第十二話 出立
三大貴族会議の終わった後、鳴は騎兵部隊に人脈がないので、騎兵の出陣準備はアレクセイに任せた。一応作戦立案者の鳴が特別攻撃部隊の指揮官になるだろうが、やはりぽっと出の指揮官の言うことなど誰も聞かないだろう。そのためにも熟練した武官であるアレクセイの力は必要不可欠だ。なんならアレクセイを指揮官に据えてもいいぐらいだが、それではこの作戦を考えた鳴を立てることができないと、アレクセイは必死に指揮官就任を拒んで、是が非でも鳴が指揮官になることを望んだ。これでは鳴もアレクセイの要求を受け入れざるを得なかった。
そのような事情があって、明日にはもう出陣することになるだろう。会議も終わったし、準備もアレクセイに一任できることだし、ひとまず自分の部屋に戻ることにした。おそらく部屋には、国王に謁見を済ませてくるからしばらく待っていてくれと伝えたソフィアはもういないだろう。会議に参加したためにとても少しでは済まなかった。キャロルは一応自分の侍女だからいるにしても、ソフィアはしびれを切らして立ち去っているだろう。ソフィアには申し訳ないことをしたな。鳴はそんなことを考えながら王宮の廊下を歩いていた。
考えを巡らせながら歩いていると、もう部屋の前に到着していた。まずは予想以上に時間がかかってしまったことをキャロルに謝罪しよう。鳴は意を決して扉を開く。
「済まないキャロル。立て込んでしまって、かなり帰ってくるのが遅くなってしまった」
鳴が開口一番、キャロルに謝罪する。しかしそこには、キャロルともう一人の人物がいた。鳴の予想に反して、ソフィアはまだ鳴を待っていたのだ。ソフィアは、鳴がキャロルにしか謝罪の言葉を向けなかったことに少々不満な様子だった。
「謝るのはキャロルだけなんですか?」
ソフィアは口に空気を含ませて、ぷっくりと顔を膨らませ、いかにもあざとい様子で鳴に勇ましい足取りで歩みを進める。
「す、済まん。もうソフィアは帰っていると思っていた」
「私は鳴との約束を反故になんてしませんよ」
ソフィアは自分が約束を破って、自室に帰っていると鳴に評価を下されたことが、心外だといわんばかりに呆れ顔で上の方を見る。ソフィアの後ろにはキャロルが苦笑いをしながら立っている。
「あはは、ソフィア様、そんなに鳴様を責めないであげてください」
「キャロルに免じて許してあげます」
「ありがとう」
鳴はソフィアの怒りが解けたことにひとまずホッとする。次は、自分がカルデブルグに侵攻することをどのように説明して納得させるかが求められた。
「そんなことより、カルデリア家の五万の軍勢がグランヴァール王国に侵攻しているんだ」
「ええっ!?」
鳴があまりにも特になんでもないと言わんばかりに、一大事を言うので、ソフィアもキャロルも初めは事態が飲み込めなかった。しかし鳴が丁寧に説明していくと、ソフィアもキャロルも現状を理解したようだ。
「なんということでしょう……。まさかこんなに早く攻めてくるなんて」
「グランヴァール王国は大丈夫なんですか?」
「それに関してはすでに手を打ってある。クラウド殿下が時間を稼いでくれている間に、俺とアレクセイが1000の騎兵を率いて山脈を越えてカルデブルグ領に侵入することになっている」
鳴があまりにも何の気なしに大逸れたことを言うので、毎度毎度ソフィアもキャロルも初めは鳴の言っていることを理解できない。ぽかんと口を開けて理解できずにいる二人のために鳴はもう一度説明する。
「だから、俺とアレクセイがカルデブルグに侵攻するんだって」
ソフィアもキャロルもようやく鳴の言うことを理解したようだ。二人は鳴の言っていることの重大さを重々理解している。それゆえに何も言わずに黙っている。あの山脈は一度入ると戻ってこれない。あまりに厳しい寒さのために、子供のうちから、その恐ろしさを教え込まれるのだ。二人は鳴の命が危険にさらされるのがわかっていた。
「大丈夫だって。俺死なないから、心配しないで。絶対帰ってくるから」
重苦しい空気に耐えかねた鳴が二人を安心させる言葉をかける。ソフィアの目には涙が浮かんでいた。キャロルも暗い表情を浮かべていた。初めて主人となった人が早くも死のうとしているのだ。悲しまずにはいられない。
「二人とも、そんな暗い顔すんなよ!」
鳴がそう言うと、ソフィアはそのまま鳴の胸に飛び込んだ。
「ばか。必ず帰ってきてくださいね? 信じてますよ? 帰ってこなかったら、私、鳴を探しに山脈に入りますからね?」
「ああ、約束だ。必ず帰ってくるよ」
その光景を側から見ていたキャロルも今や明るい顔であった。私の主人はきっと大丈夫だろう。西に向いている窓から差し込む夕日が静かに、暖かく3人を照らしていた。
三大貴族会議の翌日、ラッセルとジェイミーの手際の良さのおかげで、続々と南の方面の村から村民が到着していた。はっきり言って鳴は最低でも三日はかかるかと踏んでいたが、長きに渡る経験に基づいてだろうか、この1日だけで終わりそうだ。伊達に鳴を滞在時間の短いよそ者と揶揄したわけではなかった。その言葉はその十分なまでの経験に裏打ちされていたのだ。鳴はラッセルとジェイミーに感服せざるを得ない。
今はアレクセイが隣にいる。アレクセイの働きによって、グランヴァール王国の優秀な騎兵1000が早速集められた。
しかし鳴は彼らと初めて顔を合わせる。両者の間に信頼関係はない。まずは信頼関係を構築していくことが求められた。鳴は彼らの前に立つ。
「この度、カルデブルグ強襲部隊の指揮官を務めることになりました。神楽鳴です。指揮官としての経験は全くなく、至らない点も多々あると思いますが、隣にいるアレクセイ様と協力して全力を尽くしますので、どうかこの私についてきていただきたい。安心してください、必ずグランヴァール王国に勝利をもたらしてみせます。ですので、私に力を貸していただきたい。よろしくお願いします」
そう言い終わると、鳴は騎兵の前で深く頭を下げた。それを見たアレクセイも、鳴だけにこんなかしこまった態度を取らせてはいけないと感じて、頭を下げる。
「わしからもお願いする。諸君、わしについてこようと思うのなら、この鳴殿についてゆくのだ」
鳴はともかく、グランヴァール王国親衛隊長の三大貴族に含まれるヴァンダル家のアレクセイが頭を下げたのだ。これには騎兵達も驚かざるを得ない。騎兵の間からざわめきが起こる。
「あのアレクセイ様が頭を我々に下げているぞ?」
「あの鳴とか言う指揮官、只者ではなさそうだな……」
「こんな一兵卒に頭を下げるなんて、何と礼儀正しいお方じゃ」
騎兵のざわめきを聞く限り、第一印象は悪くなさそうだ。そのまま鳴は頭を上げた。
「それでは参りますか」
「ええ、出陣するとしましょう。しかし、久しぶりの戦ですな。腕が鳴りますわ!」
アレクセイがブンブンと腕を振り回す。こんな勇敢な戦士がいたら百人力だ。鳴は強い安心感を胸に抱いていた。
鳴は用意されたいた馬に乗る。美しい毛並みを持つ、何者にも染まらない気高さを持つ白に覆われた白馬であった。他の騎兵の馬が茶色がかっているので、鳴の白馬はひときわ目を引いた。
そのまま鳴は声高に叫んだ。
「いざ出陣!」
鳴の号令に合わせて、騎兵達も雄叫びをあげて、王都ヴェルタスを出る門へと下っていった。いよいよ軍事行動が始まる。
一般市民の居住区に入ってしばらく進んでいくと、道の両脇に王都の住民達が溢れており、鳴ら強襲部隊は熱烈な歓待を受ける。
「グランヴァール王国を守ってくれよ!」
「カルデリアの奴らを、ギャフンと言わせてやれ!」
「戦功を求めるのも悪くないけど、命を大切にするんだよ! 無事に帰ってきておくれ!」
兵士たちを鼓舞する声で場の雰囲気は埋め尽くされた。何と頼もしいことか。実は鳴は大きな不安を抱いていた。何せ初めての戦争だ。いくら計算し尽くされて成功の確率が高いといえども、初めてと言うのは、やはり緊張する。鳴はそんな不安を抱いていたが、この歓声を聞いて、そんな不安は吹っ飛んでしまった。
「これは勝たないといけませんね」
「何をおっしゃるか。勝利など、当然でござる」
アレクセイは、勝つ気しかないようだ。そんなアレクセイの楽観的な態度に鳴は安心させられた。
いよいよ王都を出るところまで到達した。ふと門に目を向けると、門の前には見慣れた顔が立っていた。ソフィアとキャロル、そしてクラウドだった。鳴は彼らの元へ馬を走らせる。
「どうしたんですか、クラウド殿下もいらっしゃって?」
「鳴を見送りに来たんですよ」
鳴の、彼らの気持ちを何もわかっていないことをほのめかすような発言を受けて、ソフィアは心外というふうに鳴に返事をする。
「昨日すでに一旦お別れをしたじゃないか?」
鳴が、昨日のソフィアと別れを惜しんだことを話題にした。鳴にとっては単なる別れに過ぎなかったのだが、ソフィアにとっては気持ちを高ぶらせるものであった。鳴と交わした熱い抱擁がソフィアの頭をよぎる。途端にソフィアの顔が真っ赤に染まる。
「あ、あれは別れの準備みたいなものです!」
「何だよ別れの準備って」
平成を失ったソフィアに対して、鳴はいつもと同じように適当にツッコミを入れる。そうこうしているうちに、鳴が置いて来た騎兵隊が鳴に追いついた。
「いやあ、お熱いですなぁ、司令官殿」
鳴の隣を通り過ぎていく何人かの騎兵が笑いながら鳴を茶化す。この煽りにはソフィアはさらに取り乱してしまう。
「熱いって何が?」
それでも鳴は依然としてソフィアの気持ちに気付いていない。ソフィアはあまりに思い通りに行かずに、鳴を強めに叩いてしまう。思わず鳴は顔をしかめる。
「痛って! 何すんだよ!」
「もう知りません!」
ソフィアが鳴に一旦は愛想をつかせて、そっぽを向いている。鳴はわけがわからず首を傾げている。その様子を見て、キャロルがクスクスと笑う。
「ソフィア様は鳴様のことが心配でたまらないんですよ? ねえ、ソフィア様?」
「そっ、そんなことありません!」
キャロルの意地の悪い問いかけをソフィアは真っ向から否定する。そんな3人の滑稽な様子を側から見ていたクラウドは微かな笑みを浮かべていた。
「全く、これから戦争だというのに、どれだけ気楽なんだか」
「私は全く気楽ではありませんよ。クラウド殿下もそうでしょう?」
「ああ、正直グランヴァール王国を守り抜くために、鳴が言った通りにできるかどうかとても不安だ。鳴の作戦の中では、俺の役割は根幹をなすものだから、おいそれと失敗できない。はっきり言って、とても緊張しているよ」
クラウドは急にシリアスな表情を浮かべ、鳴に自身の心境を吐露する。今度は逆に鳴が笑ってクラウドを励ます。
「私はクラウド殿下はおできになると考えてその任務をお任せしたのです。ですからきっと大丈夫です」
「鳴が大丈夫と思うから、俺は失敗しないのか? お前は預言者か?」
「いえ、そういうつもりでは……」
鳴の少々出過ぎた発言に対する、クラウドの遊び半分の咎めに、鳴は困ってしまう。鳴が困りながらクラウドの機嫌を伺っていると、その表情には次第に笑顔が戻っていた。
「少しふざけただけだ。気にするな。おかげで少し元気が出たよ。ありがとう」
「いえ、お礼を言われるようなことは」
鳴もクラウドもそのまま、しばらく黙って、微笑みながら互いを見つめあっていた。しばらくして、隊の前方からアレクセイの大きな声が聞こえてくる。
「鳴殿! 何をやっておられるか!? 早く来てくだされ!」
アレクセイの歴戦の戦士としての号令が、しばしの静寂を破ると、クラウドの表情が再びシリアスなものになる。
「鳴、死ぬなよ? お前にはこの国のために、まだまだ働いてもらわないといけないんだ」
「もちろんそんなつもりは毛頭ありませんよ。では、行ってまいります。クラウド殿下もお気をつけて!」
そう言い残して、鳴は白馬を駆けて、走り去ろうとした。しかし一人の乙女の声に引き止められる。
「鳴、何度も言いますが、必ず帰って来てくださいね!」
「ああ! 待っててくれ!」
ソフィアの言葉を聞き届けると、今度こそ鳴は走り去った。だんだんと鳴の背中は小さくなっていく。その背中をソフィアたちは見えなくなるまで、じっと見送っていた。