試合開始前
今回はちょっと短めです。
明けて22日、紀の川市内。一台の車が桃源郷陸上競技場についた。助手席から下りたのは相川玲奈だった。女子サッカーチーム、南紀飲料セイレーンズのオレンジのジャージ姿だ。
「すいません古川さん。無理言って」
「気にしないで。わたしも見に来たいと思ってたから」
「でも生意気な新人もいたものね。先輩を足に使うなんてさ」
後部座席からは頭をかきながら下りる女性に、相川は平身低頭。
「だって車どころか、あたし免許すら持ってないんで。ここ車なかったら来にくいし」
相川は、先輩の古川美穂、武藤千恵、同級生の佐伯紗耶香とアガーラの試合を見に来た。無論、目的は剣崎の公約を確認するために。
「ねえ玲奈。剣崎選手って、どんな人なの」
「何よさやか。その聞き方」
「え?だって彼、玲奈の『彼』なんでしょ」
「違う違うっ!ただの幼なじみだって」
佐伯の思わぬ質問に相川はたじろぐが、
「あら?別にうちは恋愛禁止じゃないわよ」
「照れる必要ないわよ。はっきりいっちゃいなさい」
と、先輩の古川、武藤がちゃかす。
「本っ当にそういうのじゃないですから。あたし中学卒業したあとずっとドイツにいましたから、接点ないんですって」
こういう場合、否定すればするほど思うつぼである。
スタジアムは今季最多動員を記録すること濃厚である。やはり強いところは、遠いところから、あるいは近隣の仲間に召集をかけて集まる。両ゴール裏にはほぼ同じ人数が集まった。
ましてや、相手は今季J2で戦いながら、五輪代表やまだ脂の乗っている元A代表が連ねる東京である。「つくづく改修中の紀三井寺陸上競技場でできないのが悔しい」とぼやくアガーラ関係者は多かった。
「あーあ、せめてサッカー専用のスタジアムだったらなあ」
アガーラ和歌山の広報、三好香苗もその一人。チームにとっても貴重な入場料収入も、キャパシティーの問題で例年比10%増しで売らざるを得ず、今季の台所事情は火の車であった。スポンサーの好意で、遠征で使う大型バスが無償でなかったらと思うとぞっとする。
「もったいないですね。ほんと」
「あ、浜田さん」
ため息をつく三好に声をかけたのは、Jペーパーの記者、浜田友美だ。二人は同じ大学の先輩後輩の間柄だった。
「選手たち、気合い入ってた?西谷だけじゃなくてチョンさんも出れないなんてね」
「なんか貧乏クラブに有りがちな怪我でへこんでます。『芝生の切れ目にスパイクが引っ掛かって捻挫』なんて」
「大丈夫よ。まあ部外者の私が気安く言うもんじゃないけど、攻撃陣は調子いいんだから。広報のあなたも元気出して」
マイナス思考の後輩を励まして、浜田は記者席にむかった。
「はぁ?お前そんなこと宣言したのか?」
試合前のホームチームのロッカーで、栗栖は剣崎の公約に呆れていた。
「しょうがねえだろ。玲奈があんなことふるからよぉ」
「だからって、ムキになってそんなこと言うなよ。守れなかったら一見さんドン引きだろ」
友成はさらにきつく毒づく。
「筋金入りの馬鹿だな。爬虫類のほうが頭いいんじゃね?」
「あんだと!?とにかく、まずは勝ちゃあいいんだ。そのために俺はああ宣言したんだっ」
「しかし東京は守備も固いし、今5連勝って調子いいからなあ」
竹内の言葉に、剣崎はさらに語気を強める。
「ウダウダ考えたって意味ねえよっ。試合前くらい勝った気でいねえと勝つねえぞっ」
剣崎が言い終わると同時に、今石監督が手を叩いた。
「そういうことだ。向こうはほぼベストメンバー、こっちは攻守の軸がいない。だが気持ちと走る距離は負けるなっ。行くぞっ野郎どもっ!!」