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枯れずの花  作者: ひさなぽぴー/天野緋真
第二次薔藤時代編
13/16

薔花、再度開花せり。

 1.


 千九百十五年、ドイツテューリンゲン州。


 ヨーロッパの中ほどから、この国が世界へ覇を唱えてからおよそ一年。世界情勢は確実に悪化の一途を辿っていた。

 オーストリアとセルビアだけの問題だったはずのいざこざが、ロシアやドイツ、イギリス、フランスといったヨーロッパ列強各国の介入を招き、世界規模の大戦争となることを予期できたものが、どれほどいたかは定かではない。


 そんな中、この年の四月、ドイツは膠着した西部戦線を打破するために毒ガスによる作戦を立案、実行した。最初こそ多大な成果を上げたこの作戦だが、数ヵ月後にイギリスが同じく毒ガスを使用したことにより、早くもいたちごっこの様相を見せ始めている。


 この、どちらかが強力な武器を持ち出せば、対する側もそれを用い、今度はそれをさらに上回るものを……という、果てない繰り返しの果てに、人々は一体何を見出すというのか。いや、何か見出すものが、あるのだろうか。

 それは誰にもわからない。知るとするならばそれは、後世に生きるの人間のみが知り得ることだ。


 そんな、黒い風が吹き荒れる戦場から離れた、ドイツ本国のとある化学工場。ところどころから明かりが漏れ、夜のしじまにありながら今なお稼動していることが見て取れる。今、この工場では再び戦況を好転させんと、新たな兵器の開発が進められていた。


 そこにはもしかすると、ドイツのためにという、ある種歪んだナショナリズムのようなものがあるかもしれない。

 自分が生まれた国。自分が育った国。自分が生きてきた国。それは確かに、大部分の人間にとっては失うわけにはいかないものであり、ましてや誰かに奪われることなど、望むはずのない存在なのだ。


 だが。


 そんなことは、遠くの高台から冷ややかな視線を向ける二色の瞳を持つ少女には関係なかったし、戦争の勝ち負けなど、至極どうでもいいことだった。


「たわけ者どもめ……」


 異なる双眸を持つ少女は、憎憎しげに吐き出した。


 彼女が左に持つのは青。深遠なる暗黒の中に、一人たたずむ赫奕たる青。

 彼女が右に持つのは赤。悪を討つという、鬱勃な闘志を秘めた王たる赤。


 少女の名は、光藤子。もはや世界を敵に回そうとも、討ち果たされることなどありえないであろう力をその小さな身体に秘める、災厄の魔女だ。


「このくだらぬ応酬の果てに、何が現れるやらわかったものではない……! 人間の生き死に以上に、甚大な被害を母が被る前に、悪しき芽は摘んでおかねばなるまい……」


 彼女はそうつぶやくと、どこから取り出したのか漆黒の杖を手に取った。身の丈をゆうに越えるそれを、手足と同じように自在に振り回して見せて彼女は身構える。そんな杖の先に、青い光が凝縮されていく。


「去ね!」


 藤子が吼えると同時に、その光は鋭い音を響かせて一本の直線となった。青い閃光が、宵闇を切り裂く。


 ――爆発。


 ドイツの地図から、化学工場が一つ消えた瞬間であった。


「……まず一つ」


 舞い上がる煙と爆炎に背を向けて、藤子の瞳が暗く輝く。これで終わりではないのだと、心の中で言い放って。


 彼女の身体が、青い光の粒子に包まれた。彼女が持つ飛行の魔法だ。

 杖と同じ、黒で包まれた和装の彼女が夜の中に消えるのは、その直後だった。目指す場所は、ここと同じく工場だ。


 藤子は、ドイツ中の工場を潰す気でいた。いや、ドイツだけではない。イギリスなどの、他の国が持つ同様の施設も例外ではなくその標的とするつもりだ。


 彼女の二色の瞳は、未来の世界を見ていた。互いに毒ガスの技術を競い合う今の連合国と協商国のいたちごっこが、いずれ人間だけでなく、自然環境をも破壊しかねないものを生み出してしまうという未来を。

 藤子は知る。確定した未来など存在しないということを。だから、今のうちに動くのだ。まだ未来が定まっていない今なら、取り返しがつく。しかし無論、現在それを予見できるものは、彼女のようなものに限られる。


「させぬ……そのような未来、迎えてたまるか!」


 災厄の魔女。その二つ名にふさわしく、鬼気迫る力をたぎらせる彼女の理念はしかし、その二つ名に反している。

 だが、彼女のそんな心中を知るものなど、世界中を探したところで誰もいない。今はもう、誰も。


 2.


 月も落ち始めた深夜。再び、ドイツの地図から化学工場がもう一つ、消えた。


 悪魔はびこる丑三つ時だが、そんな彼らですらこの世界が生んだ大魔法使い、光藤子の進行を阻むものはいない。阻むことなど、できない。


「これで二つ目」


 歪んだ笑みを顔に貼り付ける藤子の様子は、もはや人間らしさを感じるものではない。

 それはもう、過多に装飾された、二重三重の表現など必要ない。ただ一言、化け物とだけ言えば十分すぎた。


「さて次は……」


 次なる獲物を求めて、彼女は今しがた消し飛ばし、更地となった空間の奥へと目を向ける。ここには、滅ぼすべき工場がいくつもあるようだ。


 藤子が黒い杖を、藤天杖を振りかざす。地球を思わせる宝玉が、黒で彩られた杖の中でも青という異なる色を持つ宝玉が、一際強く輝き始める。と同時に、杖先が青い光で包まれていく。


「三つ目じゃ!」


 勢いよく、藤天杖が振りぬかれた。瞬間、開放された光が刃となって、何も知らない工場を破壊せんと飛んでいく。


 しかし。


「……む」


 魔法を放った藤子は不意に表情をこわばらせると、すぐにその魔法の軌道を変えた。まっすぐ工場のほうへ向かっていた青い破壊力は、大空めがけて舞い上がると、雲を霧散させる。


 直後青い刃に、赤い槍が突き刺さった。それはやはり光り輝く魔法の塊であり、同じく魔法によって形成された青い刃を穿つと、そのまま色を散らしながら黒の中に消えた。

 その魔法に、藤子は見覚えがあった。正確には魔法を形作る式、魔法に込められた力の性質が、かつて体感してきた記憶と一致していた。


「……まさか、これは」


 夜空を見上げた藤子の視界に、人影が一つ、飛び込んできた。


 風になびくマントも、しっかりと身体を包み込む衣服も、白で統一されている。ただの白ではない。この世の穢れ一切を拒みぬく純然たる白は、夜の中にあってもなお燦然と輝いて見えた。

 その服装もまた、藤子には見覚えのあるものだった。それは、幾度となく相対し、幾度となく背中を預け、幾度となく言葉を交わし、幾度となく魔法をぶつけた、彼女がまとっていたものと、同じ意匠。

 また、マントと同じように、風に揺れる髪は金。光という光のすべてを受け入れ、反射し、輝いてみせるその髪は、肩までのところできれいに切りそろえられている。

 そして――その金を戴くもの。それは、母の温もりをたたえた二つの炎。宇宙に浮かぶ地球にも似た、赤く暖かい光がそこにあった。


「……ジェーン?」


 藤子が、震える声をこぼした。


 今、彼女の目の前にゆっくりと降り立つ人影――女性の姿は、そう。彼女が思わずその名を口にするほど、伝説と酷似していた。若き日の伝説の姿と。


 女が、言う。


「……皆さんそう仰るわ。私は、そんなにおばあ様に似ているのかしら?」


 凛と響くその声は高く、それすらも、藤子には聞き覚えのあるものとして脳内にこだまする。


「何十年もおばあ様と戦ってきた、貴女ですらそう言うんですものね。藤子さん」


 そうして、彼女はうっすらと微笑んだ。


「……ああ」


 やや呆けていた表情を引き締めて、藤子はかすかにうなずいて見せた。


「よく……似ておる。まるで……まるで、ジェーンが戻ってきたかのようじゃ……」


 しかし、そう続けた彼女の瞳は揺らいだままで、その自覚のあった彼女は、目の前の女性から視線をそらす。


 別人であるはずなのに、あの声と同じ声で藤子さん、と呼ばれたこと。そのことが、心の奥に封印したはずの記憶を呼び覚まし、藤子は胸が切なさに燃えるのを感じていた。


「残念ながら……」


 それを知ってか知らずか、女性は静かに首を振る。それは、ジェーンがもはやいないことを改めて説明しているかのようだった。


 ジェーンは既に死んだ。もう二度と、戻ってくることはない。


 藤子はそう己に強く言い聞かせると、強く目を閉じて首を振った。そうして宿敵であり、親友でもあった女性の姿を振り払うと、ようやく目の前の女性に正面から向かい合う。


「……スージーの娘か? 彼奴にも何人か子供がおったようじゃが……はて、お主は」

「お会いするのは初めてではないんですがね……と、言っても、あの頃の私はまだ物心がついたばかりで、魔法使いですらなかったですから、貴女が記憶していらっしゃらないのも当然です」

「それはすまんかったな。生憎と、まったく覚えておらぬ」

「だと思いました。では改めまして……私はローザ。残念ながら、スージーは母ではありません。彼女は私の叔母……私は、父から薔薇の血を受け継ぎました。

 そして……生前のジェーンおばあ様に会うことのできた、最後の孫でもあります。どうかよろしくお願いしますね」


 ローザと名乗った女性はそうして、優雅に微笑んで見せた。その笑い方も、藤子にはジェーンのものと被って見えてしまう。

 だが、なんとかその想いを振り払うと、彼女は藤天杖を構えた。


「ローザか……覚えておこう。では、早速始めるとするか」

「始める、と言いますと……?」

「クリムゾンオールドローズが災厄の魔女と対峙する……ここにおいてすべきことなぞ、たった一つしかあるまい!?」


 言いながら、藤子は藤天杖を真一文字に振りぬいた。それに呼応する形で、空間に光の刃が現れローザに襲い掛かる。

 だが、その攻撃はローザには届かなかった。彼女に迫った刃は、その目前で白い剣に切り裂かれ、霧散したのだ。


「やるな。その歳にして、既にプライムローズを使いこなすとは……血のなす業かのう」


 攻撃を防がれたにも関わらず、藤子は余裕ある態度を崩さない。眼前の出来事など、想定の範囲内だからだ。


「藤子さん……いきなり魔法を投げてくるなんてひどいですよ」


 一方ローザは、どこかやりきれないといった表情を浮かばせながら、手にした剣をだらりと下げる。


 陽炎を帯びた白銀の刃と、絡まるように柄を覆ういばらが特徴的なそれこそ、かつてジェーンが藤子と戦うために作り上げた魔導具、プライムローズ。その姿は、藤子の持つ藤天杖とどこまでも対照的だ。


「ひどい……? お主、寝ておるのか?」


 その藤天杖を構えて、藤子が一歩を踏み出す。その表情は、退屈する子供のそれ。あるいは、希望を踏みにじられた少年のそれ。


「お主は何をしにここへ参った? わしを、災厄の魔女を止めるためであろうが!」

「……確かに。私は国王陛下の密命を受けてここにいます。災厄の魔女を……あなたを、ブリタニアの地に訪れる前に打ち倒せと……」

「当然じゃ。それがお主らクリムゾンオールドローズの責務じゃからの。されば……わしが自己防衛のため、お主に攻撃するのも当然であろう!」


 言うや否や、藤子はすさまじい勢いでローザめがけて飛び掛った。そして、目にも留まらぬ速さで藤天杖をローザに振り下ろす。


「……っ、そう、ですね……その通りだと思います……!」


 漆黒の一撃をかろうじて受け止めて、ローザは表情をゆがめる。世界一の力に、打ち震えながら。


「わかっておるなら、もはや問答は無用じゃ。参るぞ、クリムゾンオールドローズ!」

「…………!」


 藤子が吼える。みなぎらせた青い星の力が、爆発する。


 その爆炎を切り裂き、ローザは空高く舞い上がった。しかし藤子がそれを見逃すはずもなく、間髪入れずに無数の砲弾を発射する。それらはすべてローザを逃すまいと追尾し、どこまでもその動きを追っていく。


「Si!」


 マントを翻しながら、ローザはプライムローズを奔らせる。刹那、その白銀の刃から光があふれ出し、燃え盛る薔薇が夜空に咲き誇った。それはいずれも、寸分違わずテューダーの紋章を形どる。

 魔法使いの頂点たる薔薇は、魔法の弾を一瞬にして平らげると、役目を終えて散っていく。しかし散ると同時に、火炎の花びらは炎の雨となって、藤子に降り注いだ。


「やるな! じゃが詰めが甘いぞ!」


 目の前に迫る炎には目もくれず、藤子は攻撃の式を組み上げる。

 薔薇の残滓がまさに彼女を飲み込まんとした、その時。大地に巨大な魔法陣が浮かび上がった。


寒氷陣かんぴょうじん!」


 その言葉と同時に、魔法陣の内部に氷の竜巻が巻き起こった。極限の冷気を受けて炎は消滅し、逆に凍てついた竜巻が一直線にローザへと襲い掛かる。


「Own!」


 だが竜巻は、ローザがプライムローズで描いた五芒星により弾かれ、方向を変えた。それでも、その軌道を見送ってローザは小さく舌打ちを漏らす。


 防ぎきったはずの竜巻が、魔法陣の範囲内から出て行くことなく、見えない壁で反射したかのように方向を急に転換したからだ。そのまま竜巻は不規則に陣内を駆け回る。

 加えて、この竜巻はただの竜巻ではなかった。凍てついた冷気が周囲を凍りつかせ、吹雪となって体力そのものも奪いに来る。時折降り注ぐ氷のつぶても、生身の人間にとっては十分凶器足りえるだろう。


「寒氷陣……。陣内の殲滅に特化した光式結界術の一つ……なんという威力でしょう」

「ふ、知っておるか。ならば、その解除が困難なことも知っておろう。さあ、極地の風に吹かれて散るが良い!」


 竜巻が分裂し、二つに増えた。軌道に法則性の見られない二つの冷気が、更に陣内を極寒の空間へと変えていく。

 だが、ローザも旧きより燃え盛る薔薇の名を持つもの。熱を、炎を操ることにかけて、彼女の右に出るものはいない。


「まだ……まだ散るわけにはいかないもので」


 その言葉と共に、ローザの周囲に巨大な火柱が立ち上る。一つ、二つ、三つと増え、遂に八つを数えるに至った。それは藤子の魔法陣を突き破る形で次々に現れ、マイナスへ突き進む気温をプラスへ傾けていく。


「やるな。じゃが果たして、そのような大規模な魔法がいつまで持つかな?」


 口の端を歪ませて、藤子が杖を掲げる。竜巻がばらけ、四になる。またばらけ、八になる。そうして氷の竜巻は、一つにつき一つの火柱を平らげんと襲い掛かった。


「さあ行くぞ! どこまで耐え切れるかな!?」

「耐えて見せましょう……貴女のお眼鏡にかなうまで!」


 薔薇と藤の戦いが、もはや何度目になるか。それは彼女たちも恐らくわからないだろう。

 だがこの日確かに、新しい薔薇が、散ることを知らない藤に挑みかかった。


 3.


 地平線の彼方から、太陽が頭を覗かせ始めた。魔のはびこる時間は彼方に去り、健全な人々の一日が始まろうとしている。

 そんな曙の空で、二つの力がぶつかり続けている。あれから、数時間の時が流れたが決着はつかず、戦いは拮抗していた。


 ローザの力は、藤子の想像をはるかに超えていた。彼女はローザの正確な年齢は把握していないが、せいぜい二十歳前後だろうと見た。そんな小娘が、ひるむことなく彼女の攻撃に食らいついてくる。その姿は、まさにジェーンの若かりし頃を見ているようだ。


「疾!」


 幾重もの青い光線が、藤子から放たれる。それらはいずれも必殺の威力をたたえ、骨をも残すまいとローザに迫る。


「Ha!」


 迎え撃つローザは、手にした剣で空間を切り裂く。瞬間、本当に空間が裂け、光線はすべてその中へ飲み込まれた。


「やるな……」

「……あと少し、ですか」


 ローザが荒い息をつきながら、剣を構える。彼女に限界が近いことは、見れば誰にでも明らかだった。それでも彼女はまだ、闘志を失っていない。

 その残された意欲すら刈り取るべく、青い花が立ちふさがる。手にした杖の先に、風の流れを可視にするほどの魔力が渦巻いている、


「やはり……貴女はすさまじいお方ですね……。攻撃を、防ぐだけで……私には精一杯のようです……」

「ならば、十分強い。誇ってもよいぞ」


 くくく、と笑いをかみ殺しながら、式を編み上げる藤子。

 目指す解は、化血陣かけつじん。彼女が持つ魔法の中でも、紅砂陣こうさじんに並んで持久戦に特化した結界である。

 既に紅砂陣は展開されており、ローザの肉体を蝕んでいる。続けて化血陣を敷けば、肉体だけでなく魔力もじわじわと蝕んでいくこととなる。


 威力の高いものが来ると、思ったのだろう。ローザは防御魔法を展開して、藤子の術に供える。

 だが、藤子が放とうとしている術は、肉体に直接影響を与えるものではない。どれだけ強固な防御をしようと、関係がないのだ。藤子は、にたりと笑った。


「行くぞ、化血……」


 しかし術の完成を宣言しようとした瞬間、彼女の中で、己に対する違和感が膨れ上がった。

 そして、それを押しとどめる間もなく、藤子の身体が爆ぜ、真紅の血が朝焼けの空に舞い散った。


「……が、ぐ、く……!」

「藤子さん!?」


 突然の大量出血は、藤子を空中にとどめていた飛行の術を弾き飛ばし、彼女は大地めがけて落下する。更に、その場に敷かれていた無数の結界が一斉に消滅した。

 落下の最中、朦朧とした意識の中でローザに抱きとめられるのを感じ、藤子はかろうじて意識をつなぎとめる。うっすらと瞳を開けるとそこには、困惑しきりのローザがいた。


「大丈夫ですか!? いきなり何……こ、これは……!?」


 宿敵のはずの藤子をかろうじて助けたローザは、その出血した患部を見て遂に言葉を失った。


 そこは肉がえぐれ、骨と内臓が顔を覗かせている。だがローザの目は、その重傷そのものではなく、そこに浮かび上がる、テューダーローズに釘付けになっていた。


「これ……これは、まさか叔母様の……!?」

「ぐ……く、くくくく……わかるか……」


 ローザの言葉を肯定し、藤子は力なく右手を患部にかざす。すると青い光があふれ、見る見るうちに傷口がふさがっていく。しかしそこに浮かび上がる紋章は消えない。

 そして、青い光が収まると同時に紋章が赤く光り、藤子の肌を再び蝕みはじめた。白い肌が赤くにじみ、じわじわと血が溢れ出す。その様子はまるで、刃物で紋章をなぞっているようだ。まさに、呪いという言葉が相応しい事象だった。


「……ッ、見ての通りじゃよ……。お主の叔母は……強かった……」


 それは一年前、南極で戦ったスージーから受けた傷であった。魂に強烈な打撃を受けた藤子は、その後しばしの静養を余儀なくされたが、ほどなくして肉体の損傷は収められる程度には回復することができた。

 しかし、そこから先が難しかった。


 命を賭した人間の、全身全霊で放った強烈な呪いが、傷と共に藤子の身体と魂魄に刻まれていたのだ。それは肉体を冒し続け、常に大規模な魔法を使っているのと同じくらいの負荷を彼女にかけ続ける、恐ろしいものだった。

 この呪いのおかげで、藤子は結局その傷を完治させることができなかった。世界大戦が今の規模となるまで、動く決心がつかないほどに。


 そして、ローザが積極的に攻撃を仕掛けず、カウンターを基本戦術としていたことも、呪いが爆発する大きな要因となった。一発一発は威力の小さいカウンターだが、どんな塵でも、積もればそれは山となる。


 実際、自分の中にある限界点が、刻一刻と迫っていることを、藤子は戦いのさなかで感じていた。限界を突破したことはないが、恐らく、ローザの前に膝を突くことになるだろう、と思いながら。


 しかし、藤子の中に退却という選択肢はなかった。戦場で立っていられる間は、彼女に……クリムゾンオールドローズに背を向けるという答えは、存在し得ない。災厄の魔女として、世界一の花としてのプライドが、それを許さないから。

 そして自らが仮に散るとしたら、それはクリムゾンオールドローズの手で、という思いもあった。


「藤子さん……! 貴女、この呪いを解かずにドイツ一国を相手取るつもりだったんですか……!? しかも、何時間も私と戦って……なぜそんな無謀なことを!」

「……お主には……関係のない、ことじゃ……」


 突っぱねて見せる藤子だったが、ローザの手を振り解くだけの気力はない。そのままぐったりと、ローザの腕の中でか細い息を続けるだけだ。


「関係……関係ならあります! クリムゾンオールドローズとして、私は貴女と……シレスティアルウィステリアと言葉を交わす関係のはずでしょう!?」

「……ッ!?」


 声を荒らげるローザに、藤子は痛みをこらえながら目をむいた。


「お、……お主……なぜ、その称号を、知っている……!?」


 そして、きしむ身体をおして、ローザの肩につかみかかる。


「天使が愛でる青き藤は、わしと、……ジェーンしか、知らぬはずじゃ……! 二人の、二人だけの……秘密の……ぐ、がふ……ッ」

「藤子さん!」


 高ぶる感情が血流を促進したのだろう、藤子は盛大に吐血した。それを見たローザが、とっさに回復魔法を唱える。


「落ち着いてください……今、呪いを解きますね……」


 それから藤子をなだめながら、解呪の式を練り上げていく。


「……お主……お主、は……一体……?」


 激しい痛みは、藤子の意識を現実につなぎとめるのに一役買っているようだ。しかし同時に、気力や体力を奪うため、身体を突き動かすまでには至らない。


 そんな藤子をあやすかのように魔法を行使しながら、ローザは悲しげに微笑んだ。彼女も先の戦いで十分な力は残っていないはずだが、それでも藤子の傷を、呪いを癒すために力を使い続ける。


「……藤子さん? 私……貴女の本当の顔を知っているんです。とても寂しがりやで、とても優しくて……それから、とても泣き虫な、貴女の顔を……」

「…………」

「おばあ様の葬儀の日……貴女は、おばあ様の墓石にすがりついて、泣いていらしたでしょう? 私……見ていたんですよ」

「っ!?」

「ああもう、急に身体を動かさないでください。傷に障ります」


 がば、と身を起こす藤子を押しとどめて、ローザが苦笑する。いつの間にか二人は、大地まで降りてきていた。


 母なる大地に横たえられた藤子は、その背中に偉大なる母のぬくもりと、断章がそれを力へと替えるのを感じながら、ローザを注視する。


「私が会ったことのある方は、みな貴女を悪く言います。いえそれも当然で、貴女はそう言われるだけのことをしているのですが……それでも、私には……どうしても貴女が根っからの悪人とは、思えなくて……」

「…………」


 ローザの言葉に、藤子は見られていたという気恥ずかしさと、それに気づかなかった己の力不足に心中で唇をかむ。

 それと同時に、あの日のことを思い出して、遠ざかるジェーンの姿を思い出して、思わず涙が込み上げてくるのを感じた。


「それに、お母様からイヴの書を受け継いだ私は……その中に、おばあ様の加筆を見つけてしまったんです。原初の魔導具に、わざわざページを付け加えてまで書かれた内容は……すべて、貴女のことでした」

「……わしの……」

「そうです。シレスティアルウィステリア……おばあ様が貴女に贈った称号は、そこに記されていたんです。同時に、貴女という魔法使いの詳細な情報も書かれていました。私が貴女の攻撃をいなすことができたのは、その覚書があったからこそ……」

「……あやつ……」


 まったく、やってくれる。

 死してなお、恐ろしい女だと思いながらも、藤子はその永遠の宿敵の抜かりのなさに、内心拍手した。


 力そのものは、確かに受け継がれない。だが知識は、記憶は、伝えることができる。

 人間が紡いできた歴史が物語るように、人間は、そうしたものを積み重ねて強くなってきた。それをなぞる形で、藤子に一矢報いたジェーンはまさにクリムゾンオールドローズ、人間の一番近くで咲き誇る、誇り高い炎の薔薇だ。


「それに……おばあ様は、貴女をとことん褒め称えていました。褒めてしか、いませんでした。貴女を世界一の魔法使いと呼び、世界で最も気高い人間と称え、それから……世界で一番、心を許せる親友だと……」

「…………」


 胸が詰まる思いが、した。


 藤子自身は、ジェーンを世界一の魔法使いと呼び、世界で最も誇り高い人間と誉め、世界で一番、そして唯一、心を許せる親友だと思っていた。

 その相手から、私もだと答えてもらった気がして。ジェーンに、嫌われていたわけではないのだと、言われた気がして。


 気づけば、藤子の瞳には涙が浮かんでいた。


「おばあ様が、それだけ言うのですから……私は、貴女が災厄の魔女だとは、思えないんです。……きっと違うはずだと思いながら……私は貴女に会う時を待っていました。

 ……どう、なんですか? 藤子さん……貴女はやはり、人類よりも、地球を……」


 答える気には、なれなかった。


 なるべく、考えないようにしていたジェーンのこと。なるべく、気にしないようにしていたジェーンへの想い。しかしそれでも、心に積もり続けた気持ちは、一度決壊してしまったら、もう、押しとどめることはできなかった。

 次から次へとあふれ出る想いが、藤子の口を閉ざす。


「……そうなんですね、藤子さん。……やはり貴女は。……こんなことを言っては、気でも違ったかと言われかねませんが……やはり、やはり私は……貴女とは、戦いたくありません……」


 口を開かない藤子を見て、肯定と受け取ったらしい。なおも魔法を行使し続けながら、ローザが静かに微笑んだ。

 その顔が、どうしてもジェーンと被る。途方もない幸福感と喪失感を同時に味わいながら、藤子は目を閉じた。雫が一つ、頬を伝って落ちていく。


「藤子さん……私では、おばあ様の代わりになりませんか。ねえ、藤子さん……」

「…………」

「…………」

「…………」


 やがて、藤子の身体を蝕んでいた薔薇の紋章が、静かに消えた。一気に身体が軽くなる。それと同時に、彼女に打ち込まれた不老不死の楔が、あっという間に彼女の傷を癒し始めた。


「……ローザ……」

「はい……なんでしょう?」

「礼は、言おう……。蛇の道は蛇……薔薇のことは、薔薇に任すが最良であったようじゃな……すまぬ……」


 治りゆく己の身体の具合を確かめながら、ゆっくりと起きあがる藤子。呪縛がなくなった今、母なる大地から受ける力により、もはや立ちあがることができるくらいにまで回復していた。

 その急激な変化に、ローザは目を丸くする。


「……じゃが、お主は愚かじゃな。どれだけお主が戦いを拒もうと、わしにはお主と戦う理由がある……それに」

「……それに?」


 再び藤天杖をローザに向けて、藤子はにらむ。だがその目は涙で濡れていて、災厄の魔女としての気迫は小さかった。


「ジェーンの代わりを務めようと思うのならば……なおのこと、わしと戦え。わしとジェーンの、最大の睦みごとは……何より、競い合うことであった」

「藤子さん……」

「……今日は」


 だが突然杖の戦闘形態を解くと、彼女はローザに背を向けた。そこには、すっかり目を覚ました太陽が、明るい光を放っている。


「今日は、ジェーンに免じて退いておく。お主の勝ち星とするがよい」

「…………」

「だが次はこうは行かぬ。不完全な状態で戦っては、結局勝ちには繋がらぬ……此度はよい教訓となった。一度消え、治療に専念しよう。そして体勢を立て直した暁には……」


 深呼吸を、一つ。そして。


「薔薇の花を、摘みに参る。覚悟しておけクリムゾンオールドローズ、我が生涯の宿敵よ」


 強く、強くそう、宣言した。光を背にするその瞳は、あらゆる生命を育む青と、あらゆる暗がりを照らす赤に輝いている。


「……わかり……ました……」


 それを受けて、ローザも立ちあがる。人類の歴史と共に、彼らの行く先の導となってきた、燃え盛る薔薇の瞳が、負けじと輝く。


「また、お会いしましょう藤子さん……シレスティアルウィステリア。それまでに……もっと、強くなって見せます」

「そうじゃ、それでいい」


 完全に立ち直ったようだ。藤子はいつものように不敵に笑うと、青い光の粒子をまとって、空へと浮かび上がる。


「さらばじゃローザ、クリムゾンオールドローズよ!」


 そして光を弾かせて、南の空へと飛び立った。後ろを、ローザを一度も振り返ることなく、ぐんぐん速度を上げていく。

 藤子の心は、ジェーンが死んで以来、初めて弾んでいた。ようやく、ジェーンの幻影を振り払うことができたような、そんな気がして。


 それはまさしく、後に第二次薔藤そうとう時代と呼ばれる一時代の幕開けであった。

◆イヴの書(The Book of Eve)

この世界の上層に存在する、魔法の世界に関する知識を集約した魔導書。この世界で成立したものではなく、外なる神々や旧支配者に関する記述が特に詳細に記されている。

この世界の完全な支配を目論んだある旧支配者によって、魔法世界から持ち込まれ、人間に譲渡された過去を持つ。この最初の持ち主こそ、現生人類最初の魔法使いにして、テューダー家の祖エヴァである。

当初は邪悪極まる魔導具であったが、彼女がこれを克服したことで闇が薄まり、現在は彼女の血を色濃く受け継ぐ者のみがその邪悪に飲み込まれることなく使いこなすことができるようになっている。イヴの書とはそれにちなんだ名前であり、本来の名称は不明。

有史とともにあったために、無数の写本や翻訳語版が作られ今も世界中にそれらが残っているが、そのいずれもが不完全である。そういった経緯やその性質から、実質テューダー家の者にしか使うことができない。

二十一世紀現在もまたテューダー家の手にあり、世界にその名をとどろかせている。

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