12話 敵は意外に頭が良い
俺は獣に目掛けて走る。
首に突き刺す。根元に食い込むまで押し込む。それを目標とし、特攻した。命を捨てる覚悟くらいはとっくにできている。あの二号と三号を倒しただろう、姫様を殺せればいいんだ!
獣は顔をこちらに向けた。その顔は妙なくらい無表情だった。そのあとに獣は白い歯を見せる。
「やってやる! やってやらぁぁああ!」
どんどん獣へ近づく。ナイフを持っている腕を高く上げ、勢いよく振り下ろす。
「くらえ!」
「……ヒッ」
振り下ろしたナイフは何も刺さなかった。
微かな声が聞こえたときにはもう、獣はいなくなった。消えたのだ。
「ま、マジかよ」
確かに俺は、視線を獣に向けていた。常に向けていたはずなのに消えた。いったいどうやって……。
「ヒヒィ」
突如、上から笑い声が聞こえた。……まさか!
上を素早く見る。そこには獣が爪を天井に食い込ませ、ヤモリのように這っていた。
「ヒヒッ」
獣は不気味に笑った。
おい、……これって、ありかよ。
獣は天井を蹴り、俺に突っ込んできた。とっさのことだったが、ギリギリでかわす。
「ヒヒ」
かわしたのだが、肩から腰にかけて、刃物のような傷ができる。
くそっ、あいつのパンチか!
そのパンチのせいか、床に円状の穴が開く。
着地した瞬間、獣は裏拳で攻撃する。
「うっ」
足に直撃する。強烈な痛みが足から全身へと駆け巡る。
バランスを崩してしまい、膝から崩れ落ちる。だが、隙を作ってはいけない。作ったときが……、
「おらっ!」
ナイフを獣に向けて振る。だが、獣は予測していたかのように避ける。
「…………」
避けたあと獣は立ち、手の力が抜けた状態のまま、ピクリとも動かなくなった。
……どうしたんだ? いや、これはチャンスじゃないのか?
その隙に腰から投げナイフを取り出し、投げる。その本数は五本。右足、左腕、首元、腹、胸に狙い定めた。この投げナイフの刃には即効性の神経毒が塗ってあり、少しでも傷をつければ全身がマヒし動けなくなるという強力なものだ。投げナイフが獣に向かう。どれか当たればあいつは動けなくなる。首にでも当たれば……、
「フフッ」
獣は不敵に笑う。この状況で笑えるとは、良い度胸じゃないか。
投げナイフは対象へ突き進む。どれでもいい。刺され!
そのときだった。
「なっ」
俺は目を見開いた。
獣は両腕を動かし始めた。向かってくるナイフを避けようとせずに。
両手は中指と人差し指を立て、他の指は折り曲げている。各ナイフは一斉に投げたわけではないため、すべてのナイフの速度は一緒ではない。……もしかしたら、もしかしたらだ。獣はナイフを指で挟もうとしているのではないか?
結果はすぐに出た。予測通り、獣は二本の指で刃先を挟み、後ろへと投げる。それを両手で繰り返す。最後のナイフに至っては、右手を握り締め、ナイフを殴り飛ばしたのだ。
ここまでいくともう人間では無い。いや、もうすでに人間では無いか。俺は人間と相手をしていない。そういうことになる。あんなヤツと戦闘しているだけでもすごいことなのだろう。さらに俺はまだ生き残っている。それでもすごいことのはずだ。
投げナイフを五本使っても殺すこともできず、しかも傷一つさえつけることができない。さらには指で挟む始末だ。勝てないと確信してしまいそうだ。だが、俺はやる。せめて傷一つでもつけられるのなら、俺はやる。やってやる。
あと一本だ。あと一本しか投げナイフがない。それが無くなったら接近戦となってしまう。それだけは避けたい。
獣が動き出す。こっちへ向かうのかと思ったが、後ろを向いた。そして、身を屈めてチャラチャラと音を立てながら、何かをしている。その何かはすぐにわかった。
獣が立ち上がりこちらを向いたとき、手にはキラキラと光るものを持っていた。
それは俺の投げナイフだった。それを拾い集めていたのだ。
まさかあいつ、投げナイフを使えるのか? ある程度練習でもしないと使えるはずがない。しかもあれは一応一国の姫様だ。さすがに投げナイフなど練習しているわけが……、
ヒュッ
耳元から風切り音が聞こえた。前方には獣が何かを投げ終えた体勢をしている。俺は何かがあるはずの後ろを向く。そこには投げナイフが壁に深々と突き刺さっていた。柄の近くまで刺さっているのには目を丸くするしかなかった。
なんという力だ。どんな投げナイフの使い手でもそこまで深々と刺さるわけがない。
獣が投げたときを思い出す。その投げナイフの速度は、……見えなかった。見えないほど速かったのだ。あれに当たってしまったら体を貫通するかもしれない。だがナイフが目に見えなくとも回避はできる。相手の目線の動きを読めば避けられる。運が悪かったらそこで終わりだが……。獣は投げたあと、少しの間隙を作る。そこを狙う。すべてを投げ終えた瞬間。そこが狙い目だ。
獣の持つ投げナイフは三本。一本は獣がかなり遠くに殴り飛ばしたので手持ちには持っていない。ここからは集中力の勝負だ。やるしかない戦いなのだ。
白い歯を見せながら、獣は投げナイフを投げる体勢に入る。獣の目を凝視する。どうやら獣は頭部を狙っているようだ。さっきの投げナイフから見て、まだコントロールはそこまで正確ではないようだ。
……来る!
獣は投げナイフを投げる。どこに刺さるかを予測しているので、右へと回避する。ナイフが柄まで壁に突き刺さる。刺さった場所はやはり頭部あたりらしい。それさえ読めればいける。残り二本。頑張れ、俺!
獣はまた投げる。予測地点は頭部。投げるとき、左へと転がりそれを避ける。ナイフは壁に深々と刺さる。残り一本。獣は投げた。目を凝視する。やはり頭部を狙っている。投げる瞬間に右へと回避する。それも深々と壁に刺さる。
今だ!
俺は投げナイフを持ちすぐさま投げた。獣は隙を作っている。投げたナイフは獣の首元へと進む。
いけ! いけぇ!
「グアァァァアアアア!」
苦しみの混じった獣の叫び声が、この城内を響き渡らせた。
当たった。当たったのだ。獣はすぐに回避しようとしたが、ナイフは左腕の肉を少し切り、壁に突き刺さった。獣の左腕からは鮮血が流れる。ここにきてやっと傷をつけることができた。
「アアアアアアアアア!」
獣は痛みからだろうか、腕を押えながら叫ぶ。腕を振り回し、壁に穴をあけ、長机を破壊する。と、神経毒が効いたからか、手から力が抜けたようにぶらんと落とした。獣は立っている。なかなかだと思う。だが、この状態だと回避することなどできない。
この瞬間だ。この瞬間に首を掻っ切る!
すぐに行動を起こす。床を蹴り、獣へと突き進む。そしてナイフを構え、首元を狙う。
首元に刺せるか刺せないかという瀬戸際だった。獣は、白い歯を見せていた。
……笑っている?
刹那、獣は右手の拳を握り締め、その拳を俺へと向けた。
……まさか! こいつ、神経毒が効かないのか! ウソだろ、ありえない!
その拳は速度を上げ、俺の頭部へと進む。
やられた。そう思った瞬間だった。
「へぶっ」
顔面に一撃が入る。持っていたナイフは手元から床へ落ちた。俺は宙を舞う。殴られた勢いでだ。そのまま割れていない窓へと飛ぶ。窓を突き破る。ガラスが割れる音が耳に響く。外へと飛んでしまったのだろう。
青空が見えた。雲一つない青空だ。ここまで美しい空は見たことがなかった。ふわりと落下する感覚を持つ。空を眺めていると急に眠気が襲う。俺は重いまぶたを下ろした。俺の意識は……、そこで途絶えた。
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上からガラスの割れる音が聞こえた。そのほうを見ると、そこには人が落下してきて、その人が目の前に落ちてきた。勢いよく落ちてきたので、体のほうは大丈夫だろうかと心配した。
「三人目です。これで全員でしょう」
わたしは兵士に言った。
「わかりました」
兵士は頷いた。
この兵士は、あの侵入者の二人が全身に怪我を負っていたところを見たときはかなり驚いていたが、今ではなんの驚きもせず冷静さを保っている。もう慣れてしまったのだろう。
落下してきた人を、兵士たちが慎重に担架に乗せた。
「慎重に運んでくださいね」
そう担架を持った兵士に伝える。
「はい、わかりました」
兵士たちはわたしに装った男を運んで行った。
その男たちはこの国最大の病院へ搬送する。死んでしまっては後に困るからだ。
ちゃんと体が治ったら然るべき場所に連れていく。この事件をすみずみまで聞かなければならない。
「では、わたしは食堂に向かいますので」
残った兵士は心配そうな顔で、
「はい、お気をつけて。団長」
わたしは後ろを向き食堂に向かうべく、城内に入った。
食堂へと入ると、一人で不敵に笑う姫様の姿が見られた。壁には何本か投げナイフが深々と刺さっており、床には黒く変色した血痕が。長机が粉々に砕かれており、窓は二枚も割れていた。
この光景を見たとき、わたしは少しだけ驚いた。半年前よりもかなり成長しているからだ。だが、それとこれは別だ。この城の食堂を荒らされてはあとで面倒になるからだ。
「はぁ、なんてことを……。掃除が大変ではありませんか」
顔を手で押さえながら姫様に聞こえるように言う。使用人がどれだけ大変か、という意思を伝えるためだ。
「ヒヒヒッ」
一国の姫様らしくない、魔女のような笑い声を出した。
姫様はわたしのほうを振り向く。
姫様の目からは淡く赤褐色の光を出しており、口からは白い靄のようなものを出していた。服は左腕を除き、目立つ汚れは無かった。
「腕に怪我をしているではありませんか」
こう言えば心配そうに聞こえるだろう、と考えながら言った。だが、姫様は右腕を伸ばし、襲いかかってきた。どうやらわたしに向かって、いつものゆっくりとしたパンチを行うようだ。
「はぁ、面倒くさいですね」
突撃してきた姫様のパンチをかわし、うなじに手刀を喰らわす。そのせいか、姫様はうつ伏せに倒れ、伸びてしまった。
面倒だ、と思ったわたしだが、執事を任されているので仕方なく、
「――運びますか」
わたしは重い姫様を担ぎ、姫様の部屋へと運んだ。




