信頼
ボールを奪った竹内が、得意の高速ドリブルで、一気にサイドを駆け上がる。
竹内は中を見た。
ニアに剣崎、ファーに鶴岡がいる。どちらも得点の可能性がある。竹内は鋭いクロスを上げた。狙ったのは、ファーの鶴岡だった。
「フタさん、18番マーク!サンドロは9番頼む」
東京のGK、市原が両センターバックに指示を出す。
竹内のクロスは、鶴岡と二村のマッチアップになる。
「しまっ…」
うまく体を寄せられて、鶴岡のヘディングは十分にヒットせず、枠の外に転がろうとしていた。
「まだだぁっ」
力無く転がるボールに、剣崎が頭から突っ込む。マークについていたサンドロも、クリアを試みる。ボールは頭に当たって、ゴールラインの外へ出た。
線審はコーナーポストを指した。
剣崎や鶴岡に加え、川久保、園川の両センターバックも上がってくる。
ボールをセットした栗栖は、誰を狙うかを考えていた。東京の最終ラインの4人は、いずれも180代後半の長身ぞろいで、もともと空中戦に強い。これにニコルスキーを加えた対空陣形は、東京の持ち味の一つだった。
「さあて…高さ勝負になるが、うちは4人に対して、あっちの守備は5人か。普通に行ったら弾かれそうだな。キーパーの市原さんも185あるし」
あれこれ思案していると、剣崎と目が合った。傍目に見てもわかるくらいのオーバーなジェスチャーで「俺に蹴ってこい」と呼んでおり、センターバックにがっちりとマークにつかれる。
「バレバレだろ、そんなにアクションしてりゃさ」
相棒の行動に、栗栖は顔を伏せて苦笑する。
「でもやってみたいこともあるからなあ。あいつならわかっかな」
その独り言が、テレパシーのように伝わったか、剣崎が真剣な表情で頷く。栗栖はニヤリと笑い、手を挙げてゴール前に合図を送った。同時に集まった敵も味方も一斉にゴールに向かって動き出す。
剣崎のマークについたサンドロも、同じ方向に動き出す。
「アレっ!?」
だが肝心の剣崎は逆方向へ駆け出し、栗栖のボールも剣崎に向かって飛んでいる。密集地帯で一人別行動をとっていた剣崎は、完全にフリーとなった。
(だが離れ過ぎだ。あれじゃヘディングしても)
「コーナーキックは、ヘディングだけじゃねえんだよぉっ!!」
市原の推測に対して、剣崎は怒鳴り散らしながら飛び上がり、豪快なオーバーヘッドを蹴りこんだ。
ヘディングよりも勢いよく放たれたシュートは、地面にたたきつけられ、バウンドしながらゴールに吸い込まれた。
スタジアム中が呆気に取られたが、その沈黙を破ったのは他ならぬ剣崎の雄叫びだった。
「よっしゃあぁっ!逆転だあぁっ!!」
地面に大の字になりながら、剣崎は思いっきり叫んだ。そこに栗栖が、竹内が、園川が、次々とのしかかってきた。ホームゴール裏のサポーターも抱き合ったりハイタッチして歓喜を分かち合っていた。
そんな和歌山の光景を、小宮は羨ましくもあり、忌ま忌ましかった。
「なんなんだよ…なんであんな意味不明な奴に…ハットトリックだと…チィッ!」
その後、和歌山は栗栖に代えて小西が入り左サイドハーフについた。
一方、東京は八木沼、五十嵐の両サイドバックに代えて、対人戦に強いDF稲田、長身FWの斉藤を投入。右ウイングの窪山を中盤に下げて3−5−2に変更。追いつこうとより攻撃的に出た。
しかし東京・時任監督のシステム変更は裏目にでる。試合中ほとんど走りっぱなしの竹内にガス欠の気配はなく、これまで以上に走り回られた。
それでも中央のディフェンスは堅められていたので、フィニッシュの部分で耐えられていた。和歌山の選手たちは、トドメの追加点を奪おうと徐々に前がかりになっていた。
友成はこの状況に危機感を持っていた。
(裏のケアをしっかりさせないと…、あの小宮ってやつはその隙を突いてくる)
友成の危惧は、コーチングしようとした矢先に現実になる。
中盤の競り合いで初田が拾ったセカンドボールが小宮に繋がり、ニコルスキーとのワンツーで最終ラインの裏をとった。さらにまずいことに、対峙していた園川がオフサイドとセルフジャッジしたために動きが止まり、マークが外れた小宮は独走してきた。
(やばいっ!)
瞬間、友成はこの一対一を止めるのは無理だと直感した。飛び出してコースを限定しようが、待ち構えていようが、こいつは自在に蹴ってくる。何より、ここでこいつに追いつかれると、ムードがガラッと変わってしまう。
(大輔…後は頼むぜ)
友成は決断し、飛び出した。そしてスライディングで襲い掛かって、見事に小宮のボールを奪いとった。
手を使ってはいけない、ペナルティーエリアの外で。
主審がフリーキックを指示し、友成にはレッドカードが提示された。
歓喜に沸きながら、友成に容赦ない罵声を浴びせる東京サポーター。友成は、ウェアを脱いで今石から指示を受ける天野に近寄り、いくらか耳打ちしたあと「頼む」と言った。天野は鶴岡に代えて投入され、和歌山は10人での戦いを強いられることになった。
「お、浜ちゃん。取材した選手が出てきたじゃん」
記者席で玉川が浜田を冷やかした。
「どうよ、天野に何を期待する?」
「期待も何も、まずはこのフリーキックを止めて欲しいですよ」
「誰だって思いつく事を言うなよ、つまんねえの」と、玉川はぼやいた。
「川久保さんっ!もっと右。剣崎は園川さんとくっついて」
天野はポジションにつくや、壁役の選手に指示を出す。同時に、友成に耳打ちされたことを思い出す。
「キッカーの小宮は間違いなく蹴り込んでくる。それもブレ球をな」
ブレ球とは無回転で飛んでくるシュートで、変化する方向がわからない、キーパー泣かせのボールである。
「直接狙いのはわかるけど…球種まで限定できるのか」
疑問を抱く天野。対して友成は理由を話す。
「前半のあいつの2点、どっちも個人技で仕留めてるが、『味方に喝を入れる』と言うより『頼れないから俺がやる』みたいな雰囲気が出てた。多分あいつは仲間をあてにしていない」
「…確かにそういう節があるな。だとしたら、ここも」
「あいつの技術なら、ブレ球蹴るくらい、わけねえよ。言えることは、あいつに決められたら、相手を精神的に有利にさせる」
「でも、逆に止められれば勝てる、そうだろ」
にやりと笑う天野に、友成も同じように笑った。
主審の笛がなる。予想通り小宮が駆け出し、直接狙ってきた。壁を越えてきたボールは、回転していなかったが、急降下してきた。
(来た、ブレ球)
天野は構えに入り、ギリギリまでボールを見る。
(最後にもう一度揺れる…よし、右だ!)
ヤマを張って右側に重心をかけた。そしてこれがハマった。がっちりと両腕でボールを抱きしめ、俯せになった。 天野のビッグセーブは試合を決定づけた。
その後は攻めつづける和歌山に、防戦一方の東京という図式となった。
「うおっし!それじゃ4点目とって公約達成と行くかあ」
そう張り切った剣崎に44分にチャンスが訪れる。
この日右サイドを独壇場としていた竹内から、これ以上ない最高のパスが転がってきた。剣崎はダイレクトで押し込もうと右足をふり抜いた。
が、ボールは足元に転がったまま。まさかの空振りである。そのボールを、オーバーラップしてきた内村が押し込み、そこで試合終了を告げる長いホイッスルが響いた。歓喜と失笑の入り混じる勝利だった。
「おっす。お疲れ様」
試合後のドレッシングルームに、相川が剣崎を出迎えた。
「ハットトリック、すごかったけど、最後のは無様よね〜」
「う、うっせえやい」
相川に茶化されて剣崎は照れながらそっぽをむいた。
「まあ玲奈。こいつはきっちり美味しいところをとったんだからいいだろ」
剣崎をフォローする栗栖だが、目は相川と同じように笑っている。
「ちきしょう…てめえらヒーローの俺を馬鹿にしすぎだろ」
笑う二人に、剣崎はすっかりすねてしまった。
「よーし。そんなバカ剣に、ちょっとご褒美」
「あん?なんだって…」
相川のご褒美が何かと聞こうとしたとき、剣崎の頬に相川の唇が触れた。
「な!おいっ、な、なにすんだ!」
驚く剣崎を気にせず、相川は同じことを栗栖にもする。さすがの栗栖も呆気に取られる。
「じゃあね。お互い、昇格目指して頑張りましょ」
笑顔で帰っていく相川を、二人はポカンと見送った。
「あいつ…なんか変わったよな…」
「うん。ずいぶん、女らしく…大胆なのはかわりないけど」




