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藤花、宵闇に浮かぶ。

 1.


 千八百六年、武蔵の国。


 その中でも特に江戸市中に程近い郡の一角に、かの一族が領有する地域があった。

 当家の名を取って、俗に光藩と呼ばれるこの地域を治めるのは、幕府より一万二千石の知行を預かる、名門光家である。


 表向きは譜代の高家として通る光家だが、その実際は戦国の御世において、大権現家康とその一族の防呪を専門的に担った陰陽師……すなわち魔法使いの家系の一つであり、武家として領地を治めるのは男子、逆に陰陽師として幕府を守るのは女子、と定められた家系である。


 そして後世においては、日本のみならず世界規模でその名を轟かせる家系となっている。


 ただし、その名は良いものとしてではない。光の名の下に振りかざされた力はいずれも闇であり、その名を聞けば、魔法使いなら誰もが恐れおののくほどの大悪名として、魔法界の歴史には刻まれている。


 光の名を地の底まで貶めた元凶はこの年、自ら編んだ庵に引きこもっていた。幕府より拝命した奥守の任は二年前、信任厚かった腹心、竜笛へ譲り渡してしまい、完全に隠遁生活となっている。


「姉上、夕餉をお持ちしました」


 そんな彼女が引きこもる部屋の外から、声がした。まだどこか幼さを残した声は、背伸びをしているような雰囲気すらある。


「おお、もうかような頃合いか? 毎日毎日、時が過ぎるのが早うて敵わぬなあ」


 明らかにろうそくのものではない照明により、昼間と同じ照度に保たれた部屋。その中央で彼女、光藤子は頭をかきながら振り返った。

 一本結びの総髪がぱさりと揺れる。開いたふすまの向こうを見つめる瞳は、大宇宙の闇にただ一つ浮かぶ地球を思わせる、暖かく幻想的な、青。


「ええ、もうそのような頃合いですよ。姉上、少しは表に出て、お天道様を拝んでみてはいかがです?」


 そしてそんな彼女が見つめた先にいたのは、藤子とよく似た顔立ちの少女だった。

 背は藤子よりも少し大きく、身体の発育も全体的に早熟だが、瞳は以前の藤子と同じく、深宇宙の闇を塗り固めたような黒をしている。


「まあ、それは追々な」

「もう、いつもそれ。そろそろ二年ですよ、姉上?」


 肩をすくめて見せる藤子の前に、膳を持って進み出る少女。彼女が浮かべる、子供の微笑ましいいたずらを見守るような笑みに、藤子もくすりと笑う。

 それは藤子がよく見せるあの黒い笑みではない。妹を可愛がる、優しい姉の笑い方だった。


「そうじゃのう、もうそれほどになるか。じゃがまだ足りぬ。地球断章の知識をすべて身につけるには、恐らく何十年もかかるじゃろうよ」

「……神器って、すごいけど怖いですね」

「桜、神器ではない。正しくは『原初の魔導具』じゃ。闇なる世界より、魔法という概念をもたらす力の根源。法具も、本来は『魔導具』。原初の魔導具を規範に作られた、魔法を導くもの。教えたはずじゃろうが?」

「ううん、わかりづらい、ですよう、姉上」


 口の先を尖らせて少女――桜は膳を藤子に差し出した。それにくすくすと笑って見せて、膳を受け取る藤子。


「ま、かもしれんな。わしも最初は戸惑った。術を『魔法』、陰陽師を『魔法使い』と覚えなおすにはやはり、時間がかかったのう」

「世界の規則、って姉上は言いますけど。世界って、どんな世界?」

「地球という。この日本のみならず、清国やオランダなど、あらゆる国が存在するこの空間のことじゃ」


 箸を手にしながら、藤子がまた笑う。その顔には、わからないだろうなあ、と書いてある。


「……よく、わかりません」

「はっはっは、そうじゃろう。わかっておった」

「むう、姉上はいじわるです」

「何を今さら」


 むくれる桜に、藤子はさらにくすくすと笑う。からかっているのは明らかだ。


「……でも、桜は嬉しいです」

「ん? いじわるをされるのがか?」

「違います、そういうんじゃないですっ」


 もう、と桜が振り上げて見せた拳に、藤子はおおうとおどけて見せる。そして、少し後ろにのけぞりながら、その拳を小さな手で受け止めた。

 だが、桜はそれに抵抗しない。逆に、そのまま藤子に身体を預けるようにして、しなだれかかる。


「……だって、姉上ずうっと江戸にいましたでしょう。桜は、寂しゅうございました。だから、だから二年もずっと一緒にいられて、桜は嬉しい、んです」

「……そうじゃな、桜には寂しい思いをさせた」


 そして藤子も、自分に身を寄せてきた妹を邪険にしない。それどころかその頭をそっと抱き寄せて、さらに身体を密着させた。


「今もさせておるな。わしはこうして部屋に引きこもり、朝も夜も、ひたすら魔導書を読みふけって」

「いいえ、こうして朝夕、姉上のお顔を見れるだけで桜は満足です」

「……まったく、桜は甘えん坊じゃな。年子なのにのう、どうしてこうも姉妹で違うのか」

「さあ、どうしてでしょう?」


 そうして姉妹は、顔を突き合わせて笑った。

 しかし、そんな和やかな雰囲気の中で、姉が不意に寂しそうな瞳を見せたのを、妹は知らない。


 2.


 文化の当時、光家には四人の子がいた。うち、魔法界の光家を継ぐ資格を持った女児は、二人。その二人が、姉の藤子と妹の桜である。


 安倍晴明の再来とも呼ばれ、赤子の時分から旧き神のごとき才能を発揮してきた姉の藤子に対し、妹の桜は万事につけ成長が遅かった。学問や運動のみならず、魔法の力も概して低く、その性格もまったくの正反対だった。


 しかしだからこそ、なのだろうか。この姉妹の仲は昔から非常に良い。


 自らの道を正しいと語り、誰からも恐れられた孤高の姉は、その唯一の妹を真実、心を許せる相手として可愛がった。

 また、傍にあった頂点の背中を見て、常に目標としてきた柔和な妹は、たった一人の姉を頼れる寄る辺として信じた。それは、時に通常の兄弟愛を越えた何かを、周囲に見せるほどであった。


 だが、それを永遠と信じるほど、姉の藤子は夢想家ではない。現実の恐ろしさを既に知り、地球断章によりさらなる知識を得た彼女は、その知識により二人の関係が崩れるだろうと、予見していた。


 だから。


 だからこそ、彼女は、妹を遠ざけない。


 それが、妹をいずれ大きく傷つけることになるとわかってはいる。彼女ほどの頭脳をもってすれば、わからないはずはない。

 しかし、それでも彼女は、そうした未来よりも、今という瞬間のみを見続けていた。それこそが、天才藤子の弱さであり、また彼女が歳相応の青さを残している所以でもある。


「……ふう。二十億年前までの歴史を読み解いて、ようやく第六章か……さすがに疲れてきたな」


 疲れた、という言葉を口にしながらも、藤子がその手と頭脳を休ませることはない。


「まったく読みづらい文章じゃ。この世界の言語でないから当然ではあるがな……この当時の魔導具が残っておれば、もっと手早く解読できるのじゃろうに」


 そうつぶやき、再び知識の海の中へもぐりこんでいく。


 魔導具とは、その文字の通り魔法を導く道具である。種類は様々だが、いずれも魔法という概念を持たないこの世界と、それを持つ世界との隔たりをわずかに取り払う力を宿す。

 これこそが魔法使い、日本で言うなれば陰陽師と呼ばれる人々の秘密だ。しかし逆に言えば、いかなる大魔法使いとはいえ、これなしに魔法を行使することは、ほぼ不可能。それは、天才と呼ばれた藤子とて例外ではない。


 しかし、そうではない魔導具も存在する。それこそが、二年前に藤子が手にした地球断章を初めとする、原初の魔導具と呼ばれるものである。

 通常の空間とは異なる時空に、それぞれが占有する亜空間を持つため、そこにしまいこむことで、傍目には魔導具を所有していないのにも関わらず、魔法を振るうことができるのだ。もちろん、これは原初の魔導具が持つ能力のほんの一端に過ぎない。


 これらはいずれも、魔法の概念を持つ世界で造られたものであり、何らかの理由でこの世界に持ち込まれた、超々技術の産物である。通常の魔導具など、どれを取ってもこの原初の魔導具を模して造られたまがい物にすぎない。


 だからこそ、藤子は珍しく焦っていた。なぜなら、それほどの力を有する原初の魔導具は、誰が持っても持ち主を更なる次元へと導くから。

 そしてそれは、原初の魔導具を手に入れんと欲する存在をあまた生み出す要因に他ならない。

 となれば。


「……時間が足りぬ。このままでは何が起こるか、わかったものではない」


 原初の魔導具は、災いしか呼ばない。それが、藤子の達した結論だった。

 そしてそれを避ける方法は、一つ。あらゆる知識を、力を、技を得て、すべてを撃退すること。そのためには、原初の魔導具を完全にものにしなければならないのだ、と。


 藤子が本を繰る。暗黒の装丁に対して、純粋すぎるほどに白い紙が、手を、目を、あらゆる感覚を通して、彼女の魂に外なる知識を刻んでいく。


 この青き星の全知識を、魔法の世界の住人が記したという言葉で始まる、地球断章。そこに、いかなる存在の思惑があるのか。それはさすがの藤子もわからない。

 もしかしたら、とてつもなく巨大な存在の掌の上で踊っているだけなのかもしれないと、彼女自身思わないわけではない。


 それでも、迫り来る闇を退けるには、力がなければならない。だから、彼女は今日もひたすら寝ずに、栄養を求めて闇の中へと根を伸ばす。


「…………」


 ふと、地球断章を繰る藤子の指が止まった。それと同時に、彼女はぎろりと鋭い瞳を後ろに向ける。


 場の空気が、完全に変わっていた。ざわざわと不快な音が鳴り響いているかのように、おぞましい気配がたちこめている。


 それを見とめた藤子は、音も立てずに腰を上げて、地球断章をその手の中へ引き寄せた。闇色の書が、伴侶に付き従うかのように、するりと滑り込む。


「思ったよりは、遅かったな。光家秘伝の結界術、どうやら魔界に対しても有効らしい」


 そして彼女が呟いた、その直後。


 空間が、夜闇の帳と共に引き裂かれた。そこから、無数の管が津波となって押し寄せてくる。吸盤のような形状のうろこがびっしりと敷き詰められたそれは、不必要にてかてかする粘液を分泌していて気色悪い。


 しかし、藤子はうろたえない。動じることなく一つ、みずみずしい唇を動かせば、彼女は橙色に光り輝く、百合の花に包まれた。


 太く禍々しい管はそれに触れた瞬間、脊髄反射的に飛びのいた。一秒にも満たない時間の中で、その花がいかに危険なものかを悟ったのだろう。

 だが管が諦めた様子はなく、そのまま蛸か烏賊が地面を這っているかのように、部屋の中を蠢き多い尽くしてしまう。


 やがてそれが動きを止めると同時に、空間の裂け目からのたり、と、がらんどうの、しかし無闇に爛々と輝く、黒い一つ目の頭が這い出てきた。そしてその不気味なまでに空虚な黒が、飢えた獣の視線を藤子に投げかける。それはあまりにも不快な光景だった。


「疾!」


 藤子も快くはない。だから、その異形の姿を認めると同時に、凛として高く吼えた。

 刹那、地面のそこかしこから無数の蔦状になった藤の花が現れ、槍ぶすまとなって天を衝く。そのまま天地を繋いだかずらはするりと触手に絡みつくと、一気にそのぬるぬるした表面を、引き裂かんばかりに締め上げた。


「GHOOOONMUUUNN!」


 異形が悲鳴らしき叫びを上げる。それがどこから発せられているのかは、恐らく人類の視点を放棄しない限り知りうることはないだろう。


 そのまま怒りに任せてか、痛みを振り払おうと異形は勢いよく全身を振るわせた。のたうつ触手が部屋全体を激しく打ち据え、館全体が悲鳴を上げる。


「愚か者め、ただ力を振るうことしかできんのか? 力は道具。正しく使うための、知識と知恵が足りておらぬわ!」


 藤子がせせら笑った。美しい青い瞳が、しかし侮蔑の色で見下している。


「疾く去ね! 破っ!」


 彼女が唱えるや否や、藤の蔓が一斉に青い光を湛えた。その青はいずれも、行使者の瞳と同じく透き通った青。鈴なりにしだれるその花が、まさに羽化する蛹のごとく、力強く弾ける。


「HUYYYYSIIIIII!!」


 花から光が溢れる。その妙なる輝きに触れた異形の身体は、瞬く間に気化して、空中に消し飛んだ。

 それはまさにあっという間もなく、異形は悲鳴を上げたその時に、ようやく自身の身体に生じた異変に気づいたほどだった。


「QII……C……OOUU……XXX……!!」


 ほどなくして、異形の身体はその断末魔と共に、この世界という空間から完全に消滅した。

 ただ一つ、引き裂かれた空間の穴も元通りになってしまうと、そこには直前の様子を何もかもなくした、無闇と明るい部屋が残るだけ。


 藤子はその中央にたたずんでいたが、やがて場の空気が普段と変わらぬ平穏さを取り戻していることを確認すると、落ちるようにしてその場にへたり込んだ。


「想像以上の凄まじい威力……じゃ、が……はは……やはり消耗も想像以上じゃ……」


 地球断章の力。窮極に限りなく近いそれは、日本一と言われた藤子の肉体を疲労困憊に追い込むほど、熾烈なものだった。

 そうしてしばらく、長距離走者がするように深く呼吸を整えていた藤子だったが、やがてまどろむような潤んだ瞳を浮かべて、ぼそりと呟く。


「……もはや潮時、か……」


 その声は、非常に重く、それでいて空虚な響きに満ちていた。


 3.


「あの、姉上」

「ん?」

「これはその、どういうこと?」

「どうもこうも、こういうことじゃろうが」

「こういうって……」


 宵闇の中で、困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべる桜。彼女の視線は、その身体にぴたりとくっつく姉に注がれている。それに対して、藤子はえへらと笑いながら、その顔を妹に近づけた。

 二人を覆う布団がずれて、薄い寝巻きに身を包んだ姉妹の柔らかい肌がかすかに現れる。


「たまには良いではないか。姉妹水入らず、寝床を共にするというのも」

「で、でも姉上、これじゃ桜は寝返りができませんよう」

「するなとは言うておらぬ。それに合わせてわしが動くまでよ」

「えええ、姉上そんな」


 思わず身を起こす桜を、あくまで藤子は笑って見つめている。青い瞳が、震えていた。


「……今日の姉上は、ヘンです。さっき物の怪に襲われてから、ヘン」

「おかしくなどない。わしはいつもと変わらぬぞ」


 先程藤子が化け物に襲われてから、およそ一刻半ほど経っていた。


 様子がおかしいことに気づいた桜が慌てて部屋にやってきたとき、藤子はまだ疲労の残る身体を畳の上に投げ出して、ぼんやりと天井を見つめていた。

 そんな姉を見て、桜が心配しないはずがなかった。あれやこれやと訪ねる彼女だったが、藤子は物の怪と戦っただけで、あくまで疲れただけだと言い続けた。

 そしてようやく一段落したかと思えば、久しぶりに添い寝をしてやろうと言い放つと、そのまま桜を明かりの消した寝床に引き込んで、今に至る。桜がおかしく思うのも無理はなかった。


「そう深く気にするな。彼奴に集中を切られてしまったしな、どうせ早く眠るのだし、桜と一緒にいようかと思うただけじゃ。それだけよ」

「姉上……」


 妹の身体を静かに抱き締めて、藤子はうっすらと笑った。それは、海に飲み込まれる一滴の墨汁のように、一瞬で散ってしまいそうな儚い笑み。

 それをしばらく見つめていた桜は、何かに気づいたようだ。黒い瞳を見開いて、傍らの姉の肩にそっと手を置いた。


「姉上、ひょっとして……またどこか、遠くに行っちゃう、とか……?」

「……ッ、いきなり何を言い出すかと思えば。そんなわけなかろう」

「そ、う……? うん……ごめんなさい……」


 藤子が否定したので、桜はそれ以上何も言わなかった。姉の言葉を押しのけるだけの反抗心を、彼女は欠片も持ち合わせていないから。

 そして、藤子もそれに対しては何も言わない。妹が、自分に意見をしたことがついぞ一度もなかったことを、覚えているから。


 そのまましばらく、夜らしい静けさが周囲に満ちる。闇の中で、二人の息遣いだけがかすかに鳴っていた。


「……いや」

「?」


 その沈黙を破って、藤子は首を振った。いきなりのことに、桜が目を丸くする。


「すまぬ。やはり、無理じゃな。嘘はつけぬ、つきとうない」

「……姉上」


 出し抜けの告白に、桜はやっぱり、という顔をした。


 藤子自身、見透かされているという気持ちが少なからずあったのだろう。だからこそ、自分がまとった嘘という名の衣を、自ら脱ぎ捨てたのだ。

 のろのろと桜から離れて、そのまま彼女はゆっくりと上半身を起こした。そうして妹から青い視線をそらしながら、彼女がぽつりぽつりと話しだす。


「桜……お主の言う通りじゃ。わしは明日、ここを出て行く」

「…………」

「理由は聞かんでほしい……いくつかあるが、いずれも言いとうないのじゃ」

「……また、会えなくなっちゃうんだね……」

「……また、ではない。恐らく……わしは二度とここには戻らぬ。お主とこうして語らうのも、最後やものう」

「そんな……!」


 さらりと流れ出た藤子の言葉は、突き放すような色さえある、冷たいものだった。その言葉に、桜が慌てて身体を起こした。


「嘘でしょう、姉上っ、もう、会えないなんて、そんな」

「いいや、真実じゃ。……まあ、わしを探そうとすれば別やもしれぬ、が」

「そん、な……」


 姉の前に回りこんだ桜が見たのは、冷たい宇宙をまとった地球色の瞳。その双眸に見据えられて、彼女は口をつぐむしかなかった。


「家督も桜に譲る。光の家などわしにとってはどうでも良いが、残された桜にとってはそれなりに有益なものとなろう」

「っ!?」


 またもあっさりと出てきた言葉に、桜が気色ばむ。それでもやはり、藤子の表情は変わらず、真冬のよう。


「姉上、無理です! 桜は、桜はいけません、姉上みたいには、できません……から……」


 姉に意見するという後ろめたさがあるのか、それとも単純に己の自信のなさがそのまま態度に出たのか、はたまた歩む死がごとき視線に耐えかねたのか、桜の言葉はどんどん小さくなっていく。それは、彼女の視線が下に向いていくのと比例していた。

「いいや」

「っ?」


 だから、桜はまた出し抜けに両肩を叩かれて、目を見開いた。そのまま、正面の藤子を見つめる形になる。


「光桜、お主は何者じゃ? 光藤子、神々が愛したこの花と同じ血を持つ花であろう。できぬことはない」


 青と黒が、交錯する。が、やがて黒がゆっくりと青を避けた。


「……いいえ、たとい血を分けた姉妹でも……。桜と姉上は、違います……桜は、一人では何もできぬ、白痴です……」

「何を言うか。わしがおらぬ間、お主はこの家を守り続けてきたではないか。お主はお主が思っておるほど、小さくはない」

「…………」

「……やれやれ、その自信のなさが一番の問題じゃのう。いつも通り、というのはいいのやら、悪いのやら」


 妹の顔を真剣に見つめていた藤子だったが、不意に表情を崩した。いつもと同じ、他人を常にからかっているような顔に。


「仕方ない。そんなお主に、とっておきのまじないをかけてやろう」

「まじなぃ、ん、っ、!?」


 至極申し訳なさそうに、おそるおそる目を上げた桜が見たのは、自分にまっすぐ飛び込んでくる姉の顔だった。それはそのまま止まることなく、彼女の顔とふれあい、溶けあっていく。


「あ、ねうえ、えっ、ふえっ?」

「……ふふ、なかなか美味じゃな」


 唇に手を当てて、点のままの瞳でまっすぐ前を見つめる桜。そこには、妖艶な流し目をくれる姉の姿があった。

 そうやって桜が呆然としていると、藤子はゆっくりと彼女の身体を押し倒した。そうして上から身体を密着させて、白魚のような指を立てて、桜の唇を優しくなぜる。


「桜……わしとて未練はある。じゃが、浮世に常なるものはないからな……わかってほしい」

「姉上……」


 潤んだ瞳が、姉の切なそう顔を映す。

 それを受けて、藤子が、笑った。とびきり美しい、まさに花のような笑顔だった。


「……だから、桜。ちゃんと落とし前はする。大丈夫じゃ」

「……う、ん」


 桜の返事に頷いて、藤子はまた、桜の口をついばんだ。今度は、桜も慌てない。それを拒むことなく、静かに瞳を閉じて。


「……ん」

「ふ、ぁ」


 白に包まれた地球に、恍惚とした表情を映しこむ。


「あね、うえ……」


 それから、姉妹は手を、口を、そして身体を、重ね合わせた――。

◆光家

表向きは、長篠の戦い周辺から徳川家に仕える幕府譜代大名。武蔵の国、江戸のほど近くに一万二千石を領した。

水戸徳川家と同じく定府の大名であり、大名家としての石高は低いながらも、代々の当主は天皇に拝謁するに値する官位を常に与えられていた。

しかしその実は、魔法により徳川家を支え天下取りに導いた魔法使いの家系であり、日本四魔貴族の一つ。

実力者こそ当主とする家だったが、江戸幕府による支配体制が確立するに従い、大名家として幕府に仕える武家としては男が、魔法使いとして幕府に仕える陰陽番としては女が継ぐという仕組みを持つに至った。

門外不出の結界魔法を代々受け継ぐ空間制御に長けた一族であり、藤子はその集大成の体現者と言える。

明治維新の折、国外との関係によって、統制が緩かった魔法使いたちが整理された際に、藤子の罪状を理由に解体される。技術の大半は祠堂院家に吸収され、歴史からは消滅した。

二十一世紀においては、祠堂院家が拠点とする光町にその名と邸宅、庭園の一部を残すのみとなっている。

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