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浪人列伝  作者: 宮本護風
グランヴァール王国編
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第十七話 佳境

 美しい緑に囲まれ、草原にそびえ立つ立派な邸宅。空は雲ひとつなく晴れ渡り、太陽から燦々と光が降り注ぐ。窓から入り込む光が暖かく、それがちょうど机に降り注ぐため、本を読むにも適している。窓から見る景色は実に美しい。絵に描いたような草原の緑が辺り一面に広がり、所々に生える木々がまた彩りを加えている。まばらに点在する農家の畑も趣深い。ジークフリートはこんな美しいカルデブルグの光景を心底愛していた。自分の家から見事な風景を眺められることが本当に嬉しかった。

 それゆえに、カルデブルグは美しくあってほしいと思うがゆえに、カルデブルグで起こっている貴族達による腐敗した政治を許せなかった。政治とは、領民本位に立って行われるべきだ。領民がより良い暮らしをできるために、貴族達は身を粉にして政治に奔走すべきだ。俗にいう『ノブレス=オブリージュ』という言葉にジークフリートの政治観は現れている。

 ジークフリートは何としてもカルデブルグの政治の現状を変えたかった。自分はどんなに嫌われて、疎まれてもいいから、せめて領民だけには苦境の伴わない生活を送って欲しかった。自分が身分を引き合いに出されて差別を受けたからだろうか、そのような思いは貴族にしてはとても強かった。


「今日も何もないのか……」


 ジークフリートは毎日この言葉を唱える。何もない。ということは素晴らしいことではないか。カルデブルグを脅かすような変化がないということだ。生活は守られ、いつもと同じように暮らせる。こんな素晴らしいことはないではないか。誰に聞いてもそう答えられるだろう。 

 しかしこの言葉は貴族の立場でしか論じられていない。苦境に立たされている領民達は依然として、もしかしたら今以上に苦しい生活を強いられることになるのだ。

 そのためには変革が必要だ。今の腐った状況を変える革命が必要なのだ。そのために、ジークフリートはいつも何か変化を求めていた。自分がそれに乗じてこのカルデブルグの全てを変えられるような変化を。

 ジークフリートは深いため息をつく。


「今日もこのまま終わるのか。いつも通りだったな」


 そう言ってつまらなさそうに窓から空を見上げていると、扉を叩く音がする。


「誰だ?」


「『影』です」


 影。ジークフリート直属の諜報機関だ。ジークフリートはカルデブルグの諜報機関のトップに立っている。グランヴァール王国に侵攻する際の下準備をしたのもジークフリート主導で行われ、自身もグランヴァール王国に入った。


「報告を頼む」


「はい。グランヴァール王国ではすでにカルデブルグ軍に対する対応が着々と進んでおります」


「具体的には?」


「ジークフリート様が調査なさった村をまだ覚えておいでですか?」


「ああ、ドルチェ村とか言ったな」


 そう、ジークフリートはすでに鳴と一度対峙していた。あの時の短剣使い。それがジークフリートだったのだ。


「そういった南部の村々から村民が王都へと集められて保護されるとともに、全ての穀物も王都へと集積されています。そのため食料の現地調達を目論んでいたガエル様率いるカルデブルグ軍は食糧不足の気があります」


「ほう……」


「それに夜な夜な寝静まった頃に夜襲が来て、満足にも眠れない日々が続いており、兵士たちにも疲労が溜まっているようです。しびれを切らしたガエル様は夜襲部隊の追撃に出られたようです」


「それではまんまと相手の手中にはまっているではないか……」


 賢明なジークフリートには今の状況がいかに危ういものかを即座に理解した。それと同時に、グランヴァール王国には大軍であるカルデブルグ軍をだしぬくような圧倒的才覚をもつ策士がいることもわかった。


「一つ気がかりなことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「言ってみろ」


「王都には兵が数百しかいません」


「何?」


 王都に兵を数百しか置かないのは流石に愚行すぎる。王都が落ちれば、国は滅びるからだ。一見素人が指揮をとっているように思える。しかしジークフリートはすでに敵に頭脳明晰な策士がいることを看破していた。彼がこの状況を仕切っているとすれば、そんな愚行に見える行動も何か重要な意味を持っているに違いない。思索を巡らせるジークフリート。ふと、ある考えが頭に浮かぶ。


「もしかすると……」


 ジークフリートはカルデブルグの拠点ヴォーフムを直接陥れようとしている可能性に気づいた。しかしこの可能性は万に一つもない。何故ならもしもそうするなら、あの山に挟まれたルートを通過せねばならない。通過する際に、厳重な警備を敷いているカルデブルグ兵に即座に見つかって戦闘状態に入るだろう。時間的にかなり経過しているので、すでに戦闘に入っているはずだ。ジークフリートは鼻で笑って自己の浅はかさに気づく。


「どうかなされましたか?」


「いや、なんでもない。自分の愚かさにおかしくなっただけだ」


 まさか山脈を越えるなんてことはないだろう。ジークフリートは即座に頭に湧いて来た可能性を否定する。あの山脈はいつも大雪だ。普通に考えて越えられるはずがない。それでも一応危険には備える必要があった。


「とにかく報告ご苦労だった。念のため警備を山脈の麓に巡らせておいてくれ」


「かしこまりましたが、一体なんのために?」


「ははっ。気にするな。念のために警戒をしておくだけだ。万が一、いや、億が一だな」


 ジークフリートの言葉を聞届けると、『影』は一礼してジークフリートの部屋を後にした。


「やっぱり今日も何もなかったな」


 ジークフリートは自分の部屋がノックされた時、何か起こりそうな気がした。何かが変わるきっかけが起こった気がしたのだ。しかし、いつものように、『影』が状況報告に来るだけの他愛のない日常の出来事が起こったに過ぎなかった。

 ジークフリートは再び自分の机に戻り、書類に目を通す。いつもの業務に戻ったのだ。この時、ジークフリートは日常の裏に隠れている大きな変化にまだ気づいてはいなかった。ジークフリートが安易に退けた山脈を越えるという計略は、鳴によって確実に遂行されていた。ジークフリートが気づかぬうちに、カルデブルグの内実を変容させうるほどの大きな変化が起こりつつあった。





 鳴率いるカルデブルグ強襲部隊の山脈越えも、いよいよ佳境に入っていた。


「もうすぐでカルデブルグ領側の麓にたどり着くぜ。司令官殿」


 案内人が鳴に語りかける。あの大雪崩から1日が経とうとしていた。あの生命を脅かす一大事を逃れた鳴たちは、今度こそ順調に山脈を進んでいた。鳴の機転の効いた判断であの雪崩を逃れることができた。そんな認識が騎兵の間にも広がり、鳴はすっかり司令官として周りから認められるとともに、自分としても司令官としての自覚を持ち、様になって来た。

  鳴たちが山脈に入って、4日目だ。これまで色々な困難があったが、ここまで未だに死傷者を出さずに来れたのは、間違いなく案内人のおかげだ。彼は山越えをするにあたって完璧な計画を立て、どこで眠るか、どこを通るか、どこが危険かを全て考慮した上で鳴たちを先導してくれた。彼がいなければこの作戦は実現すらしていなかっただろう。


「案内人」


「なんだ?」


 鳴の急な呼びかけに案内人は肩をあげて驚く。


「ここまでよく連れて来てくれました。感謝しても仕切れません。本当にありがとうございます」


 鳴は深々と頭を下げる。案内人は予想外のことで、すっかりあっけにとられている。鳴のような部隊の司令官に礼を言われるとはまさか思ってもいなかった。


「油断するな。山越えはまだ終わっちゃいない。礼をいうのは完全に山を越えてからにしな。それから……」


 案内人は何かを付け加えようとするが、言葉に淀む。


「それから、なんですか?」


 鳴は頭を傾げながら案内人を問い詰める。何も言おうとしない案内人の顔を覗き込み続けている。これには案内人も堪らない。


「一部隊の大将ともあろうお方が、そんなにもやすやすと俺みたいな裏稼業の人間に頭を下げるもんじゃないぜ。他にもっと下げる相手がいるだろう?」


 案内人はわかっていた。自分が鳴に頭を下げれらるほど大した人間ではないことを。今までずっと裏稼業の人間として生きて来て、礼など言われたことはこのかたほとんどなかった。

 この発言に鳴は豆鉄砲を食らったかのようにぽかんとしている。言っている意味がわからないと言いたげな表情だ。異変に気付いたのか、案内人は鳴に話しかける。


「いきなり黙りこくってどうしたんだよ? 俺なんか変なこと言ったか?」


「ええ、意味がわかりませんでした」


「どこがだよ?」


 今度は案内人が理解不能と言いたげな表情をたたえている。


「助けてもらった人にお礼を言うのは当然ではありませんか?」


 案内人は鳴の発言にハッと気づかされる。鳴は追い討ちをかけるようにさらに続ける。


「あなたは私が部隊長だからあなたのような裏稼業の人間に簡単に頭を下げてはいけないと、そう仰りましたね?」


「ああ……」


「でしたらそれは誤りです。たとえどんなに私が立派な立場にいて、あなたがどんなに低い立場にいたとしても、あなたが私を助けてくれたならば、私は謝意を述べなければなりません。それが人間としてあるべき姿です。恩のある人物に礼を言えない人間など、猿でしょう。しかしありがとうございます。あなたの言葉が驕りへの戒めとなり続けてくれることでしょう。本当に大切なことを忘れずに済みました」


 淀みなく鳴の口から出てくる言葉に、案内人は絶句した。それは悪い意味ではない。鳴の君子としてのあり方に感動したのだ。鳴の口からスラスラと述べられたことから、鳴は何も取り繕っていないことが伺える。鳴の本心の吐露であったのだ。

 この世界では、身分制が大きな立場を占めている。日々の行動がそれに縛られていることは往々にしてある。それが社会的弱者を痛めつけることも多々ある。それゆえ、この世界での生活に根ざしている案内人にとっては、比較的高い身分にいる鳴の言葉が不思議なものに思われた。しかし、鳴の言葉を聞くうちに、世の中の真理に気づいた。身分制など関係ない、人は皆平等であるのだということに。

 案内人は嬉しかった。鳴がこの世界の頂点に立ってくれたら、この世界はもっと良くなるだろう。身分など関係なく、みんなが笑ってくれる世界が訪れるはずだ。案内人はそんな気恥ずかしい思いを懸命に隠そうと腐心する。


「お前、相当のあまちゃんだな。そんな理想は訪れっこないさ」


「構いませんよ。今は小さな理想かもしれません。けれど、それが人々の輪に広まって、その話が大きくなれば、きっと実現するはずです。現実を思い知って絶望するよりも、優しい理想の方が、私は好きですね」


 案内人は涙を流しそうになっていた。鳴にとっては自分の思いを言葉にしただけだ。しかし、その言葉は感動的な要素を伴って案内人の心の中に入り込んでいった。鳴に一生ついて行きたい。そう思ったが、やはり自分は裏稼業の人間だ。鳴の足を引っ張るわけにはいかない。その考えは早くも頓挫した。しかし案内人は心に決めた。鳴のことを応援し続けると。もしもの時は鳴のために死んでやると。案内人は今にも溢れそうな涙をこらえて前を向く。


「勝手に言ってろ。でも俺もそっちの方が好きだぜ」


 泣いた時に出る普段より高い声で案内人は吐き捨てた。


「ありがとうございます」


「お前、いいやつだよな。どうだ、俺の仕事を公認化してくれよ。貴族かなんかの特権でよ」


「どんなに褒められても、それはできません」


「チェッ。やっぱお前は悪いやつだ」


「短絡的すぎますよ」


 普段の二人のふざけたやりとりに戻る。しかしそのやりとりは以前のものとは違う。案内人の心には、これまでになかった温かい気持ちが芽生えていた。




 鳴の部隊が山脈に入ってすでに5日が過ぎようとしていた。依然として周囲は厚く深い雪に囲まれている。こんな風景はもう見飽きていた。何せ五日前から同じような風景を見続けているのだから。単調な風景に加えて、ほとんど休みなく進み続けているのだ。騎兵達はもはや疲労困憊である。それは鳴やアレクセイなど指導者層にも言えることであった。アレクセイは飄々と振舞ってはいるが、その目の下には深い隈ができており、時折馬上で頭がくらりと揺れることがあった。鳴にしても同じことが言える。鳴は久方ぶりに疲労というものを感じていた。この世界に来てから、グランヴァール王国の王宮でのんびりとした生活を送ってきたのだ。このような苦しみを伴う行動は久しぶりであった。鳴の限界は近づいていた。

 突然、鳴が馬から崩れ落ちそうになる。鳴はとっさに手綱を握りしめる。そのおかげで地面への直撃は避けられ、大事には至らなかった。しかし、周囲の人間は皆驚き、鳴に心配の言葉をかける。


「鳴殿、大丈夫でござるか?」


 いの一番に鳴に声をかけたのはアレクセイだ。アレクセイは馬から降りて、鳴に手を貸す。


「ありがとうございます。心配かけてすみません」


「わしは一向に構わないのですが、本当に大丈夫でござるか?」


「ええ、なんともありません。少しクラクラしただけです」


 鳴は気丈に振舞うが、顔色の悪さからはとても大丈夫には見えなかった。案内人も会話に割って入る。


「司令官殿は野営を敷いてみんなが眠りについた後も、いつも夜遅くまで何か考え事をしているんだよ。そりゃ疲れも溜まるってもんだ」


「なんですと!?」


 案内人の突然の暴露にアレクセイは声を荒げる。


「何をなさっているのですか!? 鳴殿にもしものことがあったら、この部隊自体が崩壊する恐れもござる! もう少し自重してくだされ!」


 アレクセイの諫言は、優しいものではなかった。提案というよりはむしろ、叱責という形に近かった。鳴がアレクセイに謝ろうとするやいなや、案内人が再び割って入る。


「おいおい、アレクセイさんよ、そいつは少し言い過ぎだぜ。鳴はいつもこの山を越えた後のことを熟考しているようなんだ。俺はその詳細は知らないが、鳴が睡眠時間を削ってまでするようなことなんだ。きっと重要なことなんだろう。部隊の存亡にすら関わることかもしれない。事情も知らずにそんな厳しい物言いをするのは、頂けねえなあ」


「なんと、それは本当なのですか?」


「ええ、大方は」


 アレクセイは俯いてじっと下を見つめている。自身の行動がよほど恥ずかしかったようだ。


「このアレクセイ、とんだ早とちりをしてしまい、弁解する言葉もございませぬ。誠、申し訳ない」


「いえ、いいんです、私が皆さんを不安にさせたことも事実ですし、気にしないでください。むしろ謝るのは、皆さんに黙ってことを進めていた私の方です」


 鳴とアレクセイは互いに和解し合う。ことが一件落着した様子を見届け、案内人は再出発する。

「さあ行くぜ」


 案内人が振り返り、再び歩みを進めた。ほんの三歩進むと小高い丘の頂上に到達した。そこから見下ろした景色は緑色だった。緑が見えたのだ。山脈越えに成功したのだ。


「おい! 鳴にアレクセイ! ようやく山脈越えに成功したぞ!」


 案内人が子供のようにはしゃぐ。案内人にとっても山脈を越えることは非常に難しいことなのだ。それゆえ、喜びもひとしおだ。

 鳴とアレクセイも急いで案内人の元へ急ぐ。


「おお……」


 丘から見下ろした地上には緑色に色づいた木々や草木であふれていた。カルデブルグ領に到達したのだ。それも死傷者0人で。奇跡に近かった。

 鳴は何も言わずに騎兵の方を振り返る。そのまま大号令をかけた。


「山脈越えに成功したぞぉぉぉ!」


 その一声は、光を失っていた騎兵達の表情に光を与える。あまりの辛さに感情をほとんど失っていた騎兵達も喜びを爆発させる。山脈には歓喜の雄叫びが響き渡った。


「鳴殿、やりましたな!」


 アレクセイは鳴の頭をわしゃわしゃと撫でる。騎兵達も二人の周りに集まり、鳴を褒め称える。この流れに案内人も巻き込まれてしまう。全員の笑顔で、その場は満たされた。部隊が一つになった。


「後はヴォーフムを陥れるだけです! もうひと頑張りしましょう!」


「オオオオオッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」


 ヴォーフム陥落は確実に近づいていた。









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