溶け入る身と心は今宵の夢・・
愛する人を信じることが出来ず、自暴自棄になった。
ユウエン……“あなたは、いつだって自分勝手”なのよ。
湧き上がる悲しみに近いのは、失恋のような感情。
……きっと……この想いは、もっと他の感情。ちがう。好きになっていたなんて認めない。
何度も自覚した気持ちを否定し、自分の想いが不安定で悲しくて仕方がない。
実らない恋に、どうすることも出来ないもどかしさ。
これが現実……身を切り刻む様な喪失を痛感した。
彼は優しいし、我儘を受け入れてくれる。
自分がリコリスなら、どれほどユウエンに救われたと感じるだろうか。
自分の身に纏うのは同族の印だ。それ以外に在り得ない。
種族の違う民を受け入れ、その身に受ける何かは不明。
眩暈がする。
死を願う心が存在しながらも、生に執着して抗う。
思考は入り交じり、混濁と薄れ……暗転して途切れた意識。
もう駄目だと、あきらめて覚悟した。
そんな深い眠りに落ちつつも、どこかで沁み渡る感覚を味わう様な一時。
喉の渇きを癒す甘さ、漂う爽やかな香り。
力は抜けて、安らかな休息の眠りに誘われていく。
どれほど寝たのだろうか。久々の朝日を意識して、目を開けた。
そこは天幕の中、身に被さる生地は異国の物。
命を長らえ、死と隣り合わせの状況に直面して、無意識で手を腰に当てた。
期待した物が手に触れることは無く、慌てて周りを見渡す。
天幕には人気が無く、隈なく探したが、ユウエンからもらった剣は見当たらない。
ここから逃げなければ。
命を救った人だとしても、私の剣を奪うなど、この周辺の戦を意識しているに違いない。
人の気配と近づく足音に、出入り口が一つで逃場は無く、私は身構えた。
入って来たのは、年の近い若い男性。
優しい笑みだけど、やはり民族衣装は異国の物。
身に帯びている剣は、飾りではなく戦に適した長さ。
彼は口を開いて、私に話しかける。
しかし、何を言っているのか理解が出来なかった。
言葉が通じない。
これまでにないほどの恐怖が包む。
私は必死で叫び、身振りで剣を返す様にと告げた。
全身は震え、立っているのもやっと。
彼は私と距離を保ったまま、その場に座る。
そして、同じように座るようにと、地面に触れた。
私は力が抜けて、その場に崩れるように腰を落とす。目は、彼を睨んだまま。
そんな私を気にすることなく、手に持っていた手提げの布袋を開けて中身を取り出した。
器2つに皮袋から水を注いで、器を1つ、私が手を伸ばして届く位置まで近づける。
彼は器から水を自分で飲んで見せて、私にも飲むようにと身振りで示す。
器に毒が塗ってあるかもしれないじゃない。
そんな可愛げのない事を考えながら、どうせ身を守れる剣も無いのなら、死も同じだと水を口に含む。
それは甘く爽やかな香りで、以前に自分を救った物だと理解できた。
喉を勢いよく流れ込み、全身を癒す様に浸透していく。
村で飲んでいた水とは違う。加工されているのだろうか。
彼は満足そうに私を見つめ、指差して、外に出る事を合図する。
ゆっくり立ち上がり、私を見ないように素早く去って行く。
私たちの敵……じゃ、ないのかな。
偵察からの情報も無く村を飛び出して、無謀な事をした。
だけど、もう……あそこには居られない。
ここに留まるのも、状況から判断して村の為にはならないだろう。
後、少しだけ。
この心に悲しみが、まだ私を苦しめるから。
涙を堪えていたのに、内に満ちた水がすべて注がれる様に落ちていく。
これが地面に吸い込まれて消えていくように、私の想いも消えるはず。
いつか必ず癒える。
だって、私は意地悪なユウエンなんて好きじゃない。
私がリコリスのように、少しでも髪が長ければ……
「ふ……ぅ……うっ……っ。」
声を押し殺し、苦しい胸元の服を握り締めて蹲る。
どれほど泣いただろか、近づく足音と人の気配。
気づいたけれど、身動きも出来ない程に悲しみで染まっていた。
殺すなら、そうすればいい。捕虜となるぐらいなら死んでやる。
こんな私を願う人など、いないだろうから。
もう……
ポタッ。ポタタ……
え?
水滴が地面に落ちる音と、自分の体に触れる軽い衝撃。
こめかみに触れた一滴が私の頬を伝って、滑り落ちた。
一瞬の熱と、体温を奪っていくように冷めていく一筋。
それは涙……
顔を上げ、目に入った光景に私は心を奪われる。
私の前に膝を付き、涙を零して見つめる切ない表情と、悲しみの籠った声。
自分は泣くのを止めているのに、彼の降り注ぐ涙が頬を伝って落ちていく。
あぁ、何て愛しい人なのだろう。
私は安心できる居場所を見つけた。彼の優しさの涙を受け入れる。
私自身を癒そうと、急かすように心に沁み込んでゆく。
あの水のように。
数日を過ごして少しずつ増えていく彼の言語。初めて覚えたのは『水』だった。
彼への信頼に、近づく距離も縮まっていく。
この天幕の周辺には数人の兵士がテントで生活していた。
天幕の外に出ても、不便はなく生活に支障はない。
しかし、耳に入るのは分からない言葉だけれど、雰囲気や視線で感じ取る空気は冷たかった。
彼の名前『アスター』を覚え、その言葉と連なった語彙と情報も増えていく。
ある日、聞き取れたのは村の事。
「身・印・ある・人・すべて・殺した」
…………すべて。
聞き取れない言葉もあった。
だけど、村で戦に参加した多くが死んだ事実は覆らない。
ユウエンは、リコリスと結婚しても戦には参加しただろう……きっと、そんな気がする。
村に襲撃をかけたのだとすれば、戦に行っていなくても同じ。
私は村に帰る決意をした。
アスターは、そんな私の様子を見て、何を感じたのだろうか。
今夜、星を見ようと、寂しそうな表情で誘う。
アスターは私を天幕に住まわせ、その間は別のテントで暮らしていた。
部下と同じ……彼の地位は王に次ぐとまでは行かなくても、かなり上位だろう。
もっと早く、言語を理解していれば……
後悔しても過去を変える事は出来ない。
仇討で、ここにいる彼らを殺しても無意味な気がする。
彼は、一つのテントに入り、私に剣を渡した。
それは、ずっと手元になかったユウエンの物。
感情が冷めたのかと思うほどに私は冷静で、受け取った剣を腰に帯びた。
彼の肩には布袋。何が入っているのだろう。
手を差し伸べる彼。
今まで私に触れようとしなかったのに、眼は何かを探る様で、思わず心は揺らいで手を取ってしまう。
村とは違う痩せ細った土。
積み上げても崩れそうな、歩く足も少し沈み、降った雨もすべて呑み込みそうな地面。
天幕から遠く離れ、歩く方角は村に近づいたような気がする。
そこに布を広げ、彼は私に微笑む。
「座ろうか。」
私は驚いて、目を見開いたまま。
「ふ。言葉を覚えたのは君だけじゃない。
ねぇ。最後に、名前を教えてくれるかな。」
最後……これが、別れになるのを知っていたんだ。
自分の言語で、彼と語ることになるなんて。
「私の名はラセイタ。」
「俺の名前はアスター。
……ごめん。君を助けた時から、敵の種族だと理解していたんだ。」
なんとなく分かっていた。
あなたは、私に触れようとしなかったから。
なのに、何故……今、この最後に触れようとするの?
疑問は次から次に出て来るけれど、答えを望んでいないのか、言葉が出なかった。
違う。
理解を……思った以上の意思疎通を願った。
彼が私の言語を、どれほど理解しているか分からず、言葉を失う。
「ラセイタ、俺は自分の国がしている事が疎ましくて逃げた。
その結果が、自分の知らない所で多くの殺戮。
すまない……もっと早く自害すべきだった。
自分の死で、国を巻き込み……収拾をつけるつもりが……」
何と簡単に命を絶つことを語るのだろう。
私の言語で……
生きることを諦めて死を願い、国を背負った人生を語る。
私はアスターを抱き寄せた。
「もういいわ、アスター。
そんなに死を願うなら……私が、あなたを殺す。
いつか必ず、あなたの命を奪うのは私。それ以外の死は赦さない。
さぁ、代償は身にあなたの文様を纏う女性よ。
捧げましょう……私、ラセイタを。」
優しい腕に導かれ、地面に敷いた布に寝転んで満面の星空と彼を見上げる。
ユウエンへの淡い想いは伝えることなく、失った恋。
その悲しみを癒したアスターは死を望む。
なら、私が殺す。
「苦しい。死を望んできた俺に刻んだ幸せが。
……行って、夜明けと共に。
俺たちは敵。
ラセイタ、君の纏う印に懸けて誓う。君の手にかかるまで死なないと。」
あなたが刻んだ……溶け入る身と心は今宵の夢……




