小宮の本領
小宮の心中は穏やかでなかった。クレイチコフ監督から指示を受けるまでもなく、この後半は自分の全ての技術を見せ付ける腹であった。
格下と思っている剣崎にまたもゴールを許したばかりか、急造ボランチの内村にゲームプランを狂わされている。さらにクレイチコフ監督の耳打ちが起爆剤だった。
『和歌山にはワールドクラスのプレーをする選手がいたのだか…小宮、君は黙っているつもりかい』
「フン。言われるまでもねえや」
小宮は不敵な笑みを浮かべてつぶやいた。
後半開始のホイッスルが響き、ニコルスキーがセンターサークルから自陣にボールを小宮へ渡す。それをダイレクトに右サイドの樋村へ。ボールは測ったように、走る樋村の足元へおさまった。
(相変わらずすげえな)
パスの受け手樋村は、感心しながら前を向いた。桐嶋が対応に入る。
(こいつ…確かにスピードが厄介だが)
一瞬、樋村は左足に重心をかける。対峙した桐嶋はそれにつられる。その時に出来た隙をつき、樋村はあっさりと振り切った。
「あっ、やべえっ」
(フェイントに弱い。監督の言った通りだ)
かわした樋村は、そのまま裏のスペースに走る。だが、バイタルエリア(ゴール前のスペース)のニコルスキーには大森が、石川にはチョンがマークに入っている。後方を見ても、小宮が猪口に、御船が内村につかれている。パスの出し所がないように思えた。
「ヘイっ!」
その時、樋村の視線にいた小宮が叫んだ。
「小宮っ」
樋村はその声に反応し、小宮を見る。小宮には猪口がついたままだ。向かってくる小宮に並走するように、猪口はピッタリと小宮を追いかけてくる。 だが小宮は一度急停止し、猪口がそれにつられると同時に再び加速し、猪口の前に出てボールを受けた。
「何っ!」
「甘いんだよ」
驚く猪口に小宮は捨て台詞を吐くと、そのままゴール前に迫った。
「くっ、そうは」
「大森っ、マーク外すな。やつには俺が行く」
若い大森を止め、キャプテンのチョンが対応に入る。だが小宮は華麗なシザースを披露し、あっさりと振り切る。チョンの名誉のために言っておくが、チョンが劣っているのではなく、小宮が別次元なのである。並のテクニシャンであれば、韓国代表として名を馳せた殺人タックル(殺すわけでもファール覚悟でもない)で潰してしまう。
ただ小宮にとって、元代表と言う肩書は問題外。
「要するにあんたはロートルだってこった」
「くっ…」
一回り年上の先輩に悪態をつき、友成との一対一を迎えた小宮。他の選手と違い、小宮のプレーに顔色一つ変えない。
「なんだよ、おめえはなんとも思わねえのかよ」
「うちの最終ラインは基本ザルだからな。抜かれていちいち驚いてたら顔がもたねえよ」
「ちっ…気にいらねえぜ」
言いながら、小宮は友成も鮮やかにかわしてゴールネットを揺らした。ホームチームのゴール裏は大いに沸いた。
「くそ…」
その光景に、猪口は歯ぎしりしながら悔しがった。前回同様、小宮を徹底的にマークして自由を与えなかったが、同じように決定的な仕事をさせてしまった。
「こんなんじゃ…ダメだ。絶対に怯んじゃダメだっ」
確かに悔しい。悔やみきれない。だがいつまでもナーバスではいられない。そう気持ちを切り替え、猪口は前を向いた。
後半、リードを奪ったことでヴィクトリーの攻撃の圧力が強まった。
小宮は猪口に付きまとわれながらも、攻撃の基点としての役割をまっとう。合わせるように、右サイドの樋村もすっかり桐嶋を手玉に取り、何度もサイドをえぐった。
「今石、どうする。さっきから桐嶋やられっぱなしだぞ」
松本コーチの警鐘に、今石監督はため息をついた。
「そうあわてふためくな…と言いたいとこだが、キリのままじゃいいようにやられるだけだな」
「村主入れて、一回守備固めるか?」
「いや、村主はクローズ要因だ。守備は安定するだろうが、攻撃力はがた落ちしちまう」
「だが、向こうにつけいる隙を与えたままじゃ…」
「なら、相手が知らない選手を使えばいいだけさ」
今石はにやりと笑って、宮脇コーチに一人の選手を準備させた。
第4審判に連れられ、今石が用意させた選手がタッチライン付近に立った。
『ん?向こうは二枚目のカードを切るようだな』
『下がるのは…桐嶋のようです』
交代に気づいたクレイチコフ監督にコーチが補足する。
『しかし…かわりに入る35番。なんという選手だ?』
『えーと…確か、毛利…だったかと。先日の移籍市場で、セレーノ大阪からレンタルしてきたようですね』
『どんな選手だ』
『それが…スピードのあるシャドーストライカーというだけで、これと言って』
歯切れの悪いコーチの解答に、クレイチコフ監督はいらついたように聞く。
『1部リーグの選手だろう。何か戦績はないのか』
『それが…3年間で19分、それもロスタイムしか出ていない上に、得点もアシストもありません』
『またデータの少ない選手…それもサクマ以上に。そんな無名選手を補強するなど、イマイシの腹が読めん。…見てからのお楽しみ、ということか』
クレイチコフ監督は、データの少なさに歯ぎしりするだけだった。
やがて、ボールはタッチラインを割り、アガーラの交代が認められた。ピッチに下がる桐嶋は、毛利に近づいた。
「毛利さん、あと頼むっす」
元気いっぱいにハイタッチをかわしたが、毛利は無言のままピッチに出た。
「…なんか返事くれよな。おうとか、わかったとか」
この毛利もまた、今石の希望で獲得された選手である。佐久間のように才能を生かし切れず、佐久間とは逆にとにかく無口で引っ込み思案な性格、早い話「プロに向かない」選手だ。
「しかし、なかなか使わないと思ったら、こんな状況で使うとはね。お前の采配には冷や汗が出るよ」
松本コーチのぼやきを、今石監督は笑い飛ばす。
「まあ見てろって。やつの才能が間違いなけりゃ、俺達にとって頼もしい選手になる。佐久間と毛利…なんとか完全移籍して欲しいね」
この言葉から、今石監督の期待は大きい。果たして。
ここで新加入の二人のプロフィールを簡単に。
MF11佐久間翔
1986年4月22日生まれ
横浜から移籍。クレバーかつ大胆なプレーが光る天才肌のサイドプレーヤー。利き足は右。
FW35毛利新太郎
1988年7月29日生まれ
セ大阪から加入したレフティー。チェイシングが上手く、何処でもできる汎用性も二重丸。




