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枯れずの花  作者: ひさなぽぴー/天野緋真
第一次薔藤時代編
6/16

二花、並び咲く。

 1.


 千八百六十六年、イランファールス地方。


 辺り一面砂漠の大地に、厳格な父の光が降り注ぐ。雲ひとつない大空には渇き切った風が吹きすさび、今は昔の栄華を懐かしんでいるようにも聞こえる。

 この無数の砂にうずもれて、今もかろうじて立つ、ペルシアの街。破壊されて幾星霜、もはや人の住まぬこの都市だが、それでも訪れる人間が皆無というわけではない。


 歴史に名を残すアケメネスの足跡を求めて、あまたの学者がここを訪れる。名前すら忘れ去られたこの街が、現代に残した大いなる謎を解くために。


 それは、彼らに益あってのことではない。歴史という、壮大な浪漫に心を奪われたものたちが持つ、神話をもう一度歴史の舞台に立たせたいという、確固たる信念があればこそだ。


 しかし今、そんな遺構の中に立つ少女の目的は、そんなことではない。

 彼女にとって、この星が歩んできた歴史などはもはや興味の対象ではない。そんなものは、彼女が持つ黒き魔導書に漏らすことなく記されている。そんなものは、彼女にとって既知の情報に過ぎないのだ。


 いまだ高い太陽を物憂げにちらりと見上げた彼女の瞳は、深い青。父なる星が抱く第三の子、地球が放つ幻想の光がそこにある。


「……まだ見えぬ、か。もう少し落ちねば動けぬな……準備は整っておるというに」


 ぽつりとつぶやきながら、彼女は右手で太陽の光を遮った。その手首で、飾り気のない真っ黒な腕輪が、かすかに光を受けて輝いた。


 彼女の名は、光藤子。災厄の魔女の二つ名を世界にとどろかせる稀代の大悪人にして、世界最高の魔法使いの一人だ。


 和装に近い体裁の衣装は全体的に黒く、かつて彼女がまとっていた純白の面影はまるでない。また、かつて彼女がそのしるしとした総髪も今はなく、腰まであろうかという髪は束ねられることなく風に揺れている。

 その中で特に目を引くのは、全身をなまめかしくつつむ、かすかに色づいた薄い羽衣だ。欠けたる五芒星の縫い取りがあしらわれたそれは、吹きすさぶ風の中にあって、それを意に介することなく静かに揺らめいている。


「このわずかな暇がもどかしいな……何かするには短く、何もせぬには長い」


 ふう、というため息が、風に溶けて消える。もちろん、それを聞くものが周囲にいるはずもない。

 とはいえ、もどかしいと言うわりに藤子の身体は常に凄まじい大きさの魔力に包まれている。それは常に形や色を変え、まるで生き物であるかのように蠢いている。


 その姿は、いつでも動けるのだと言っているようなもの。そう、油断はしていないのだ。その道の達人であればあるほど、どんな時でも気を抜かないものである。


 そして、それが正解であったとわかる時が来る。

 不意に近づいてきた、自分以外の気配を悟って藤子は渋面を浮かべた。


「……ちっ」


 そしてあからさまに舌打ちをすると、表情を引き締めて後ろを振り返る。


 そこには、太陽を背負って柱の上に立つ女性の姿があった。


 藤子と対照的に、いかにも西洋の魔法使いを思わせるゆるやかなローブをまとい、その色も白を中心として明るい雰囲気が漂っている。

 太陽の光を受けた女性の髪は黄金の輝きを放ち、またその下には、情熱的に燃え盛る二つの瞳が静かに藤子の青い瞳を見つめていた。


 彼女の名は、ジェーン・テューダー。クリムゾンオールドローズの称号を戴く世界に冠たる正義の使徒にして、世界最高の魔法使いの一人だ。


「またお主か、クリムゾンオールドローズ」


 改めてジェーンに身体を向けて、藤子が険しい表情をする。その目の前に静かに降り立って、ジェーンはかすかに笑った。


「いかにも私です。また何かやるつもりなのでしょう、災厄の魔女よ。そうはさせません」

「ふざけおって……三度ならず四度までもわしの邪魔をしに来おったな」

「……今回は、ロシアの轍は踏みません。今度こそ、あなたを倒してみせましょう」

「ふん、それはこちらの台詞じゃ。返り討ちにしてくれよう」


 青と赤の視線が、真っ向からぶつかりあった。そうしてしばし、二人は沈黙する。


 初めて会った九年前から、今に至るまで二人は既に二度も魔法を交えていた。

 一度目はイタリアで、二度目はロシアで。

 どちらの場合も、不穏な動きを見せた藤子の元にジェーンが討伐に現れるという形で――つまりは、今回と同じである。


 いずれの場合も、結果は同じ。勝負自体の決着はつかず、藤子の目指す目的は阻止される。

 しかし、毎回何かしら大規模な事件が起きており、その点で見ると、ジェーンの目的も阻止されていると言えなくもない。今や、青と赤の魔女による戦いは、全世界の魔法使いから注目を集めるほどであった。


 だが、当人たちにそんな野次馬じみた周囲の視線を気にする余裕はない。二人が目指しているのはあくまで己の目的の達成であり、その障害となる相手の存在は、目の上のこぶも同然である。


 そして、今回も似たようなことになるかもしれぬと、藤子の心中は穏やかではなかった。自らの目指すものが阻まれる――それは、彼女にとって最大の「敗北」であるから。


 だがその一方で、この九年間、負けるわけにはいかぬと磨き続けてきた己の力がいかほどのものか、ジェーンを相手に大手を振って試すことのできる機会を、どこかで望んでいたのもまた事実である。


「……場所を変えませんか。ここでは、人類の遺産に傷がつきます」


 沈黙を破ったのは、ジェーンだった。守るべきものを巻き込むわけにはいかないという、彼女らしい発想に藤子は鼻で笑う。


「相変わらずじゃな、偽善者め。良かろう、それでお主が満足するなら従ってやろう」


 が、それに頷いて見せて、藤子は身を翻した。そうして光の粒子をまとうと、一気に彼女の身体は空へと飛び上がる。それを追って、ジェーンも飛んだ。

 しばし風を切った藤子が降り立ったのは、見渡す限り何もない、砂漠の真ん中だった。確かにここなら、誰にも被害は出ないだろう。


「ここで良かろう? さあ戦るぞ。わしはお主と違って、忙しいからのう!」


 砂を踏みしめて、藤子が身構える。


「かかってこい、クリムゾンオールドローズ!」

「よく言います。……行きますよ、災厄の魔女!」


 同じく身構えたジェーンのローブが、光に包まれて風になびくマントになった。その下からは、やはり明るい色彩を基調とする、衣服が顔を覗かせる。しっかりと身体を覆うそれは、魔法使いというより格闘家のものに近いかもしれない。


「鋭!」

「Ha!」


 深淵の底から噴き上げてくるような猛烈な吹雪と、宇宙の果てから降り注ぐ太陽風のような峻厳な火炎竜が瞬時に現れ、真っ向からぶつかり合う。

 そして直後、二つの魔法は相殺されて、静かに砂漠の景色に溶けていく。それを見届けるのを待たずに、二人は同時に手で印を組んだ。


「疾!」


 雷が、烈風をまとって吹き荒れる。


「Si!」


 次の瞬間、それは破砕音と共に風の中へ消える。


「Yo!」


 白く光り輝く光線が、四方八方から藤子めがけて降り注ぐ。


「破!」


 次の瞬間、それは破砕音と共に砂の中へ消える。


「やるな!」

「貴女こそ!」


 そして、彼女たちは同時に、大地を蹴った。


 風の刃をまとった藤子の拳が、幾重もの残像を描きながらジェーンに激しい一撃の連打を加える。

 景色が歪んで見えるほどの重力をまとったジェーンの拳が、飛び込んでくる攻撃の一つ一つをずらしていなす。


 藤子の攻撃が緩んだ刹那に、今度はジェーンの拳が伸びる。その腕がまとう重力に引かれて、藤子の顔がそこに吸い寄せられる。その刹那に、彼女は赤い宝石の光る指輪を見た。


「ぐはあ!」


 凄まじい力に引き寄せられた藤子の顎から、骨の砕ける嫌な音が響いた。そのまま勢いに飛ばされて、藤子の身体が宙を舞う。

 だが途中で姿勢を正して、藤子はしっかり着地に成功した。その顔に、外傷は一切見られない。


「……見事」

「貴女も」


 そうして、二人の魔女が同時に、にやりと笑う。


 風が吹く。それは、死の香りを豊潤に湛えた黒い風。


 闇の底で研ぎ澄まされた二つの力による、人知を超えた戦いが、四度目の幕を開ける。


 2.


 太陽が沈んだ頃になっても、二人の戦いに決着がつく様子は見られなかった。もはや魔法使いの戦いの枠を超え、神々の戦いにも迫らんとする勢いにも関わらず、だ。


 二人とも、外傷はない。打ち込む攻撃の一発一発が必殺の威力を秘めているにも関わらず、彼女たちが持つ驚異的な魔力は、それを打ち消してしまうほど瞬間的な、肉体の再生を行えてしまうのだ。

 そしてそれを繰り返しても、一向に疲労は見えてこない。九年という時間の中で、二人が間違いなくその実力を向上させた証左だ。


「……時間切れじゃ」

「!?」


 だが、その戦いのさなかにあって、突然藤子が動きを止めた。当然ながら、その様子にジェーンは警戒の表情を浮かべて身構える。

 だらりと腕を下げて、藤子が空を仰いだ。太陽が地平線に去った空の彼方に、黒く光り輝く何かがあった。


「……まったく、またしてもお主のおかげでろくに対策もできんかったではないか」


 それを見とめた藤子が、つぶやく。それに対して、ジェーンが口を開こうとした瞬間。


「上から来るぞ、備えよクリムゾンオールドローズ!」


 光り輝く花に身を包んで、藤子が叫んだ。その有無を言わさぬ調子に、ジェーンも思わず防御魔法で身を包む。


 刹那――轟音と共に、無数の何かが砂漠の中に降り注いできた。

 風を切り裂く、というのでは生ぬるいほどの爆音は、鼓膜が破れるかと思えるくらいに大きい。大地が、びりびりと震えてきしむ。次いで、その何かが大地に突き刺さる衝撃が響き渡り、母なる地球が災厄の来襲に慄いた。


「な……、こ、これは一体!? 災厄の魔女、一体何を!」

「たわけ! こんな大それた魔法を行使する余裕が、お主と戦っている間にあったと思うか!?」


 現場に居合わせながら、二人が無傷なのは偏に彼女たちが卓越した魔法使いだからに他ならない。仮に一般人がこの場にいたとしたら、こうはいかない。


「では、これは。……!?」


 もうもうと立ち込める砂埃に目を細めながらも、ジェーンが周囲に目を配る。そしてすぐにその赤い瞳が、砂の向こうに立ち上がる何かを見とめた。

 一つではない。数える行為が虚しく感じるほどに、無数の何かが現れる。


「良いか。己が取った行為がどういう結果を招いたか、しかとその目に焼き付けておけ」


 ジェーンの隣に並び、藤子が言う。


「時として、最良の行動が最良の結果を招くとは限らぬ、ということをな」


 そして、そう付け加える。藤子が言い終わるや否や、砂埃が夜の空に吹き飛んでいく。

 気づけば、二人は明らかに地球の生態系からは外れた何かに囲まれていた。


 それは、甲殻類を思わせるごつごつとした身体を持っていた。その色は薄赤で、蝙蝠のような翼が特に眼をつく。鉤爪のついた足のようなものをいくつも持つ姿は、えもいわれぬ不気味さをかもし出している。


 それらは、藤子たちが警戒しているのと同じくらいに、目の前にいる二人の人間に、注意を払っているようだった。一つ一つが、いつでも動けるように身構えている、ようにも見える。


「これは――ミ=ゴ!?」

「いかにも、ユゴスよりのものじゃ。……しかし、予想よりも数が多いな」


 舌打ちをする藤子の言葉に、その不気味な生物の一つが一歩、歩み出た。


『……魔に通ずる者らしい』


 そうして、それの一体が一言つぶやいた。

 それはくぐもり発音の悪い、非常に聞きづらいものではあったが、明らかに地球の、インドヨーロッパ語族に属する古い言語だった。


『人間のわりには、随分力を持っているようだ』

『確かに。どうやら、我々が来るのを知っていたような口ぶりでもあるが……』


 それらがまるで路傍の石を目にしているかのように、淡々と言葉を交わす。


「どういうことですか、災厄の魔女? なぜ、こんなところにミ=ゴが……」


 注意を向けられていないと判断して、ジェーンが藤子にささやいてきた。それを受けて、藤子は彼女に顔を向けることなく、ささやき返す。


「ユゴスの動きが、ここ最近おかしかったのを知らぬのか? 過去の星辰図と照らし合わせれば、それが彼奴らの訪なう前触れだとわかるはずじゃがな」

「……!」

「そして、彼奴らが地球に来る理由は一つ。それは、言わずともわかるな?」

「…………。……では、貴女は」


 ジェーンが、さらに問いかけようとした、その時だ。彼女たちの正面に立つ異形の一つが、彼女たちに向き直った。


『さて、そろそろこいつらの扱いを決めねばな』


 そこには、明らかに見下すような色を持っていた。侮蔑や差別に似た、暗い色が。


『利用価値はありそうだ。とりあえずは捕獲して様子を見る、ということでどうだろう』


 続く言葉も、同じく。その態度に、藤子が怒りの表情をあらわにした。


「クリムゾンオールドローズ。此度のことは、お主の邪魔により起こったことじゃ。責任は取ってもらうぞ」

「……責任、ですか」

「……手を貸せ。わし一人でもなんとかなるが、こんな連中に断章は用いたくない」


 藤子の申し出に、ジェーンが眉をひそめる。彼女なりに、この災厄の魔女に手を貸すことが、抵抗のあることなのだろう。


『異議はないな。では、早速捕らえるぞ』


 だが異形のその言葉に、ジェーンはため息と共に、身体の向きを変えて藤子と背中合わせに立った。


「仕方ありません。今回は、貴女の言う通りにしましょう……」

「当たり前じゃ」


 それと同時に、異形――ミ=ゴの数匹が、二人に飛び掛った。


『何をさっきからぶつぶ――』


 そんなような言葉を、それらは言ったようだった。しかし、その言葉は途中でかき消された。それそのものの肉体と共に。

 青き星の力で満たされた光線と、悪を焼き払う煉獄の炎によって、その存在をこの空間から消滅させられたのだ。


 その様子に、ミ=ゴたちがざわつく。それらは、ようやく気づき始めたようだ。ここにいる二人が、どういう存在なのかを。


「まったく……こんな形でこれをお披露目しとうなかった」


 青い魔力をまといながら、藤子が右手を前に差し出す。手首にあしらわれた、漆黒の腕輪が夜闇の中でかすかに光る。


藤天杖とうてんじょう、戦闘形態!」


 藤子の言葉と共に、それは青い光に包まれた。そのままの状態で、光は藤子の身体をも越える長さの直線となり、彼女の手のひらの中に納まる。

 やがて光が収まるとそこには、黒い杖があった。先端は三日月のように弧を描いて曲がっており、刃を思わせる模様がある以外には、その表面に、模様や彩は一切ない。

 そして地球儀を思わせる形で、先端の中央で何からも支えられず浮かんでいる宝玉が一つ。その色は、青。まるで地球のように輝いている。


「おやおや、それは私が言うつもりだったんですがね」


 藤子の後ろで、同じようにしてジェーンが右手を前に差し出した。彼女の指で光る宝石が、きらりとひときわ強く輝く。


「ウェイクアップ、プライムローズ!」


 そして、ジェーンの言葉と共に、指輪が赤い光に包まれた。それはそのままの状態で、まっすぐ伸び上がり、彼女の手のひらの中に納まる。

 やがて光が収まるとそこには、白い剣があった。すらりとまっすぐに伸びる刀身は長く、そして細い。その形状は明らかに斬ることではなく、突くことに特化したものだ。純白の刃からは陽炎が昇り立ち、周りの景色がかすかにゆらいで見える。

 柄には薔薇――魔法使いの始祖、テューダー家の証たる薔薇。その色は、赤。まるで炎のように揺らめいている。


「……ふっ、どうやらこれまでの三度の戦で、たどり着いた結論はお互い同じらしいな」


 それをちらりと覗き見て、藤子が笑う。それに合わせるようにして、ジェーンも視線を向ける。


「の、ようですね。ですがこれでは、結局イーブンということになりそうですが」


 黒い杖と白い剣。あくまで対照的な二つの武器は、その出現から見てわかるように、ただの武器ではない。これらは、魔法使いに魔法を齎す外なる知識の塊、魔導具である。


 通常、魔法を用いるに必要なエネルギーが、この世界には存在しない。そのため、魔界に接続する道具、魔導具なしでは、いかなる魔法使いも魔法を行使することはできない。

 例外的に、特別な空間にも存在できる原初の魔導具は、直接手にしていなくても魔法を扱うことが出来る。しかし、それは魔導具の力を直接使い切っていないということでもあり、本気を出そうと思えば、やはり魔法使いは魔導具を直接手にする必要がある。


 だが使い手の魔法の特徴を大きく決定付ける原初の魔導具を直接使えば、使い手の魔法を解析される危険性も伴う。解析されてしまえば、よほどの間抜けでもない限り対策を立ててくるのは当然。

 そのため魔法使いたちは、自らの手の内を明かすことを極度に恐れる。それは、手品師が手品の種を明かさないのと似ている。


 だから彼女たちは、自らの手により魔導具を作りあげた。原初の魔導具に頼らずとも、全力に近い戦いを可能とするために。

 もちろん、魔導具は異界の知識の産物であるために、作ろうと思ってすぐに作れるものではない。災厄の魔女とクリムゾンオールドローズ、世界の頂点に立つ二人だからこそ、できた芸当といえる。


『こいつら……ただの魔法使いではないぞ。油断するな!』


 尋常ならざる力を放つ魔導具と、余裕の態度を崩さない二人に対して、ミ=ゴたちが明らかに様子を変えた。

 今まで奇妙にも和やかさすらあったが、もはやそんな気配は欠片もない。異界より訪れる闇のもの、化け物らにふさわしい、邪悪で陰湿な空気が周囲に満ちている。


「油断するな、らしいぞ。油断するしないに関わらず、勝敗は決まっておるがのう」

「それが油断と言うんですよ? 慢心は容易に油断となり、油断はすなわち、敗北に繋がります」

「お主に言われると耳が痛いな」

「それはどうも」


 背中合わせに軽口をたたきあう二人。一見すれば、すっかり気を抜ききっているように見えなくもない。だが、その実二人は巨大な力をまとっており、どんなことがあっても、即座にそれに対応できる体勢を常に維持している。


『XInnnga――ごぱあっ!?』


 後先を考えずに突っ込んだミ=ゴの一匹が、二人に触れられる位置へ来る前に身体の大半を吹き飛ばされたのは、その証左だ。


「さて。お喋りはこれまでにしておこう」

「ですね。もうあっさりとはやられてくれないでしょうし」


 そうしてなお、自信に満ちた態度を崩すことなく笑みを浮かべながら、二人の魔女は、反対の方に向かってそれぞれの魔導具を構えた。


「では……行くぞ、クリムゾンオールドローズ。遅れるなよ!」

「貴女こそ。災厄の魔女、足手まといにはなりませんよう!」


 そして、ミ=ゴが一斉に蠢くのと同時に、青と赤の魔法使いも動いた。黒と白の軌跡を描いて、二色の魔力が砂と空の間で煌いていく――。


 3.


 いかに世界最高の花二輪が揃っているとはいえ、さすがに人間ではない異形の集団を相手取るのは容易なことではない。しかし、それでも彼女たちが魔法を放つたびに、ミ=ゴの集団は一匹、また一匹と確実に数を減らしていった。

 その状況を、最も信じられない心持で見つめていたのは、他でもない彼らミ=ゴだったに違いない。


 たかが人間に。ただの人間に。


 だが、そう。彼女らは、ただの人間ではない。それを見誤った彼らが、勝利を手にすることができないのも、ありえないことではない。


「よもつ国、讃えて咲くや夢見草――」


 砂漠の風に巻き上がる、撫子色の大和花。無数に荒れ吹雪く花の嵐が、何体ものミ=ゴの同時に切り刻む。上下左右、あらゆる方向から襲い掛かる必殺の花びらに、彼らはなす術もない。


「逝くも還るも終の花かも!」


 高々と黒い杖を掲げる藤子を中心にして、光り輝く夢幻の花々が次から次へと現れる。それらすべてに、闇にありながら邪悪を滅する力が満ちていた。


「その葉は薔薇が散ってもなお愛する人の寝床を飾り――」


 砂漠の風に混じって、魔の力に満ちた白い風が吹き始める。その風に吸い込まれるように、熱という熱が一気に収束を始める。それに巻き込まれる形で、何体ものミ=ゴが風の中に去っていく。


「想いはあなたが死しても愛の余韻となって漂う!」


 次の瞬間、竜巻となった風の中で赤い赤い、薔薇の花が次々と咲き誇った。それらはいずれも陽炎を伴い、闇という闇を焼き、照らす天の国の炎だ。


 二つの花は消える端から、何度も何度も新たに夜の砂漠に咲き誇る。一瞬の生を謳歌する散るが定めの花ながら、それでも散るまでの間に自らのなせることをなし、なすべきことをなしていく。


 人を、世界を、この世のすべてに害をなす魔を、滅する。それが、この星の東と西に開いた花の、なすべきこと。


 やがて最後の定め、散るときを迎えて光り輝く花が、燃え盛る花が静かに昏い空に吸い込まれた時。その下に広がる砂漠に立っているのは、黒い杖持つ青い魔女と、白い剣持つ赤い魔女だけだった。


「…………」

「…………」


 最初と変わらず、互いに背を預けあった状態でしばらく二人は砂漠を渡る風の音に耳を傾けていた。

 だがやがて、周囲に互いしかいないことを確認して、どちらからともなく、それぞれの魔導具を元の形に戻した。


「……随分と、弱い面子で押し寄せてきたものですね」


 赤い宝石の輝く指輪をなでながら、ジェーンが空を仰ぐ。


「当たり前じゃ。このわしが、一切の対策もなくここに来たと思うておったのか」


 飾り気のない、黒い腕輪を愛しそうにさすりながら、藤子も空を仰ぐ。


「……ああ、やはり貴女の魔法で弱体化していましたか」

「元々、結界はわしの専門分野じゃぞ。これくらい、造作もない」


 そして藤子が瞳を閉じる。すると周囲一帯に、大空から眺めなければわからないほど巨大な、あまりにも巨大な魔法陣が浮かび上がった。

 それは、あのペルシアの遺跡を中心に描かれた、旧き神の印。


「あの大軍に気づかれることなく、これほどの力の陣を秘すとは……さすが、と褒めて良いものかどうか」

「お主には気づかれておったようだがな」

「もちろん」


 ふ、と鼻で笑って、藤子が瞳を開く。小さな空間に浮かぶ二つの地球が、穏やかに燃え滾る二つの炎を、静かに見つめた。

 それに応えるようにして、ジェーンも微笑んだ。少し時間の傷跡がつき始めた口元が、うっすらと弧を描く。


「さて、と……」


 わずかな沈黙の後、藤子は静かに背中を向ける。


「そろそろ行くとするか……」

「行く……どこへ行くと言うのです?」


 その背中を真っ直ぐに見つめて、ジェーンが問う。


「あてはない」


 答えながら、藤子はまた空を仰いだ。金色に輝く夜の女王が、静かに二人を見つめていた。


「わしは元々、留まる場所なき風来坊。ただ母の呼び声に導かれるまま、あちらへこちらへ行くのみよ」

「母の、呼び声に……」


 藤子のその言葉を繰り返したジェーンの瞳に宿る炎が、静かに揺れた。気づきたくなかった、気づこうとしていなかった秘密に、気づいてしまった乙女のように。


「では、さらばじゃ」

「災厄の……いえ――」


 一歩を踏み出した藤子の背中に、ジェーンの声が飛ぶ。


「――藤子さん!」


 それは、二つ名ではなく名前。はっきりと呼ばれた自らの名前に、何か違和感を覚えているかのように、藤子はその足を止めた。風が、鳴る。


「……なんじゃ?」


 そして振り返った藤子の顔は、いつもの自信に満ちた、闇の住人のそれではなかった。どこにでもいる、幸せな暮らしを夢見る少女の、……そう、見た目通りの少女の顔が、そこにあった。


「……その。実は、ロシアの時から、気には、なっていたんです」


 その前で、ジェーンは自らが立つ砂の大地に視線を落として、一つ、一つと言葉を紡ぎ出す。


「あの時……貴女は、ビヤーキーの大軍に対して、母を汚すな、と言いました……」

「……ああ、言ったな」

「そして今回……貴女は、最初から……ミ=ゴたちの来訪を、阻止しようと、していたのですよね……?」


 藤子は、何も言わない。ただ口を真一文字に結んで、目の前の花を、花弁に宿る炎を見つめるだけ。


「思えば、イタリアの時も……。貴女が去った後、各地で悪魔たちが現れた……」

「…………」

「……他の魔法使いたちは、貴女が呼び寄せたと決め付けた。でも! でも、本当は……あの時も、貴女は悪魔が集まるのを、阻止しようとしていたのでは……!」


 やはり、藤子は応えない。


「藤子さん……貴女は、貴女はまさか、災厄の魔女ではなく、本当は、本当は……誰よりもこの世界のために――」

「ジェーン」


 感情の高ぶりつつあったジェーンの言葉を遮って、藤子は彼女の名を呼んだ。それを受けて彼女は、口を閉ざして藤子を見つめる。恐らくは、藤子の美しい青を。


「……お主のような、察しのいい女は嫌いじゃよ……」


 それに己の視線を重ねながら、藤子はうっすらと笑う。


「周囲の評価なぞ、どうでもよいことよ。じゃがわしと同じ方法は、お主には取れんじゃろう……?」

 ぽつり、と。こぼすように言って、彼女は儚い微笑みをジェーンに向けた。

「……藤子さん……」


 そのまま、二人は見つめ合っていた。それは、これから長い別れの時を迎える織女と牽牛かの如く――。


「ジェーン、此度の勝負は、預けたぞ」


 それを振り切って、藤子が再び背を向ける。


「次があるかはわからぬ。だが、もし次があれば――その時は、誰にも邪魔されぬ場所で、誰にも邪魔されぬ機会に、一対一で、相見えようぞ」

「藤子さん……」

「薔薇の呼び声あらば、いつでもわしは駆けつけよう。次こそは、決着をつけようではないか!」


 そうして、彼女はあの、いかにも彼女らしいにやりとした笑みを、少しだけジェーンに見せる。


 それを見たジェーンは、しばらく目を見開いて言葉を捜していたようだったが、やがて同じように不敵な笑みを浮かべると、対する顔へ指を向ける。


「ええ、必ずや次こそは、決着をつけましょう。負けませんよ、藤子さん!」

「ふっ、わしとて負けはせん!」


 その言葉を合図として、藤子の身体が青い光の粒子に包まれた。そのまま、彼女の小さな身体が空へと浮かび上がる。


「さらばじゃクリムゾンオールドローズ、ジェーン・テューダーよ! 次に会う時を、楽しみに待っておるぞ!」


 そしてその言葉を残して、永遠に幼い大魔法使いは銀河の煌く星空の中へと一気に溶けていった。


 青い藤と、赤い薔薇。二つの花が等しく、互いを廻るべくして廻りあった運命の相手であると、認識した瞬間だった。

◆テューダー家

表向きは、イギリス王室に仕える中級貴族。ロンドン郊外に本拠地を構え、国内に複数の飛び地を所有する。爵位は伯爵。

歴史の流れに応じて婚姻、政略の都合で家名を変えており、イングランド王国の歴史に名を残すテューダー王家とは血縁を一応有する。

しかしその実態は、現生人類最初の魔法使いを直接の先祖に持つ由緒正しい魔法の一族であり、イギリスのみならず世界最強の一翼を担う。

家名は数回変わっているが、その紋章はずっと変わらず紅薔薇。歴代当主が受け継ぐ称号もまた、成立から変わらずクリムゾンオールドローズである。

なおその血と力、そして称号を受け継ぐ者は炎のような瞳を持つという特別な遺伝形質を持つ。

生きる伝説とまで言われたジェーンの時代、十九世紀後半に全盛期を迎え、世界中に極めて強い影響力を持った。そしてジェーン以降、「災厄の魔女」と戦う宿命を背負うことになる。

家系は二十一世紀に至るまで現存しているが、その権勢は当時ほどではない。


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