眠れる怪物
夏風勇はインターホンの音で目覚めた。壁の時計を見るともう朝の9時だった。
勇は床から起き上った。
二日酔いで頭ががんがんする。
(昨日飲み過ぎたせいか)
勇は転ばないように慎重に歩いた。気をゆるむと倒れそうだった。
勇がドアを開けるとそこには年配のひげを生やした男とオールバックの若い男が立っていた。
「おはようございます。寝起きのようですな」年配の男が言った。
「はい。何のご用件で」
「やはりご存じないのですか」年配の男は若い男に視線を送った。若い男はメモを取る。
勇は何が何だかわからなかった。
「夏風美冬さんがベランダから飛び降りて亡くなりました」年配の男はさぐるような目で勇を見た。
「えっ?」勇は絶句した。
美冬は勇の妻だ。ここはマンションの八階だ。飛び降りれば簡単に死んでしまう。だが、一歳年下の優しい妻がどうして自殺なんか・・・。
「御冗談を」勇は笑った。しかし顔はひきつっていた。
そうすると二人の男は警察手帳を見せた。
「我々が冗談を言うためにわざわざここへ来たとでも?」
「でも。何で美冬が自殺なんかをしなきゃならないんですか?」勇は怒鳴ってしまった。
「それを調べるために私たちが来たのです」
「失礼ですがご主人。昨日の夜は何をされていましたか?」今度は若い刑事が聞いてきた。
これはアリバイ調査というものか?
「僕を疑っているんですか?」
信じられなかった。自分がそんなことをするはずがない。
「一応です。奥さんと最後にあったのはあなたのはずですから」年配の刑事はにやりと笑った。
「昨日の夜は、会社の後輩と飲んでいました」勇ははっきりと言った。
「家には何時ごろお帰りになりましたか?」
刑事の質問に勇は困惑した。
いくら考えても飲みに行った後のことが思い出せないのだ。それほどまでに酔って帰ってきたのか。
後輩と「ラベンダー」というバーに行ったことは覚えている。しかしその後のことがどうしても思い出せない。
「すいません。かなり酔っていたみたいで何時ごろ帰ってきたのかまでは思い出せません」
「そうですか。それでは家に帰ってから自分が何をしたのかも思い出せないのですね」
「はい」
勇がそう言うと二人の刑事は向き合ってほほ笑んだ。
「ならあなたが奥さんを手にかけていたとしてもおかしくはないですよね。自分も証明できないんじゃ」
「そんなことありません。僕が美冬を殺すなんて。絶対にありません」勇は必死に抗議した。
「あとの事は署で聞きましょう」
警察署を出たころにはもう夕方四時を過ぎていた。
遺体の確認をした。間違いなく美冬だった。その時に美冬は死んだんだと思った。
刑事は勇の昨日の行動を何回も聞き、色々な人に確認をとっていた。
最後に、自殺の線もあるのでもっと調べると言っていたが間違いなく勇を犯人だと思っているに違いない。
勇は美冬の自殺の原因を調べることにした。
(明日に美冬の葬式をやるから火曜日から休みをとろう)
家に帰ると玄関に置いてある美冬のディディベアが出迎えてくれた。これは美冬が新婚旅行で買ってきたものだ。勇の目から涙があふれてきた。
家の中は異様に散らかっていた。朝はくらくらしていたし、すぐに玄関に行ったので気づかなかったが花瓶が割れ、写真立てなどが床に落ちていた。昨日酔っぱらっているうちにぶつかってしまったのかもしれない。酒の瓶が落ちていることから、家に帰ってきてまた飲んだらしい。
火曜日の朝、勇は美冬が通っていたゴルフクラブの会員と喫茶店で会った。美冬と仲良くしていた三人の主婦だ。
山田という主婦は美冬が死んだことを聞くと倒れそうになった。
「あの美冬さんが亡くなったなんて」神田という主婦が言った。
「生前、美冬が何か自殺をほのめかす事を言っていましたか?」勇は短刀直入に聞いた。少し露骨すぎたかもしれない。
「そうですね。美冬さんは明るい人だったからそんなことは言ってなかったと思うけど」島本という主婦が首をかしげる。
確かにそうかもしれない。美冬はマイナス思考ではなかった。
「あっちょっと待って。前に美冬さんがこんなことを言ってたのよ。夫が最近酔うと性格が変わるから困るって」神田が思い出して言った。
「本当ですか?」勇はショックを受けていた。美冬がそんなことを言っていたなんて。そして何より自分の酔った時の姿を聞いて驚いた。自分では全く覚えていないのだ。
「ありがとうございました」勇は主婦たちに別れを告げた。
勇は急いでいきなれた自分の会社に行った。休みをとっているのですこし抵抗があったが、今すぐ調べなければ気が済まなかった。
最近、同僚が自分と飲みに行きたがらなくなっているのだ。
昼休みにまずは事件の前日に飲みに行った後輩を訪ねて行った。
「あっこんにちわ先輩。奥さんの事お気の毒です」会いに行くと後輩がすぐに言った。
「ああ。お前にひとつ聞きたいことがあってな」勇は真剣なまなざしを後輩に向けた。
「なんですか?」
「オレ実はこの前飲みに行った時の記憶が全くないんだ。オレその時どうだった?」
「どうだったって普通でしたよ」後輩が意味が解らないという感じで答えた。
「その、態度が豹変したりしなかったか?」
「いや そんなことは無かったですよ。帰りは送っていきましたけど」そう言うと後輩はサンドイッチを食べた。
「そうか。美冬はどうだった?」
「いつものように笑顔で出迎えてくれましたよ。かわいかったですよね奥さん」勇が何も言わないところを見て、後輩はしまったという顔をした。
「すいません。思い出させちゃって」
「いいんだ。ありがとう」
勇は目頭を押さえた。
後輩の話によると、バーでの態度は普通で家にもちゃんと帰れたらしい。
勇はいっしょに飲むのを避けるようになった同僚に話を聞くことにした。腹が減っていたのでその同僚と蕎麦屋に行った。
「なあお前、最近オレと飲みたがらなくなったな」蕎麦をすすりながら勇が同僚の杉山に聞いた。
「そうか?忙しいだけだよ」杉山は否定する。
「嘘だ。お前は一か月くらい前からオレの誘いを断るようになった。何かあったのか?言ってくれ」
勇の勢いに負けたのか杉山が理由を語りだした。
「覚えてないみたいだけどお前、酔っぱらうと暴れだすんだよ」
杉山は勇の顔を見ずに言った。あまり思い出したくないのだろう。
「どういうことだ」
「朝子って居酒屋知ってるだろ?あそこでお前何回か暴れたんだ。最初は人に暴言を吐いたり、怒鳴ったりするくらいだけど途中から物を投げたり、テーブルひっくり返したり、挙句の果てには見ず知らずの人に殴り掛かる始末。おかげでお前はあそこの店出入り禁止になった」
勇は自分が知らないところで起きた出来事に恐怖を感じた。
「何で言ってくれなかったんだよ!オレそんなこと全く知らなかった。出入り禁止になったなんて」
勇の大声に店主が驚いてこちらを見る。
「お前は人一倍優しく、傷つきやすいんだ。そんなこと教えたらそれこそ自殺しちまうじゃねーか」杉山は熱を込めて言った。
「それでお前たちはオレとは飲まなくなったんだな。やっと理由がわかったぜ」
そのあと二人は静かに蕎麦を食べた。そして別れ際に聞いた。
「でもこの前オレが後輩と飲みに行ったときは何ともなかったらしい」勇の悩みの種だった。
「さあ。どうしてかな?」杉山はあまり興味が無いように言った。
「オレも毎回暴れたわけじゃないんだろ」
「ああ」
「じゃあ何かないか。オレが暴れだすときに必ずあるものとか」
「うーん。お前が暴れだすときにあるもの・・・」杉山は考え込んだ。
「嫌な奴がいるとか。どんな小さなことでもいい」勇は必死だった。何とか自分の夜の顔が知りたい。
「嫌な奴では無いんだけど、お前が暴れるときは決まって泣いた女がいるときだ」
「泣いた女?」
「ああ。最初に暴れだしたときには失恋した女子社員が泣いていた。それからも何らかの形で泣いた女がいたんだ。男が泣いたときもあったんだけどそれでは暴れなかった。そして一か月前に暴れた時は誰かの話に感動して泣いた女子社員を見て暴れだした」
杉山は探偵気分でも味わっているのだろう。顔が輝いている。
「オレは女が泣くと暴れだすのか」勇は蕎麦屋を出ていった。
もう何もしたくなかった。
自分の本性がわかったからだ。そしてあの夜何があったのかも。
あの夜、勇が後輩に連れられて帰ってくると美冬が出迎えてくれた。そして勇はまた飲みたいと言い出したのだ。美冬は勇がまた暴れだすと思い、止めた。美冬は勇が酒を飲むことを嫌っていたに違いない。
それは主婦の証言からわかる。
忠告も聞かずガブガブ酒を飲む勇を見て美冬は泣き出したのだ。そして勇は暴れだす。自分で制御することもできず美冬をベランダに連れて行き突き落とす。
こうして美冬は死んだのだ。
あんなに優しい妻を、愛していた妻を勇の中の眠れる怪物は殺してしまったのだ。
読んでいただきありがとうございます。夏休みの間を利用してたくさん短編を書いて行こうと思いまして書いた3作品目。
今回は眠れる怪物ということで自分も知らない夜の顔というものを書いてみました。本当に会ったら恐ろしいです。
感想、アドバイスお待ちしています。