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鈴谷さん、噂話です

居酒屋抜歯事件顛末

 本当の大学のサークル活動にはほとんど顔を出さないくせに、飲み会とかそういうイベントごとだけには顔を出すというのはどうかと思う。

 遊びたいだけなのか、異性と出会うのを目的としているのか、はっきり言ってわたしには分からないけど、失礼だし不誠実だしその所為で活動しているのだかしていないのだか分からないサークルに活動費を取られたり、部屋を占拠されたりしてしまうのだから、これは目に見えて弊害がある。

 が、その反対にいくら真面目にサークル活動をしていたとしても、飲み会とかそういうイベントごとにまったく顔を出さないというのもどうかと思う。

 人付き合いはなんだかんだで重要だし、交流によって見えて来るものもあるもかもしれないし、そういうのを楽しみにしている人達もいる訳だし。

 それだってサークル活動を盛り上げる上でとても重要だと思う。

 「要するに、鈴谷さんのことでしょう?」

 と、そこまでを語って、そう同じ席の友人からわたしは言われた。

 それは弱小サークル同士の交流の為に設けられた飲み会で、わたしの視線の二、三テーブル先にはその鈴谷さんがいたのだった。

 「今回は来ているんだから良いじゃない」

 と、友人は続ける。

 「来ている理由が問題なのよ」

 鈴谷さんの隣には、佐野という男生徒がいて、なんだか楽しそう…… かどうかは分からないけど、会話をしていた。

 鈴谷さんはそれはもう地味な外見をしている。恋人どころか、男友達すらできそうにない。

 ところがどっこい、彼女は佐野という男生徒から言い寄られまくっているらしいのだ。今日だって、その佐野君が来るから飲み会に出席しているに決まっている。

 「要するに、あんたのそれは嫉妬でしょう?」

 友人からそう指摘された。

 「違うわよ!」

 と、わたしは即座に返す。

 「佐野君ってかなりのヘタレって有名なのよ? 鈴谷さんが完全に立場が上だって。誰がそんな情けない男が欲しいってのよ!」

 友人はそんなわたしの主張に淡々と返した。

 「そんなの好き好きなんじゃないの?」

 それに別の友人が続ける。

 「それに、ヘタレも考えようかもよ? 佐野君なら絶対に家事とかやってくれるでしょうよ。優位に立てると分かっているっていうのは結婚相手の条件として意外にアリかもしれないわよ。少なくとも威張り散らされるよりはマシだって思うな」

 わたしはそれを聞いて肩を竦める。

 「はっ!? そんなの所詮、妥協に過ぎないわよ。絶対に満足のいく相手じゃない」

 そしてそう主張した。

 すると、友人は「そーいうセリフは、せめて一人くらい誰かと付き合ってから言いなさいな」なんて的確なツッコミを入れて来た。

 友人の言う通り、わたしは誰とも付き合ったことがない。

 悪いか?

 「とにかく、飲み会が苦手な人だっているんだから、そう悪口を言うもんじゃないわよ。鈴谷さんのことを大して知りもしないくせに」

 友人はそんな説教をしてきた。

 「あんたは知っているの?」

 そう尋ねると、少し考えてから、

 「……まぁ、案外、いい人よね」

 と、そう返して来た。

 つまりはあまり知らないのだ。

 「鈴谷さん。困っていたら、助けてくれたりするらしいわよ。民俗学的なこととかで」

 「なに、民俗学的なことって?」

 因みに鈴谷さん民俗文化研究会なんてサークルに参加している。

 「よく分からないけど、知識が豊富な上に妙に機転が利いて、それで助けられたって人が何人もいるらしいわよ」

 わたしはそれを聞いて不機嫌になる。

 「似たような話なら、わたしも聞いているわよ。佐野君絡みで、なんかちょっとした事件を解決しているって」

 つまり、所詮は男の為なのだ。

 「考えすぎだと思うわよー」と、それに友人。

 「あんたが男が欲しいから、そう思えるだけなんじゃないの?」

 それにわたしは「ちが……」と反論しようとしたのだけど、そこで話しかけられた。

 「なに? あんた、男が欲しいのか?」

 見ると、廊下を挟んで反対側で飲んでいた男性客がわたしの目の前にいた。二十代後半くらいで、だらしなさそうな感じの人だった。

 「欲求不満だってぇなら、俺が相手してやろうか?」

 その男性客は明らかに酔っていた。顔が嫌な感じで赤い。まるで赤の絵の具で塗ったくったかのようだ。

 「いえ、ケッコーですから」

 と、それにわたし。頬を引きつらせながら、“これは厄介そうだ”などと不安になる。

 「そう言うなって!」

 と、その男性客はそれからわたしを強引に引き寄せようとした。思わずわたしは反射的に脇に置いていたバックでその男性客の横っ面をぶっ叩いた。

 直接、手では触れたくなかったからだ。もっとも、バッグでも嫌だったけど。

 「痛ぇな! なにすんだ、この女!」

 すると、そう怒って来た。これはピンチかと思ったけど、そこでその男性客と一緒に来ていたらしい男の人に取り押さえられた。

 「すいませんね。こいつ、酒癖が悪くて」

 なんてその人は謝って来た。連れの人達は別に悪くないだろうと思って「はぁ、気にしないでください」と返したけど、気分はその程度じゃ晴れなかった。

 「ああいうのと比べると、ヘタレの佐野君でも良いって思うんじゃない?」

 その後で、そう友人が言って来た。

 「比べる相手が間違っているよ」

 と、わたしは返す。あんなの問題外だ。

 嫌な出来事ではあったけど、それでその気分の悪い事件は終わりだろうとわたしは思っていた。だから忘れてしまおうと。ところが、それから数分後、その酔っ払いの男性客は再びわたしの所にやって来たのだった。

 

 「これ、見ろよ!」

 

 大声で男はそう言った。

 男は何かを指で摘まんでいて、なんだろう?と思ってよく見てみると、それはどうやら人の歯だった。

 「お前に殴られた所為で、取れちまっただろうが!」

 それから男はそう続けた。

 わたしはそれを聞いて目を丸くする。確かに叩いたけれど、それくらいで歯が抜けたりはしないはずだ。

 「どうしてくれるんだよ? これ、暴行罪だよなぁ? あぁ?」

 男はそう言いながら、わたしに凄んで来た。わたしは頭が混乱した。真っ当に考えられない。

 わたしが何も返せないでいると、男は口の端に指を突っ込んで無理矢理広げ、抜けた歯の痕を見せて来た。

 確かに抜けている。

 いくら何でもわたしを責める為に歯を抜いたりはしないだろう。

 なら、本当に抜けたのか?

 あれで?

 わたしには信じられなかった。だけど、実際に抜けている。

 「オラ! どうしてくれるんだよ?!」

 男はそうわたしを恫喝した。店内は騒然となり、さっきのこの男性の連れも今度はそれを止めようとしない。

 店員の何人かが止めに入ろうとしていたが、状況が分からないからか、踏ん切りがつかないでいるようだった。

 わたしは不安のあまりパニックになりかけた。

 そんなタイミングだった。

 

 「……その歯、見せてくれますか?」

 

 鈴谷さんがそこに現れたのだ。彼女は怒っているような表情で相手を睨みつけながら、腕組みをしている。

 「なんだよ、お前は?」

 彼女の態度があまりに堂々としていたからか、男は彼女の登場にやや気圧されているようだった。

 「この飲み会の席の一員です」

 そう毅然と鈴谷さんは返す。

 それから何も動こうとしない男性客に業を煮やしたのか、彼女はつかつかと歩みよって男が摘まんでいる抜けた歯を凝視した。

 「なるほど」

 と、それを見て彼女は一言。

 なんだろう?

 奇妙な間があった。

 見ると、そんな彼女を守る為か、直ぐ傍にまで佐野君がやって来ていた。ヘタレはヘタレなりにがんばっているようだ。

 鈴谷さんは言った。

 「これ、乳歯ですね?」

 わたしはそれを聞いて驚く。

 「乳歯ぃ?」

 思わず近寄って見てしまった。すると、確かに歯根が貧弱で、永久歯のようには思えなかった。

 「おい? 何言ってるんだよ? どうして大人に乳歯が生えているんだよ?」

 男は目を泳がせながらそう言った。しかし、鈴谷さんは動じない。

 「一部分に永久歯がない人というのは、それほど珍しくないんです。そういう人の場合、乳歯が大人になっても残り続けるのですが、乳歯には寿命があり、二十代で抜けることもままあるのだとか……

 あなたのその乳歯は抜けかかっていたのではないですか?

 それで彼女にちょっかいをかけて殴られた腹いせに、あなたは乳歯を無理矢理抜き、彼女に殴られて抜けたことにして彼女を責めることを思い付いた……

 そんなところじゃないですか?」

 それを聞き終えると、男は今度は「素人に乳歯かどうかなんて分かるのか?」と強引に押し通そうとしてきた。

 すると、鈴谷さんは「佐野君、お願い」とそう言う。それを受けた彼は、即座にスマートフォンで乳歯を撮影した。

 「この画像を歯科医のサイトに送れば、直ぐに見てくれるわ。そうすれば、その歯が乳歯かどうかは直ぐに分かるけど?」

 鈴谷さんは男を見下した冷たい目で淡々とそう言った。

 男はそれで目を泳がす。

 「はは」

 と、誤魔化す為にか笑った。

 「冗談に決まってるだろう? 何、言ってるんだよ?」

 そして、その後でそう続けた。

 男の連れの人が、肩をぽんと叩くとわたし達に向けて頭を下げた。居たたまれなくなったのか、それから直ぐに彼らは店を出て行ってしまった。

 それを見て、鈴谷さんはわたしに顔を向けた。

 「怪我は?」

 わたしは首を横にフルフルと振る。

 「そう。良かった」

 鈴谷さんはそれを受けるとそう言って、自分の席に戻って行った。

 わたしも席に着く。そこで友人が訊いて来た。

 「鈴谷さんのことをどう思う?」

 わたしはこう返した。

 「……まぁ、案外、いい人よね」

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