責任感と武器
試合は和歌山ボールで始まり、そのまま攻める和歌山、守る東京という図式で進む。最終ラインの内村が、実質的な司令塔として長短緩急織り交ぜたパスを散らし、選手を走らせる。特に佐久間、竹内の右サイドが積極的に攻め上がり、時には大きくサイドチェンジして西谷が中に切れ込んでいく。
ただ、フィニッシュには至らない。
剣崎、鶴岡の2トップに入る前に、パスがことごとくカットされてしまうのである。
それは、クレイチコフ監督に3バックの一角に抜擢された、三島の活躍であった。アガーラでいえば猪口のテクニックと大森の体格を合わせたような選手で、大柄ながら動きに切れがあり鶴岡や剣崎に当たり負けせず、ラストパスをことごとくカットした。
そして奪ったボールは福澤の正確なロングキックで前線に送られ、ニコルスキーのポストプレーに1.5列目の選手たちが絡んでいく。特に輝きを放ったのが、クレイチコフの抜擢でもっとも結果を残している御船だった。
「こ、こいつ・・・」
そのマークを任された潰し屋の江川は、御船に翻弄されっぱなしだった。
御船のプレーぶりは、猪口に迷いを与えた。敵の攻撃を無力化するためにも、ニコルスキーのポストプレーから生まれるセカンドボールを拾わせないことが大事だったからだ。
だが、そんな猪口を一喝したのは、最終ラインに組み込まれたチョンだった。
「落ち着け猪口っ!シュートコースは俺達が塞いでいるっ!お前は小宮に集中しろ。中途半端な対応は命取りだぞっ!」
「あっ、ハイッ!」
「江川も!無理について行こうとするな!並走するだけがマンマークじゃないっ!一定の距離を保ちつつ、突破のための一歩に集中しろっ」
「う、ウス。チョンさん」
アガーラの守備陣も、ただやられてばかりでもない。特に、佐久間が担当する敵の左サイドの樋村を抑えていた。自分のサイドプレイヤーとしての経験と定評のある俯瞰性を発揮して相手の一手先を読み、確実に潰した。
『ほう…』
その佐久間の出来に、クレイチコフは目を見張った。
『なるほど…。なかなかやるようだ。初めてとは思えんな…これはスカウティング不足だな』
チラリと隣に座るヘッドコーチの木倉を嘲るようにつぶやく。木倉は戸惑いながら反論する。
『す、すいません…。ただ、佐久間はレンタル元の横浜でも守備的なポジションをしてませんし、投入されたときも…』
『わかっている。そううろたえるな』
木倉の狼狽に、ロシアの老将は呆れながら苦笑した。
『だがイマイシ。これで抑え切られる我々ではないよ』
今度はテクニカルエリアに立って指示を飛ばす今石監督を見ながらつぶやいた。
そして老将の言葉は現実となる。
10分以降、江川を翻弄した御船が立て続けに高精度のシュートを放ち、アガーラゴールを脅かす。その度に友成の好セーブで耐え忍んだが、猪口の集中力が散りはじめた。味方が翻弄されているなかで、自分の事ばかりしていいのだろうか。責任感の強さからそう考えるようになり、その瞬間が命取りとなった。
「おいおい。お前の相手は俺だろ?ほっとくなら好きにさせてもらうぜ」
小宮がわずかな隙をつき、猪口を振り切るとすかさず裏を取り、御船からボールを受け、すぐさまシュートの構えを見せる。オフサイドぎりぎりのワンプレーだが、友成はコースを限定させるべく前に飛び出した。
「バーカ。やるのは俺じゃねえよ」
嘲笑を浮かべて友成をかわすと、どフリーの御船に繋ぎ、無人のゴールネットが揺れたのだった。
スタジアムDJの絶叫とともに、歓喜に湧くヴィクトリーのサポーターたち。ベンチもまた、控え選手たちがガッツポーズを作っていたが、クレイチコフ監督だけは微動だにせず、通訳を介して『まだ浮かれるな。戦いは始まってまだ半分も経っていないのだ』と一喝した。
一方、先制点を献上した今石監督は、試合の展開を悟る。対人戦に強い江川が全く歯が立っていないことに頭をかいた。とても「馴れればなんとかなる」というレベルではなかった。
「クレイチコフ監督はなかなか見る目があるよな。ベンチ外に埋もれてた埋蔵金をきっちり掘り起こしやがんな」
ぼやきながら頭の中で作戦を反芻する。
「しゃねえか。マツ、大森用意してくれ」
「は?もう返るのか」
今石監督の指示に、松本コーチは目を見開いて驚く。
「…向こうはデータの少ない監督の新チームだ。得体が知れていない以上、先手打ってリズムを戻す」
前半30分すぎに今石監督は動いた。退いてきた江川を出迎え、慰めと詫びの言葉をかけた。
「わりいな。たった30分で」
「いや、ちょうどいいでしょ。確かに彼は僕じゃ荷が重すぎました。それにセンターバックに入れ代わっても勝てそうにないし」
「ま、この借りは次の試合で晴らせ。ただし出たけりゃコンディション整えろよ」
対話を終えた江川は、苦笑いを浮かべながらロッカーに引き上げた。
今石は代わって大森を投入。センターバックに配置し、江川のポジションには内村がスライドした。
「うーん…リベロで好き放題出来ると思ったんだけどなあ〜。まあ、さっさと潰して攻撃するか」
頭をかきながらつぶやく内村に、猪口は釘を刺した。
「う、内村さん。ちゃんと集中してください。あの御船は相当厄介なんですから」
「その言葉、そっくり返すよグチ。あのゴールはお前が小宮から目を離したからでしょ」
「う…」
核心を突かれて黙り込む猪口に、内村は普段はほとんどしないような叱責をした。
「一人一殺が俺達アガーラの守備の基本であり、お前さんがプロで生きていける唯一無二の武器だろ。だったらそいつの事だけ考えろ。一長一短のガキが周りに気を配るなんて11年早いよ…小宮はお前の、御船は俺の獲物だからな」
そう言うと、内村は走り去った。内村の言葉にはっとさせられた猪口だったが、途中の言葉が少し引っ掛かった。
(11年て…どうしてそんな中途半端な)




