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枯れずの花  作者: ひさなぽぴー/天野緋真
外伝 星色の瞳のあなたへ
9/16

あなたとの出会い

 1.


 それは、とても暑い夏の日のことでした。


 ぼくは父さんと並んで、まだ薄ぼんやりとした道を歩いて、畑に向かっていました。少し暗いですが、そこは毎日通う道ですから、困ることはありません。


 そう、いつものように、ぼくは父さんと一緒に、畑にトウモロコシの世話をしに向かっていました。

 朝日が昇り始める少し前に家を出て、昇りきる頃には朝の作業は終わる。いつも通りの、そんな一日が始まるはずでした。

 畑に着くのも、普段通り。まだ朝なのに、もうすっかり暑くなってきていて、到着した頃には汗がにじんでいるのも、いつもと同じ。


 けれど、その日はいつもとは様子が違いました。


 到着するとすぐに、父さんがあっ、と短い叫びを上げたのです。

 何事かと思って父さんのところに駆け寄ってみれば、せっかく収穫間近まで育てたトウモロコシが、無残にも荒らされていました。なるほどこれは、叫びたくもなります。


 この季節は、育て始めの頃とはまた違う苦労があります。一生懸命育てた作物は、ぼくたち人間だけでなく、他の生き物にとっても食べ物です。だから、今の時期はどうしても、動物たちに畑を荒らされる可能性があるのです。


 でも、それは仕方ありません。彼らだって生きています。生きている以上、何かを食べなくてはいけません。

 ただ、ぼくたち人間は食べ物を育てる、作るということができるだけ。その手段がない彼らは、こうでもしなければ生きていけないのですから。


「くそ……っ、白人どもにやられた!」


 しかし、父さんはぼくの思っているのとはまったく違うことを口にしました。

「えっ?」


 白人?

 動物の仕業じゃ、ないの?


 ぼくは、思わず父さんの顔を見つめました。


「見ろ、この痕を。あいつらが使う、馬車とかいう乗り物の痕だ」


 そんなぼくに父さんが示したところには、まっすぐに伸びた二本の線がありました。その間には、ぐにゃりと折れ曲がった不思議な模様が、いくつも連続しています。

 それはぼくたちの畑を、びっしりと覆い尽くしていました。畑から出たところでまたすぐに引き返していて、何度も何度も折り返しているようです。


 なるほど確かに、野生の動物はこんなこと、しないでしょう。


「あいつら……! 村を襲うだけじゃ飽き足らず、大切な作物まで!」


 となれば、父さんが怒るのも無理はありません。これにはぼくだって許せません。人が一生懸命作ったものを、こんな風にめちゃくちゃにしてしまうなんて!


 怒りの向ける先が見つからず、感情を持て余していたぼくたちでしたが、その時不意に、大きな音が鳴り響きました。


 その瞬間を見ていれば、それが白人の人たちが使う武器の音だとわかったかもしれません。しかし突然のことだったので何が起きたのか理解できず、ぼくはただ身体を縮めて周りを見渡すだけ。

 けれど、その目の前で父さんががくりと膝を突きました。


「父さん!?」


 見れば、父さんのふくらはぎから血が出ていました。その真ん中には、何か黒い塊が見えます。


「だ、大丈夫だ……それより、早くここを離れるんだ……」


 父さんがそう言った直後、父さんの後ろの茂みから、二人の男性が出てくるのが見えました。

 それはどちらも、ぼくたちと違って白い肌を持った人で、手のひらに収まる大きさの、黒光りする何かを持っています。その何かは筒のようなものがせり出ていて、そこからは白い煙が上がっているのが見えました。


 それに気づいた父さんは、立つのもやっとだろうというのに、立ち上がってぼくを守る形で腕を広げました。


『へえ、さすがインディアンは勇敢だな。ここは俺に任せて逃げろって?』

『ヒュー、惚れるね』


 彼らが何を言っているのか、ぼくには全然わかりませんでした。けれど、どことなくバカにされているような気はしました。


 でも、ぼくには怒るよりも怖いという気持ちのほうが大きくて、何もできませんでした。父さんは、逃げろと言ってくれているのに、身体が言うことをきかなくて。


『ま、死に損ってだけだろうけど』

『間違いない』


 そして、やはり意味を理解できない言葉と共に、ぼくたちに、彼らが手にした何かが向けられます。

 あの何かは武器なんだと直感すると同時に、ああ、ぼくたち、ここで死ぬんだな、と思いました。


 そんなことを考えた、瞬間でした。


 今まで聞いたことのない音を響かせて、ぼくたちの後ろから青いものが飛んできて、一人の白人男性を遠くまで吹き飛ばしてしまったのです。

 一瞬の出来事でした。突然のことに、ぼくたちだけでなく、白人の人も飛ばされた方向をぼんやりと見つめます。


 そしていつのまにか――本当に気づく間もなくて、きっと一瞬だったのです――ぼくたちのすぐ隣に、小さな人影が立っていました。


「なっ!?」

『な、なんだ!?』


 息つく間もない立て続けの出来事に、父さんと残された男の人が後ずさります。


 いきなり現れた人影――それは、女の子でした。少なくとも、ぼくにはそう見えました。ぼくと同じか、少し小さいかもしれません。

 目が痛くなるくらい真っ白な上着と、空よりも濃い青い下着が印象的でした。それと、とても長い黒髪は、ぼくたちと同じ色のはずなのに、なぜか宝石のように輝いて見えました。

 何より目を引くのは、女の子の瞳。そこにあったのは、たとえようもないほど綺麗な青でした。吸い込まれそうな感じすらします。


「運が悪かったのう、お主」


 その女の子は、開いた右手を男の人に向けながら、そう言いました。不思議なことに、それはぼくたちと同じ言葉でした。


「恨むなら、己か神にせい」

『何を――』


 しかしぼくがそれに首を傾げるのと同時に、男の人は女の子の手のひらから飛び出した、青い何かに弾き飛ばされて、空の向こうへと飛んでいきました。

 今度はその青い何かが、丸くて、青くて、光っていることが見えました。それでも、それが一体何なのか、ぼくにはまるでわかりません。


 一方の女の子はというと、不思議な音と共に舞い散った青い光にかすかに照らされて、たたずんでいました。光と一緒に起きたらしい風にあおられて、女の子が頭の後ろで結んだ髪の毛が、しなやかに揺れています。

 男の人が飛んでいった方向を見つめる横顔は、青い光もあってとても神々しくて、ぼくはただ、彼女を見つめるだけで精一杯でした。


「……お主らも、災難じゃったな」


 しばらくして、彼女はぼくたちのほうを見て、薄く笑いました。


「大丈夫か? ついでに治してやろう」


 それから、父さんの傷を見ると近づいてきて、傷口を見せるように言います。

 その手が、先ほどと同じように青い光で包まれていました。それが父さんの傷口を覆った瞬間、なんと中に埋もれていた黒いものが落ちて、傷口も閉じていくではありませんか。

 やがて血も止まり、完全に治ってしまいました。


「これでよし、と」


 そうして女の子は、満足そうににい、と笑いました。

 その瞬間、なんだか身体が熱くなるのを感じました。なんだか、胸がどきどき言っているような、そんな感じで。


「……あなたは……まさか、大地の精霊様……?」


 今まで感じたことのない感覚に戸惑うぼくをよそに、父さんは女の子を見上げるように尋ねていました。

 けれど、父さんの言葉に女の子は首をかしげます。


「大地の精霊……? 確かに、わしは大地の力を使うが……そんな良いものではないぞ」


 そして、続けて言い放ちました。


「わしは光藤子。そうじゃな……ただの魔法使いじゃよ」


 これが、ぼくと藤子さんの出会いでした。


 2.


 次の日の朝。


 ぼくは村の一番奥に設けられた、村でも特に大きい家を尋ねました。

 それは村の中でも酋長の家と同じか、それよりも大きくて豪華に作ってあり、普段は使う機会はありません。なぜならここは、村のお客さんをお泊めする家なのです。

 そんなところですから、普段ここには誰も入れません。無闇に立ち入ることは禁止されているのです。数日に一回、持ち回りで掃除をするために当番が入るくらいでしょうか。

 けれど今、ぼくがここにいるのは掃除のためではありません。そう、お客さんがここを使っているのです。


 村でたった二つしかない扉を、ぼくは緊張しながら叩きました。


「し、失礼いたします」

「その声はミュゼか。おう、入って参れ」


 ぼくの声に間髪入れず、中から返事がありました。独特な口調の、女の子の声。


「失礼いたします」


 もう一度そう言って、ぼくは中に入ります。


 そこでぼくを迎え入れたのは、真っ白な上着と青い下着に身を包んだ女の子――藤子さんでした。

 正面からぼくを見据える彼女は、見た目こそぼくと同じくらいか、少し小さいくらいなのに、とても堂々としていて凛々しく、ぱっちりと開かれた青い瞳が何よりもきれいです。


「…………」


 思わずぼくは、そんな彼女の姿に見とれてしまいました。頭の中が真っ白になって、動けなくなって……。


「なんじゃ、どうした?」

「ぅわあっ!?」


 すぐ目の前にまで近寄ってきたその可愛い顔に、ぼくは我に返って思わずおかしな声を上げてしまいました。


「何をそう驚いておるのじゃ……大丈夫か?」

「は、はい……ご、ごめんなさい」


 首をかしげる藤子さんに、ぼくはただ頭を下げます。胸がどきどきして、止まりません。


「えええ、と、お、おはようございます」


 それでもなんとか自分の役目を思い出して、ぼくはそこにひざまずきます。


「ああ、おはよう」

「は、はい」


 何が「はい」なのか、言ったぼくにもよくわかりませんでした。きっと意味なんてないのでしょうが、藤子さんを前にすると、どうにも上手く話せません。

 そんなぼくの様子がおかしかったのか、彼女はくすくすと笑いました。それから、ぼくの肩をたたいて言います。


「緊張しすぎじゃよ。楽にいたせ」

「は、はい……でも」

「構わぬよ。……それで? わしに何か用事があるんじゃろ?」

「あ……は、はい。えっと、酋長が藤子さんをお連れするように、と……」

「左様か。わかった、参ろう。案内いたせ」

「はい。こちらです」


 藤子さんに促されて、ぼくは彼女の前に立って歩き始めます。まだ、どきどきが止まりません。

 彼女は緊張するなと言いましたが、どうやらそれは難しいみたいです。


「…………」

「…………」


 あまり話をすると、ずっと緊張が続くような気がしてぼくは道中では何もしゃべりませんでした。道中と言ってもそれほどの距離ではありませんが、とにかくぼくはその間、ひたすら昨日のことを思い出していました。


 父さんはあの後、藤子さんを村に連れていきました。助けてもらったお礼もありましたし、何より彼女が持つ力が、ぼくたちの部族にとってとても身近なものだったからです。

 特に、藤子さんを一目見た酋長は、次の瞬間彼女に頭を下げました。そして、言ったのです。彼女こそ、大地の力と記憶を継ぐものだ、と。


 その言葉の意味はぼくにはよくわかりませんでしたが、ともあれ酋長は、最大限の礼で藤子さんを歓迎することとし、昨日はその宴があったのです。

 その宴の場で、ぼくは藤子さんの世話役を申し付けられました。ぼくたちの部族において、接客は子供の仕事です。だからこういうことは何回もやっていますし、仕事そのものは別に構わないのですが、こんなにも緊張するのは初めてで、不思議でなりません。


「ミュゼ」

「は、はい?」


 急に後ろから声をかけられて、ぼくは思わず上ずった返事をしてしまいました。せっかく少し収まってきていたのに……。


 ……あ、そういえば、申し遅れました。ぼく、ミュゼ=ク・コオテノルと申します。藤子さんが呼んでくださったように、ミュゼ、と呼んでいただければ幸いです。


「酋長がこんな朝早くから呼び出してくるとは、何事かのう。お主どう思う?」

「えっ、えー、えっと……ぼ、ぼくは何も聞いてないので……」

「左様か。ならば本人に直接聞くだけじゃな……」

「あ、着きましたよ」

「ふむ」


 辿りついた酋長の家は、藤子さんが一夜を過ごした来客用の家屋からまっすぐに伸びた道で繋がっていて、村の入口と合わせて、一つの直線で結べる位置にあります。

 それは広く、ぼくが住んでいる家とは段違いです。先ほど、来客用の家の扉は、この村にある二つのうちの一つ、と言いましたが、もう一つはここにあります。


 ぼくはその、二つに一つの扉をたたいて、声を上げます。


「藤子さんをお連れしました」

「ご苦労、入りなさい」


 ぼくの言葉を受けて、中からゆっくりとした低い声が返ってきます。

 それに従ってぼくたちが中に入ると、そこには青い直線の模様の化粧を頬に施した、高齢の男性があぐらをかいて座っていました。

 この人こそ、ぼくたちアウソ族の酋長、ナイ=タムルワ様です。


「どうぞお座り下さい」

「うむ」


 酋長の言葉に従い、藤子さんは彼の前に座りました。

 ぼくはただの世話役に過ぎないので、立ったまま黙って後ろ、入口付近に控えます。


「して、何用じゃ?」


 ぴしっと背筋を伸ばし、堂々とした態度で藤子さんが尋ねます。それを受けて、酋長は大きく頷きながら答えました。


「ええ……あなたと話がしたいと思いまして」


 その答えに、藤子さんはしばらくあごに手を当てて考えているようでした。が、少しして口を開きます。


「なるほど。昨夜、歓迎に徹しておったのはそういうことか。宴の席では聞かれたくないこともある、と」

「ご賢察、痛み入ります」


 藤子さんの言葉に、酋長が淡々と答えました。


「それを察して、そうした問いを控えてくださったあなたの洞察力には感服いたします。……それでもやはり、わたくしたちに聞きたいことはありましょう? 問いには答えを……互いに、一問一答ということでいかがでしょう」

「よかろう。ではまず問うぞ。お主は……いや、お主らは、魔法使いじゃな?」

「はい、その通りです」


 藤子さんの問いに、酋長は間髪入れずに答えました。


 魔法使い。不思議な力で、普通ならできないことをやってしまう人たち。

 そう、ぼくたちアウソ族は、この地域に生きている他の部族と違って、魔法を使うことができる一族なのです。……ぼくは、まだできませんけど。


「わたくしたちは遠い昔、大地の精霊より大いなる力を授かりました。そしてそれを、今に至るまで受け継ぎ続けております」

「……やはりそうであったか」

「では、今度はわたくしからお聞きします。あなたのその力は、いずこから来たりしものですか?」

「どこから、か……」


 酋長の問いに、藤子さんは考え込みました。それから、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めます。


「誰から、という意味で答えるならば、以前の所有者より。その死に際し、受け継いだ。

 力の源、という意味で答えるならば、大地より。母なる星、地球の奥底に眠る力を源とする。

 何が生み出したか、という意味で答えるならば、それだけは記録から除外されておるゆえ、もはや正確には把握できぬ。人類が生まれる遥か昔、イスに名を連ねるものにより著されたとされるがな」


 藤子さんの答えは、ぼくには難解でよくわかりませんでした。特に、後半。しかし酋長は、何か得るものがあったのか興味深そうに藤子さんを見つめています。


「人類が生まれるよりも以前、ですか……気の遠くなる話ですね」

「うむ。億を越える時間なぞ、とても掴み取れるものでもない。が、過去に想いを馳せたところでどうにもならぬことも事実じゃ」

「そうですね。……では、続いてどうぞ」

「わかった。では……お主の魔導具はいかなるものじゃ? 見せてほしい」

「…………。いいでしょう」


 これには、酋長も一瞬答えに詰まりました。


 魔導具というのは、魔法を使うのに不可欠なものなのです。なんでも、魔法に必要なものを呼び寄せるとかなんとか……。

 ええと、詳しいことはまだ子供のぼくは教えてもらえないのですが、とにかく、持っていないと魔法が使えないものなのです。


 そして酋長が持っているのは、アウソ族で代々受け継いできた一族の宝。それを不用意に見せるわけには、いかないのです。一族のものにすら、非常時や一年に一回の収穫祭くらいでしか、見せないのですから。

 そしてそれを酋長が受け入れたということは、それだけ藤子さんの存在が特別だということなのでしょう。


「……これです」


 言いながら、酋長は懐から一つの宝石を大事そうに取り出しました。両手で持つには小さいけれど、片手で持つには大きいくらいの宝石。

 それは、歪んだところの欠片もない、丸くて青い宝石でした。透き通った青さは空とも川とも違った澄んだ色で、光もないのにまるで輝いているかのような錯覚すら覚えます。


 約一年ぶりのその姿に、ぼくの目は思わず釘付けになりました。しかし、その美しさそのものにではありません。そのどこまでも澄みきった青い姿が、藤子さんの瞳とそっくりだったからです。

 まるで、それに取りこまれても、幸せだと思ってしまいそうなほどに美しい、青。そんな魅力が、その色にはありました。


「……これが、わたくしたちが受け継ぐ魔導具……ホルスアウソです」

「青い大地、か……なるほど。やはりお主らの先祖は、我が力のかつての持ち主と接触したことがあるのじゃな」

「恐らく、そうでしょうね。では……わたくしからももう一つ。あなたの魔導具は、どういうものですか? 見せていただきたい」

「よかろう」


 酋長の問いに、藤子さんは即答しました。


 普通、魔導具というのは魔法を使うのに絶対に必要なものです。先ほど言った通りです。これがなければ、どんなに優れた魔法使いでも魔法を使うことができないのです。

 ですから、魔導具が武器として使えるものでもない限り、見せたがらないもの……と、聞いたことがあります。なのに、藤子さんはそんなことは構わないとでも言いたげでした。自信にあふれた声でした。


 彼女は、右手をす、っと前に差し出しました。

 すると、何もないところに音が響き始めました。それは、鳥の羽ばたきのようにも聞こえますが、それとはまた、なんとなく違う気がします。


 音が響きだしてすぐ、今度は何もない空間に、白い何かが舞い始めました。それはどんどん数を増していき、いつの間にかとんでもない数の白いものが空を舞っています。

 それは見たところどれも四角くて、表面には見たこともない模様が描かれています。しかし、その絵柄はいずれも異なっていて、すべてがまったく別のものだということが見て取れました。


 やがて、その白い何かは藤子さんの手の中に一つ一つ収まっていきます。一つ一つはとても薄いそれですが、大量に重なると、とても分厚い塊へとなっていきます。

 最後に、黒い四角形が現れて、その白い塊を覆うようにして収まりました。


「……これぞ、我が魔導具。お主が持つホルスアウソを生みしもの、地球断章じゃ」

「……っ!」


 藤子さんが手にしたその四角いもの。それを見て、酋長は声にならない声を上げながら、後ろにのけぞりました。そしてそのまま、じりじりと下がります。


 酋長だけではありません。ぼくにもわかりました。その黒と白の何かが、藤子さんが地球断章と呼んだそれから、とても大きな気配が立ち上っていることが。そしてその気配が、あまりにも恐ろしげなものであることも。


「ま……まさか……、そ、そんな……。そ……それ……を、この目で……見ることができるとは……」


 酋長は、それがどういうものなのか、わかったみたいです。かすれた声を絞り出しながら、目をかっと見開いていました。


 ぼくは、それがすごいものだとはわかりはしましたが、具体的にどうなのかはわかりません。ただ、感じる恐ろしい雰囲気に、背筋が冷たくなりました。


「ほう、やはりこれの存在を知っておるか。実に興味深い話じゃな」


 そんなぼくたちをまるで気にしていないように、藤子さんが言いました。それから、手にしたその地球断章なるものをおもむろに開き、中の白いものを一つ一つ動かします。


「……しかし、不思議じゃのう。わしは一度この書を全て読み解いたが……アウソ族に関する記述なぞ、見た記憶がない。お主らと意思の疎通ができておるということは、断章の機能は正常のはずじゃが、はて……」

「……と、藤子さん……」

「うん?」


 そんな藤子さんを、酋長は手をかざして制止しました。


「そ……それを、しまっていただけませんかな……。わたくしには……刺激が、強すぎます……」

「おっと、そうか。それはすまぬ」


 身体をさすりながら、荒い呼吸で言う酋長を見て、藤子さんは地球断章をしまいました。

 どこに、どうやってしまったのかは定かではありません。ぼくがまばたきをするかしないかという短い間に、いつの間にかそれは消えていたのです。まるで、最初からそこには存在していなかったかのように。ただ、手の中からそれが消えた、それだけが事実として残ります。


 そしてその瞬間、それまで感じていた恐ろしげな雰囲気も、すっかり消えていました。


「……すいません」

「気にするな。大丈夫か?」

「……はい……もう、大丈夫です」


 酋長はまだ、寒そうに自分の身体を抱えていましたが、それでも座っていた場所に戻ると、藤子さんと向き合いました。


「……やはりあなたは、わたくしたちの祖先に、大いなる力を与えた存在に連なる方であることは、間違いないようですね……」

「……ではやはり、その魔導具……ホルスアウソは、かつての断章の持ち主によって授けられたものか」

「はい……わたくしたちは、そのように神話を語り継いでまいりました」


 ぼくたちアウソ族の神話。

 それは、ある一人の男が、大地の精霊から力の源を、母なる大地の力を授かり、平和な一族を築き上げたという伝説です。


 その力こそ他ならない、酋長が持つホルスアウソ。だからぼくたちは、この辺りに住む複数の部族でも唯一、魔法を使うことができる、存在を知っている部族なのです。

 そしてその力があるからこそ、ぼくたちは白人の人たちの理不尽な仕打ちにも負けることなく、ここに残ることができているのです。


「……藤子さん。実はわたくしたちアウソの民は、こことは別に、聖地を持っております」

「ふむ?」

「わたくしたちは星の泉、と呼んでおります。……そこは、大地の力があふれる場所で、ホルスアウソと同じ力に満ちております」

「ほう……それはまた、興味深い」


 星の泉。今まで難しい話が多かったですが、これははっきりぼくにもわかります。神話よりもずっと単純な話です。


 酋長が言うように、そこはぼくたちアウソ族の聖地で、重要な儀式を行う場所でもあります。具体的には、一年に一度の収穫祭を行ったり、成人が認められた人を祝福したり……とにかく、そういう宗教的なことをするために、一年に何回か部族全員が集まる場所です。

 立ち入りは、成人を認められたものに限りますが、場所そのものはみんな知っています。

 けれどそこは、外の人間には絶対に秘密の聖地です。そこをお客さんである藤子さんに教える、ということは、やっぱり藤子さんは、酋長にとっても特別な人なのでしょう。


「あなたなら……もしかすると、何か得るものがあるかもしれません。いかがでしょう?」

「うむ、面白そうじゃ。ぜひ行ってみたい」

「わかりました。……ミュゼ=ク」

「はい」


 ……なんとなく、予想はしていましたが。

 一歩前に進み出て、ぼくは頭を下げます。


「藤子さんを、星の泉まで案内してさしあげなさい」

「わかりました」


 やはり、案内役はぼくのようです。心が躍ります。


 ……あれ? なんで踊るんだろう。


 星の泉までの道のりは険しいし、行ったところでぼくはまだ子供だから入れないし……正直、いいことなんてないのに。


「ミュゼ、宜しゅう頼むぞ」

「あ、は、はいっ」


 内心首をかしげるぼくに、藤子さんが言います。

 ぼくは、そのきれいな瞳を、かわいい顔をなるべく見ないように、そこで深く頭を下げたのでした。


 3.


「……っ、は……っ、も、もうすぐですよ、藤子さん……」


 目の前に立ちふさがる大きな草をかき分けながら、ぼくは言いました。すっかり息は上がっていて、真夏の日差しもあって、汗が止まりません。


 星の泉は、こんな草木が生い茂る獣道を越えた先にあるのです。しかもこれで実は緩やかな勾配になっていて、見た目以上に体力を消耗します。

 ところが、そんなぼくに対して、藤子さんは息一つ乱れていません。時折暑そうに汗をぬぐってはいるようですが、しっかりとした足取りです。


 ぼくが露払いをしているからでしょうか。そうなら少しはぼくもやりがいがあるというものですが、何せ彼女は大の大人を二人、空の彼方に吹き飛ばせるような人です。ぼくよりもよっぽど体力があっても不思議ではありません。あるいは、何か魔法でも使っているのでしょうか。


「あ……み、見えました。あれです!」

「ほほう」


 ようやく、入り口が見えました。ぼくが指差したところには、半ば草に埋もれるような形で口を開けた洞穴があります。


「あそこに入って奥へ進めば、星の泉があるはずです」

「ある……はず?」


 ぼくの言葉に違和感があったのでしょう。藤子さんは眉をひそめてぼくのほうを見ました。


「え……その……実は、あそこは成人を認められたものしか入れないんです……」


 自分でも、声がだんだん小さくなっていくのがわかりました。加えて、言いながらぼくはうつむきます。


「……左様か」


 ぼくの答えに、藤子さんは何やら少し考えています。

 そして、不意にぼくの手を取ると、ぐいと引っ張ったのです。


 ……ぼくの手を、取る?


「行くぞ、ミュゼ」

「えっ、わ、わあっ!?」


 突然のことに驚いて、ぼくは思わず彼女の手を振り払ってしまいました。身体が熱くなったのを感じます。これ以上熱くなったら、目が回ってしまいそうです。


「だだ、ダメですよっ、掟が、あ、あるんですっ」

「……ミュゼ、お主にいい言葉を教えてやろう」

「え……」

「『掟は破るためにある』」


 そう言った藤子さんの顔は、勝ち誇ったような笑みであふれていました。


「い……いえいえいえっ! そんなわけ、ありませんよっ、それじゃなんのための掟ですかっ!?」

「……お主は律儀じゃのう」

「ええっ!?」


 ぼくの言葉に、藤子さんはすぐに呆れたように目を細めました。


 お、おかしいなあ。ぼく、そんな呆れられるようなこと言ったかなあ。違う、と、思うんですけど。


「まあ細かいことを申すな。どうせ今この辺りには誰もおらぬし、監視の魔法もない。正真正銘、わしとお主の二人だけじゃ」

「ふた……っ!?」


 藤子さんの言葉に、ぼくは言葉を失いました。動きが止まってしまいます。そしてその瞬間に、また藤子さんはぼくの手をとって、そのまま入口のほうへぐいぐいと引っ張っていきます。

 小さなその手はひんやりとしていて、けれどぼくよりも小さいはずなのにとても力強くて、どれだけぼくが力を込めても振りほどけませんでした。

 気が付けば、ぼくはもう、入り口に足を踏み入れてしまっていました。


「ほれ、入ってしまったぞ。観念せい」


 そしてくすくす笑う藤子さん。うう、なんてことを……。


「な、行こうではないか、ミュゼ」


 ところが、そう言う彼女の顔を見た瞬間、ぼくはもう何も言えなくなりました。

 白い肌。ほんのりと赤みが差した頬は可憐で、何よりその青い瞳で見つめられたら、ぼくはもう、考えることができなくなってしまったのです。


 いつの間にか、ぼくは藤子さんと並んで歩いていました。


「……おっと、結構足場が悪いな。足元には気をつけろよ」

「は、はい」


 言われてみれば確かに、地面には石がたくさん転がっているし、ところどころにくぼみがあったりして、気を付けていないと転んでしまいそうです。


 そんな洞窟を進む藤子さんに並んでしばらく歩きましたが、入り口から離れるに従って、どんどん暗くなっていきます。

 当然と言えば当然で、入り口の穴以外に外とつながっている場所がないのですから、光が奥まで届くはずがありません。


「と、藤子さん、暗くなってきましたけど……」

「そうじゃな。わしから離れるなよ」

「は、はい。……でも、なんとかなりませんかね……明るくなればいいのに」

「まだそこまででもなかろう。そう怯えずとも……む?」


 それは突然のことでした。それまでただ暗いだけだった洞窟の中が、急に明るくなったのです。ほどなくしてその明るさは入口にも、奥のほうにも届きました。

 それは、炎のようにゆらゆらと揺らめく不安定なものではありません。それこそ日中の日差しの下にいるような、そんな明るさです。

 けれど、熱さもありませんでした。ただ光だけが、ここに差し込んだようです。


「えっ、と、藤子さん? な、何かしましたか?」

「いや、わしは何もしておらぬ。ふむ……」


 あまりにも急すぎて、ぼくはすっかり混乱してしまいました。来た道や、これから行く道を何度もきょろきょろと見渡します。

 そんなぼくの傍らで、藤子さんは冷静でした。あごに手を当てて、何やら考えています。


「……これは、恐らくお主の魔法じゃな」

「えっ!?」


 藤子さんのその言葉に、ぼくはますます混乱しました。

 そんなはず、ありません。だってぼくは。


「そ、そんなあ。ぼく、魔法の訓練受けてませんよっ。それに、ほら、魔導具だって、持ってないですし……」


 魔法を使うには、魔導具が絶対に必要です。以前にも言った通りです。それを使わないで魔法を使える人は、いないはずなんです。


 思えば、最初会った時の藤子さんは、魔導具を出していなかった気もしますが、彼女とはいえやっぱりどこかに、何らかの形で魔導具を持っているはずなんです。彼女なら、たとえば魔導具を小さくするなりしていても、おかしくありませんし。


「確かに、普通なら魔導具は必要じゃ。じゃが、例外もある」

「え……そ、そうなんですか……?」

「うむ。魔導具とは、本来この世に存在せぬ魔素を、この世に引き出すことがその役割じゃ。無論、魔導具によって精度や引き出す魔素の質が変わるゆえ、あったほうがいいことには違いない。

 しかし、ここのように魔素が既に存在している空間ならば必須というわけではないのじゃよ。そして、魔素さえあればよほど才能がない奴でもない限りは、存外誰でも魔法を起こせるのじゃ」


 ええと……難しい話になってきましたけど……。


 なんとなく、ですけど。

 要するに、火種を既に持っているなら、わざわざ木をこすったりして火種を起こす必要はない、ということでしょうか。そしてここにはその火種がある、と。火種さえあれば、大抵の人は火を起こせますものね。何に火をつけるかは、とりあえず置いといて。


「しかし、ふむ。お主はやはり見込みがありそうじゃな。先ほどわしが断章を出した時も、正確に把握はしておらずとも、感覚でどういうものか理解しておったようじゃし……しかるべき教練を受け、鍛練を怠らなければタムルワを超えることも可能じゃろう」

「え……ええっ!?」


 しゅ、酋長を超えられる!?

 そ、そんなのとても畏れ多くて言えません。


 ……でも、本当でしょうか。嘘だとしても少し嬉しいです……けど、本当かどうか信じるわけにはいかないというものあります。


「まあ、どうあがいてもわしには勝てんがな」

「へぁ」


 けれど、続いた藤子さんの言葉にぼくは思わず素っ頓狂な声を上げてしまいました。

 彼女の声は自信に満ち溢れていて、それを確信していると思わせるには十分すぎました。


「と、藤子さんって自信家なんですね……」

「そうでもない。客観的な事実を述べただけじゃ」


 それが自信家ってことなんだと思いますよ。

 ……とは、言えませんでしたけど。


「それよりミュゼ、見よ」

「え?」


 藤子さんが差したのは、洞窟の奥のほうです。示されてよく見てみると、奥では何やら不思議な光が見えました。


「意外と目的地は近そうじゃ。参ろう」

「あ、は、はい」


 藤子さんがそう言って歩き出すので、ぼくもそれに従います。

 やがてぼくたちは、その光の元へとたどり着きました。


「わ、わあ……!」

「ほほう、これは……」


 そこは、不思議な色と光で満ちていました。ぼくたちは、思わずため息をつきます。

 光は青だったり赤だったり、様々な色をしています。それはさながら虹のようで、いくつもの色に覆われて、泉が静かに佇んでいました。


 それはぼくが想像していたより、かなり小さいものでした。こんこんと水があふれ出てはいますが、たとえば一抱えくらいある石を投げ込んでしまったら、そのほとんどが埋まってしまうような大きさです。

 けれどその水はとても澄んでいて、なるほどここが星の泉なんだなと思うには十分でした。


「……ミュゼ、ほれ、見てみよ」

「え? わあ……っ!」


 藤子さんが示すのに従って、ぼくは上を見ました。そこには、あるはずの土の天井はなく、代わりにさんさんと輝く太陽がありました。


「す、すごい……」

「ここだけ穴が開いたようになっておるのじゃな。しかも、南天した太陽の日差しが一直線に届くような位置関係と……これだと、夜も月光がさぞ美しかろう」

「夜も……」


 きっと、とてもきれいなのでしょう。太陽の光とはまた違う雰囲気で、優しい月の光が差し込む光景……見てみたいです。

 しばらく、ぼくはそうして泉の美しい光景に見とれていました。


「……ふむ、やはりそうか」

「?」


 気づけば、藤子さんがしゃがみこみ、泉の中に手を入れていました。泉の水はほとんど透明で、中をそよぐ彼女の手のひらまでよく見えます。


「何か、わかりましたか?」

「うむ。見よ」

「!?」


 藤子さんが言うや否や、泉から青い光が立ち上りました。それは一条の筋となって、ぽっかりと空いた穴から空に向かって伸びていきます。

 やがて、その光の中を登る形で、泉の中から白い四角いものがいくつも現れました。


 それは今朝、藤子さんがぼくたちの前で取り出して見せた、あの白いものとよく似ていました。いえ、同じものかもしれません。見た感じでは、その大きさはほとんど同じくらいですし、表面に描かれている絵柄も似たような雰囲気です。


「地球断章の断片……これこそ、この泉の力の正体じゃ。そして、ここに魔素があふれておるのもこれが原因じゃ」

「え、えーっと……?」

「我が地球断章は、神を宿す最強の魔導具の一つ。たとえ一部分、紙切れ一枚であろうとも、十分魔導具として機能する。

 それがこれだけの枚数、御者もおらず何年も放置されておれば、周囲は魔素に満ちた場所となるのも当然じゃ」


 言いながら、藤子さんはその白いもの――紙切れ、というようです――に手を伸ばしました。


「あ、藤子さん……どうするんですか、それ?」

「返してもらうのじゃよ。地球断章の今の持ち主はわしじゃ。さればこれも、わしに所有権が……」


 不意に、藤子さんは言葉を切りました。紙切れに伸ばしていた手も、途中で止まります。

 ぼくが首をかしげる前で、彼女は少し考えているようでした。が、やがて紙切れに背中を向けると、おもちゃに興味をなくした子供のように、そっけなく言い放ちました。


「やめた」

「え、えっ?」


 そのまま、彼女はすたすたと入口に戻って行ってしまいます。泉から伸びていた青い光も、それによって消えてしまい、地球断章の紙切れは泉の中へと消えていきました。


「ど、どうしたんですか? 返してもらうって、今……」

「今しばらく預けておくよ。あれがなくなったら、この村は魔法の力を失いかねん」

「は、はあ……って、ちょ、待ってくださいよ!」


 藤子さんは足を止めることなく、泉から出て行ってしまいます。ぼくは慌てて彼女を追いかけました。


「か、帰るんですか?」

「うむ。今日は十分満足した」

「わ、わかりました……」


 藤子さんが何を考えているのか、ぼくにははっきりとはわかりません。

 ただ、彼女が、自分が決めたことには忠実で、なんとしてでもやりぬくだけの行動力と、強引さを持っている人だということはなんとなくわかりました。

 それから、あまり態度には出さないけど、本当は優しい人なんだな、とも。


 ……ところで、今日のことをどう報告すればいいでしょう。そそのかされたとはいえ、ぼくは間違いなく掟を破ってしまっています。

 幸い、このことを知っているのは藤子さんだけですが……うまく隠し通せる自信が、ぼくにはありませんでした。


 4.


 翌朝、ぼくは父さんと畑仕事に行こうとしているところを藤子さんに呼びとめられ、そのまま引き抜かれました。


 ぼくとしては、この時期に畑仕事に参加しないのは、父さんや他の農家のみなさんに迷惑がかかるので、できれば抜けたくはなかったのですが。藤子さんの世話役としての仕事がぼくにあるのも、また事実なわけで。

 幸い、父さんを始めみなさんからは行ってこいと送り出されましたが、やはりどこか心苦しいものがあります。


「えっと、今日はどちらへ?」

「いや、特に決めておらぬ」

「……はあ」

「どこか、面白い場所でもあれば連れていってくれ」

「お、面白い、ですか……」


 藤子さんの依頼に、ぼくは腕を組んで考え込みました。

 正直なところ、この村に藤子さんの興味をひくようなものはないと思います。一番の見所とも言える星の泉は昨日、既に案内してしまっていますし、それ以外となると、どうも……。


「……どうやら、わしは随分と無茶な話をしたようじゃな」

「え? え、い、いえ、そんな……」

「ははは、お主は嘘が下手じゃな。よい、気にするな」


 ぶんぶんと首を振るぼくを見て、藤子さんがくすくすと笑います。青い瞳が、楽しそうに光っていました。


「では、適当に近くをうろつくとするか」

「あ……は、はい……」


 近くをうろつく、ですか……。とても、父さんたちに申し訳ないことになったようです。


 それからしばらく、ぼくはひとまず村の中をぐるりと案内しました。


 ほぼ中央に作られた酋長の家。その周りを取り囲む形で家がいくつもあって村ができていますが、多くは同じ仕事を主とする氏族が固まって立ち並んでいます。


 たとえば、ぼくの家。ぼくの家は、酋長の家から見て南西にあります。父さんは農耕を一番の仕事としていて、ぼくたちの周りに住んでいる人たちも、みんな農耕を一番の仕事にしています。

 この集まりは、村の協同農場に一番近い場所にあって、また勾配などもほとんどなく、川からもすぐに水が引ける位置にあります。

 ここに集まっている氏族は、コオテノル氏族と呼ばれています。これはぼくたちの言葉で「トウモロコシ」の意味で、ぼくたちが主食にしているトウモロコシを育てているものとしての意味が込められています。


 他にも、村を守る戦士の役割を第一に持つ氏族、川を中心にして魚などをとることを第一にする氏族、衣服のための布地を作ることを第一にする氏族など、アウソ族はその所属によって仕事を分担する仕組みの中で生きています。


「……ふうん。では生まれた時から、その決められた枠組の中で生きていかねばならんのか。どこも、社会というのは似たようなものかのう」

「んー、一応、他の仕事をするのは禁止されていないらしい、です。でもなんていうか、その辺りのことはあんまりはっきりとは決まってないみたいで、その都度、酋長がいいか悪いか判断する、って聞いてますよ」

「……なるほど」


 村の中を並んで歩きながら、ぼくは説明します。時折藤子さんが感想や質問などを挟み、その都度ぼくは付け足す形で、案内を進めました。

 あれこれ色々と回って、やがてぼくたちは村近くの川まで辿りつきました。


「ここは北東に流れてるミシシッピから分かれてる支流です。畑で使う水に使ったり、魚を釣ったりしています」

「大きな川、か。お主らの言葉ではないな」

「わかるんですか? その通りです。使いやすいので、そのままぼくたちの言葉に定着したみたいで」

「どこの言語にも見られる話じゃな」


 川辺にしゃがんで、水の中を眺めながら藤子さんが言います。瑞々しい草に覆われた岸に寄せる水はにごっていますが、今日はそれでも中の様子が結構見えるので、いつもに比べると綺麗なほうです。

 この辺りはもうかなり川幅があって、流れはとても緩やかです。時間があるときは、大人も子供もこの辺りで泳いだりしてすごすこともあります。


「あれ? おーい、ミュゼー」


 ふと、下流のほうから声が聞こえました。そちらに顔を向ければ、数人がこちらに向かいながら手を振っているのが見えます。


「サイユ」


 その先頭に立っている少年に手を振り返しながら、ぼくも彼の名前を呼びました。


「知り合いか?」

「あ、はい。幼馴染なんです。……と、その家族」

「……幼馴染、か」

「あ、藤子さんだ。そっか、お前お世話役だったっけ」

「うん、まあね」


 サイユが、ぼくの隣で立ちあがった藤子さんを見て、納得という顔で頷きました。後ろでは、彼の家族が藤子さんに頭を下げています。


 サイユの顔はぼくよりも高い場所にあって、多分ぼくのつむじを見下ろすくらいはできるでしょう。

 神様は理不尽なもので、同い年のはずなのに、ぼくは彼に対してかなり成長において遅れを取っています。


「で、ここで何してたの?」

「特になんにも。色んなところを見て回ってるだけだよ」

「そか。お前も大変だな」

「ううん、そうでもないよ」


 これは本心です。確かに、昨日のように藤子さんは少し強引なところもあるけど、別に悪い人じゃないですし。


「サイユは、釣り?」

「ん。多めにとれたら、お前んちにもわけてやるよ」

「……ありがとう」

「釣りか」


 不意に言葉を割りこませた藤子さんに、ぼくとサイユがそちらを向きます。


「……藤子さん、やるかい?」

「ふむ。実はやったことがない。よいのか?」

「いいさ。あんまり獲りすぎなきゃね。な、親父?」

「ああ」

「だってさ。はい、じゃあこれ、藤子さんに貸すよ」


 家長の承諾を得たサイユは、自分が持っていた釣り竿を藤子さんに差し出します。


「よいのか? これはお主のものであろう?」

「いいよ。おれ、潜って獲るからさ」

「海女みたいなことを。わかった、では言葉に甘えよう」

「ミュゼは? やるか?」


 手を出した藤子さんに竿を手渡して、今度は彼はぼくに言います。

 ぼくはそれには首を振って、やんわりと断りました。


「ううん、いいよ。そんなにいくつも借りたら悪いし、それに、わかってるでしょ?」

「うん、だよな。……お前相変わらずだよな。それじゃいつまで経っても大人になれないぞ」

「……いいよ」


 ぼくは、うつむきました。サイユの言葉が重いです。


 別に、無理に大人になろうなんて思いません。子供のままでいいというわけじゃないけど、やりたくないことをしなければ大人になれないなら、無理になりたいなんて……。


「サイユであったな。これはどう扱えばよいのじゃ?」

「あ、はいはい。えーっとね、これ、まず餌が必要なんだけど……」


 そんなぼくを尻目に、サイユは藤子さんに釣りの手順を説明します。さすがに川と密着した暮らしをしている彼の手際は見事です。藤子さんも、静かに頷きながら彼の話を聞いていました。


「で、こんな感じで――」


 釣り針が、川の中へ投げこまれます。それは綺麗な放物線を描いて、静かに着水しました。


「――投げる。で、あとは待つ。もちろん、ずっと同じ場所にいて待つのもいいけど、状況によって投げる場所を変えたりするのもいいよ」

「なるほど、大体分かった」

「おっと、早速来たな」


 サイユが糸をたらしてすぐ、魚がかかったようです。彼は数回竿を上げ下げしたのち、見事に獲物を引き上げることに成功しました。


「……こんな感じかな」

「オオクチバスか。見事なものじゃな。成体して間もない感じかのう。この大きさで、下流で緩やかとはいえ川におるのは見上げた根性と言うか」


 獲物を眺めて、藤子さんは感心したように頷きました。

 ところが、そんな彼女の前で、サイユは釣った魚を針から外すと、川に返してしまいました。


「……戻すのか?」

「まだ小さいからね。そういう決まりなんだ」


 川岸でしゃがんで、水の中に消えていく魚を眺めながらサイユが答えます。


「小さい奴まで獲っちゃったら、もしかしたらいなくなっちゃうかもしれないだろ? 必要な分だけ、大きい奴だけ。そういう決まりなんだ」

「……なるほど」


 そうして頷くと、藤子さんもしばらく、川面を見つめていました。

 そしてぼくは、そんな藤子さんの横顔を見つめていました。


「……じゃあ、藤子さん。はい、竿」

「お、うむ。やってみよう」


 サイユから竿を改めて受け取った藤子さんは、早速釣りに挑みます。最初は竿を振るのもぎこちない様子でしたが、どうやらあっという間にこつをつかんだみたいで、すぐにサイユみたいに素早く的確に動かせるようになっていました。

 その上達の早さには、サイユも目を丸くしていましたが、藤子さんのすごさをなんとなくわかっているぼくには、むしろそう来なくっちゃ、とも思えました。


 しかし、なかなか魚はかかりません。いい場所を見分けるのはさすがの彼女でも難しいのか、それともぼくが釣れませんように、と祈っているからなのか、それはわかりません。

 わかりませんが、藤子さんは目に見えて退屈そうです。それはまあ、当然と言えば当然でしょう。


「……ミュゼ、場所を変えるぞ」

「えっ?」


 突然声をかけられて、ぼくは思わず硬直します。しかし、そんなぼくを意に介さず、藤子さんは釣り竿を手に、上流へのしのしと歩いていきます。


「あ……っ、ま、待ってください!」


 ぼくは慌てて彼女を追いかけます。


 藤子さんはしばらく、そのまま歩き続けました。ようやく足を止めたところは、サイユたちのいた場所はかなり遠くなっていました。目で見てそこに彼らがいることはわかりますが、それ以上のことはわからないくらいには、遠いです。

 そのまま無言で座りこむと、彼女は釣りを再開しました。


「……釣りというのも奥が深いな。万事、物事を極めるということはまこと難しいのう」


 時折そんなことをつぶやいています。ぼくは、邪魔にならないように、その様子を見つめるだけです。


 やがて、遂に彼女の竿に当たりが来ました。


「――よし!」


 その機会を逃すことなく、彼女は見事に魚を釣り上げます。糸の先にかかっていたのは――薄い緑色のうろこに覆われた魚、ブルーギルでした。


「おお、なかなかいい肉付きじゃな。これは釣り上げてもよかろう? のう、どうじゃミュゼ?」


 そして彼女は釣り上げた魚を見て無邪気に笑うと、それをぼくに見せて言いました。

 ぼくは、それから目をそらして小さく頷きます。


「そう、ですね……たぶん、いいと思います……」

「?」


 ぼくのその態度に、藤子さんは不審に思ったのでしょう。首を傾げました。


「……もしかして、お主魚が怖いのか?」

「…………」

「気持ちはわからんでもない、水に関係した異形は多いからな。しかしそのほとんどは海に……」

「違うんです、そうじゃないんです」

「ふむう?」


 魚が怖いわけじゃないんです。むしろ、逆。可愛い、くらいに思います。

 でも、釣りとなると話は別で……釣り上げられて、必死に身体をよじらせる魚の姿を見るのは、胸が痛むんです。それにそもそも、餌ってみんな生きているじゃないですか……。


「……そうか」


 不意にそう言うと藤子さんはしゃがみこみ、釣り上げたその魚を、川に返してしまいました。それからしばらく、川の中を見つめています。


「お主は同じと思うておるのじゃな。人畜の別なく……だから、釣りはしとうない、と」

「っ!?」


 ずばり言い当てられて、ぼくは驚きを隠すことなく藤子さんに顔を向けました。

 彼女は、こちらを向かずに何やらごそごそと手元を動かしています。


「察しはつくさ。長く生きていれば人の心の機微もある程度見えるようになる」

「……藤子さんの言った通りなんです」


 ぼくは、もう一度うつむいて、ぼそぼそと話します。


「……サイユたちを否定するってわけじゃないんです……必要なことだとは、思うから……。獲りすぎちゃいけないっていう掟も、とても正しいって思います。

 ……でも、釣りって……どんなにがんばっても、釣り上げるまでは大きさなんてわからないじゃないですか。いくら、返してあげるって言ったって、一度は針にかけなきゃいけないじゃないですか。そんなの……かわいそうですよ……」

「……無益な殺生はしたくない、と。傷つけることも、したくないと。そういうことなのじゃな」


 答える代わりに、ぼくは小さく頷きました。


 どうして神様は、他の生き物を殺さないと生きていけないように生き物を作ったのでしょう。それはいくらなんでも、いじわるがすぎるんじゃないかとぼくは思ってしまうのです。

 こうして生まれた以上、食べないと生きていけないことはわかっています。そのために、他の生き物を殺さないといけないことも、わかっています。それは、仕方ないと思います。そういう仕組みになってしまっているのですから、……わかっています。

 ぼくだって、死にたくないので仕方なく肉や魚を食べることはあります。けれど……やっぱり食べる時、調理する時、あるいは捕まえる時……ぼくは、どうしても胸が痛むんです。心苦しく、思ってしまうんです……。


「どうじゃ?」

「えっ?」


 ぼくがうつむいていると、唐突に藤子さんがぼくに振り返りました。

 思わず顔を上げてみれば、彼女は手に何かを持っていて、それをぼくに見せているようです。


 それは、細長い棒でした。下に行くにつれて細くなっていて、なんだか布を扱う時に使う針のようにも見えます。


「これならば、魚をひっかけることはあるまい?」

「え……」


 その言い方からいって察するに、それは釣り針のようでした。確かに、こんな形をしていれば、魚を釣ることはできないでしょう。でも、それって……。


「い、いいんですか? それじゃ、釣りになりませんよ……?」

「見たくないのであろう?」

「……ぼ、ぼくは……そう、ですけど……」

「構わぬ。先ほどので大体感覚はわかった」


 ぼくが藤子さんはそれでいいんですか、と尋ねようとするのを見越したように、彼女はそう言いました。そして、にやっと笑います。どこかいたずらっ子のようなその笑顔は、決していやらしさはなくて、とても可愛いものでした。


 そうして硬直してしまったぼくを尻目に、藤子さんはその、釣り針にならない釣り針をつけた竿を振り、川面に糸を垂らしました。


「…………」

「…………」


 それからしばらく、ぼくたちは黙ったままでした。当然ながら、魚がかかる気配はまったくありません。


「……ミュゼ」

「はい?」


 静けさを破ることなく、藤子さんが静かに口を開きました。


「先ほど、サイユが言っておったな。それでは大人にはなれぬと。それは、お主のその姿勢……というか、考え方が原因か?」


 すぐには答えられませんでした。それはもちろんその通りだからで、一族ではぼくの考えていることは、普通ではないことだからです。


「……はい」


 少し間を空けて、ぼくはようやく返事をします。するとそれを待っていたように、藤子さんが口を開きました。


「……大人、か。どういうことじゃ? よければ聞かせてくれ」

「……ぼくたちアウソ族の男には、大人と認められるためにしなければならないことがあります」

「ふむ、通過儀礼か。どこの地域にも見られるのう」


 こくり、と頷いて、ぼくはその場に膝をかかえるような形でしゃがみこみます。


「知恵と勇気を示せ、ということらしいんですけど……それが、ピューマを倒さなきゃならないんです」

「……一人でか?」

「……はい。あ、でも一応、魔導具は貸し与えられるんですけど……」

「ああ。それはそうじゃろうな。あのような、単独で広範囲を行動する猛獣を、何もなしにはい、やれ、というのはさすがに無理な話じゃろう」

「……ピューマを倒すって簡単に言いますけど、彼らは何もしてません。別に、いつも襲ってくるわけじゃないし、ぼくらが彼らを食料にすることだってありません」

「ふむ。まあ、あれは食えんじゃろうな」

「ぼくには……彼らを倒す意味がわかりません。同じ大地に生きている、兄弟じゃありませんか。なのに……ただ大人になるためって、そんなの勝手すぎます……」

「…………」

「ぼく……そんなことしないと大人になれないなら、なれなくっていいです。バカにされたっていい。そんな大人なら、ぼくはなりたくない……」


 藤子さんから返事はありませんでした。代わりに、竿を振る音と、水のはねる音だけが鳴ります。


 彼女は変わらず、絶対に魚の釣れない針を川に垂らし続けていました。こちらは向いていないので、どういう表情をしているのか、何を考えているのかはわかりません。


「……わしの生まれた国にも、通過儀礼というものがあった」

「……はい」

「元服という。年頃を迎えた男子は、神前にて子供の服、子供の髪、子供の名を改め、大人の服、大人の髪、大人の名を与えられる……そういうものであった」

「……それだけですか?」

「ああ。かつてはもっと複雑であったが、時間の流れに伴って簡素化した。あとは……そうじゃな、魔法使いの家柄では、それに加えて魔導具を使いこなせて初めて大人と認められたかのう……その方法は様々であったが」


 それは、何か犠牲を出さなければならないアウソのものに比べたら、ぼくにはとても合理的に思えました。

 ぼくは、思わず口にします。


「……ぼくも、そういうところに生まれたかった」

「やめておけ」


 ところが、藤子さんは即座にそれを否定しました。

 ぼくは思わず、一歩前に出ます。彼女に問いかけていました。


「ど、どうしてですか?」

「わしの生まれた国はのう……誰も彼も排他的で、突出した才覚、性質、心根、意見を否定したがる国であった。出る杭は打たれる、憎まれっ子世にはばかる、などという教訓めいた言葉を作ってまで、他と違うことを忌避する。とにかく、みなと同じであることが美徳とされておった」


 そう語る藤子さんの顔はやはりぼくからは見えませんでしたが、なんだかとても、故郷のことを突き放すような、冷めたものを感じました。


「こと魔法なんぞに才を見出そうものならば一生爪弾き、村八分が普通であった。魔法使いは国から必要とされる一方で、常に何らかの理由で後ろ指をさされていた。

 幻想を受け入れながら、明確に目の前にそれが現れた時には手のひらを返して嫌悪する……そんな器量の小さい国柄じゃ。そんな国で、お主のように他と違う考えを持ったものは芽を出せぬよ。あんな国に収まるほど、お主の器は小さくない」


 それだけ一気に言うと、藤子さんは黙ってしまいました。川のせせらぎの中で、竿を振る音が鳴ります。


「…………」

「…………」


 ぼくは褒められたのでしょうか。でもなんだかそれ以上に、藤子さんが自分の体験を語っているような気がして、ぼくは悲しくなりました。


「……藤子さん、そんな風に見られてたんですか……?」

「多分な。気にしたことはなかったし、何かしてこようものなら遠慮なく叩き潰したが……」


 言いながら、針を引き上げる藤子さん。ひたひたと小さな雫が滴る針を見つめて、彼女はぽつりとこぼしました。


「少なくとも、はっきりとわしに好意を示してくれたものは、ほとんど記憶にはないのう……。先日死んだ妹と、……それからもう一人……くらいか……」

「そんな……」


 信じられませんでした。


 ぼくは、まだ藤子さんと出会って二日しか経っていません。彼女がどんな人なのか、知らないと言ってもいいくらいです。

 でも、この二日で彼女が見せた顔は、どれも魅力的で、愛らしくて、ぼくは、ぼくは彼女からずっと目が離せませんでした。

 確かに、強引なところはありました。言い出したことは絶対にやるし、とにかく突き進んでしまうような人です。でも、藤子さんはその間、悪いことはしていません。彼女のことを嫌うなんて、ぼくには……。


 竿が風を切る音が鳴って、また水音と共に針が川に入れられます。


「災厄の魔女」

「えっ?」


 突然、藤子さんが言いました。その意味がわからず、ぼくはほとんど間も空けないで問いかけていました。


「わしは故郷で、そのように呼ばれておった。突出しすぎた力を妬まれたことに加えて、わしが各地でそれだけの被害を出して回ったからな。そもそもわしは、他人に好かれるような類の、出来た人間ではないのじゃよ」


 災厄の魔女。災いを呼ぶ悪い人、ということでしょうか。


 確かに、藤子さんの持っている魔導具は、恐ろしい気配を漂わせていました。初めて会ったとき、大の大人をあっさりと吹き飛ばしてしまったことから考えても、きっと藤子さんは、その気にさえなればそれだけのすごいことができるのでしょう。

 けれども、藤子さんが災いを呼び寄せる、なんてなんて怖いことをする気配なんて、少なくともぼくは見ていません。星の泉にあった力の源だって、自分のものにしないで残してくれました。そんな藤子さんの、どこが悪い人なのか。ぼくには、まったく想像もつきません。


「……嘘でしょう?」


 だからぼくは、そんなことを言っていました。


 ぼくのその言葉は意外だったのか、藤子さんは丸い目をもっと丸くして、ぼくのほうを見ました。それから何回も、目をぱちぱちします。


「何故そんなことを言える……わしらはまだ、出会うて二日の関係でしかないのだぞ? 第一、わし本人がそうであったと、言っておるではないか。

 ……全て本当のことじゃ。わしは嘘はつかぬ。目的のために手段を選ばず、何千、何万という人間を巻き添えに殺すような女なのじゃぞ、わしは」


 その言い方は、なんだか呆れているようでした。それと同時に、なんだか一生懸命自分を悪く言っているようにも聞こえました。そんな風に言われたら、ぼく、ますます藤子さんは悪くないって思ってしまいます。

 だって、藤子さん。


「ぼくたちのこと、助けてくれたじゃないですか」


 なんて言ったら、藤子さんはもっと呆れたのか、何も言わずにかくんと首を傾けました。そして斜めのままの視線を、ぼくを向け続けます。


「本当に藤子さんが悪い人だったら、襲われてるぼくたちを見たって、助けてくれないでしょう?」

「…………」

「それに……その、藤子さん見てて、藤子さんが悪い人になんて、ぼく、思えないし……だから」

「お主……」


 そこでようやく、藤子さんは笑いました。とは言っても、それは苦笑でしかなかったですけど。


「だから藤子さん、大丈夫ですから。もし本当に藤子さんが悪い人でもぼく、ぼくは藤子さんのこと、嫌いになったり、しないです。だから……」


 ……だから、なんなんだろう。ぼくは、何を言ってるんだろう……?

 ここまで言っておいてどうしたらいいのかわからなくなってしまい、ぼくはそのまま固まってしまいました。


 そんなぼくに、藤子さんが姿勢を正して向き直りました。そのまま、青い瞳を何度かぱちぱちさせながら、ぼくをじっと見つめます。その色はどことなく、寂しそうな青さに見えました。

 その色に射抜かれて、ぼくは胸の奥で何かがどくんとはねるのを感じました。一気に身体が熱くなります。


「……ミュゼ」

「は、い?」

「……お主は、本当に心底優しい男なのじゃな」


 そう言って、くす、と藤子さんが笑います。


「優しすぎる」


 そしてそう続けました。

 その、どこか困ったようにくすくす笑う彼女の顔を見て、ぼくは、なんだかわかったような気がしました。


 そっか。


 ぼく。


 ……ぼく、藤子さんのことが、好きなんだ。


「ミュゼ」

「え、あ、はい?」

「戻ろうか。そろそろ釣りにも飽いてきた」

「……はい」


 釣り糸を手繰り寄せながら立ち上がる藤子さん。結局、針のせいもあって釣果はありません。けれど、なんだかその顔は満足そうでした。


「大体のことはわかったが、少なくともわしのように、待つことが苦手なものには不向きやものう。素直に獣でも狩りに行くほうが、よほど性にあっておる」

「ですか。……ですね」

「じゃろう。……サイユには、兜を脱がねばならんな」

「かぶと……ですか?」

「ああ。わしの国でのたとえじゃ。降参、のな」

「あの、その前にかぶと、って、なんですか?」

「ん? まずそこか。兜というのはな……」


 サイユのところに戻りながら、ぼくは藤子さんの話にずっと耳を傾けていました。外から来た彼女の話はどれも興味深いものばかりなのです。

 この二日間だけでも、ぼくは数え切れないことを彼女から教わりました。

 知らないことを知ることができるのは、とても楽しいことです。けれど、それ以上にぼくはきっと、彼女の声を聞いていたかったのです。

◆アウソ族(the Aousho nation)

アメリカ・インディアンの一部族。マスコギ語族に属し、チョクトー族とは近縁関係にあるとされる。

同語族では最も人口が少なく、かつては現在のアメリカミシシッピ州流域を生活域としていた。

チョクトー族らと同じく、白人の文化を積極的に取り入れた部族であったが、強制移住法をはじめとした度重なる白人の圧迫に屈することなく、地元での生活を維持し続けた。

一般的には知られていないが、その原因は彼らが魔法技術を持つ部族だったため。

とはいえ、元々の人口が少なかったこと、優秀な酋長の指導もあり、早い時期にアウソと白人は和解している。

十九世紀の終わりごろには、既に白人との融合がかなり進んでおり、アウソ語は二十一世紀現在、いくつかのファミリーネームを残して絶滅言語となっている。

「アウソ」とは、彼らの言葉で「大地」を意味する。

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