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僕の嫌いな夏の話

作者: 涼

「どの季節が好き?」

という質問に対して、僕は必ず、夏以外、と答える。

その答えを聞いた人は大抵、

「夏は嫌いなの?」

と問うてくる。

そうなのだ、僕は夏が嫌いなのだ。

その理由は話せば長くなるのだが。

僕が夏を嫌う原因となったあの日のことは、僕はいつまでも忘れないだろう――

 

 その年は日差しの強い猛暑日が続く年で、その中でもその日は特に酷く蒸し暑かった。

当時の僕は小学五年生で、母の里帰りに付いて祖母の家に来ていた。

祖母の家の周りは、見渡す限りの田んぼと、その中にまばらに建つ大きな平屋の家しかないような場所で、そんなところに二週間もいるということなのだから、僕は初日から不貞腐れた顔をしていた。

 昼過ぎに着いて、畳敷きの客間で祖父と祖母と冷たい素麺をすすった後には、もうすでにやることがなくなった。

僕は一人っ子なので一緒に遊ぶ兄弟もいなかった。

「暑い……暑いなあ……」

と、ぼーっと外を眺めながら、三十秒に一回程呟く僕を見かねて、祖母は言った。 

「そんなに暑いのなら川に遊びに行ったらどうだい。家の前の道を山の方にしばらく歩けば、お前さんが一人で遊んでも危なくないくらいの小さな川があるから」

聞けば、去年までは僕がその川で遊ぶにはまだ小さく危険だったので教えていなかったが、小学五年生にもなればもう大丈夫だろうということでその川を教えてくれたということらしい。

別に外で川遊びする気分でもなかったのだが、かといって祖母の家にいても特にやることもないので、僕はしぶしぶとその川へ向かうことにした。

 家の前の道を山の方に歩く。

結局川までは十分ほど歩けばついたのだが、その間に二回ほど、暑すぎて視界がゆがんだ。

家を出るときはそれほど乗り気ではなかった僕だが、ついたときには一目散に靴とシャツを脱いで川に飛び込んだ。

その川は祖母の言っていた通り、深さは僕の膝ほどしかなく、幅も僕が寝転べば向こう岸に手が届くほどの小さな川だった。

川のすぐ隣に山があるためか、川べりには草木が生え並んでおり、それがいい感じに川を日光から遮ってくれている。

そのため、川の水はこの気温の高さからは想像できないほど冷たかった。

照り付ける日光と蒸し暑さのせいで熱のこもった僕の体を、芯までゆっくりと冷やしてくれるような心地の良い冷たさだった。

 川上の方へと泳いでみたり、川の流れに身を任せて揺蕩ってみるなどして二十分ほど遊んだ頃だろうか。

川べりの草が、がさっと音を立てたのが聞こえた。

川底に立ってそちらの方を見ると、そこには僕と同じ年ほどの女の子がいた。

肩くらいまである長い黒髪を垂れ下げたその少女は、大きな瞳で僕をじっと見ている。

僕もまた、彼女のことをじっと見つめた。

いや、見惚れていた。

僕は生まれて初めて、何かに目を奪われた。

それほど彼女のことを美しいと感じた。

見つめていたのはせいぜい十秒ほどであろうが、僕にはその何倍にも長く感じた。

「何してるの?」

彼女の声に、僕ははっとした。

「いや、ただ遊んでただけで……その、今日からおばあちゃんの家に来てるんだ」

「そうなんだ、一緒に遊んでもいい?」

「あ、うん。もちろん」

そう言うと彼女は靴を脱いで川に足をつけた。

僕も少し緊張しながら川に足をつけて川辺に座った。

「私もね、おばあちゃんの家に遊びに来てるの。この川は私のお気に入りの遊び場所だったんだ」

「ああ、そうなんだ……ごめんね、邪魔しちゃって。」

「ううん、こんなところに人がいたから驚いただけ。一人で遊ぶのに飽き飽きしてたから、むしろ君がいてくれてよかった」

そう言ってはにかむ彼女を、僕は直視できなかった。

川の水で体は冷えたはずなのに、顔だけは火が付いたように熱い。

「どうしたの?」

きょろきょろと目を泳がせる僕に対して不思議そうな顔で彼女が聞いてくる。

「いや、なんでもないよ」

 それから、夕方になって空がオレンジ色に染まるまで、僕と彼女は川に足をつけながら話

をした。

彼女が家で飼ってるペットのこと。

最近読んでいる本のこと。

学校の宿題が終わらないこと。

そんなとりとめもないことをずっと話していたのに、なぜか照れ臭くて最後まで君の名前は聞けなかった。

「そろそろ帰ろっか、もう家でみんなが待ってるかも」

「そうだね」

自分の靴を一足ずつ両手に持ちながら、僕らは裸足で元来た道を歩いた。

僕は君の少し後ろを歩いて、君に気づかれないように夕日に照らされた君の横顔をじっと眺めていた。

 別れる曲がり角がいよいよ近くなった頃、君が僕の方をゆっくりと振り返った。

「ねえ」

その時、生温い空気を纏った向かい風がひゅうと吹き、君の長い髪をなびかせた。

その綺麗な黒髪からは、今まで嗅いだことのないような甘い香りがした。

「今日はありがとね。すごい楽しかった」

「うん、僕も……ねえ、明日もまた会えるかな」

「……それは、できないの」

「えっ?」

「今まで黙っててごめんね。私、明日には自分の家に帰るの」

「……」

その時、僕はおそらく初めて君と真正面から向き合った。

やはり君の瞳には、僕を引き付ける不思議な力があるみたいだった。

君は少し泣きそうな、しかし全てを受け入れたようなすっきりとした笑顔をしていた。

「……じゃあね」

その一言だけを残して、彼女は自分の帰る方へと走っていった。僕は何も言えずに、君の後姿が見えなくなるまでそっちをずっと眺めていた。


 結局、この日を限りに、僕が君と会うことはなかった。


 あの日、僕は帰ってすぐに祖父と祖母に川で会った女の子の話をした。

どうにかしてその子の情報が知りたかった。

祖父も祖母も、その女の子のことを知っていた。

その子の名前はカヨコと言って、祖母の家から少し離れた所に住んでいた中島というおばあちゃんの孫らしかった。

そしてそのおばあちゃんは、夏の始まる一ヶ月ほど前に夫を亡くしたから、その年の夏を最後に息子家族と一緒に暮らすことを決めた、という話を聞いた。

つまり僕が知ったのは、自分では聞けなかった彼女の名前と、もう彼女と会うことはできないという事実の、その二つだった。

 彼女は知っていたのだろう。

小学生の自分たちではもう会うことはできないということを。

だから、別れる最後まで何も言わず、笑顔のままでいたのだろう。

君が僕のことをどう思っていたかは分からない。

もう知る術もない。

ただこれだけは分かる。

たった一日の出会いだったけど、自分で名前も聞けなかったけど、あれが、僕の初恋だった。


 あの日からもう十年以上が経った。

僕もそれなりに恋をしたし、あの初恋は、心の中で初恋という綺麗な箱の中にしまってある。

しかし、それでもなぜか、あの日のような酷く蒸し暑い日には、ふと君の顔が脳裏に浮かぶことがある。

夏の生温い風が吹くと、あの甘い香りがするときがある。

その度に僕の心は、どこかがちくりと痛むのだ。


――だから僕は、夏が嫌いだ。


初めての作品です。書き終えたときは、座っていただけなのになんだか心臓がどきどきしてました。


感想やご指摘、評価等をいただければとてもうれしいです。よろしくお願いします。

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