょうど河川の真ん中までたどり着いた。
真っ先にたどり着いた僕らの内の一人が手すりを登り、僕らに手を振ってから河川に向かって落ちた。最期にお腹いっぱいに安い回転寿司を食べたかったと言って落ちて行った。
二人、三人と僕らが落ちていく。
僕は四人目だった。
僕は先に落ちた三人の僕らと同じように手すりの登ってから、残りの僕らの方を見た。そうしたらみんな感情の読めない顔で僕のことを見ていた。僕は少し怖くなって、落ちる前に少しだけ話をすることにする。
「どう思う?」
すると僕らは同じ声同じ目同じ顔同じ抑揚同じ口調で、同じことを答えてくれた。
「お腹空いた」
早く食べたいから早く落ちろってことだと思う。急かさないで欲しいと思うが、僕が落ちる前に少し話をしようなんて思ったせいでもあるから、僕は一つ頷いてからこれから向かう川を見下ろして、それから一息に落ちた。
頭から川に向かって落ちるのはこんな感覚だったのか。
僕より先に落ちた三人も同じような感覚を味わったのか。
これから落ちるあと三人もこの感覚を覚えるのか。
そう思って落ちながら僕らの方を見上げた。
「あれ」
誰も居なかった。
もう回転寿司を食べに向かったようだ。
僕は今日は水曜日だから、明日が仕事だ。
でも僕の代わりに僕らが仕事に行くから問題ない。
明日は引っ越しもある。
僕の代わりに僕らが荷物を持ちだすだろう。
僕が居る場所に僕らがいるから、僕が川に落ちたら僕らも川に落ちる気もするけど、大丈夫だと思う。先に落ちた三人を僕が見送ったように、僕らは僕が落ちるのを見送ってはくれなかった。僕の明日は僕らが僕と同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ
冷たくて、寒い。
先に落ちた三人はどこだろう。
僕は一人で居ると寂しいから、一緒に居てくれないだろうか。