第十話 帰路と報告
鳴はソフィアとキャロラインを連れて王都への帰路についていた。色々なドルチェ村での騒動を解決できた上、ドルチェ村の様子も問題なかったため、気楽に王都へと向かえている。
「今回の視察も、滞りなく終わってよかったです」
「ソフィアにとってはな。俺はいきなり不審者に襲われるし、散々な1日だったけどな。危うく死にかけるところだったぜ」
「ああ……。ごめんなさい、鳴の苦労も知らないで、軽率な発言でしたね」
鳴の皮肉にソフィアは急に狼狽して、自身の発言の軽々しさを深く恥じる。こういうことをいちいち言うあたりが鳴の性格の悪さを物語っている。まあ、もちろん本気で言っているわけではないのだが。
「冗談だよ。気にすんな」
「ああ良かった。てっきり本気で怒っているかと思いましたよ」
ソフィアが胸をなでおろす。キャロラインはその光景を後ろから見守っていて、クスクスと笑っていた。
「どうしましたか、キャロル?」
「お二人は本当に仲がいいんですね。羨ましい限りです」
キャロルは二人の仲睦まじさを微笑ましく思っていた。鳴はいつものことかと思いながらめんどくさそうな表情をしているが、ソフィアは例の通り、慌てふためく。
「もう! キャロルまでそんなことを!」
ソフィアはしばらく焦っていたが、堰を切ったようにふっと真剣な表情になる。
「ところで鳴。ドルチェ村の周りを徘徊していた男の正体は一体何だと思いますか?」
「ああ、あいつはスパイだって自分で言ってたぜ。どこの国のスパイかは明かさなかったがな」
鳴の突然のカミングアウトにソフィアもキャロラインも驚愕する。
「鳴! どうしてそんな大切なことを村長との会話の場で言わなかったのですか!? あの場で共有できていたら、彼らからも協力を仰げたかもしれないのに!」
「何でって、お前バカだろ?」
「え?」
必死になるソフィアに鳴はため息をつきながらあしらった。これにはソフィアも腑抜けにならざるを得ない。
「ドルチェ村村長とはいえどもグランヴァール王国の一市民であることには変わりはない。どうして今国内にスパイが潜入していて、あんたを倒した相手がスパイでしたーなんて王国の機密情報とも取られかけない情報をみすみす一般市民に伝えるんだよ。それから大衆の間で噂が広がったらどうするんだ。広がるだけならまだいい、でもな、噂っていうのはどこかで必ず誇張されて、それが何度も繰り返されて、初めの情報とは似ても似つかない形になって広まるんだよ。そんなことになってしまったら、社会不安が増大しかねない。このグランヴァール王国の、統治者と民との関係が良好である政治情勢の崩壊につながりうる。そんなことは絶対に避けなければならない」
鳴の鋭い指摘はソフィアの心に響く。まさか鳴があの場で、いつもと変わりなく話していたのに、そんなにも深い思索をしていただなんて。ソフィアは自分の軽薄さを深く恥じた。と言っても、鳴は別にそこまで深く考えていたわけではない。どこかの時代の有名な指揮官が言ったように、情報が変質し、噂として広がることが、全ての面において最大の敵であると鳴は認識していただけだ。それにより、鳴は不審者はスパイであったという重要情報を黙秘した。至極当然な行動、いやむしろ、適切な行動であったというべきか。鳴の理路整然として、立て板に水が流れるような淀みない弁舌にキャロラインも舌を巻く。
「そこまで考えていたなんて……。私が軽薄でしたわ」
「すごい……。鳴さんって、風貌に似合わず慎重なんですね」
「どういう意味だよ。まあいい。それから、そのスパイが持っていた短剣を回収してきたんだ」
そう言って鳴は懐から黒子に投げられた短剣を取り出す。
「短剣の柄の部分に何か紋章が描かれているんだ。これはいったいどこの紋章だ? 俺はここまでのことは知らないから、ソフィアなら何か分かるんじゃないのか?」
「こ、この紋章は!?」
ソフィアが刮目する。ソフィアの突然の豹変に鳴は少し引いてしまう。
「ど、どうしたんだよ急に」
「この紋章はグランヴァール王国の隣国、ラマレア帝国の領邦、カルデブルグ領を治めるカルデリア家の紋章です! まさかカルデリア家がスパイを送っていたなんて……」
「それは危険だな。あいつら、他にもスパイをグランヴァール王国に送り込んでいるって言っていたぞ。王都の急激な治安悪化にも何か関係があるかもしれない。急ごう、すぐに陛下に謁見を求めよう!」
そう言って鳴は王都へと向かって駆け出した。それにソフィアとキャロラインも必死でついていく。国家の一大事に直面することになるかもしれないのだ。うかうかしている暇など一瞬もなかった。
あれから数時間後、鳴たちは王都へ到着し、鳴はソフィアとキャロラインを部屋に送り届けた後、国王とクラウドの謁見を、一大事に繋がりうる報告をする必要があるとして求めた。そして今は謁見の間で鳴は国王とクラウドの到着を待っていた。早く報告しなければならないのに二人がなかなか現れず、鳴は苛立っていた。
「済まん鳴。政務が立て込んでおって少々遅れてしまった。一大事の報告であるというのに申し訳ない」
国王の登場とほぼ同時に、謁見の間の扉も開き、クラウドが王都警備の任を終えて参上した。
「どうしたんだ鳴、一大事だなんて」
クラウドの表情はいつも真剣なものであるが、一大事という言葉を耳にしたクラウドはいつも以上に表情を強張らせていた。そのままクラウドは国王が座る椅子へ続く階段の前に立つ。意を決して鳴は口を開く。
「申し上げます。グランヴァール王国にスパイが潜入しておりました。それも二、三ではありません。ドルチェ村で発見できたということは、おそらく数百単位で潜入していると思われます。王都の治安悪化と何らかの関係があると踏んで間違い無いでしょう」
「なんだと!?」
衝撃の事実に国王もクラウドも大きな声を上げる。それに追撃をかけるように鳴は付け加える。
「それだけではありません。この短剣をご覧ください」
鳴は無礼にも立ち上がり、クラウドの元へ短剣を持っていく。クラウドはその短剣を手に取ると、愕然とした。
「こ、これは!」
「そう、このグランヴァール王国の隣国、ラマレア帝国の1領邦、カルデブルグ領を治めるカルデリア家の紋章です。カルデブルグは王国に隣接しています。スパイを送り込んでいたのは国内情勢を知るためでしょう。そしてドルチェ村のような農村でも発見されたということは、村の豊かさを調査していたということ。ここまで綿密に調査をしていたということは、カルデブルグから軍隊が侵攻してくるのも時間の問題でしょう」
「何ということだ……」
国王が頭を抱える。クラウドは驚きのあまり言葉を失っている。無理もないことだろう、ラマレア帝国のような大国が攻め込んでくるかもしれないのだ。平静を保っていられる方がおかしい。
鳴は事情を少し前から知っていたため、従容として受け入れることができて、落ち着いていたが、国王とクラウドは愕然としている。そんな状況に拍車をかけるように伝令が謁見の間の扉を勢いよく開ける。あまりの勢いに鳴も国王もクラウドも驚いてしまう。
「一体何事じゃ! 騒々しいのう!」
「申し訳有りません! しかしながら、一大事にございます!」
「一体どうしたんだ?」
伝令の焦りっぷりに、クラウドは問いただす。伝令は信じられないと言った表情でいる。いち早く奏上しようかと思ったのだろうか、額には大粒の汗が流れ落ち、息は激しく切れている。伝令が呼吸を整えて落ち着いてから、奏上のために居直る。
「申し上げます! ラマレア帝国の領邦、カルデブルグ領から派遣されたと見られる船隊がグランヴァール南部の海域で確認されました! その旗印にはカルデリア家の紋章が描かれておりました! 船隊の規模からして、おそらくカルデブルグ領の全戦力を投入したと見られています! 船隊は今はまだ上陸してはいませんが、あと二、三日で上陸する見込みです! 上陸すると見られる兵力は、およそ50000!」
その場にいた全員が耳を疑ってしまう。いや、正確には国王とクラウドとお付きの家来たちだ。鳴は全くたじろぐ様子を見せなかった。
「何ということじゃ……」
国王は椅子から立ち上がり、少し階段を下ろうとしたところで膝から崩れ落ちる。クラウドも唖然として、一言も発することができないほど狼狽している。攻撃魔術の使い手として名を馳せたクラウドとしても、50000という数を前にしては慌てずにはいられない。そんな中、鳴だけが平静を保っていた。
「思っていたより早かったっすね」
鳴の落ち着きっぷりを国王もクラウドも信じられない。国難が襲いかかろうとしているのに、冷静でいられる鳴の神経がわからなかった。
「鳴、ふざけるな! 今この国は危機にさらされているんだぞ! それなのに、どうしてそんなにも冷静でいられるんだ! まるで無関心とでも言わんばかりにな!」
クラウドが鳴の無神経さに激怒してしまう。国王は未だに崩れ落ちたままだった。
「お言葉ですが、クラウド殿下。無関心などとは心外です。国難のような状況だからこそ、王族はどっしりと構えて、冷静に対策を講じなければならないのでは? 陛下もまるで赤子のように座り込んでいては、グランヴァール王国の滅亡は必至です」
鳴が普段見せないような鋭い目つきで国王とクラウドを見つめる。鳴の至極真っ当な意見にクラウドはただ慌てることしかできなかった自分の愚かさに気づく。国王も鳴の言葉に叱咤激励されたのだろうか、先ほどの平静さを失った表情から打って変わって王としての威厳をたたえた立派な表情となっていた。
「すまぬ鳴。鳴の言う通りじゃ。国の一大事じゃ、今すぐ三大貴族を招集し、緊急会議の準備をせよ!」
今なすべきことを弁えた国王の檄が飛ぶ。これに家来たちも反応して、即座に会議の準備を始める。
「鳴よ、そなたも会議に出席せよ」
「しかし私は三大貴族ではありません」
「今この状況を最もよく受け入れられ、分析できているのはそなたじゃ。この国のため、どうか参加してはくれぬか?」
国王は鳴に頭を下げる。それに続いて、クラウドも頭を下げた。
「鳴、さっきはすまなかった。この国を守るには、お前の力が必要だ」
国のナンバーワンとナンバーツーに頭を下げられては鳴も黙ってはいられない。
「わかりました。拙劣な身で、微力ではございますが、喜んでご協力させていただきましょう」
鳴は快諾した。その裏では三大貴族会議の準備が着々と進められていた。