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浪人列伝  作者: 宮本護風
異世界到来編
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プロローグ

 まるで長い眠りから覚めたようだ。ゆっくりと目を開ける青年。その目の先には、雲ひとつない真っ青で絵に描いたような空が広がっていた。


「今日はこんなにも綺麗な空だったんだ……」


美しい空に感動する。こんなにも綺麗な空を見たのはいつぶりだろう。最近忙しすぎて、気づかなかった。こんなにも美しい光景が近くに広がっていたのに。


「って、なんで俺が外で寝てんだよ?」


この青年は、なぜ自分が外で寝そべっているのかがわからなかった。順を追って一つ一つ思い出してゆく。


徐々に記憶がはっきりしていく。俺は今年で19歳。高校は卒業した。かといって仕事をしているわけでも、大学で勉強しているわけでもない。

そう、浪人生だ。社会でなんの役にも立たない無生産的存在なのだ。やはり改めて思い出すと、胸が苦しい。そうはいっても、まだマシな浪人生だ。だって東大に落ちたんだから。

現役時代、模試ではA判定を連発、全国順位は必ずトップ10に入っていたんだ。誰もが俺の合格を信じてやまなかった。俺ですらも。それでも、落ちた。一瞬の気の緩みが、俺の成功を許さなかった。


不合格発表を受け取った時、目の前が真っ暗になった。浪人はない。親から言われ続けた言葉。親の収入はとてもいいとは言えない。むしろかなり低い。俺が私立の高校に通うことができたのが奇跡に思えるぐらいだ。だがそんな両親も俺の未来を案じてくれて、浪人を許してくれた。


俺は、勉強した。現役時代、大して勉強しなくてもA判定なんて余裕で取れた。だから勉強時間は多くても5時間ってとこだった。


『お前は何もしなくても、できるから羨ましいぜ』


『ちょっとその才能分けてくんね?』


『やらなくてもできるなんて、嫌なやつだ』


周囲からの羨望と妬み、媚びにあふれた声を受けるうちに、俺は自分が天才なのだと勘違いした。天才でもないのに。運が良かっただけなのに。実力じゃなかったのに。


だから俺は、この一年間は本気で勉強してやろうと思った。9時から21時まで、思いつく限りの勉強をした。予備校代は全額無償、おまけに二つの予備校に通っている。これしか親に恩返しできる方法は思いつかなかった。この一年間におけるせめてもの贖罪。血反吐が出るほど、勉強した。


息抜きに聞く海外のポップ・パンクは最高だ。それが俺の心を何よりも癒してくれた。時代の流れに逆らって生きていこうとする若者の姿。その姿、生き様、志に俺は憧れていた。その音楽を聴いたら、俺もこの社会から抜け出せそうな気がしてさ。


おかげで模試でも1位になった。それでも勉強はやめなかった。去年の3月10日に味わった悔しさを、もう一生味わいたくないから。その一心だった。失敗はしてもいい。

それでも、やらずに後悔するなんて絶対に嫌だ。本気でやったら、どんな結果であれ、従容として受け入れられるはずだ。浪人生活が軌道に乗り始めた、9月。新学期に入った矢先だ。


予備校に向かうために最寄駅に向かう途中、いつも通り自転車に乗っていた俺は少し考え事をしていた。昨日取り組んだ数学の問題がイマイチ腑に落ちなかった。昨日の夜からずっと考えていて、モヤモヤしていた。早く解決して、この気持ち悪さを取り除きたかった。


『どうしてあんな結果になるんだ?』


頭の中で考えていると、いつもの交差点に差し掛かった。少し見通しの悪い、しかし気をつけていれば危険性など全くないごくありふれた交差点である。ただ気をつけていればの話だ。

あの時の俺にはいつもの注意力はなかった。まだ記憶ははっきりしないが、多分飛び出したのだろう。トラックにぶつかった光景、その一瞬だけが、何か連続的な映像の断片を切り取った写真のような形で頭の中にぼんやりと残っている。


この青年はようやく事の重大さに気づいた。体がうまく動かない。青年が辺りを見回すと、今の今まで乗っていたが、事故によって本来の形を留めていない自転車、今しがたぶつかった、おそらく3トン程度ありそうなトラック、事故に驚いて集まってきた野次馬の存在に気づいた。


『ああ、事故ったんだ』


ふと冷静にことを理解すると、青年の体を今までに感じた事のない痛みが襲った。これでは体も動かないはずだ。野次馬のうちの一人の女性が見かねて青年の元にやってくる。


「あんた、生きているかい!? 今救急車を呼ぶからね!」


もう少し小さな事故だったなら、彼女の行動が、この青年を救っただろう。しかし、彼は、そんな行為は無駄だとわかっていた。当事者である自分が一番よくわかっていた。こんなに痛いのに、助かるわけがない。


『俺、死んだな』


青年の意識が徐々に遠のいていく。目を閉じたらそれだけで死んでしまいそうだ。もう目もよく見えない。耳も十分に聞こえない。あらゆる感覚が失われていくのが、彼にはよくわかった。


死んだらどうなるのだろう。彼はまだ考えるには早い問いを自分に問いかけていた。仏教を開いたガウタマ=シッダルタが言ったように輪廻転成するのだろうか? それならば次は何に生まれ変わるのだろう? それとも、キリスト教の間で信じられている『神の国』とやらに向かうのだろうか? そこはさぞいい所なんだろうな。彼は伊達に東大を目指してはいない。こういった一般教養には深く精通している。


「あんた、名前はなんて言うの!?」


先ほどの女性の鋭い問いかけに青年はふと意識をなんとか取り戻す。自分の名前。それすらもすぐには思い出せない。


「えっと、なんだっけな……。はは」


「ふざけてる場合じゃないわよ!」


「ふざけてなんていねえよ……」


青年は必死に名前を思い出そうとする。頭の中を意識がかけめぐる。その意識ももはや途絶えそうだ。駄目だ、もう何も見えないし、聞こえない。あるのは、俺の意識だけ。そんな極限状態に陥ったとき、青年の脳裏がひらめく。名前を思い出したのだ。


「そうだ、俺の名前は……、神楽、神楽(めい)だ」


そのまま青年は意識を失った。





「ん、んん……」


鳴が次に目をさますと、そこは見たことのない世界だった。まるで宇宙のように黒色に覆われながらも、光に溢れており、見る先々に果てがなく、どこまでも広がっていた。先ほどの痛みはもう消えている。鳴は立ち上がり、その光景に見入った。鳴が目を奪われていると、背後から声が聞こえてくる。


「そろそろよろしいかな?」


「おわっ! なんだよ、急に話しかけんなよ! びっくりするじゃねえか!」


鳴が声に振り返ると、そこには立派な髭を蓄えた、老人が立っていた。身には白い布をまとっており、体からは何やら光が発されているようだった。何か神々しさを感じる。論理で武装されている鳴は神の存在など、中学生になったあたりから全く信じなくなったが、神という存在がもしもいたとするならば、このような感じなのだろうか? そんなことを考えながら、鳴は老人を見つめていた。


「お前さんは一体どうなったかわかるかね?」


「え?」


鳴は呆気にとられる。あまりの展開の早さに、鳴は状況を全く理解できていなかった。事故したことしかわかっていなかった。鳴に限らず、こんな状況に置かれれば、誰でもそうなってしまうことだろう。鳴が黙り込んでいると、再び老人が口を開く。


「ここは審判の世界。死者に次の導きを与える場だ」


何を言ってんだ、この老人は。もしかして、歳をとりすぎて、痴呆にでもなってしまったのか? キリスト教における『最後の審判』をする場だとでも言いたいのか? 鳴はますます理解できず、口をぽかんと開けたままでいる。


「どうかしたかね?」


「いや、いきなりそんな意味わかんねえこと言われても困るっていうか。詳しく説明してもらってもいいですかね?」


「いいだろう。ここにきた者は皆そのような反応だからの。先ほども言ったが、ここは『審判の世界』だ。現世で生を断たれた者が、次の世界でどのようにして生きてゆくかを決める場だ」


鳴はまだぽかんとしている。


「え、俺、死んだってこと?」


「まあ、そういうことだな」


「マジかよ……。せっかく浪人生活がうまく行っていたってのに……」


鳴の浪人生活は確かに充実したものであった。成績も良いものが出て、毎日家に帰ってからは筋トレもして、引き締まった体にもなり、まさに理想の高い鳴が許容できるレベルにまで達していた。そのゆえに、なんとなくはわかっていたものの、やはり、死という現実を突きつけられると、衝撃は大きく、鳴は深いため息をついた。


「まあそう落ち込みなさんな。お前のような優秀にもかかわらず、若くして、不慮の出来事で生を断たれた者のために、この世界があるのだ」


「どういうことだ?」


「先ほども言ったが、ここではそういった者たちの来世を決める場なのだ。具体的には、どんな世界に生まれ変わり、どんな生活を送り、どんな能力を持つかなどだな。まあ、完璧には決定はできないが」


「じゃあ、このまままた、これまでの世界とは別の世界で生きていけるってわけだ」


「そういうことだ」


「なんか楽しそうじゃん。死んだらみんなこんな世界に行けるんなら、死ぬのも悪くないかもな」

「不謹慎なことを」


正直言って、鳴はこれまでの生きてきた世界には飽き飽きしていた。現代として完成された社会。なんの大きな変化もない現実。ただ良く似た日々を淡々と過ごす生活。脳は変化を嫌うというが、才能の突出していた鳴にとっては、退屈であった。そんな世界から解放されたとなると、鳴は心踊らせずにはいられなかった。そんな鳴を見て、老人は少し不憫な目をする。


「どうかしたんすか?」


「いや、実は生まれ変わる世界はもう決まっていてな。なかなかとんでもない世界だ。これまで生きてきた世界とは全く違って、戦争が起こっており、魔術も存在し、数々の苦難が伴うような世界だ。それが不憫でならない」


「戦争に魔術!? そんなの最高じゃないか! 面白そう!」


老人の予想とは裏腹に、鳴はますます興奮した。これには老人も驚きを隠せない。しかし、老人は用意していた言葉をそのまま続ける。


「そこで提案なのだが、わしがお前の望みを一つ叶えてやろう。お前が次の世界で望むことを言ってみろ」


「一つだけならなんでもいいのか?」


「ああ、なんでも構わん」


一つだけならなんでもいい。鳴はその言葉を聞いてニヤリと笑みを浮かべた。『一つだけ』なんて言葉はまやかしだ。ただの阿呆なら、『どんな者でも切り裂く聖剣を!』とか、『最強の魔法を覚えたい!』とか、くだらんことを言うのだ。そんなものは、広がりがない。その出来事が起こってしまえば、その恩恵はそれ以上は得られなくなる。そう考える鳴の答えは即決された。


「だったら、どんな分野のことも、ほんの少しの努力で最高レベルにまで達することのできる、何者も凌駕する才能が、『一つだけ』欲しい」


鳴の願いに、老人は笑う。


「やはりお前は只者ではないな。これまでのやつらは、皆、先のことを考えずに、その場限りの願いをしてきたのにな」


「いや、そいつらどんだけバカなんだよ」


鳴は鼻で笑った。老人は手を鳴の方に向けて、手に力を込めている。


「そのままじっとしてろ」


言われた通り、鳴はその場で直立する。老人の腕が震える。その光景は少々恐ろしいものであった。


「んっ……、むん!」


老人が声を出した。願いが叶ったのだろうか。そのまま老人は腕を元の位置に下げた。しかし、鳴の体には、特に変化が感じられなかった。


「これで終わりだ。お前の願いは叶えられた」


「ちょっと、何も感じないんすけど、本当に俺にその才能は与えられたんすか?」


「実体を伴わないものは初めは誰にも感じられないものだ」


「そんなもんすかねぇ……」


少々期待はずれな演出に、鳴は肩を落とす。


「次にお前が目を覚ました時は、もうお前は次の世界にいる。お前の生まれ持った才能と、今わしが与えた才能とが合わされば、きっとうまく生きていけるだろう」


「うまく生きるどころか、次の世界で、これまでの世界で成し遂げられなかったことを実現させてやりますよ。見ててください」


「ああ、楽しみにしているぞ」


老人との会話が終わると、鳴の目の前がぼやけ出した。次の世界に行く準備かな。そう思ったまま、鳴は目を閉じて、再び眠りについた。


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