「劇的」という言葉が安くなる
桃山忠海さんとのコラボ、決着です。
鶴岡のヘディングで再び和歌山がリード奪った。後半だけで、もう3度もネットが揺れた。スタジアムには、良くも悪くも「何が起こるか分からない」という空気に包まれた。
この空気を察知した、尾道の水沢監督は、モンテーロの交代を決断した。今の鶴岡のシュートに体を寄せるどころか、ジャンプ自体遅れてしまうなど、ガス欠が決定的になったからだ。
「頼んだぞ、鈴木」
「はい」
監督からの期待に、鈴木は力強く頷く。そして交代を告げられたモンテーロには、尾道サポーターから労いのコールが起こり、
「ありがとうモンテーロ。よくやってくれた」
と、水沢監督も両手を挙げて讃えた。ビハインドで守備的な選手を投入し、交代カードは残り20分強を残して使いきった。今の水沢監督に出来ることは、ピッチの選手を信じることだった。
一方、和歌山の今石監督は、残り1枚のカードをどのタイミングで切るべきかを、未だ逡巡していた。
残っているのは、サイドアタッカーの野上と、前線プレーヤーの小西。守備を固めるためのカードはなくなったが、もとより守りを固めるという思考はなかった。「最もチームが脆いときは、守りに入ったとき」という持論故である。「どうします。選手、変えますか」
「まだ変えねえ。この状況じゃどっちを入れてもバランスを崩す。今は守りきれる保障なんてないし、守りに入ったらひっくり返される。…ここはまだ、我慢だ」
不安がる和泉コーチに、今石はあくまでも強がったが、内心なかば錯乱状態だった。
その時、レフェリーの長い笛が響いた。トップスピードでドリブルを仕掛けた御野を、川久保が倒してしまったのである。
ボールか足か際どいが、後ろからいったことに変わりなく、イエローカードが出された。
「くそっ」
「切り替えろ川久保。今はディフェンスに集中だ」
「…はい。チョンさん」
悔しがった川久保は、チョンに諭されて、壁に入った。
位置はキーパーのほぼ正面、距離にして15メートル程。直接狙う分にも問題はなかった。
「さーて…どうしてくれようかな」
「金田、ちょっといいか」
コースを模索している金田を荒川が呼び、何かを耳打ちした。金田の表情が綻んだ。
「いいっすねぇ、それ」
「もっと右っ」
友成は壁役の味方に指示を出す。友成の頭の中は「直接狙う」ことに山を張っていた。前半、フリーキックを外すたびに頭を抱えた様子から、「キックに自信がある。だからリベンジに狙う」と結論付けていた。金田と荒川が秘密裏に打ち合わせていたことは、当然知る由もない。
背後からはゴールを期待するサポーターのチャントが響いてくる。レフェリーの笛が鳴り、金田が助走をつけた。壁役の選手たちはジャンプする。だが金田は蹴る直前にブレーキをかけ、落ちていく壁を嘲笑うように、チップキックで浮かせた。壁の後ろ側には、荒川が走り込んでいる。
「よっしゃっ!」
完全に裏をかいた。金田はゴールを確信し、ガッツポーズを作る。
だがその表情は、直ぐに驚愕に変わった。友成が読んでいて、荒川に反応していた。
「げっ、読んでたのか!?」と、金田は驚きの声を上げる。
それは、否だった。
金田が助走した瞬間まで、友成は直接くると決め込み、飛び出す方向に重心を落とそうとした。
だが、直ぐに思考を切り替えた。後ろから聞こえるサポーターの歓声が変わったからだ。
荒川が壁の背後に走り込んでいるのを見て、驚きの声が上がったことが、荒川の策を暴いたのだ。だが、一度決め込んだ思考を、歓声から感じた違和感で、瞬時に切り替えられる友成の才能あっての対応である。
荒川も最初は驚いた。だが迷うことなく、右足を振り抜いた。至近距離のシュートに友成は触れはしたが、ボールはゴールマウスの中に弾んでいった。
ゴォォォォォォォルゥッ!!
スタジアムDJの絶叫にサポーターが揺れた。再び追いついた。後半40分。残り5分強。間に合う。行ける。勝てる。ゴールを決めた荒川は、ボールを抱えてセンターサークルに走り込んでいた。
レフェリーのホイッスルで試合は再開される。
「気を抜くなっ!また引き離せばいいだけだっ!」
チョンが味方に指示を出す。勝ち越し点を狙うチャンスは和歌山にもあるのだ。
「俺によこせぇっ!ぶち破ってやらぁっ!」
前線で剣崎がボールを要求する。
同じ背番号9、尾道の王も負けじと、必死になって前線を走り回る。さすがの猪口も、その馬力に後手に回る。
刻一刻と過ぎる時間。両チームのシュート数は、後半だけで10本ずつ放っている。後押しするように、サポーターの声援も大きくなる。
「しまったっ!」
後半43分、竹内のパスを王がカットした。御野とのワンツーを経て、一気にペナルティーエリアに走り込む。猪口を振り切り、ついにキーパーと一対一になったその時、背後から足払いを受けて倒された。
「どっちだっ?」
「エリア内だろっ」
「レフェリーっ!」
尾道サポーターの祈りは、果たして…通じた。主審はPKのジャッジを下した。サポーターは大歓声を上げた。さらに朗報が。倒した川久保が二枚目のカードをもらって退場。ロスタイム直前に和歌山は10人になった。
「ヒデサン。蹴ッテ下サイ」
「いいのか?お前がとったんだぞ」
「オ願イシマス。僕ニハ蹴レマセン。アナタニ託シマス」
珍しくためらう荒川に、金田も頼み込む。
「この後半の雰囲気は、間違いなくあんたのおかげだ。ハットトリックで締めてくれ」
荒川はボールをセットする。仁王立ちに構える友成と睨み合いになる。
(ギラギラだな、こいつの目。逸らしたら負けだな)
息を一つ吐いて、目線を逸らすことなく駆けだし、ゴール右隅にシュートする。またも友成は反応したが、今度は触ることができず、荒川にハットトリックを許した。
劇的なハットトリックに、スタジアムが、チームメートが、ベンチが三位一体で歓喜する。同時に、第4審判がロスタイムを表示。時間は3分だった。
「えーっと、俺が左サイドバックに入るから、園川は猪口とコンビ組めっ。ロスタイムは剣崎の1トップだっ」
鶴岡に代わって入った野上が、今石監督が指示したポジションを選手たちに伝えた。
川久保が退場したことで、今石はようやく三枚目のカードを切った。能力云々ではなく、野上の持つジンクスに賭けたのである。 野上がプロ選手として記録したゴールは、J1J2合わせて15。しかし、記録した11試合はいずれも勝ち点3、全勝しており、武者修業で期限付き移籍した大宮では、残留を決める立役者になっていた。野上がゴールを決める保障はない。しかし、野球のようなスコアとなった荒れた試合だ。初めてリードを許した上に数的不利となったが、決定したわけではない。わらにすがるような野上投入だったが、今石にとって今尽くせる唯一の人事だった。
「うかれんなよ。まだ試合は終わらねえし、ロスタイムはあくまでも目安だからな」
歓喜に沸くジェミルダートだが、選手たち、特にスタメンのフィールドプレーヤーは、ほとんどガス欠状態だった。なにより劇的ゴールの余韻が、耐えてきた緊張の糸を明らかに緩ませた。
その隙をつき、栗栖が左サイドの桐島にパスを出した。対峙する山吉は、開幕戦で倒れてしまった“前科”がある。案の定、今の山吉にスタミナが有り余っている桐島を止める余力はなく、簡単に突破された。
「くらえっ!」
渾身のミドルシュートを打った桐島。キーパー玄馬の正面となり弾かれたが、逆サイドから竹内が詰め、中央を突破した剣崎にアーリークロスを放つ。
「うおおぉっ!!」
剣崎は雄叫びあげて、ダイビングヘッドを打った。ゴールネットを揺らしたが、中に入ったのは剣崎自身。ボールはポストに弾かれて力無く舞う。尾道のキャプテン港がクリアするが、ミートせずまだ生きている。そのこぼれ玉に、栗栖が、チョンが、園川が詰めては何度もシュートを打つが、敵や味方、あるいはバーに弾かれる。波状攻撃を許しているのは、和歌山の選手が、何人も敵陣にいることと、足の止まった尾道の守備陣のクリアが甘いことが原因だった。
ついには「持ってる」野上がシュートを放つ。これは港が体を張って防ぎ、大きく前に弾かれる。カウンターのチャンスと見た御野が詰める。だが真っ先にそのボールを拾ったのは、キーパーの友成だった。鮮やかなトラップで御野をかわすと、強烈なミドルシュートを放ち、直ぐに背を向けてゴールに戻る。誰もが立ち尽くす中、チーターのように地をはうボールは、そのままゴールの左隅に突き刺さった。
スタジアム中が悲鳴に包まれた。ロスタイム残り1分という時間に、誰もが予想もしえない同点弾が叩き込まれた。こんな時間帯、カウンターのリスクを放棄してキーパーが攻め上がるなんて、誰が想像できようか。立ち尽くす尾道イレブンに、レフェリーが催促する。
センターサークルにはすでにボールがセットされていた。笛がなって王がボールを蹴った。
感動的な逆転と常識外れの同点劇。尾道イレブンの動揺は激しく、後半の快進撃の立役者、荒川すら状況を飲み込み切れていない。そして、止めを刺さんと、剣崎と竹内の今石チルドレンが、最後の馬力を搾り切る。それでも、なんとか勝ち点を死守すべく、尾道の選手たちも体を張り、徐々に盛り返していく。そして目安の3分に達した。主審が時計を気にしはじめる。
しかし、主審の仕草を気にしたわずかな隙を、この試合、あまり攻撃に姿を見せなかった内村が付け込んだ。
金田のバックパスを奪うと、そのままゴールへと突っ走っていく内村に対し、キーパー玄馬は飛び出せなかった。前半ロスタイムの栗栖のループシュートがフラッシュバックしたからだ。
「勝ち点3、ごっそうさんっ」
内村は、悪魔のような微笑みを浮かべてゴールネットを揺らした。その瞬間、今石監督の雄叫びや、僅かしかいない和歌山サポーターの歓喜がはっきり聞こえるほどの静寂がスタジアムを包んだ。
二転三転どころか、四転五転したシーソーゲームは、こうして幕が下りたのだった。
改めて、チームをお貸し下さった桃山さんに、心から御礼を申し上げます。