第十三話 作戦会議
鳴率いる、カルデブルグ強襲部隊が出陣してからもう二日が経とうとしている。鳴たちはすでに国境付近の山脈の麓にまでたどり着いていた。明日には山越えを決行する予定だ。それに備えて、今日は山の麓で野営を張った。何もないだだっ広い草原に強襲部隊の野営の明かりだけが煌々と夜の暗がりに煌めいている。
騎兵達は、来るべき山越えという困難の前日に、気持ちを解きほぐすために、宴会を催している。いつもより多めに食料を配布して、兵士の士気を高めるために持って来た酒も振る舞った。騎兵達は皆、大きな声をあげながら、宴会を楽しんでいるようだ。
宴会をしている場の真ん中には大きな篝火が焚かれていた。わかりやすく言うと、キャンプファイアーのようなものだ。その周りを騎兵達は囲って、めいめいに苦難の前の夢のようなひと時に酔いしれていた。
そんな中、鳴とアレクセイとその他の主要メンバー達は、宴会には参加せずにテントの中で作戦会議を開いていた。
「いよいよ明日、山越えですな」
主要メンバーの一人、マックスは神妙な面持ちでぼそりと呟いた。他の会議参加者も、同じように厳かな顔つきであった。鳴は、彼らの表情から、この山越えがいかに無謀なものであるかと思われているかを察した。幼い頃から、この山脈には寒さを司る氷神が暮らしていると教え込まれているのだから、こうも恐れてしまうのは無理もないだろう。
「鳴様、任務を終えてまいりました」
ふと、カルデブルグ領へと通じる正規のルート付近に偵察に向かわせていた何人かの騎兵が鳴たちがいるテントの前に現れる。
「ご苦労様でした。入って来て、報告をお願いします」
鳴の呼びかけに応じて、偵察部隊はテントの中に入る。
「偵察を終えてまいりましたが、やはり鳴様のおっしゃった通り、安全な関所を通るルートには、多くのカルデブルグ領兵が配置されていました。その数はおおよそ2万と思われました。これではあのルートを通ってカルデブルグ領へ侵入するのは不可能かと」
鳴の予想通り、正規ルートにはカルデブルグの防衛部隊が大挙して置かれていたようだ。
「そうでしたか。ありがとうございました。それではあなた方も宴を楽しんで来てください」
「お心遣い、ありがとうございます」
そう言って、偵察部隊は鳴たちのいるテントを後にして、他の騎兵が楽しんでいる宴へと向かった。
「これで正規ルートを通る手段は無くなりましたな」
今の一連の報告を聞いて、判断を下したのはもう一人の騎兵主要メンバーであるブレフトだ。ブレフトとマックスは、アレクセイの話によると、非常に優秀な騎兵であり、若手のホープであるらしい。グランヴァール王国の庶民の子弟である彼らをアレクセイが教育し、先頭のスペシャリストとして要請したそうだ。しかし従軍経験は乏しく、若干経験不足であることは否めないそうだが、その点に関しては、鳴となんら変わりがない。
怖さからだろうか、マックスとブレフトの体がぶるぶると震えている。これが武者震いというものなのだろうか。鳴は客観的に武者震いというものを体験していた。そんな中で、アレクセイだけは豪胆な笑みを浮かべていた。
「なんだ、情けないのう、マックスにブレフト! まだ死ぬと決まったわけではなかろうが! ぶるぶると震える前に、どうすれば山脈を越えながらも生き延びることができるかを考えたらどうだ!?」
アレクセイは飄々とした様子で、カラカラと笑いながら、マックスとブレフトを叱咤激励した。それでも二人は何もアレクセイに言い返すことができず、未だに震え続けている。
「お前達、鳴を見てみろ! 初めての従軍だというのに、この威風堂々とした様子だ! 少しぐらい、これからのグランヴァール王国を担う戦力として見習わんか!」
「いえ、私などを見習ってはいけませんよ?」
アレクセイの褒め言葉を適当にあしらって、鳴はきりりとした顔つきになる。
「もとより正規ルートを通過する予定はありませんでしたが、これで山脈を越えるほかなくなりました。お二人も気持ちの覚悟ができたのでは?」
「恥ずかしながら、臆病者ゆえ、鳴様やアレクセイ様のように、豪胆な態度は取ることができません。本当にお恥ずかしい限りです」
ブレフトが返答したが、依然として腕は震えたままだ。マックスとブレフトは必死に力を入れて、震えを止めようと試みるが、全く効果がない。逆に力が入りすぎて、震えが強まってしまう。二人は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にして下を向く。
「私も軍隊を率いるのは今回が初めてです。もちろん恐れる気持ちはあります。マックスさんとブレフトさんが恐れているのは、きっと未知の存在に挑むから。何か得体の知れないものに立ち向かうとき、怖くない人間なんてこの世にいません。いたとしても、ここにいる、数々の修羅場をくぐり抜け、危機感が狂ってしまったアレクセイさんぐらいですよ」
「むむっ!? それはどういう意味でござるか?」
鳴のアレクセイを引き合いに出した二人への慰めがユーモアを持ったものとなって、その場に和やかな雰囲気を生み出す。鳴とアレクセイのやりとりに二人の顔にも笑顔が戻る。たとえこの笑顔がかりそめのものであったとしても、これは大きな進歩だ。陰鬱な感情にあるマックスとブレフトにとって、今重要なのは、偽りであっても、笑顔でいることだ。笑顔でいれば、気持ちも自然と明るいものになるものだ。鳴は人の心の操り方も心得ていた。
「冗談はこれくらいにして、明日から始まる山脈越えの会議を始めましょうか」
しばらく笑った後、鳴は真面目な顔つきになって、明日から始まる作戦の概要を話し始める。
「まず、我々カルデブルグ強襲部隊はカルデブルグの中心都市、ヴォーフムを目指して行動します。それゆえ、山脈はヴォーフムの近くに位置する部分を越えることを主眼とします。その山脈の部分は今我々が野営をしている場所から登ればちょうどいい位置です。その山脈を越えればあとはヴォーフムまで一本道です。正規ルートに大量の防衛部隊を設置していたことから考えて、ヴォーフム周辺には最低限の予備部隊しか置かれていないことは明白です。そのままヴォーフムに突入します。以上が作戦の概要です。何か質問はありませんか?」
鳴が一通りの説明を終えた後で、ブレフトが挙手する。
「ブレフトさん、どうぞ」
「山脈を越えるには、我々の騎兵の数と、その環境から考えて最低でも10日はかかります。それではグランヴァール王国の王都ヴェルタスにカルデブルグ軍が到達するのに間に合わないのでは?」
「ええ、普通ならば10日かかるでしょうね。ですからそれに関してはもう手を打ってあります」
「と、いうと?」
「入ってください」
鳴が合図すると、一人の商人のような風体の男が入ってくる。全身を黒いガウンで隠しており、顔には深いフードをかぶっているため、顔を見ることもできない。騎兵の一員ではないだろうと判断したブレフトは、見たことのない男に頭が混乱して何も言えずにいる。
「彼はグランヴァール王国と、カルデブルグを正規ルートを使用せずに行き来している商人です。行ってみれば、関所を通過しない違法入国者ですね。そのような商人がグランヴァール王国に少なからずいることは周知の事実です。王国に通行税を納めない商人には、このような場で働いてもらおうと思いまして、出立する1日前に、手を回しておきました。彼はどのようにいけば、山脈を最短で抜けれるかを知っています。彼のことは、便宜上、『案内人』と呼ぶことにしましょう。案内人、あなたの行き方では、何日で山脈を抜けれますか?」
「5日もあれば十分です」
通常の半分で山脈を抜けれると行った案内人にマックスとブレフトは腰を抜かす。
「だそうです。ブレフトさんのご心配には及びません」
「なら、良いのですが……」
ブレフトは、鳴の手際の良さに感服するとともに、同時に恐れすら抱いた。この男は完璧すぎる。ブレフトは鳴に畏敬の念を抱いた。
「私も一つよろしいですか?」
「どうぞ、マックスさん」
「鳴様は山脈越えで何人の騎兵が死ぬと考えておいでですか?」
マックスの不安ももちろんのことだろう。元から1000の騎兵しかいない上に、明日から生死すら危ぶまれる厳しい環境である山脈を越えるというのだ。ここから兵士が減ることは普通は起こりうるだろう。あまりにも多くの騎兵が失われてしまえば、山脈を越えた後の作戦に支障が出る。しかし、鳴はそれすらも事前に考慮に入れていた。
「0です」
「は!?」
「ですから、0人です。騎兵を一人として死なせるつもりはありません。全員生きてグランヴァール王国に返します」
鳴の奇想天外な返答に、マックスは思わず気の抜けた声を出してしまう。
「そんなことができるのですか?」
「ええ。この案内人は何十回とこの山脈越えに成功しています。しかも大商隊で。ということは彼らは安全なルートを知っているということです。案内人、私たちもそのルートを通るということでいいのですよね?」
「もちろんだ。一度頼まれた以上、誰一人として死なせないように、先導を果たしてみせよう」
「とのことです。最悪、私は治癒魔術を使うことができます。上級まで使えるので、よほどの大怪我でない限り、治療はできますしね」
こうしてマックスの危惧も取り払われた。未だ質問をしていないのはアレクセイのみだ。
「アレクセイ様は何かありませんか?」
「私は頭が回らないゆえ、鳴殿についてゆくだけでございまする。その方が、私が考えるよりもいい結果が出るのは必至ですゆえな」
「それは買いかぶりというものです」
鳴はそう言って謙遜したが、それはあながち間違いでもないとも思った。自分なら完璧な作戦を立てることができる。その絶対的な自信がない限り、このようにはなかなか思えない。
「質問がないようでしたら、会議はこれにて終了です。お疲れ様でした」
鳴が作戦終了を告げるるや否や、外から何人かの騎兵が鳴たちのテントに入ってくる。その手には酒や食べ物が握られていた。顔は少し赤い。すっかり酔っているようだ。
「会議が終わるのが遅いですよ、司令官殿! それでは今から宴に参りましょう!」
「アレクセイ様もおいでください! マックスもブレフトも俺たちの仲間なんだから早く来いよ!」
そう言って4人に近づいてくる騎兵達はかなりめんどくさかった。肩を組み、酒臭い匂いを漂わせて延々と宴に来いと、同じことを言い続ける。鳴は少しうんざりした一方で、自分も彼らに認められているのだということに喜びも感じていた。
「このアレクセイの酒豪ぶりを見せてやろうとするかのう! マックス、ブレフト、行くぞ!」
「はい! 鳴殿も共に参りましょう!」
「いえ、私は……」
「そんなこと言わずに行きまするぞ!」
鳴はそのままアレクセイに腕をぐいと引っ張られ、なすがままに宴に連れたゆかれた。たまにハメをはずすのも悪くないか。そう思いながら、鳴はテントから出て宴へと向かった。彼らカルデブルク強襲部隊の結束は確実に強固なものとなっていた。
いよいよ明日が山脈越えだ。鳴は無邪気な表情を浮かべながらも、その心には、誰一人として死なせないという強い気概を抱いていた。