ゴシップ
試合終了のホイッスルと同時に、アガーラの選手たちは一同に天を仰いだ。
J2第33節。首位に立つ甲府とのアウェーゲームに挑んだ和歌山は5−1の大敗を喫した。最終ラインのベテランたちを休養させるため、平野、堀井の両センターバックが今季初出場。サイドバックも右が根木、左が朴という布陣で臨んだが、成熟度の浅い盾ではどれほど友成が奮闘しようと甲府の攻撃を食い止めることは不可能だった。ケガから復帰した園川を小西とのダブルボランチで起用し、ある程度成果を見せたのがせめてもの救いだったが、唐突な面子の変更は実を結ばなかった。
「今回の布陣変更は、かなり無茶ではなかったのでは?」
記者会見で、フリーライターの玉川が今石監督に質問をぶつけた。
「守備陣に故障者が多いし、次は中三日で試合がある。だから疲労の回復具合を考えて今日のスタメンでいった。センターの二人はここんとこ調子が良かったしね」
今石監督の答え方に、玉川はいささか違和感を感じた。それは試合中にも感じていたことだった。
(…うーん、今石監督。今日はずいぶん覇気がないな。いつもなら笑うなり語気を強めるなり反応があるんだがな。選手交代もどこか投げやりだったしなあ)
「玉川さんも感じたんですか?」
翌日、アガーラの練習場で玉川と現場で合流した浜田は、玉川が感じたことに共感した。取材費の都合でテレビ観戦だった浜田もまた、今石監督の様子がおかしく感じられたのである。
「尾道との試合から、今石監督…少し元気がなさげですね。愛媛戦の時はそうでもなかったけど」
「愛媛戦のPK、天翔杯での勝利至上宣言、その他にも自分のサッカー観に対しての批評にうんざりしてんのかな。独特だからな。考え方が」
「少なくとも、現代サッカーからはズレてる印象はありますよね」
「ただ、今石監督のサッカーは、それこそ黎明期のJリーグが見せたような…いいにくいがワクワク感はある。魅力的なんだけどなあ」
そんな折、夕方に発行された夕刊紙・日刊ゲンジツに、今石監督の酷評記事が記載された。
スポーツ欄の端っこのあまり大きくない記事だったが、なかなか話題に上がらない和歌山県内のスポーツチームの記事とあって、これが波紋を呼ぶことになった。
「戦意喪失?J2和歌山・今石監督、すべてを投げ出し退任へ〜元コーチらが語る現監督の素顔」
当然のことながら、試合前日の練習場には多くの記者や記事を見たサポーターたちが集まった。
クラブハウスの玄関では、記事の内容について竹下GMが囲み取材を受けていたが、その表情には戸惑いの色が見えていた。
「今朝、記事のことを知りましたが、GMという立場を離れた個人的な意見として、よくまあこんな事実無根の記事を書き、十分な確認もせず掲載したものだなと思いました」
開口一番、驚きと怒りが同時に飛び出したようなコメント。
「この記事の元コーチというのは、春先に解任された和泉元コーチのことでは…」と言う質問に対しては、
「和泉さんとはJFL時代からの付き合いで、彼の人柄からしてこんなゴシップに手を貸すような真似はしないはずです。確認がとれていませんから何とも言えませんが…」と、これにはうろたえながら答えた。竹下GMにとって、これが一番ショックだったからだ。
「今石監督は、記事については…」
「私からはこれ以上何も言えません。掲載した夕刊紙には、腹立たしい思いを感じている。クラブの総意はまずそれです」
一方で、記事を書かれた今石監督自身は、練習後に囲もうとした記者たちを振り払い、「明日のホームゲームに集中させてくれ。ばったもんの記事にコメントすることはない」と手短に言い切ってクラブハウスに入った。去り際に「選手には絶対にふるな。ふったら出禁だからな」と釘を刺して。
「今日は、千客万来だったな」
トレーニング室でバーベルを使ったスクワットを終えたチョンが、黙々とエアロビバイクをこいでいた寺島に語りかけた。
「全員が、サッカー関係で来てくれたのならうれしいですけどね」
「まあな。たかだかゴシップ記事一つで騒々しいよな」
苦笑いを浮かべる二人だが、表情はどこか冴えない。今回の記事で取材に応じた関係者と言うのが、和泉元コーチと同時期に契約解除となった松下、さらに夏の移籍ウインドーで岐阜に移った布山とある。二人にとって前政権で苦楽を共にした面々なだけに、ショックは大きかった。
「本当に…あの人らが言ったんですかね」
「間違いないとは言いたくないが、少なからず心当たりあるコメントもあったから、多分信ぴょう性は高いだろ。だが、なんでこんな記事が…」
和歌山県内のとあるコンビニの駐車場。その車中で件の夕刊紙を見て、ほくそ笑む男がいた。
「くくく…。ペンは剣より強しとはこのことだなぁ。予想以上の反響だ」
この男。シーズン前半に和歌山でボイコット騒動があった折、偽名を使って強引な取材を試みていた、ゴシップ記者の大柴であった。今朝がた記事の反響を確かめようと、大阪からアガーラのクラブハウスがある紀の川市まで車を走らせ、囲み取材の様子を見つけるや勝ち誇ったような思いで帰路についたのだった。
「しかし、和泉さんにしろ松下、布山両選手にしろ、随分と溜まってたんだねえ。あんなにしゃべってくれるとは…こりゃーもうちょっと面白く出来そうだね、くくく」
大柴は皮算用で笑みを浮かべていた。




