9話 実は怒りはかなり怖い
――一号side
「な、なぜだ」
俺はとっさのことで口調と悪役のような性格に変えるのを忘れていた。いや、そんなこと考える暇などなかった。あの変装の名人の三号がおぞましい姿となり果て倒れているのだ。このマスクの傷を見るとかなりの力で殴られたようだ。
いったい誰が。
俺には一向にわからなかった。
「……そんな」
二号は冷静さを失っていた。なぜこんなことになっているのか。三号は変装をしていたはずだ。三号の変装は見分けがつかないほどのはずだ。……まさか、三号の変装がバレた? そんなわけが……。するととっさに、
「……運ぼう」と二号が言った。
「……わかった」
早く草むらに三号を運んで、治療をしてやらないといけない。俺と二号で一号を担ぎ、草むらへ運んだ。
応急処置は終わったが、三号の意識はまだ戻ってきていない。この三号を倒したヤツは異常なヤツだ。それでなければ、ここまで顔面を叩き潰す必要はない。鼻を折り、歯を折り、耳から血を流し、顔全体を痣だらけにした。そんなヤツを許せない。
「くそ、許さねぇ」
いったい誰にやられたんだ。
誰だかはわからないが、俺はそいつを殺す、という目標を掲げ立ち上がった。そして城に向かおうと一歩踏み出したとき、
「……待て」
一瞬、何がなんだかわからなかった。二号に止められるとは思わなかったからだ。そして少しずつ状況が理解できた。
「なぜ止めるんだよ! お前だって三号を倒したヤツを許せないだろ!」
「……俺が行く」
「なっ……」
信じられなかった。まさか二号が自分から行くなんて。いや、よく考えたら俺よりは二号のほうがいいだろう。二号は声真似の達人だ。老若男女さまざまな声を真似することができる。だが、変装は三号ほどうまくはない。
「……変装してからじゃないと危ないな」
口数が増えていくことにも驚く。こいつ、こんな喋るヤツだっけ?
二号は三号が着るタイシードを慎重に脱がせ、そのタキシードを着た。すると二号がポケットから何かを取り出した。それは腕時計だった。確か三号は腕時計を着けてから侵入したはずだ。どういうことだ?
と、二号が、
「なるほど」
「わかったのか?」
と訊いた。
「ああ、これはたぶん腕時計を着けて行ってはいけない、ということだろう。そうじゃなかったら外したりすることなどないからな」
「そういうことか」
納得した。つまり城内での時間確認はおそらく壁にかかっているのであろう時計で確認するしかない、ということか。
すると二号は、三号の荷物から何やら大きな袋を取り出した。それは三号の変装キットだった。この変装キットには、あらゆる変装をするために変装道具をまとめ入れているものだ。二号はそのキットからガサゴソと何かを探し始めた。
「……これでいいだろう」
二号は変装キットからマスクを取り出す。どうやら二号はマスクを探していたようだ。それはあの執事の顔に似ていた。なぜこんなものが……。
「……失敗作とは聞いていたが、問題ないな」
二号はそのマスクを被る。その姿はあの執事とは少し違うが、マスクだけだと執事だと思ってしまう。しかし、二号はあの執事よりは身長が少し低い。あの資料によると城の執事は一八〇センチほど。それに比べて二号は一七五センチだ。三号なら身長も変えることができるが、二号はその技術がない。この身長差はかなり危ういのだ。
「大丈夫か? 身長はバレないのか?」
これに関しては変える術はない。どうしたら。
「それは……あきらめるしかない」
やはり信用できない!
「それじゃあ俺が……」
俺でも一八〇センチには届かないが、それくらいはある。二号よりはマシなはずだ。
「それはさせない」
二号は今まで見たことも無い、真剣な眼差しでこちらを見る。
「……なぜだ?」
「一号のほうが信用できないからだ。よく変装失敗するじゃないか」
ぐっ、それは反論できない。
だが二号もこういうことにはあまり信用はできない。俺ほどではないが、この変装が原因で何度か暗殺や強盗に失敗したことがあるからだ。でも二号は仲間だ。仲間だからこそ俺は信用してやりたい気持ちがある。
「俺は声がある。あの音声資料で練習してきたからな」
確かに依頼主から録音機をもらった。その中には城の執事の声が入っていると依頼人が言っていた。あのとき依頼人が頼まれた物としてもらったが、俺は頼んだ覚えがなかった。声といったら二号なので二号に渡したのだが……。あれは練習用だったのか。そこまでしてこの仕事を……。
「……わかった。頑張ってくれ」
俺は二号を信用することに決めた。そして成功を願い、俺は二号に握手を求める。
「……あぁ」
二号はそれに応じ、握手をした。そしてその手を離したあと、何も語らずに城の裏口へと行った。頑張ってくれ。成功を祈る。
「……そうだ、一号」
二号は振り向いて俺を呼んだ。
「なんだ?」
「マスクに殴られた跡を書いてくれ。一号は絵がかなり得意だったろう?」
そう、自分で言うのもなんだが、俺は絵が得意だ。俺たち三人は役割がある。変装は三号。声は二号。絵が俺、一号である。正直、あまり絵は役立ってないが、まさかこういうときに役立つとは思わなかった。
「わかった。今から準備する」
自分の荷物から筆と絵の具を取り出した。
「これでいいだろう」
我ながら良い出来だと感心する。リアルな切り口が妙に気持ち悪い。
「……行ってくる」
「頑張ってくれ」
二号は微笑みを見せた後、真っ直ぐ城の裏口まで歩いて行った。そしてドアを開け、城の中に入って行った。
二号、頑張ってくれ。
意識的かどうかわからないが、二号を応援していた。
そういえば何かを忘れている気がするな。なんだろうか。
――二号side
俺は一号に見送られたあと城の裏口のドアを開け、内部に入る。するとそこは厨房らしく、コックの格好をした男がいた。そのコックが俺を見た途端、訊いてくる。
「おい、ジョージさん。その傷、どうしたんだ?」
ジョージ……。この執事の名前か。執事なら丁寧な言葉を使うべきだろう。
「えぇ、問題ありません。先ほど何者かに殴られまして」
三号の怪我の状態を思い出しながら、そう言った。言った途端、コックは驚いた表情を見せる。
「なぜだ? ジョージさんならそんなヤツの攻撃を避けて、一網打尽にするだろ?」
俺は愕然としてしまった。
……嘘だろ? ジョージって何者なんだ? ……わからない。この城の内部の人間がわからなくなってきた。
そこにコックは何かを閃いたようで、
「そうか! まさか――」
コックが目を薄めて俺を凝視する。
まさか、変装だとわかってしまったか? それでは三号のやったことや報酬が無駄になってしまうではないか。仕方ない。ここで仕留めるしか……。
俺は腰のあるナイフに手を添える。すると、
「――ジョージさん。さてはわざとですね?」
コックは歯を見せながらニヤッと笑った。
「……ハハハ、そうなんですよ。あれくらいなら避けられたのですが。油断させるためにわざと――」
「ハハハ! そうかそうか! なら仕方がねぇな」
コックは安心した様子で、右手を俺の肩に乗せて大きく笑いだした。
危ないところだった。バレたかと思った。
「ハハハ! ……それにしてもその傷は酷いな。すぐに手当を」
それは困る。何かされたら変装ということがわかってしまう。
「結構です」
丁重に断りを入れ、そこから走り、目標の地点へと向かった。
城の内部をキッチリと覚えてきたので、食堂への道順はわかる。
壁にかかっている時計を確認する。今の時間は十二時十分。もうすぐで食堂に着く。まだ食堂にいてほしいのだが。
変装をしているので、廊下を通る使用人にはバレていない。
確か階段を上って、右の角を曲がってすぐだったはずだ。
赤い絨毯を敷いてある階段を上る。そして右の角を曲がろうとしたその時だった。
『ジョージィィイイイイ! どこ行ったァァアアアアア!』
俺はこのけたたましい咆哮を耳にした瞬間、体が酷く身震いをした。なぜかはわからないが、得体のしれない巨大な魔物が、目の前に立っているような感覚だった。
――姫様side
気持ちいい。とても気持ちいい。なんだろうこの感覚は。なんだろうこの快感は。なんだろうこの幸福感は。あぁ、気持ちいい。
喜びからか、無意識に右手を握り締めた腕を天に掲げていた。
「こ、これが、ガッツポーズ……」
わたしは今までガッツポーズなるものを行ったことがなかった。今まで負け続きのわたしがガッツポーズなどできるわけ無く、毎晩毎晩ベッドの中でヒソヒソと泣いていたのだ。そんなわたしに転機が来た。やっとガッツポーズができたのだ。
「ジョージを……、吹っ飛ばせた」
それは今までにないほどの快感だった。恨みに恨んだ人間を殴るというのはこれほどまでに気持ちの良いものだったなんて。すぐに次の行動に移そう。
わたしは、ジョージが突き破った窓の外を見るため、割れた窓へ行く。そこにはジョージがいて、不様にのた打ち回っていることだろう、なんて思っていた。
窓に近づけば近づくほど体が火照っていき、呼吸が荒くなっていくのがわかる。
興奮させてくれるものを見たい。快感を得るものが見たい。そう思いながら窓の外を見た。だが、そこには……、
「う、嘘でしょ?」
一瞬にして全身の体温が奪われた感覚を持った。
信じられなかった。信じることなどできるわけがない。だってほら、わたしは確かに顔面と腹に一発ずつ、本気で殴ったのに……。
そこには、ただ草むらだけが見えていた。そう、草むらだけである。至るところを探しても黒い塊がどうしても見つからなかった。
どうして、移動できるの? 本気でパンチを食らわせてあげたのに、なぜ?
わたしにはあいつのことがどうしてもわからない。確かに普通の人間では不可能な動きを幾多と見せつけられてきたが、あれを食らっても動ける肉体を持っていることは知らなかった。
「…………」
今までわたしはあんなヤツと戦ってきた。だが、一回も勝てなかった。拳を当てることさえでいなかった。そしてやっと当てた。当てて吹っ飛ばせた。それでも動けるあの肉体。
わたしは恐怖心に駆られた。だが、それとは裏腹に、好奇心が湧き水のごとく溢れ出す。
楽しい。もっとやりたい。あいつの真の姿を見たい。
そうを思うだけで身震いする。怖いのだ。怖くて仕方がないのだ。だけど戦いたい。拳を交えたい。ただそれを感じたかった。
わたしは息を大きく吸い込む。そして、あいつと戦いたい一心で突き破られた窓から顔を出し、ジョージに聞こえるようにこう叫んだ。
『ジョージィィイイイイ! どこ行ったァァアアアアア!』
心も底から何かが溜り、溢れ出す感覚があった。それが全身へと駆け巡る。その瞬間、視界が闇に染まった。
わたしの意識が急に途絶えた。
「ヒヒッ」