心は複雑怪奇に満ちている
お互いに睨んで、火花が散る視線を逸らすことなく、緊迫した空気。
「何をしている?」
そんな修羅場に、呆れたような表情で元凶登場。
二人の視線が注がれたジキは、一歩後ろに下がった。
「ジキ、この件を説明してもらおう。」
私とイチシ言葉が出るより先に、声を出したのは兄様だった。
妙な空気に、遠巻きの軍隊も閑散。
ジキはため息を吐き、イチシに視線を向けた。
胸に鈍い重み。
どうして、私じゃなく彼女を優先させるの?
それは、やはり妻だから?
そんなに彼女が良いなら……
「イチシ、奴らを率いて早々に父上の元へ帰還しろ。命令だ。」
見たことのないジキの険しい表情。
以前にも聞いたことのある低い声に怒りが加わって、恐怖を感じた。
自分なら黙って従うような状況で、イチシは平然と口答えをする。
「嫌よ。何度も言うけど、私はジキを愛しているの。それとも?私を妻だと認める?それなら、お願いを聞いてあげるわ。」
……妻じゃないの?
彼女の強気の発言に、私は投げつけられた短刀を握りしめ、どう対応するのかジキの反応を待つ。
「認める、とでも思っているのか?」
どういう状況なのか理解できない。
心は安堵しながらも、不安が拭えずに中途半端な感情。
「ジキ、戦乱に足手まといは要らない。」
足手まといは私の事だよね。
否定できない。
戦いなどせず、屈託なく生きてきた。
民も同様。
家族の為に誰かを殺し、命懸けで闘う事より……生贄を差し出して安楽を願った。
『覚悟があるのなら』
この剣で、誰かを殺めるとしても……
その決意が私には…………ない。
強気にイチシと言い争った自分の情けなさと、浅はかさ。
そんな私に、ジキは視線を向けて苦笑した。
見抜かれたのだろうか。
胸は痛むのに、彼の優しさを感じて甘さが広がって満ちていく。
「サチ、今から言う事に偽りはないと誓う。」
ジキは腰に帯びた鞘から剣を抜き、イチシに向けた。
喉元に突き付けて、殺気の伴った視線。
言い終えるまで、黙っていろと伝えるような眼。
イチシの表情には、焦りと恐怖が見えた。
彼女にとっても、この行為は特異な事。
ジキは真剣な表情で、私に何を告げるのだろう。
誓い。
彼の偽りのない誠意。
「彼女は妻じゃない。」
その言葉に、イチシは剣の切っ先に突き刺さるのも覚悟で歩を進めた。
痛みを表すこともなく睨んだまま、喉から胸元に一筋の血が流れていく。
ジキの視線も変わらず、真っ直ぐにイチシを見つめ……言葉を続けた。
「俺は初めてサチを見た時、胸騒ぎを感じた。今にして思えば、心を奪われて惹かれたのだろう……何も偽りはない。」
胸が詰まるように息苦しい。
ジキは剣を引いて、視線を私に向ける。
視線を合わせたけれど、どう応えて良いのか分からず口を開くことが出来なかった。
ジキは、どこまで私の心を見透かすのかな。
思わず視線を逸らしてしまった。
覚悟のない私。
「シロ、サチを部屋に連れて行け。そして民に騒乱などないように。後は任せる。」
彼の言葉に視線を戻した時には、後姿。
隣にはイチシを伴い、戦人たちの元へと歩いて行く。
私に近づいた兄様は囁いた。
「サチ、彼は信頼に値する。受け入れなさい。」
……受け入れる覚悟…………
恋心に目覚めたばかりの私が出来たのは、浅はかな嫉妬の炎に……情けない殺意。
覚悟も無い。
淡く、稚拙な恋心に何が出来る?
兄様はジキに言われたように、騒乱を避けるために動いているのか、私は広くて寂しい部屋に独り。
争いを避ける民が、戦い慣れた大軍を見て不安と恐れに、何をするか分からない。
私も追い詰められれば、どんな行動をするのだろう。
今の私は意気地なしだ。
一歩も動けずに、彼の真剣な言葉を受け止める事も出来なかった。
短刀を手に、それを鞘から出して見つめる。
滑らかな刃は誰かを傷つけたのか、獣を殺めたのか鈍い輝き。
その切っ先は、ジキの剣よりは鋭くない。
彼女の想いを目の当たりにした。
身を傷つけたとしても怯むことなく、命を厭わない程の熱情……
ジキへの愛情と覚悟。
背負う物。
彼女なら足手まといにならないだろう。
私は……?
成れない。
強い彼女への妬みと憧れ……
私は彼の物。
所有物には違いないけれど、お荷物でしかない。
初めて会った時、彼は私に惹かれたと言った。
何がそうさせたのだろうか。
私には何もない。
目が悪いんじゃないの?
悔しい。
彼が見たのは、無愛想で毛嫌いを顕著に表した醜い私。
……目覚めた恋心……不安と恐れと、痛み。
冷たい床に寝転び、息を吐く。
未知の感情に戸惑い、幼い恋心に迷いが生じる。
彼に偽りはないのに、覚悟のない私は……躊躇してしまう。
『彼を受け入れる』
『子を宿す』
それが、何を意味するのか。
生贄の自分……
イチシを傷つけ、命を奪う事さえ……嫉妬に駆られて出来るような軽い感覚で喧嘩を売った。
無知ゆえの愚かさ。
知らない事が、どれだけの恥を被るのか。
知りたい。
もっと……
色々な事を知るべきだ。
身を起こし、短刀の刃を喉元に当てた。
目を閉じて恐る恐る……情けなく震える両手を、ぎゅっと握り締めた。
少しだけ……
彼女と同じ痛みを受ければ、何かを得る事が出来るかもしれない。
チクリとした痛みに熱が生じて、涙が零れた。
「やめろ!」
大きな声に驚き、刃先を喉から離して茫然。
視線を向けて目に入った光景は緩やかで、記憶に刻まれる。
ジキが近寄りながら鞘から剣を抜いて構え、下から振り上げた。
手には衝撃と、撥ねあがる短刀が弧を描く。
一瞬の出来事が、徐々に展開する絵巻のように感じられる一時。
ジキは息を切らし、睨んで見下ろす。
その表情に、歓喜が沸き起こるなんて……思いもしなかった。
恋心は、何と様々な感情で彩られるのか。
「何故、笑顔を向ける!どうして……はぁ。あぁ~、もう……サチ、俺が狂っていく。正気の沙汰ではない。」
私は感情のままに笑顔を向けたらしく、ジキは私の様子に苛立ち、諦めたように床に腰を下ろして項垂れた。
「……ふふ。くすくすくす……」
初めて、ジキの前で笑った気がする。
「嬉しいなんて、自分でも信じられないわ。心配、してくれたのでしょう?」
私は距離を縮め、彼の表情を見ようと覗き込む。
すると、複雑な表情で苦笑。
私の感情も複雑……
何と恋心は不思議なのだろう。
膨らんでいく想い。
心は複雑怪奇に満ちている




