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藤花、断罪す。

 1.


 千九百十四年、南極大陸。

 ここは地球の現生人類が、まだその全貌を知りえていない最後の秘境のひとつにして、地球上でもっとも過酷な環境のひとつである。


 とはいえ今日の南極は天気がよく、まだ穢れを含まない澄んだ空気の向こう側に光る太陽は、優しい顔を見せている。吹き抜ける風は身を切る凍てついた冷気だが、珍しく穏やかだと言ってもいいだろう。


 そんな南極の中心ともいえる場所、人類が到達してまだ日も浅い南極点に、一人の女性が立っていた。


 吹雪の中にあって、彼女がまとうのはいかにも防寒性能に欠けるドレス。純白のそれは、彼女の姿を周囲の氷にまぎれさせている。

 だが、彼女がその胸元に身に着けるブローチは、燃え盛る焔を思わせる真紅の薔薇をかたどっており、遠目にもよく目立つ。また寒風に舞う髪は美しい金で、照らされた日の光が周囲に乱反射している。

 そして、白く美しい彼女がその眼窩に宿すもの。それは、暖かく人類の行き先を照らし示す、炎。


 彼女の名は、スージー・テューダー。かつて伝説の花と言われた最強の魔法使い、ジェーン・テューダーがこの世に遺した娘の一人であり、正義の象徴クリムゾンオールドローズを受け継ぐ、テューダー家の正当なる継承者である。


「……来ましたわね」


 所在なさげに氷上で立ち尽くしていた彼女だったが、不意に表情を引き締めると空の彼方に向けて鋭いまなざしを向けた。


 と。


 出し抜けに空間が揺らめいた。それは聞くものすべてに不快感を与える甲高い音を伴って、数秒の間続く。スージーはその様子を、やはり厳しい表情のまま見つめる。それは、もはやにらむ、と言ったほうがいいだろう。


 やがて揺らぎと音が収まった時、そこには黒衣と色味がかった羽衣をまとった小さな少女がたたずんでいた。


 吹雪の中にあって、少女がまとうのはやはり防寒には意味を成さないであろう和装。漆黒のそれは、少女の姿を氷の中で一際目立たせている。

 色めく羽衣に至っては風になびくそぶりすら見せず、静かに少女の身体を包み込んでいる。また寒風に舞う髪は美しい黒で、日光を吸収してでもいるのか、光が放たれることはない。

 そして、白く美しい少女がその眼窩に宿すもの。それは、深遠なる闇の中で生命を育む星。そして、その星で輝く生命の炎。


 少女の名は、光藤子。神にも迫る力を持っていたジェーンですら打ち倒すことができなかった最強の魔法使いにして、彼女が唯一、その生涯において好敵手と認めた災厄の魔女である。


「……久しいな、スージー。六年前、ロシアで会うた時に比べて、少しは腕を上げたようじゃな? ん?」


 幼くも美しい顔をにたり、と歪ませて藤子は目の前に立つスージーの顔を覗き込んだ。


「大きなお世話よ。相変わらず、他人を見下すことしかできないのね」


 青と赤の視線をあからさまに嫌悪して見せて、スージーが鼻で笑った。


「くくく……随分なご挨拶じゃな。が、それくらい負けん気が強くなければ、このわしの相手は務まらぬというものじゃ」


 しかし、そんな安い挑発に乗る藤子ではない。あっさりと笑い返すと、腕を組んで見下す態度を隠すことなく仁王立ちになる。


 ジェーンという、魔法界の伝説が死去しておよそ八年。災厄の魔女、光藤子討伐という魔法界の悲願は、ジェーンの娘スージーに託されていた。

 だが、世界一の花という称号にかけて、決して負けまいと力を磨き続けてきた藤子の力は、もはや人間がその短い人生の間に到達できる範疇を超えてしまっていた。

 いかに最高の薔薇の忘れ形見であろうと、いかに世界一の魔法使いという称号が変わらずとも、スージーの力は、まったく藤子に及ばなかったのである。それは、藤子が口にした「六年前、ロシア」で、証明されてしまっている。


 クリムゾンオールドローズ、敗れる。


 薔薇の敗北が与えた衝撃は、あまりにも大きかった。世界中の魔法使いにとっても……そして、敗れたスージー本人にとっても。

 それは、決して母、ジェーンを越えることができないと思い込むには、十分すぎる衝撃であった。


 それから六年。スージーは、心の内に決して母を越えられぬという諦観を抱きながらも、血のにじむような努力を重ねてきた。受け継いだ二つの魔導具を完璧に使いこなし、魔法使い最高の魔法をも身につけた。

 その上で、彼女は今日、母すら越えられなかった相手に挑もうとしている。母の仇とも言える、災厄の魔女――光藤子に。


「時にスージー。周辺に、やけに魔力を多く感知できるが、これは一体どういう趣向かの?」

「……っ、やはり、貴女に隠し通せるものでもないのね」

「お主……わしを侮っておるのか? このわしを、誰だと思うておる」


 やはり見下す態度を崩すことなく、藤子があざ笑う。その顔に憎悪と言っても過言ではない、灼熱の視線を投げつけるスージー。そこには、実力差以上に、生きた年月の違い、経験の差が見て取れる。


「……隠しても無駄なら、もう出てきてもらいましょうか」


 だが、それでもスージーは口端を吊り上げて、人差し指を空へと向けた。たちまち、その先から薔薇の形の炎が巻き上がった。


「テューダーローズ……? お主、何をするつも――!?」


 いぶかしむ藤子の言葉をさえぎって、周囲から一斉に魔法が巻き起こった。それらはいずれも矢や弾、剣など、何らかの攻撃の形を成しており、またそのすべてが、一斉に藤子めがけて降り注ぐ。


「疾!」


 だが、それらはすべて、藤子に届くよりもはるか直前で掻き消えた。慌てることなく彼女が発動させた防御魔法により、防がれたのだ。

 しかし、藤子のその行動を見越していたのだろう。掻き消えた魔法に続いて、今度は無数の人影が藤子に向かって殺到する。その数は、十やそこらではない。波のように幾重にも折り重なった人垣は、百を軽く越えるだろう。


「く――ッ」


 向かってくる敵の数を認識した藤子が、瞬間移動によるのかその場から消えうせる。と同時に人垣の頭上に出現すると、右手にたぎらせていた青い魔力をそのまま振り下ろす。


「させないわ」


 落ちてくる青い岩盤を砕いたのは、スージーだ。白銀に輝く細剣が描いた軌跡は、そのまま藤子の攻撃を白い氷原の中へと放逐してしまった。

 それに合わせる形で、今度はまた大勢の魔法使いたちが藤子に向かって肉薄する。ある者は剣を、ある者は槍を。そうして藤子に向けられた攻撃の数は、殺到する人数をはるかに越えている。


「ちっ」


 その数に、藤子は回避を諦めた。そして代わりに、すべてを受け止めることにする。彼女の足元――しかしそれは空中だ――に、緑色の魔法陣が浮かび上がった。


 ――轟音。


「無傷、ですか……。やはり化け物だわ……」


 吹雪に吹き飛ばされた魔煙の中から現れたのは、袖の端すらほころんでいない藤子だ。一斉に注目を浴びる中、彼女は静かに氷へと降りる。


「……スージー、これはどういうことじゃ」


 氷の上に降り立った彼女の表情は、冷たかった。先ほど、侮蔑とはいえ相手に対する感情を明確に浮かばせていた顔には今、何もない。ただ冷たい白面だけが、そこにある。


「察しの通りよ」


 しかしそんな藤子に、スージーは悪びれることなく言い放った。そのまま、手にした魔導具、プライムローズの切っ先を藤子へ向ける。


「貴女は完全に包囲されているわ。死にたくなければ、このまま投降なさい。抵抗するのであれば、身の保障は一切しないわ」

「…………」


 スージーの言葉に、藤子がかすかに目を見開いた。


「いくら化け物でも、この数相手に無傷でいられるなんてことは、ないでしょう?」

「では……何か……?」


 自信を顔に浮かばせたスージーだったが、ぼそり、と飛んできた藤子の言葉には表情をこわばらせた。


 スージーが見たもの。それは、感情という名の色を一切失った、青と赤の視線だった。


 慈愛に満ちた母と同じ色をしているはずの左目は、氷をも凍りつかせてしまいそうな空虚さに満ちている。光を生み出す炎と同じ色をしているはずの右目は、光をも吸い尽くしてしまいそうな暗黒に満ちている。


「スージー……お主は……わしを罠に陥れたと……こういうことじゃな……?」


 ぎらり、と、二色の瞳がまっすぐにスージーをとらえる。一歩、藤子が足を踏み出す。


「クリムゾンオールドローズの名において……わしをここに呼びながら……」


 さらに、一歩。


「お主は、エゲレスの魔法使い全員を、この場に集めた……」


 もう、一歩。


「そういうことか……スージー……」


 藤子から、どす黒い魔力が立ち上る。周りの空気が、明らかに色を変えていた。この世界が生んだ、すぎるほどに完成された魔力に、氷の大地がおののく。


「……そッ、そういうことよ……」


 だが魔法使いの棟梁として、スージーは臆することなく笑って見せた。


「クリムゾンオールドローズの名において勝負を挑めば、貴女は必ず一人で現れる。お母様から聞いた通り」


 改めてプライムローズの切っ先を向けて、言う。


「そう、たった一人で。これを利用しないわけにはいかないわ……これ以上のチャンスは、他にない!」


 スージーの言葉に応じるように、周囲の魔法使いたちがそれぞれの魔導具を構える。

 死を芳醇に含んだ黒い風が、吹いた。


「災厄の魔女……この南極の地が、貴女の墓場よ! 花が枯れる場所として、これ以上の場所はないでしょう!」

「…………ッ!」


 スージーが言い放った刹那。

 藤子の身体から、一気に赤い波動が巻き起こった。それは情け容赦なく彼女を取り囲む魔法使いたちを打ち据えると、上昇気流となって天を衝く。


「スージー……テューダー……!」


 吹きすさぶ魔力の中で、藤子は更なる一歩を踏み出した。その両目に、はっきりとした怒りの感情をたぎらせて。


「もはやうぬを、テューダーの人間とは認めぬ! うぬは……テューダーのものとして、クリムゾンオールドローズとして、最もしてはならんことをしたのだ!」


 そして遂に、藤子を覆う魔力が爆発を起こした。先ほどの波動など比べ物にならない激流に、何人かの魔法使いが飲み込まれて彼方へ消える。


「な……!?」

「クリムゾンオールドローズは……! この世にあって、最も人に近しい場所で咲く薔薇!

 人類が歩んできた道を照らし、これから歩んでいく道を照らす希望のともし火! そして、この世に仇なす異形のものどもを焼き払う、穢れなき炎!

 人々が称えるクリムゾンオールドローズは、この世の絶対的な正義の象徴! 違うかスージー!」

「あ……貴女が! 貴女がそれを言いますか!? 災厄の魔女がクリムゾンオールドローズを語るなんて、片腹痛いッ!」


 怒りの形相を隠そうともせずにまくしたてる藤子に、スージーも毅然とした態度で言い放つ。


「老いも若きも、男も女も、王も民も、この世のすべてを破壊してきた貴女は、この世の絶対的な悪!

 その悪を打ち倒すのに皆の力を結集する、これのどこがしてはならないこと!?

 実の妹すらその手にかけた貴女に、一致団結して巨悪に立ち向かうことを否定されるいわれはないわ!」

「この痴れ者が……! わしを倒したくば、最初から国を挙げて討伐すると言えばよかったじゃろうが!

 わしは逃げも隠れもせぬ……一国だろうが二国だろうが、変わらず返り討ちにしてくれよう!

 じゃが……うぬはそれをせず、クリムゾンオールドローズの名において偽りを行った!

 わしにはそれが許せぬ……それだけは、断じて許すわけにはいかぬ!」

「なんて身勝手な……! 貴女を許せないのは、私も同じだわ! 災厄の魔女、今日こそその首、もらいうけるッ!」


 そして、その言葉が戦いの火蓋を切って落とした。スージーを先頭にして、イギリス全土から集まった魔法使いたちが、一斉に藤子めがけて攻撃する。


「はあああああッ!」

「きゃああ!?」


 並みの魔法使いなら、これほどの人数に一斉にかかってこられたら、対処に困るだろう。なす術などない。それが普通だ。精神の乱れがそのまま威力に直結する魔法の戦いにおいて、それは致命的。

 だが、怒りを浮かばせた顔に反して、藤子は我を失うことなく行動した。自身が巻き上げている魔力を、今度は周囲ではなく下へ向けたのだ。


 その結果、大氷原が一瞬にして爆ぜた。そのまま、大地だった氷は水蒸気となって空へと巻き上がり、太陽の光すらさえぎっていく。やがて彼女たちが立つ氷原からは、太陽の顔を拝むことができなくなってしまった。

 それも、ただ光が消えただけではない。暴走した魔力をたたきつけたことによって、周囲は膨大な魔力にあふれている。それは、視覚的にも魔法的にも、煙幕となってイギリス魔法軍を包み込んでいた。


「くっ、ほとんど何も見えない……!」

「災厄の魔女め……どこに消えた!?」

「落ち着きなさい、どこから攻撃が来てもいいよう神経を、魔力を研ぎ澄ますのよ! パニックを起こしては相手の思う壺だわ!」


 ――久遠の果てまで至りて


「!? スージー殿、何か聞こえます! 災厄の魔女の声です!」


 ――我が身は御身と一つになる


「なんでしょう、とても強い力を感じます! これは、これはまさか……!」


 ――貴殿、母なる大地


「これは――いけない! 呪文を完成させてはいけません!」


 出でまし給え――偉大なる星母グレートマザー


 その言霊が紡がれた刹那。


 世界中のすべてが、至上の存在を幻視した。

 鳥が、獣が、虫が、魚が、花が、草が、それを讃える。それを敬う。そして、謳う。


 生命あるもの、ないものに関わらず、地球上のすべてが奏でる旋律に迎えられて、立ち込める魔と水の煙の果てから、一筋の光が差し込んできた。その中から、巨大な何かがゆっくりと舞い降りる。


「あ……あ……あああ……!」

「う、つ、くしい……!」

「神よ……おお……神よ……!」


 それは、神だった。


 青く果てない大空を往く、純白の双翼。星に満ちる紺碧の海原を奔る、艶やかな双肩。生命のあふれる大地に根ざす、輝ける肢体。それらを妖艶に包む、金でも銀でもない光沢の機械。

 大宇宙から見たこの星そのものである、青い瞳に魅入られただけで、何人もの魔法使いたちが戦意を失い、その場にひれ伏した。


 すべての魂を育む、生命のゆりかご。時に優しく時に厳しい、この母なる地球そのものが、今。この、南極の大地に、光臨したのだ。


『愚か者どもよ……我が母に成り代わり、星の裁きを下してくれよう!』


 だが、その神に慈悲はなかった。

 そう、神としてこの場に降り立ったものは、藤子が地球断章の力によって呼び起こした、神のまがい物だ。


 神を模した偶像を呼び出しそれを操る、魔法使いの最高にして最大の魔法、神体召喚。藤子は、その切り札を初手として切ったのだ。


 2.


 神体召喚によって呼び出される神は、多岐にわたる。

 すべての魔法使いが、独自に己の魔法を創るというこの世界の魔法体系にあっては、神体も魔法使いごとに異なると言っても過言ではない。

 もちろん例外は存在する。が、当然すべての魔法使いが神体召喚を行使できるわけではない。


 神体召喚は、あらゆる魔法の頂点に立つ究極奥義だ。この魔法の行使には、純粋に高い魔法の技術と能力が要求される。

 そして、仮に神体召喚に成功したとしても、そこで完結するわけではないのが、この魔法が究極と言われるゆえんだ。


 呼び出した神体を自在に操るには、大抵の場合召喚者の魔力だけでは力不足である。そのため、召喚者はその不足を補うために自らの生命力を捧げる。いや、捧げざるを得ない。

 他に代わりとなりえる力が存在しないのだ。そのため、分不相応に神体を呼び出したものは、その瞬間に生命力を吸い尽くされ、ただの肉の塊と化す。


 しかし、それだけの危険を冒してでも、神体召喚には行う意味がある。


 確かに呼び出される神体は、正真正銘の神ではない。あくまで、神を模した偶像に過ぎない。

 それでも、神は確かに神なのである。それが秘めた力を解き放ったとき、一国の総力など塵芥も同然であり、邪神の眷属すら打ち砕くことができるだろう。


 その証拠に。


 今、大氷原――だった場所――に立つ神の周囲に、戦いを続けられる状態にあるものはわずかに一人しかいない。

 それ以外の魔法使いは、神々しすぎるその姿に戦意を失ったか、あるいは戦おうとしても路傍の石以下に蹂躙されたか……つまるところ、そのたった一人以外は、同じ土俵に上がることすら許されなかった。


 藤子が呼び出した神――偉大なる星母グレートマザーと唯一向かい合うもの。それは、同じく神である。

 当然だ。ただの人間ごときが、神と対等に戦えるわけがない。神と戦い、神を越えられることができるものは、同じく神に限られる。


 その神は、限りなく人に近い姿をしていた。風に舞う金色は、彼の者が持つ髪。その頭上にいただく冠は血か炎か、真紅に彩られた薔薇でできている。純白の薄衣に包まれた肢体はみずみずしく、柔らかい乙女の姿が氷の中で咲き誇っていた。


「く……っ!」


 女神が歯噛みする。その声は、間違いなくスージーのものだった。


 そう。偉大なる星母グレートマザーと相対する金と赤の神体を操るのは、他でもないクリムゾンオールドローズその人だ。心なしか、女神の顔もスージーと似通っているようにも見える。


 旧きより燃え盛る紅薔薇の名にふさわしいその麗しき女神こそ、テューダー家が代々その魔導具と共に受け継ぎ続けてきた人類最古の神体だ。

 その名を、栄光の炎冠コロナ・ロザツェア。まさに、テューダー家そのものを体現した神である。


 しかしその姿に覇気はなく、一目で満身創痍であることがわかる。ゆらゆらと揺らめいて見えるのは決して見間違いではなく、かすかに、しかし確かに、神体がふらついていることの証だ。神体は、現実に限りなく近い虚構なのだから。


「くくく……どうしたスージー? よもやこれで終わりとは言うまいな?」


 対して、立ちふさがる偉大なる星母グレートマザーは、かすかにもぶれない。揺らがない。それは、まさにこの神こそ、地球という天体の体現であることの証だ。


「…………ッ」


 召喚者と同じ、燃える瞳が悔しげに瞬く。


 スージーは、追い詰められていた。苦しんでいた。同じ土俵に立てたがゆえに垣間見てしまった、災厄の魔女という存在の真の闇。それはたとえようもなく深く、昏く、その冷たい力に浸かり続けることなど、到底不可能であった。


 勝てない。どうしても、勝てない。


 もはやその一念に満たされてしまった彼女の精神は、藤子という敵を、天使が愛でる青き藤を越えようという思いなど、浮かぶ余地もない。

 浮かぶのは、ただこの魔女と対等であり続けた母ジェーンが、いかに大きな存在であったのかという思いだけだ。


「うぬがそれ以上何もせぬというなら、わしから参るとするかのう……!」

「!」


 藤子が、偉大なる星母グレートマザーが、静かに足を踏み出す。淡い光に照らされた氷の大地に、緑が芽吹いた。

 その全身から、撫子色の光が噴き出す。それはやがて無数の花弁となり、南極を、そして大空を埋め尽くさんとす る勢いで吹き荒れる。


 桜吹雪。藤子が攻撃においてその代名詞とする、必殺の魔法だ。その威力は、折り紙つきといっていい。


「くうぅぅ…………!」


 藤子が確実に殺しに来ていることを悟ったスージーが、栄光の炎冠コロナ・ロザツェア、身構える。


「行くぞ!」


 藤子が吼える。そして同時に、光り輝く桜吹雪が、一斉にスージーめがけて殺到した。

 前後、上下、左右。ありとあらゆる方向から降り注ぐ花弁の一つ一つに、致命傷を与えるには十分すぎる威力が込められている。


「……っ、ぐ、ああああぁぁ……っ!」


 だが、さすがにスージーもすぐには倒れない。彼女とて、藤子と同じく神体を操る身だ。無数の致命傷を受けながらも、一歩、また一歩と、彼女は目前の敵、藤子の元へとにじり寄る。


「ふはははは、さすがにまだ倒れぬか! 三下とはいえやはりジェーンの娘ということかのう!」

「く……っ、お母様を……気安く呼ぶな……っ!」

「知らぬな。そしてもはや、そのようなことは二度と考えられぬようになる」


 桜吹雪をなんとかくぐり抜けたスージーの眼前に、半身半機の女神が迫る。その全身は、青い光によって包まれていた。


「――――!」

「とどめじゃ! 母なる大地の裁きを受けよ!」


 断罪の宣告と共に、青い光が極太の光線となって女神に放出された。


 だが、刹那。


「――はああああああああ!!」


 栄光の炎冠コロナ・ロザツェアが、真紅の光を解き放った。

 それは一条の軌跡となって、青い光を突き抜ける。それはそのまま何ものにも妨げられることなく、一直線に偉大なる星母グレートマザーの身体を貫いた。


「何ッ!?」


 その攻撃を、藤子は予期していなかった。完全に、追い詰めたものだと思い込んでいた彼女の全身に、久しく忘れていた肉体の痛みが走る。加えてもう一つ、途方もない喪失感が、彼女の精神に去来した。


 ――閃光。


 3.


「ぐ……っ、は、あ、あ、……はあ……っ!」


 南極の大地に、吹雪が吹き荒れている。その中にあって、一人の少女が氷の上に膝をつき、荒い息をついていた。

 藤子だ。先ほどの一撃により神体召喚が解けたのだった。


「ぐ、くそ……! 油断した……! わしともあろうものが……!」


 彼女の腹部には、何か巨大なものでえぐられたような風穴が空いていた。ぼたぼたと鮮血が滴り、氷の上に赤黒い水溜りが広がる。


「傷がふさがらぬ……!? こんな術を隠し持っておったとは……!」


 彼女がいくら魔法を行使しても、その傷はふさがる気配を見せなかった。相変わらず血だけが零れ落ち、見る見るうちに藤子の体力を奪っていく。


「……ふん、さすがに腐ってもジェーンの娘か……」


 氷上にへたりこんだ藤子は、かすむ視界の先で、同じく氷上にて、しかし仰向けに倒れている女性の姿を見とめる。


 彼女の純白のドレスが、風に揺れていた。金色であったはずの髪は真っ白に染まり、所在なく風と戯れている。ただ、その腹の上に載る不可思議な装丁の本だけが、吹雪を拒みながら静かに佇んでいる。

 大空を仰ぐ彼女の瞳に、光はなかった。人類を照らし続けていた炎は消え、そこにあるのは、ただ燃料を使い果たした残滓、燃え滓のみ。

 そして彼女――スージーが動く気配は、微塵もなかった。神体召喚により磨耗しきった魂は、藤子の攻撃により砕け散ってしまったのだ。


「物理的な威力も、魔法的な威力も……そのすべてを無視する必殺の魔法……。そして何より、魂への打撃こそその真髄とする……か。

 ジェーンを、わしを越えることこそ悲願とし、越えられぬ壁に苦しみ続けたうぬらしい……何も省みぬ捨て身の攻撃よ……」


 歯を食いしばりながら、なおも傷の治療を続ける藤子がひとりごちる。だが、もはやそれを聞き届けるものは誰もいない。


 スージーが最後に放った魔法。それは、肉体ではなく魂に直接打撃を加えるものだったのだ。

 研ぎ澄まされたその一撃に、藤子は彼女がいかにこの魔法を切り札として磨きぬいてきたのかを想像する。

 最後の最後までその手の内を明かすことなく、本当に命を刈り取られる寸前になって撃ち込まれた魔法は、まさに彼女の切り札だったに違いない。それは一瞬とはいえ、確かに藤子の力を上回り、藤子を穿ち抜いた。


「……初めてジェーンと戦った時を思い出したわ。あの時も……わしは、薔薇の放った魔法に攻撃を貫かれた。……歴史は繰り返すのう。のう、ジェーン……」


 もはや厚い雲に覆われ、青空の欠片も見えぬ空を仰いで藤子がつぶやく。青と赤の瞳が、かすかに揺れていた。


「…………」


 だがそれもわずかな間のみ。力を振り絞り再び大地を踏みしめた藤子は傷口をかばいながら、倒れるスージーの元に歩み寄る。


「……焦りすぎじゃったのう。たわけ者め……惜しい才じゃった。ジェーンと同じように、しっかりと鍛錬を積んでいけば……もしかしたらわしを越えることもできたやもしれぬものを」


 相反する二つの瞳が、真っ白に燃え尽きたスージーの顔を見やる。


「人間の強さの源は信じること……まことそうじゃな、ジェーンよ。お主の娘は『わしには勝てぬ』、『お主を越えられぬ』と信じてしまったがゆえに、過ちを……」


 言いながら、彼女はスージーの上に横たわっていた本を手にする。表紙に描かれた紋章が、幾何学に真っ向から挑んだかのような、違和感あふれる紋章が鈍くきらめいた。それは、藤子という存在を拒んでいるのか、静かに繰り返される。


「……ふっ。やはりこれはテューダー家のものじゃな。わしでは使いこなせそうにない」


 藤子も、それを拒絶のしるしと見て取った。自嘲気味に笑うと、彼女は手にしたばかりの本を、スージーの上へ再度横たえる。すると、本が嬉しそうに瞬いた。


「……スージーよ。うぬという花の最期、確かに見届けた。……あとは、次の世代に任せて静かに眠れ」


 返事など、あるはずがない。ただ吹きすさぶ雪と風の音だけが、藤子の耳朶を打った。


「……ぐ、わしもそろそろ限界じゃ……」


 ぐらつく身体を無理やりに支えながら、藤子はその身を空へと浮かびあげる。光輝く青い粒子に包まれて、彼女はゆっくりと南極を離れていく。


「……魂の磨耗がちと大きい……しばし……どこかに身を隠さねばなるまい……」


 そうして彼女は、北へと消えた。完全に散った薔薇の花を、その場に残して。


 ――スージー・テューダー、享年四十八歳。あまりにも早すぎる死であった。


 そして藤子との全面戦争により、名だたる魔法使いを軒並み失ったイギリスはこの先、後継不足に悩むことになる。

 魔法という技術、文化を公にするとまではいかないものの、推奨、積極採用することでパックス・ブリタニカを実現させた、ヴィクトリア女王の時代も既に遠くなりつつある。

 そしてその繁栄を裏から支えた偉大なる魔法使い、ジェーンもいないのだ。


 結果、イギリスは魔法界での発言力を著しく落とし、それがそのまま歴史の表舞台にも反映されることになる。

 この日を境に、太陽の沈まぬ国、大英帝国はゆっくりと落日へ向かっていく――。

◆スージー・テューダー(Susi Tudor)

イギリス、サクス=コバーグ=ゴータ朝の魔法使い。

生きる伝説とまで称されたジェーン・テューダーの末娘。千八百六十六年生まれ、千九百十四年没。

イギリス貴族にして世界最古の魔法一族、テューダー家の第十六代当主。四十歳で襲名した。

所有称号は「クリムゾンオールドローズ」および「ユニオンフレイムズ」。

千九百八年、母ジェーンから受け継いだ使命により、ロシアで「災厄の魔女」光藤子に挑むも完敗。これにより、完全に第一次薔藤時代が終わった。

千九百十四年、イギリスの主だった魔法使いを率いて、南極大陸で「災厄の魔女」に挑むも、その逆鱗に触れ戦死する。

世間的な成功や功績は多くないがその死を惜しむ声は多く、現代においては、もっと彼女に時間があれば、ジェーンすら超えたのではないかという評価が一般的である。

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