ドキドキがトキドキ
授業中、集中力が途切れ、ノートに文字を書いていたシャープペンが止まった。
先生の声は本の内容を語り、黒板にはチョークの文字が増えていく。
これが現実。
周囲は皆、同様の動きでメモを取りながら何を考えているのだろうか。
この授業で社会に出てから役に立つことは、どれほどあるだろう。
大学に行くため?就職のため?
テストで順位を決める為だけに勉強して、学んだ事が役に立たないとすれば……この現世を生きる意味は何だろうか。
現実逃避は残酷にも時間を奪っていく。
当然お昼の時間、お弁当を食べ終えた後にサボったツケが回ってきた。
せっかくの休み時間が台無し。
愚痴る私に、ため息を漏らす代が大人びているようで少し悔しい。
そうだ、前世の記憶がある分、人生経験が豊富な代に語ってもらう事にしよう。
私の疑問に、代はいつもと同じ穏やかな笑顔で正論を述べる。
「役に立つかどうかは問題じゃないと思うわ。考えてみて。もし私が前世の博識だったとして……この時代にその知識が通用すると思う?」
この時代に、どれくらい過去か分からない知識。
授業のノートを智士君に見せてもらって、写す私のシャープペンを突きながら代は意地悪な笑顔。
智士君は、お弁当の後なのに甘いお菓子を頬張りながら、うんうんと頷いている。
「じゃぁ、何の為に私はノートを写しているのかな?」
自分でも分かっている。
ノートの提出をしなければ、課題を追加されるからだ。
でも答えは……
「幸、人は死ぬまで学んで成長を続けるの。例え、来世を望まないとしても……私は、それが人の性なのだと思う。」
代の視線は、シャープペンの先を見つめて感情が読み取れない。
「……代、過ちを繰り返すことを避けたいのは、来世を望まないからなの?」
人の性……
代は前に、天性の悪い癖があると言っていたけれど……
智士君は紙パックのジュースを手に、ストローをくわえたまま代の様子を見ている。
代の視線は移動して行くけど、私たちを見ようとはせずに、逸らしたままで苦笑。
「そうね、……どれほどの知識を詰め込んでも、相応しい行動など選べもしなければ、まして実践など不可能。それでも足掻いて生きる道を選べるのは特異な事。」
代は来世を望んでいない。
もしかして、この現世も……望んだものではないのだろうか。
「悲しそうな顔をしないで、幸。私はこの現世を願った……過ちを繰り返さないために。」
私の中に在る罪悪感が共感するような痛みを生じさせる言葉。
「代、それは俺も同じなのかな。それと直も。」
心臓が彼の名に反応してドキドキする。
代は私を見つめ、そして視線を智士君に移動させて頷いた。
「それぞれに刻まれた魂の記憶は、現世を望んでいる。前世から解放された今を、きっと……もっと、ちがった未来を願うからこそ……繰り返してはならない。大丈夫、この戦も無いような平和な時代……何も心配することはないわ。だから手を動かしてさっさと写す!」
『敵』だった智士君や彼と、私たちの間に何があったのかな。
私は『敵』だと聞いても、過去……前世に起きた戦については想像が出来なかった。
私の曖昧な夢は、確かに戦いの空気があったような気がする。
だけど、血生臭いようなグロテスクな場面など考えもしない。
それは平和な時代に生れたからなのか、ただ単に……
心は思い出せない前世の事で占められ、手は無造作にノートを写す。
時間は無駄に過ぎて行く。
一秒、一分一時間……一日と連なり重なる時間は貴重で、二度と取り戻せない。
生まれ変わったとしても、その時代には戻れないし、現世には通用しない過去の産物に頼ることも出来ない。
なら、この刻まれた罪悪感は…………
代は私に、穏やかな微笑みを向けた。
いつもと変わらない視線……痛む胸の罪悪感は、彼に対してのはずなのに、同じ苦しみが積み重なるような気がする。
「そう言えば……代、あのさぁ。幸と直が仲良しになったみたいだけど、“良い”のか?」
智士君の話題転換に、思わず心臓が止まるかと思った。
ビックリするくらい急だ。
代は智士君に真剣な眼差しを向け、一瞬の間。
「……あぁ、朝……やっぱり、ジキに何かされたのね。」
何かされたって、何も……ない事はないけど、気恥ずかしい。
「直に聞いても、何も答えないし……ただ、初めて赤面したのを見たけど?」
ニヤリと、私に視線を向ける智士君。
代は、そんな智士君の様子を観察していた。
二人の間に、見え隠れする彼と私の関係は前世に関係する事なのか微妙な空気を感じる。
明らかな違和感。
「だから、迫られたから襲い返してみただけよ!」
もう、開き直ってやるわ。
自分が自分じゃない感覚に、どんな説明も出来ないなら受け入れる。
前世だろうが現世だろうが、さらけ出した本質が垣間見えたのは本当の事。
そんな私に、二人が笑う。
今までにない爆笑に、私もつられて笑った。
これが現実、彼に対しても同じ……
ドキドキが時々生じる。
智士君が初めて見た彼の赤面を、私の方が先に見ていたことの優越感。
大胆に近づいて言葉は乱暴なのに、優しさの見える距離や反応。
遠目では分からなかった彼に、ドキドキがトキドキ…………