そして、
【第87回フリーワンライ】
お題:
文庫本と黒猫
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
ピンポーン。間の抜けたチャイム。
「はいはいはいはいはい、待ってましたよ」
先だって、階下にトラックの停まる音がしたから、もうそろそろだと三文判を用意して待っていた。
ドアを開けると、思った通りに黒猫が目印の宅配便だった。ニヤけた顔のようにも見えるロゴの荷物を受け取り、判を捺す。
発送日を指折り数えたお気に入り作家の新刊だ。私はウキウキとして、定位置に戻る間の1DK特有の短い廊下すらもどかしく、封を切った。
包装を適当に投げ捨て、文庫本を手に座椅子へと腰を落ち着けた。気持ちはまだ落ち着かないが。
……おや?
改めて見ると、手にした文庫本は見覚えのない表紙だった。タイトルも作者名も同様だ。これは私が心躍らせた新刊ではない。
「誤配? こんな時に……頼むよ黒猫……」
いや、ニヤけ面ロゴの不手際かも知れないが。腹立ち紛れに足の傍に落ちていた件の包装を蹴飛ばす。
意気消沈とはこのことだ。私の定位置たる座椅子の前には、すでにペットボトル飲料とお茶菓子も用意して、一気読みする体勢だったというのに。レトルト食品を冷凍庫にぶち込んだし、今日の予定は何もない。読み始めたらトイレ以外では絶対に動かないという硬い意思だった。
まったく肩透かしだ。全身の筋肉という筋肉の繊維が全て切れたように脱力し、背もたれに後頭部を預けた。そのまますうっと意識がなくなるように錯覚する。
「…………」
だが、そんな状態でも手に持った本の重さと感触はしっかりと感じ取れた。
「――よし」
誤配ならそのうち取りに戻ってくるだろうが、どうせもう包装は開けてしまったのだ。折角だし、この見たことも聞いたこともない作家の文庫本でも読んで、時間を潰すとしよう。
私は時間を忘れ、夢中になって本をめくった。これは一大傑作だ。話を追う手が止まらない。
聞いたこともない作家だったが、これは近い将来なんらかの大きな賞を獲るに違いない。
残すところ三分の一、物語はいよいよ佳境に入るところだった。続きは? 続きはどうなる?
ページが移り、目が文字を追う。
そして、
ピンポーン。
そして。接続詞。前の展開を受けて、そして、なんだ! どうなる!?
ピンポーン。忌々しい間の抜けたチャイムが立て続けに鳴る。
急に現実に引き戻されたような気分で、顔を上げた。流石に二度目を無視するほど太い肝はしていなかった。
「はいはいはいはいはい」
案の定、黒猫だった。誤配が判明したので商品を返してくれと言ってきた。
私はどうにか最後の展開まで読み終えたかったが、配達員は急いでるようで、妙にせっついてきた。ノルマがあるらしい。誤配された上に急がされるのはたまったものではなかったが、それをかわせるほどの悪人では私はない。
もしかしたら包装を開けたことだし、そのままこちらで引き取りということに出来るかも知れない。包装を解いたことを告げ、本を配達員に差し出した。
ほら、こんなだから帰ってくれ。
意外なことに配達員は、さっと私の手から文庫本を奪い取った。
「ご迷惑をおかけしました。正しい品は後日改めて配達致します。では」
あっと思う間もなく駆け去った。
*
今、私はお目当ての新刊を読み終えたが、悶々としている。
残念なことに新刊ではまったく興が乗らなかった。あれだけ待ち望んだ物語が色褪せてしまっていた。
これではない。これでは満足出来ない。
繰り返し繰り返し、思い出すのはあの聞いたこともない無銘作家の傑作だ。
私は思い付く限りの方法でネットを漁り、あの本を手に入れようとした。しかし、なぜかどこにも見当たらなかった。
質問掲示板にも賭けてみたが、芳しくない。
気になる。気になる。
そして、そして、なんなんだ。どうなったんだ。
煩悶する日々に私は遂に耐えかね、ペンを取ることにした。ないのなら書けばいいのだ。
内容は今でもはっきりと覚えている。始まりから読み終えた部分まで、全て書き出した。
そして、未知の部分に手をかける。
うざったい配達員のせいで読み損ねた、無名作家の未完の大作の終盤部分。書き出しはこうだ。
そして、
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありませんし、誤配でこのような対応が取られることなんてたぶんないです。
具体的な中身は後回しにして、本編先に書いてしまうと思ったが、残念、一大傑作の中身を書く時間がなくなってしまった。いやー、惜しいなー。文学賞モノだったのになー。
まあ、ぶっちゃけ、断片的な内容を出した方が雰囲気は出るんですが、本当に時間なくなったんです。