百二十八話 朧気なる黒竜と再びの邂逅
ふわふわと水の中に居るような浮遊感を感じ、ふと瞳を開けると目の前に漆黒の竜が鎮座していることに気付いた。
不思議と驚きや恐怖心は湧かず俺は光の加減によって赤くも見えるその漆黒の竜鱗と竜として均整の取れた体躯に俺は目を奪われてしまった。
ゆっくりと近付いたアレスが黒竜に触れると、目が合った。
しかし恐ろしげな竜の縦長の瞳と目を合わせてもアレスの胸の中に浮かぶのは恐怖心ではなく親近感、そして安らぎだった。
アレス自身、なぜ目の前の竜にそんな感情を抱くのか分からなかった。
『お前は誰だ?』
気づくとアレスは目の前の黒竜に問い掛けていた。
『ーーーーー』
まるで幻のように朧気な姿の黒竜は何か言った気がしたがアレスには聞き取ることが出来なかった。
『ーーーー』
あやふやな姿の黒竜は次第に姿を変えると一般的な人間の少女と同じくらいの姿に変化した。
『ーーけて』
ふわりと近づいてきた竜の翼と尻尾を持つ少女が耳元で何か囁いた瞬間、アレスの意識は遠のいた。
◆◆◆◆
アレスはぽっかりと胸に穴が空いたような喪失感と共に目が覚めた。
「ー?、あっ」
アレスが無意識に自身の胸の位置に右手を置こうとすると、右腕が引っ張られた。
「すー、すー」
隣で安らかに眠るメリアが両手で抱いていたのだ。
アレスはゆっくりとメリアの両手を外して起き上がった。
「うーん、、ふっ」
一度伸びをしてから気持ち良さそうに眠るメリアを見てアレスは思わず頬を緩めた。
ふと淫靡な匂いが鼻につき、顔を動かすと隣で一糸まとわぬ美少女の姿をしたルーヴォルがうつ伏せで寝ており、さらにその隣でシーツを纏った輝夜が寝ていた。
「あー、そういえば…」
アレスは昨日の夜のことを思い出して、頬を掻いた。
一番端っこのベッドで眠りこけるサリーにバレなくて良かったと密かに胸を撫で下ろして、今日はギルドに用事があることを思い出した。
「とりあえず片ずけよう」
ポツリと呟いたアレスはベッドから下りると床に散らばった衣類と下着を綺麗に畳んで片付けると魔導服を着てから一度部屋から出た。
宿屋の人から戴いた温水が入った桶を部屋に持ち込んで、眠りこける三人を起こした。
「三人共、温かい水を持ってきたから身体を拭いてくれ、そのままだと気持ち悪いだろ?」
アレスは備え付けの机の上に置いた桶に三枚の布を置いて言った。
「んー、私はこのままでもいいわよ?」
「拙者も悪くないでござる」
「アレスの良い匂いが染みついてるのじゃ」
「いいから!、早く身体を拭いてくれ!?」
美しく妖艶な笑みを浮かべて言う三人にアレスは心を大きく乱されつつも、強引に促した。
三人が美しい肢体を拭いている間にアレスはもう一つの温水が入った桶を持って、隣の部屋に入った。
部屋に入ると既にスカハとアリスは起きていた。
「あ、おはよう、アレス」
「ん、おは」
「おはよう、二人共体を拭くのにこの温水使ってくれ」
今起きたばっかりといった様子の二人にアレスは温水の入った桶を渡した。
「アレス、拭いて」
「あっ!?、何やってるのよスカハ!」
スカハはほぼ裸同然の格好でアレスに抱きつくと、温水の桶を受け取ったアリスが悲鳴を上げた。
「喜んで、と言いたいところだけどスカハだけじゃなくてアリスにもやらないと行けなるからな、ダメだ。それに今日はギルド長に会う予定だろ?」
アレスは優しくスカハの髪を撫でて、断った。
「ん、分かった、じゃあキス」
アレスはスカハの要求に応えて、キスを交わした。
「アリスもするか?」
「………うん」
少しの間葛藤したアリスだったが欲望に負けて頷き、アレスとキスを交わした。
スカハとアリスと何回かキスを交わしたアレスは着替えを待つ間部屋を出た。
丁寧に扉を閉めてアレスが部屋を出たのと同時に隣の部屋の扉が開いた。
アレスは扉が開いた音につられて視線を向けると隣の部屋から出てきた二人が視界に入った。
二人のうち、一人に既視感を感じたアレスと金髪長耳の褐色美女の目が合った瞬間、二人は反射的に腰の剣を抜いた。
ギィィィンン、と鮮烈な金属音が廊下中に響き渡りアレスと黒妖精のセクメトは大きく下がった。
「お前、昨日の剣士だな?」
「ヒヒ、アレスだぁ、昨日の今日で会えるなんてねぇ、驚きだよぅ」
警戒を強めて睨むアレスに対して、セクメトはアレスに負けない速度で抜剣した細剣をユラユラと揺らした。
全く構えを取る様子がないセクメトにアレスは逆に警戒を強めた。
「お前!、いきなりセクメトに斬りかかるとはどういうつもり…」
リースが激情に駆られるままにアレスに詰め寄るとセクメトが強引に前に出ることで止めた。
「それ以上踏み込んだらダメだよ~、リース~、彼の間合に入ったら怪我じゃ済まないよ~」
「ゴクリっ」
間延びした声で警告するセクメトにリースは昨日のセクメトの敗北した姿を思い出して生唾を飲み込んだ。
そんな二人は他所にアレスはセクメトが五体満足でいることに驚愕していた。
(昨日あれだけの重傷を負った筈なのに五体満足で立ってるだと!?、万能薬を使ったとしてもどれだけの生命力の持ち主だ!)
万能薬は文字通りどんな怪我でも癒せる万能の回復薬だが失った血液は戻らないという弱点がある。
アレス自身、それは大和での輝夜との死闘で経験済みである。
あの時アレスはメリアたちには隠してはいたが完全に回復するのにそれなりの時間を要した。
おそらく輝夜も同じであった筈だ。
「やっぱり世界は広い、世界は俺の常識を容易く越えてくる」
アレスは笑みを浮かべた。まるでセクメトの異常が楽しくて仕方ないというふうに笑ったのだ。
「休戦しよう」
そしてアレスの口から出たその言葉に驚いたのはリースだ。
「なに!?」
これからセクメトと目の前の剣士との殺し合いが始まるからもしれないと思っていただけに肩透かしを食らった気分だった。
「ヒヒ、いいよ、私もこんな狭い所で始めたら店主に迷惑かけちゃうからねぇ」
「えっ!?」
さらにリースはセクメトがアッサリと引き下がったことに驚愕した。
リースは戦うことに狂喜を見出すセクメトが引き下がったことに驚いたのだ。
アレスとセクメトはお互いに剣を鞘に納めた。
「今、凄い音が聞こえたような?」
二人が鞘に納めた瞬間、アレスとセクメトの間の扉が開いて銀髪の美少女が顔を出した。
「ーーあっ、貴方っ!」
アレスとセクメトとリースを交互に見たメリアは最後に目を留めたリースを見て、声を上げた。
「昨日、転移石で逃げた奴ね!」
部屋から完全に出たメリアは戦意を昂らせて銀光剣を顕現させようとした。
それに対してリースは逃げようとしたがセクメトが一切動かないので、顔を引き攣らせたリースのピンチを救ったのはアレスだった。
「待て、リア。ここで魔剣を出したらダメだ」
「アレス!、でも昨日カニスを連れてった奴よ!」
メリアの片手を握って諌めたアレスにメリアはリースの正体を告げた。
「何?」
メリアの言葉にリースを見たアレスだったがメリアの大声に反応して、スカハ達だけではなく他の部屋の人達も出てきて、注目を集めてしまった。
「くっ!、食堂で待ってるから早く来い」
アレスたちから逃げるよりも話をつけた方がいいと瞬時に判断したリースは逃げるつもりがないセクメトを連れて、食堂がある下の階へと降りて行った。
顔を合わせたアレスたちだったがアレスの判断で二人の誘いに乗ることに決めるのだった。
◆◆◆◆
準備を終えてから賑やかな食堂の一角で大テーブルに座る黒妖精の二人組を見つけたアレスたちは大テーブルへと移動した。
「自己紹介は居るか?」
席に着きメリア達が店員に朝食を注文する中、アレスは向かいのリースへと問い掛けた。
「要らないよ、昨日調べた。新気鋭の冒険者パーティー《雷光》だろ」
「俺達も知ってる、《収集家》のリースに《狂剣》のセクメト」
アレスは黒妖精の二人を交互に見て言った。
「チッ、まったく敵対してる冒険者パーティーと宿屋で鉢合わせするとか、最悪だよ」
「リース~、舌打ちは失礼だよ~、私達一応敵に囲まれてるんだから~」
朝食を食べながら間延びした声で言うセクメトにリースは溜息を吐き、メリアたちも掴みどころのないセクメトに微妙な表情になった。
「一つ確認だ、《収集家》あんたは昨日の事件のことをどこまで把握してるんだ?」
暗にサリー誘拐事件とギルド襲撃事件を指すアレスにリースは食事する手を止めた。
「そこの小娘誘拐は元々、別の奴の仕事だったから私は知らない、でも一つ言えるのはギルドのあれはアンタらのせいだよ。アンタらがカニスをシメようとしたからさ」
持っていたフォークでアレスたちを指してリースは告げた。
「それにこっちのことを話す気はないよ、情報が欲しいなら対価を出しな。それが筋だよ」
リースは余裕ありげに言って、アレスたちに情報料を要求した。
リースはこの状況を逆手に取ろうとしていた。
敵対してる冒険者パーティーに朝から鉢合わせしたことは不運としか言いようがないが幸いなことに相手はマーリンのあらゆる事象に対して情報不足だ。
なんとか今の状況を打開してマーリンから逃亡するには金が必要だ、依頼を放棄した為リースは金を欲していたのだ。
しかしそんなリースの思惑もセクメトの一言で崩壊してしまった。
「えっ?、でもさリース~、昨日アイツらからの依頼降りたんじゃないの~?」
「~~~~!!」
百年生きてきて初めて妹セクメトを殴りたくなったリースだったが、何よりも憐れむアレスたちの視線が一番心にダメージを与えた。
「あなたって、なんか可哀想ね」
「うるさい!、黒妖精の私を憐れむな《銀翼》!」
同情をありありと含んだメリアの言葉にリースは声を荒らげるのだった。
長いので分けます。




