007-まだカニを食べていないことに気づく
村でも有数の小金持ちになった僕は、昼間から村の中をぶらぶら歩いてみんなと世間話をして回る。世間話と言ったって、そんな大した言葉は話せない。野菜に水やりをしているおじさんに話しかけて、「元気か?」と聞いて回るくらいだ。
これが物語の中だったら、奇跡的に習得した特殊能力で、最初から気軽に話ができるようになっているはずなのだが、現実は物語とは違う。こちらが「元気か?」と話しかけると、向こうはいろいろな知らない単語を山のように話す。
僕は分かっていないのだが、分からないという顔をすると、そこで会話が途切れてしまうので、なんとなく分かったという感じで、「そうか、そうか」と相づちをうつ。それを繰り返すと、なんとなく、簡単なコミュニケーションが成り立つという感じ。
今日も村の中をうろうろしていた。村の中央には、家が集中しているエリアがあり、そこを外れると広い野菜畑がある。少し大きな家には、ヤギや豚を家畜として飼っている家もある。
そして、ひとしきり声を掛けたら、村を出て洞窟の外に出て海辺に行く。諦めが悪いが、救助隊が来ていないか確認するためだ。
・・・
そんなわけで、今日も海辺に来た。海辺に来ると、岩と岩の間にたくさんのカニを見つける。僕は今日麻袋を持ってきている。
そう、この麻袋で何をするのかというと、カニを大量に捕まえるんだ。この島に来て最初の目標だったカニを食べていないことに気づいたのだ。
逃げ回るカニと格闘すること数時間。岩の間をのぞき、カニが居たらさっと掴む。何度か挟まれて痛い思いをしたり、岩につまづいて転びそうになったりした。
本当は、ズワイガニのような大きなカニを捕まえたいと思っていたのだけど、それほど大きなカニは海岸沿いにいるはずがなかった。
とは言え、一応、袋の中にそこそこのカニを集めることができた。なかなかの充実感がある。これで美味しいカニを食べられる。
・・・
よだれを垂らしながら家に戻って来て、サラちゃんにカニの入った麻袋を渡す。
そして、カニを鍋で茹でて欲しいとジェスチャーで伝えた。
しかし、サラちゃんは困った顔をしている。あれ?通じないな。それで思い当たったことがある。
「あっ、この村には鍋がない!」
それどころか、水を沸かしているのも見たことがない。
ただし、村に火はある。日常的に火は使っている。原始的だが鳥を木の棒に突き刺して、下からあぶることで鳥の丸焼きを作っている。
そう、この村には、茹でたり揚げたりする技術がないのだ。捕まえたカニを、茹でるか油であげるかして食べたかったのだが・・・。
それは、つまり、苦労して捕まえたカニが無駄になったということを意味している。さすがに生で小さなカニを食べる勇気はない。
ガッカリうなだれた肩を落とす。すると、サラちゃんが、僕に優しく声をかけてくれる。何を言っているのかは分からないが、雰囲気的は「そんなに落ち込まないで。」とかそんな感じだ。それで僕はサラちゃんに元気のない笑顔を返す。
そして、僕の次の目標が決まった。
「粘土職人を卒業して『土鍋』を作ろう!」
・・・
ただし、僕は陶芸に関しては素人だ。そのため、そんな簡単に土鍋が完成することはないと思っていたが、やはり、土鍋への道は厳しいものだった。
目標を立てた翌日から、僕の日課は麻袋にたくさんの赤土を集めることから始まった。午前中に土鍋らしき器の形を作り、午後になると火で焼いてみるのだった。
自分では火を点けられないので、毎回、サラちゃんにお願いしてやってもらうのだが、火が消えて確認してみると、バリバリに割れてしまっているのだ。何度も失敗するので申し訳ない。
しかし、これしきのことで諦めるのは早いと言える。都合の良いことに、僕は村の客人であり、基本的に仕事がない、そして、先日の人形作りでそこそこ儲けているので、多少のわがままはみんなに聞いてもらえる立場にあるのだ。
失敗に失敗を重ねる。そのうちに鍋の形を作るのだけは上手になってきた。最初に粘土を細長い棒状にしておいて、それを巻いていくことで造形を行う。
そのうち火で焼かなくても、何日も放置しておけば、お皿っぽいものとして使えることに気づいた。村人が人形を買いに来た時に、焼く前の鍋を見つけて、買っていくこともあった。
多少水に濡れたとしても、それなりに使える。そんな訳で、土鍋は完成していないのだが、木皿に代わる土のお皿として、売れている。新商品の誕生だ。
また、焼いてバリバリに割れた鍋だが、それなりの大きさと強度があるものもあった。そこで、ちょっと形を整えて、穴掘り用のスコップ?とか、麻紐で縛ってアクセサリとして売ってみた。すると意外と売れる。
これもこれでありか。とは言え、土鍋の失敗作だ。なんとか完成させたい。
それで、焼く前に水に浸してみたり、土の中に埋めて上で焼いてみたりと、いろいろやってみるのだが、同じように割れてしまうか、焦げがつくくらいで強度が上がるわけではなかった。まだまだ、いろいろ実験が必要そうだ。
それで、すぐに土鍋を完成させようという熱がちょっと冷めてしまった。焦らず、コツコツと、思いついた時にいろいろな方法を試してみよう。
・・・
それから数日後の朝、新鮮なサラダを食べていたら、急に日本の会社のことを思い出した。
急にCTOの僕がいなくなって、困ったりしていないだろうか。きっと社長に迷惑をかけてしまったよな。
それでも、これまで僕は徹底した業務のマニュアル化を推進してきたから、僕がいなくなって困る部署はないだろう。それだけが、安心材料だ。
そして、優秀な僕の片腕たちのことを思い出してみる。彼らなら、僕がいなくなったって、十分僕の代わりを務めることができるだろう。
そう思ったら、ちょっと悲しい気もしてきた。自分で自分が要らなくなる職場を作ってきたのだけど、実際いなくなってみて、どうだっただろうか。誰も気にかけてくれていないかもしれない。それどころか、目の上のたんこぶがなくなって清清したとか思われていたら嫌だな。
とは言え、両親は心配しているだろう。そう言えば、母親と最後に話したのはいつだったろう。去年の年末年始に顔を見せたきり、電話もしていなかったな。日本を発つ前に電話くらいしておけば良かったな。
母親のことを考えたら、急にホームシックになってきた。日本に帰りたい。このサラダは新鮮で美味しいけど、朝から焼き鮭と味噌汁と納豆が食べたい。
思わず一筋の涙が流れ落ちた。
そのとき、サラちゃんがそれに気づいて「どうしたの?」っていう感じで話しかけてきた。サラちゃんに加えて、お母さんも気遣って声を掛けてくれる。何言っているか言葉は理解できないけど、言葉の調子で理解できる。気持ちは伝わるものなんだ。
いやいや、ごめん。ちょっとしたホームシックなんだよ。僕は心配をかけまいと笑顔に戻して頷いた。
言葉は分からないけど、二人は「私たちがいるからね。ここを自分の家だと思ってね。」と声をかけてくれた気がした。
うっかりして、心配かけてしまった。
「サラちゃん、僕は君たち親子と一緒に過ごせて幸せだよ。」
通じないと分かっていても、日本語でそう答える。
言葉はまだまだ分からないけど、この日、僕はなんだか家族に入れて貰った気がした。